吸血人形を殺す方法

早之瀬雫

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第1章

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 須藤が研究室から立ち去った後、蘇芳は研究室に戻っては来なかった。
 ――機嫌を損ねてしまったか……。
 紺野は蘇芳に電話を掛けた。だが、蘇芳は出なかった。何度掛けても、呼び出し音が虚しく鳴り続けるばかりだ。
 紺野はため息まじりに、携帯電話をポケットにしまった。
 ――まあ、いいか。そのうち、来るだろう。
 蘇芳は、輸血用血液欲しさに紺野にすり寄っている。血液が欲しくなれば、また現れるに違いない。
 だが、1週間過ぎても2週間過ぎても、蘇芳は現れなかった。連絡の一つも寄越さず、これほど長期に亘って姿を見せなかったのは、初めてだった。
 すでに夏期休暇は終わり、後期の授業が始まっている。生真面目な蘇芳は、大学には来ているに違いない。それなのに、紺野のもとにはやってこない。
 紺野は、焦りと不安を覚えた。
 ――あの時の私の態度が、気に障ったのか? 
 硫酸を被れと命じたのは、紺野自身、さすがにやり過ぎたと感じていた。だが、蘇芳は紺野の横柄な態度を好んでいる節がある。あの時の蘇芳は、困惑した様子は見せたが、怒りは覚えているようには見えなかった。
 ――もしかして、須藤の存在が気に入らなかったのか?
 そんな考えが一瞬、紺野の脳裏を掠ったが、紺野は一笑に付した。
 蘇芳にとって紺野は、血液を提供できるという点にしか価値を見出せない存在のはずだ。須藤の存在など、蘇芳にとっては何の関心もないことに違いない。
 そして、まるで蘇芳と入れ替わったかのように、須藤が頻繁に紺野の研究室を訪れるようになった。
 須藤はよほど焦っているのか、しつこく言い寄ってきた。何度追い返しても、何事もなかったかのように現れては、助けて欲しいと厚かましく頼んでくる。
 ――全く……。鬱陶しいにも程がある。
 須藤になど、もう拘わる気は一切ないが、百歩譲って多少の助言をしてやろうにも、担当している卒論生の指導に手を焼いているこの時期に、そんな余力はなかった。
 ――そろそろ、卒論生の指導の時間か。
 蘇芳や須藤のことに意識を奪われ、自身の研究がほどんど進んでいないことに気づき、紺野は小さく溜息を洩らした。
 紺野は理工学部棟に向かう途中に、校内のハンバーガーショップに入った。学生たちへの差し入れのためだ。
 なじみの店員が駆け寄ってきた。
「紺野先生、今日も差し入れですか? ナゲットも一緒にいかがですか?」
「任せるよ」
 どうやら販売ノルマがあるらしく、店員は積極的に売り込んでくる。紺野は自分が食べるわけでもないから、大抵、店員に頼まれるままに購入していた。そのおかげか、店員たちは妙に愛想が良い。
 注文を終え、カウンターの脇で商品の受け取りを待っていると、聞き覚えのある声がした。
「ミルクシェイクください」
 奥のカウンターで、蘇芳が注文していた。
 店員は紺野の視線に気づいたのか、商品を差し出しながら紺野に囁いた。 
「あの子ですか? いつもミルクシェイクを注文するんですよ。あたしたちの間で、シェイク君って呼んでるんです。男の子では、珍しいですね」
「……そうなんだ」
「先生もいかがですか? すごく甘いですよ」
「遠慮しとくよ」
「ですよねー。いつも、ありがとうございます。また来てくださいね」
 紺野は商品を受け取りながら、横目で蘇芳を見た。蘇芳はミルクシェイクを受け取ると、テーブル席のほうに向かっていく。
 紺野は迷いながらも、蘇芳の後を追った。
 テーブル席に腰を下ろした蘇芳に、紺野が声を掛けようとしたその時、蘇芳の顔がぱっと明るくなった。
「美鶴さん、こっちです」
 蘇芳が手を大きく振ったその先には、大島美鶴の姿が見えた。
 美鶴は小走りで駆け寄ってきて、当然のように蘇芳の向かいの椅子に鞄を置いた。
「ちょっと待ってて。あたしも注文してくる。あれ? 飲み物だけ? ちゃんと食べなきゃ、身体もたないわよ。なんか買ってきてあげる」
 美鶴は一方的に話すと、カウンターに向かった。
 どうやら、二人は待ち合わせをしていた様子だった。
 ――そういえば、前にもこんなことがあったな。
 蘇芳を化学研究会の合宿から連れ戻した翌日のことだ。あの時、蘇芳は偶然会っただけだと言い張ったが、本当は約束していたのかもしれない。
 なぜあの時、紺野は蘇芳を問い詰めなかったのか。
 蘇芳が血を欲している限り、そう簡単に自分から離れて行くことはないだろうと、楽観視していたからだろう。
 ――そうか……。もしかすると、血が要らなくなったのかもしれない。
 だとすれば、蘇芳が紺野から離れて行くのは当然だった。
 蘇芳は焦点の合わないような虚ろな眼で、ぼんやりと宙を見ていた。
 ――血を欲している時の眼に似ている気もするが……。
 注文を終えた大島美鶴が、蘇芳の席に向かって歩いてくるのが見えた。紺野は慌てて、ハンバーガーショップを出た。
 幸い、蘇芳にも大島美鶴にも、気づかれずに済んだようだ。
 大島は椅子に座ると、蘇芳に話しかけている。蘇芳ははにかむような笑みを浮かべながら、頷いている。
 紺野は足早に理工学部棟に向かって歩き出した。
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