イーヴィルアイに宿る色は

早之瀬雫

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1章

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 成島翔が駅のホームに辿り着いた時、ちょうど電車が駅を出発しようとしているところだった。
 電車は線路沿いの桜並木を揺らしながら、ホームを後にした。桜の花びらが舞い散る中、翔は溜息混じりに、遠ざかっていく電車を見送った。
 ――どうにか駅までは来れたけど、遅刻かな。初登校で遅刻だなんて、嫌だな……。
 翔は前年度まで、名門私立高校として名を馳せている、修和学館高校に在籍していた。
 だが、出席日数不足で進級できず、やむなく県立源川第三高校に転入することになった。この高校は、入学した生徒のうちの3分の2が中退すると噂され、「柄が悪い」などと評される高校だった。
 そして今日が1学期始業の日。翔にとって、転入先の高校に初めて登校する日だった。
「……帰りたいな……」 
 翔は小さく呟いた。
 翔が登校したくない理由の中には、もちろん転入先の高校に対する不満もあった。だが、それ以上に、他人と拘わることが、怖くて堪らなかった。
 ――いや、大丈夫だって。源川第三高校には、あの事故を知る人はいないはず。一からやり直すんだ。
 自分に言い聞かせたその時、突然背後から肩を叩かれた。
「おまえが、成島翔? 人殺しなんだってな」
 翔が振り向くと、源川第三高校の制服を着た男子生徒三人が、翔の後ろに立っていた。
「修和学館のお坊ちゃんが、うちの高校に転入してくるなんて、絶対訳ありだもんな」
 どうやら前の高校での事故のことを知られているらしい。なぜ知られてしまったのか、翔は混乱しながら、必死で理由を模索した。
「どうしてバレたんだ、って? そんなの簡単だろ。修和学館の裏サイトで、盛り上がってたぜ。バケモノがクラスに紛れ込んでる、って。同級生を彫刻刀で刺したんだってな」
 途端に、目の前が真っ暗になった。脳裏に、何度も忘れようとしていた出来事が甦った。
 あの日、同級生が翔に因縁をつけてきた。内容は覚えていないが、些細なことだったはずだ。だが翔に言い負かされた同級生は、ちょうど床に落ちていた彫刻刀を拾い上げた。その時、壁掛け時計が落下し、彼の肩に直撃し、弾みで彫刻刀が彼の足に突き刺さった。
 もちろん翔は、彫刻刀にも時計にも、一切触れていなかった。
 だがあの時、翔は彼と視線を交錯させた。すると、彼は急に怯えるような表情を見せた。
 ――そうだ……。壁掛け時計の秒針が刻む音が頭の中一杯に広がって、左目が焼けるように熱くなったと思ったら……。
 そこまで考えて、翔は首を横に振った。
 ――いや、あの時だけじゃない。
 何時の頃からなのかは、正確には覚えていない。小学校の低学年の頃には既に、翔に嫌な思いをさせた相手が、直後に怪我を負うことがあったはずだ。
 いい気味だと思ったこともあった。
 だが、年を重ねるにつれ、頻度が高くなった上、相手が負う怪我も徐々に酷くなっていった。それと同時に、周囲も翔を疑い、翔を忌み嫌うようになっていった。おかげで友達と呼べる相手は、ひとりもいなかった。
「おい、何とか言えよ、人殺し」
 恫喝するような声に、翔は我に返った。
「……僕は、何もしていない」
 言い終わらないうちに、顔面に拳が飛んできた。他の生徒が、よろけて倒れかける翔の胸倉を掴み、力任せに揺さぶった。
「ふざけんな。バケモノと同じクラスだなんて、迷惑なんだよ。出て行け」
 今度は脇腹に一撃を受けた。胃の中のものが込み上げてくる。翔は冷たいコンクリートの上に倒れこんだ。
 一斉に攻撃が始まった。続けざまに、頭や背中、太腿が蹴り上げられる。彼らは翔を非難するというよりは、サッカーを楽しんでいるような風情だった。はしゃぎ声を上げながら、翔を蹴り続けた。翔は腹部と頭部を守りながら、激痛に耐えた。
 ――誰か、止めて。そうじゃないと……。
 翔は必死の思いで辺りを見回した。だが、ホームに溢れかえっている人々は、拘わり合いになるのを恐れてか、誰一人助けてはくれない。一瞬目が合った人も、眉を顰めて足早に離れていくだけだった。
 自販機で飲料を買っているセーラー服姿が目に映った。同じ高校の女子生徒だ。だが彼女も、缶ジュースを手にすると、そそくさと立ち去ろうとする。
 ――いい加減にしてくれ!
 翔は苛立ちを覚えながら、男子生徒達を仰ぎ見た。
 その時、ひとりの男子生徒と翔の視線が交錯した。傲然としていた男子生徒の表情が、みるみるうちに強張り、動きを止めた。
 刹那、鮮やかなオレンジ色と、幼稚な蜜柑のイラストが、翔の脳裏いっぱいに広がった。左目が焼けるように熱くなった。そして、頭蓋が割れるような大きな耳鳴りが木霊する。
 それが、シグナルだった。
 ――だめだ、やめてくれ! 
 翔は目を堅く瞑った。
 絶叫がホームに響き渡った。途端に、翔への攻撃がピタリと止まった。
 ――ああ、またか……。
 翔はコンクリートの上に横たわったまま、陰鬱な気持ちで視線を上げた。
 男子生徒の頭部から、オレンジ色の液体とともに、鮮血が飛び散っていた。一緒に暴行していた他の生徒たちは、何が起こったのか分からない様子で、呆然と立ち尽くしている。
 男子生徒は奇声を発しながら、ふらふらと後ずさり、やがて反対側のホームに転落した。
 ホームは一瞬、水を打ったように静まり返った。次の瞬間、悲鳴が上がった。男子生徒が転落したホームに、急行列車が入ってきた。人々の声は、急行電車の急ブレーキの音によってかき消された。
 翔はのっそりと立ち上がった。足元に、破裂したオレンジジュースの缶が、転がっていた。蜜柑のイラストが、大きく歪んでいた。
 さっきの女子生徒が買った缶ジュースが、男子生徒の頭部を直撃した凶器に違いない。
 ――僕のせいじゃない。
 心の中で呟きながら、翔は缶を蹴った。
 取り残された二人が、まるで化け物を見るような怯えた目で、翔を見つめていた。さっきまで、翔をサッカーボールのように蹴っていた相手だと思うと、不謹慎とは思いながらも、快感を覚えずにはいられなかった。口許に醜い笑みが浮かぶのを、自分でも分かった。
「僕に危害を加えるのは、やめておいたほうが賢明だよ」
 彼らの顔が、ますます蒼白になるのが、愉快だった。
 不意に、射抜くような鋭い視線を感じた。思わず振り返ると、さっきの女子生徒が立っていた。彼女は、長い黒髪をなびかせていたが、翔と目が合うと、逃げるように身を翻し、人混みの中に消えていった。
 ――違う。これは、僕のせいじゃないんだ。
 だが、声にならなかった。
 ――僕のせいじゃない。
 翔は心の中で呟いた。
 ――僕のせいじゃない。僕のせいじゃ……
 何度も心の中で呟いた。頭が空っぽになるまで、ひたすら呟き続けた。
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