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番外2

似たもの同士

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「奥様、お茶をお持ちしました」
「ありがとう、そこへ置いてちょうだい」

 エヴェリーナは答えながら、羽ペンを動かし続けた。
 すると侍女の優しげな忍び笑いが聞こえてきた。

「差し出がましいこととは存じますが、どうぞ少しお休みになってください。奥様にあまり無理をさせぬようにと殿下から仰せつかっております」
「殿下から?」

 エヴェリーナは思わず顔を上げ、目を丸くした。

(……そんなに無理をしていたのかしら)

 内心で首を傾げ、机の周りに積み上げた手紙や書類を見る。
 家の資産管理はむろん、夫ジルベルトの交友関係のある人々にまめに手紙や贈り物をしたり、時に訪問を受けたりというのは、妻の主な仕事だ。それにくわえて領地の経営に関することで、税収の簡単な計算や緊急度の低い陳情ならばそれも一人で対処、判断する。

『あなたに家の内のことだけをさせるのは惜しい』

 ジルベルトはそう言って、許してくれた。

『――あなたと私は似たところがある。目標があるとそれに打ち込み、喜びを感じる質だ。そして容易く達成できる目標では喜びは得られない』

 そう指摘されたとき、エヴェリーナは思わず言葉を失った。ジルベルトと同等に語られるのはおそれ多い――というよりも先に、自分の知らない自分を、言い当てられたような気がした。
 実際、妻としての役目は多くなっているのかもしれないが、不思議と充実感さえ覚えている。ジルベルトの言う通りだった。

 自分のこれまで培ってきたものを最大限に活かして仕事をこなすことは、やり甲斐がある。

 侍女の言葉を素直に容れてカップを傾けると、あたたかな紅茶の豊かな香りが鼻腔を心地良くくすぐる。
 一息つきながら、時計を見た。
 間もなく夜だ。――ジルベルトが帰ってくる。
 そう思うと心が弾むようで、また気力がわいてくる。

(……よし)

 あの人が帰ってくるまでにこの手紙を片付けてしまおう、と思った。


 ◆


 その日の予定を片付け、晩餐や翌朝の支度を使用人たちに指示していると、ジルベルトの帰宅を告げるベルが鳴った。
 エヴェリーナは急いた足取りで、二階の螺旋階段から一階へ向かう。降りていく途中で、美しい赤毛の人が玄関に見えた。
 赤毛の主――ジルベルトはすぐに目を上げ、エヴェリーナを認めた。

「お帰りなさいませ、殿下」
「……ああ。いま戻った」

 耳によく響く声が答え、鋭利な知性を感じさせる目元が柔らかく和む。
 エヴェリーナの鼓動は小さくはねた。

 ――ジルベルトの、こういう柔らかい表情を向けられることにいまだに慣れない。
 弟とは正反対に、相対する者を緊張させずにはいられない彼が、こういう表情をするのだと知ったのは結婚してから後のことだ。それも、誰にでもこの表情を見せるわけではないようだった。
 自分以外に向けられているところを、エヴェリーナはまだ見たことがない。――見せて欲しくない、とも思う。

 階段を降り、夫のもとに歩み寄る。

「視察はいかがでしたか?」
「思ったより舗道の老朽化が進んでいた。早いうちに整備しないとだめだ、流通に支障が出る。予算をあとで検討する」

 エヴェリーナはうなずき、夫の言葉を頭に刻み込む。すぐに、予算の内で融通可能な項目があっただろうかと頭に思い描く。
 が、ふいに腰に腕を回されて引き寄せられた。それから、額の上に唇が落とされる。

「仕事の話をここに持ち込む必要はない。あなたのほうは?」

 いつも明瞭でよく通る声が、優しい響きを帯びる。

「……お、終わり、ました」

 エヴェリーナは頬に熱を感じながら答えた。――夫婦であれば、これぐらいの触れあいは普通だ。
 頭ではそうわかっているのだが、エヴェリーナはジョナタ以外の異性とまともに接触したことがなく、ジョナタにもこんなふうに触れられたことはない。

 これほど親しく触れてくるのは、夫になったジルベルトがはじめてだった。
 他のことならまだしも、こればかりはエヴェリーナはジルベルトに追いつける気がしない。――それは初夜の時に、完全に思い知らされた。

 どこか甘い笑い声が降ってくる。

「そうか。片付けておいた甲斐があった」

 機嫌の良さそうな夫の声に、エヴェリーナはかすかに目を瞬かせた。
 夫が帰ってくるまでに仕事を終えたのは、認められたいという気持ちばかりでなく――ジルベルトとの時間を増やしたかったからだ。
 二人で過ごす、私的な時間を。

 だがそれは、自分だけではないのかもしれない。

『あなたと私は似たところがある』

 ――そう言ったのは、ジルベルトだった。

 足元が浮つくような感覚がやってきて、そっと目を上げて夫を見る。ジルベルトもまたこちらを見ていた。
 形の良い唇に淡い微笑が浮かんだかと思うと、額にまた口づけが落ちてくる。エヴェリーナの顔はまた熱くなった。
 なのに同時に泣きたくなるような温かさが胸にわき、体中に広がっていく。

 いま自分が感じているこの温かさを、ジルベルトも感じてくれていたらいい。

 祈るように、そう思った。
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