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番外1:第一王子の挫折と栄光 ~彼女を手に入れるまで~
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目が合った。
あの日に見た、青い目はそのまま驚いたように見開かれていた。
視線が絡み合う。互いの存在に驚き、打たれたような硬直。
先に目を背けたのはエヴェリーナの方だった。
ジルベルトは、自分の唇が歓喜につりあがりそうになるのを抑えた。
全身がざわついている。
不自然に思われぬよう、一度ジョナタと言葉を交わした。ジョナタの傍らのマルタは緊張しているようだったが、ジルベルトからすればうるさく感じられるほどによく喋った。
最低限の会話を済ませたあと、歩き出す。
エヴェリーナのほうへ。
数名に囲まれている。王太子の新たな婚約者に対する配慮や微妙な関係のためか、取り巻きは少ない。
エヴェリーナは品良く曖昧な微笑を浮かべて応じていたが、そこにある陰はジルベルトにははっきりとわかった。
嫉妬や怒りに狂った女の顔ではない。
自分を律し、高めていた者が突如として目標を奪われたときの、あの無気力さが覆っている。
その底には、理不尽に奪われたものの静かな怒りが横たわっている。
――かつての自分と同じ。あの胸の中にはきっと、“なぜ”という声が何度も響いているのだ。
ジルベルトには、それが深く理解できた。
(変わっていない)
はじめて目にしたときの印象から、エヴェリーナは変わっていない。否、むしろもっと磨かれているとさえ思った。
だが、ジルベルトは実際に確かめる労を惜しまなかった。
「あなたがエヴェリーナ嬢か」
直接、そう声をかけた。
取り巻きとエヴェリーナ自身とが驚いたように顔を向ける。取り巻きは、ジルベルトに威圧されたかのように静かに散っていった。
ジルベルトの前に、エヴェリーナ一人が放り出される。
(……美しい)
間近にエヴェリーナを見て、ジルベルトは素直に驚嘆した。
美しい蕾は、見事な大輪の花となって咲き誇っているようだった。
柔らかく肉付きのよい体は色香に満ちているが、卑しい手が触れるのを拒むかのように白い肌が輝き、落ち着いた態度と品の良い美貌が気品で全身をくるんでいる。
翳りのある碧眼も、奥行きの深さを感じさせるようでジルベルトをひどく惹き付ける。
だが美しさだけで流されるほどジルベルトは無垢ではなかった。
――第一王子。
自分が話しかけたその意味をエヴェリーナがどう捉えるか。どう反応するかを冷徹に観察する。
ジルベルトに叛逆の心はない。しかし立場からすれば微妙なものであることは、少し頭の回るものならわかるはずだった。
エヴェリーナは、戸惑いや媚態を見せるかわりに、はじめて貴人と相対したときにすべき完璧な対応――優雅で落ち着いた一礼――を見せた。
「お目にかかれて光栄です、ジルベルト殿下」
「こちらこそ、エヴェリーナ嬢。これは美しい。王太子妃候補であったのも納得できるな」
内心でもらした感嘆の息とは別に、ジルベルトはわざとエヴェリーナを試すような言葉を放った。
王太子妃候補であった――その露骨な物言いに、近くにいた者たちのほうが動揺する。
だが、エヴェリーナはまたも正しい対応をした。
柔らかく、受け流すように曖昧な微笑を浮かべたのだ。相手に感情を悟らせず、見る者の心証によって如何様にも受け取れる表情を。
悲しみや怒りを押し隠すことのできる女の顔だった。平民の女に追い落とされるという類を見ない屈辱を受けたにもかかわらず、冷静さを失っていない。
否、内面がどうあれ、耐えることができている。
ジルベルトの体に大きなさざなみがはしった。うめきがこぼれそうになった。
――完璧。
彼女は、確かに完璧な女だった。
肌が粟立つ。
しかしエヴェリーナが完璧だと思う反面――不思議なほど、この仮面をはぎ取ってみたいとも思わせる。
この仮面の下にあるものを見られるのは、彼女の内奥に触れられる者だけだ。
(欲しい)
この女が、欲しい。
かつての自分の直感は完全に正しく、自分にふさわしい女を求めて結婚しなかったことも、いまこの瞬間のためであったような気がした。
ジョナタは、とてつもない宝を自ら放り出した。
もはや何にも遠慮する必要もはばかることもない。
久しく感じなかった飢え、あるいは闘争心にも似た衝動が全身を駆け巡る。
(――必ず、この女を手に入れる)
ジルベルトが求め続けたものはいま、手を伸ばせばすぐ得られるところにあった。
典雅な楽曲が流れ始める。
ジルベルトは、己の伴侶にすべき女に向かって手を差し出した。
あの日に見た、青い目はそのまま驚いたように見開かれていた。
視線が絡み合う。互いの存在に驚き、打たれたような硬直。
先に目を背けたのはエヴェリーナの方だった。
ジルベルトは、自分の唇が歓喜につりあがりそうになるのを抑えた。
全身がざわついている。
不自然に思われぬよう、一度ジョナタと言葉を交わした。ジョナタの傍らのマルタは緊張しているようだったが、ジルベルトからすればうるさく感じられるほどによく喋った。
最低限の会話を済ませたあと、歩き出す。
エヴェリーナのほうへ。
数名に囲まれている。王太子の新たな婚約者に対する配慮や微妙な関係のためか、取り巻きは少ない。
エヴェリーナは品良く曖昧な微笑を浮かべて応じていたが、そこにある陰はジルベルトにははっきりとわかった。
嫉妬や怒りに狂った女の顔ではない。
自分を律し、高めていた者が突如として目標を奪われたときの、あの無気力さが覆っている。
その底には、理不尽に奪われたものの静かな怒りが横たわっている。
――かつての自分と同じ。あの胸の中にはきっと、“なぜ”という声が何度も響いているのだ。
ジルベルトには、それが深く理解できた。
(変わっていない)
はじめて目にしたときの印象から、エヴェリーナは変わっていない。否、むしろもっと磨かれているとさえ思った。
だが、ジルベルトは実際に確かめる労を惜しまなかった。
「あなたがエヴェリーナ嬢か」
直接、そう声をかけた。
取り巻きとエヴェリーナ自身とが驚いたように顔を向ける。取り巻きは、ジルベルトに威圧されたかのように静かに散っていった。
ジルベルトの前に、エヴェリーナ一人が放り出される。
(……美しい)
間近にエヴェリーナを見て、ジルベルトは素直に驚嘆した。
美しい蕾は、見事な大輪の花となって咲き誇っているようだった。
柔らかく肉付きのよい体は色香に満ちているが、卑しい手が触れるのを拒むかのように白い肌が輝き、落ち着いた態度と品の良い美貌が気品で全身をくるんでいる。
翳りのある碧眼も、奥行きの深さを感じさせるようでジルベルトをひどく惹き付ける。
だが美しさだけで流されるほどジルベルトは無垢ではなかった。
――第一王子。
自分が話しかけたその意味をエヴェリーナがどう捉えるか。どう反応するかを冷徹に観察する。
ジルベルトに叛逆の心はない。しかし立場からすれば微妙なものであることは、少し頭の回るものならわかるはずだった。
エヴェリーナは、戸惑いや媚態を見せるかわりに、はじめて貴人と相対したときにすべき完璧な対応――優雅で落ち着いた一礼――を見せた。
「お目にかかれて光栄です、ジルベルト殿下」
「こちらこそ、エヴェリーナ嬢。これは美しい。王太子妃候補であったのも納得できるな」
内心でもらした感嘆の息とは別に、ジルベルトはわざとエヴェリーナを試すような言葉を放った。
王太子妃候補であった――その露骨な物言いに、近くにいた者たちのほうが動揺する。
だが、エヴェリーナはまたも正しい対応をした。
柔らかく、受け流すように曖昧な微笑を浮かべたのだ。相手に感情を悟らせず、見る者の心証によって如何様にも受け取れる表情を。
悲しみや怒りを押し隠すことのできる女の顔だった。平民の女に追い落とされるという類を見ない屈辱を受けたにもかかわらず、冷静さを失っていない。
否、内面がどうあれ、耐えることができている。
ジルベルトの体に大きなさざなみがはしった。うめきがこぼれそうになった。
――完璧。
彼女は、確かに完璧な女だった。
肌が粟立つ。
しかしエヴェリーナが完璧だと思う反面――不思議なほど、この仮面をはぎ取ってみたいとも思わせる。
この仮面の下にあるものを見られるのは、彼女の内奥に触れられる者だけだ。
(欲しい)
この女が、欲しい。
かつての自分の直感は完全に正しく、自分にふさわしい女を求めて結婚しなかったことも、いまこの瞬間のためであったような気がした。
ジョナタは、とてつもない宝を自ら放り出した。
もはや何にも遠慮する必要もはばかることもない。
久しく感じなかった飢え、あるいは闘争心にも似た衝動が全身を駆け巡る。
(――必ず、この女を手に入れる)
ジルベルトが求め続けたものはいま、手を伸ばせばすぐ得られるところにあった。
典雅な楽曲が流れ始める。
ジルベルトは、己の伴侶にすべき女に向かって手を差し出した。
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