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番外1:第一王子の挫折と栄光 ~彼女を手に入れるまで~
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側近の報告に、執務机にいたジルベルトは目を瞠った。
――侯爵令嬢エヴェリーナ。
久しく忘れていたその名が突然、記憶の底が浮かび上がってきた。
王太子に与えられた最適な人材。ジョナタを補うであろう、優れた妃候補。かつて羨望と嫉妬で遠くから見つめた少女だった。
そのエヴェリーナとの婚約を、ジョナタが解消したという。
国王がジョナタを溺愛していることは元からわかっていたが、まさかこんな要求まで通すとは思わなかった。
それも、ジョナタが婚約破棄を求めた理由が理由だ。
(真実の愛だと……? 気でも狂ったか)
側近の報告内容を、ジルベルトはにわかには信じられなかった。巷間の噂をそのまま拾ってきたのかと思うほどだったが、どうやらそれが真実であるらしい。
「相手はマルタという女で、後見を持たぬ平民であるそうです。王太子殿下がひとりお忍びで城下町に赴かれた際、知り合ったとか。マルタという女の背後で何者かが糸を操っているというような情報はいまのところありません。引き続き調査する予定ですが、現在では真に、ただの酒場の娘だとか……」
男は淡々と続ける。蔑む響きはなく、私情を挟まず、ありのままに情報を集め、伝えるという任務に徹している。
ジルベルトは知らず、常にも増した渋面をつくっていた。
「その女は、よほどの才気を持っているのか? あるいは国を傾けかねないほどの美女か?」
「……いいえ、特に美貌をうたわれることも、教養もないようで……」
率直に評すると王太子への間接的な侮辱になりかねないと思ってか、男が口を濁す。
ジルベルトにはそれだけで十分だった。
ジルベルトは知らず眉をひそめ、かすかに頭痛を覚えてこめかみに手を触れた。
(……馬鹿め)
内心で吐き捨てた。純朴も過ぎればただの愚者だ。
王太子の妃ともなれば、ただの妻ではありえない。
将来増えるであろう側室たちを前にしても嫉妬に狂うことなく醜態をさらすことも許されず、女達をとりまとめなければならない。あるいは側室を迎えないことで統率の責任を免れるとしても、未来の国母であり、王が不在のときには代理として権力を持ち、人臣をまとめねばならぬ立場なのだ。ただの女で務まるものではない。
ましてやジョナタのあの性格が幼少からそのままなら、脇の甘さや隙はありあまるほどだ。有能な側近が必要なのはもちろん、妃の補佐も求められる。
真実の愛などといって、何の力も教養もない女を王妃に据えればどんな災いを招くか。
――なんのために、婚約者が王太子妃として厳しく教育されていたと思っているのか。
秋の陽射しの下、なんの苦労もなくジョナタに与えられた、あの矢車菊の瞳をした少女の姿が鮮やかに蘇ってきた。
ジルベルトは立ち上がっていた。
「――王都へ行くぞ」
側近の男がかすかに驚きを露わにする。
これまで国境の安定につとめた労をねぎらうといって、国王からしばしば都に招かれていたが、ジルベルトはできるかぎり辞していた。
だがいま、ジルベルトには一刻も早く王都へ行かねばならない理由ができた。
(エヴェリーナ――)
あの少女は、どのように成長しているだろう。
優秀な、といわれた彼女のまま成長したのだろうか。
かつて欲しいと思い、だがかなわなかった彼女のままでいるだろうか。
――もしそうであるなら。
「さあ、みなのもの。このジルベルトを大いに祝ってもらいたい」
国王の言葉に続き、周囲から明るい賞賛の声と拍手とがあがった。
ジルベルトは最低限の微笑をつくりながら、だが心の底では冷ややかに見ていた。
集まったのは高位の貴人と国王夫妻、そして王太子とその新しい婚約者だ。
自分の目で見たマルタは、側近から受けた報告以上でも以下でもない女だった。――つまり、まったくの市井の女だった。
生きる活力のようなものは漲っていて、ジョナタがそこに惹かれたであろうことは理解できた。だが、それだけだった。
地に生きる女である以上、宮廷という別世界で生きられるとは思えない。
とても王太子妃にふさわしい女ではなかった。
救いようがないのは、ジョナタもマルタも恋愛という強い目くらましによってそれが見えていないということだ。
この婚約を許した父の気も知れなかった。この場にいる何人が、王太子の新たな婚約を真に祝福しているだろう。
そう思えば、華やかさに満ちたこの場もひどく滑稽なものに思えた。
胸中で冷ややかに場を眺めながら、ジルベルトは視線を動かす。この王都にまで赴いた目的の相手を探す。
――そして、見つけた。
――侯爵令嬢エヴェリーナ。
久しく忘れていたその名が突然、記憶の底が浮かび上がってきた。
王太子に与えられた最適な人材。ジョナタを補うであろう、優れた妃候補。かつて羨望と嫉妬で遠くから見つめた少女だった。
そのエヴェリーナとの婚約を、ジョナタが解消したという。
国王がジョナタを溺愛していることは元からわかっていたが、まさかこんな要求まで通すとは思わなかった。
それも、ジョナタが婚約破棄を求めた理由が理由だ。
(真実の愛だと……? 気でも狂ったか)
側近の報告内容を、ジルベルトはにわかには信じられなかった。巷間の噂をそのまま拾ってきたのかと思うほどだったが、どうやらそれが真実であるらしい。
「相手はマルタという女で、後見を持たぬ平民であるそうです。王太子殿下がひとりお忍びで城下町に赴かれた際、知り合ったとか。マルタという女の背後で何者かが糸を操っているというような情報はいまのところありません。引き続き調査する予定ですが、現在では真に、ただの酒場の娘だとか……」
男は淡々と続ける。蔑む響きはなく、私情を挟まず、ありのままに情報を集め、伝えるという任務に徹している。
ジルベルトは知らず、常にも増した渋面をつくっていた。
「その女は、よほどの才気を持っているのか? あるいは国を傾けかねないほどの美女か?」
「……いいえ、特に美貌をうたわれることも、教養もないようで……」
率直に評すると王太子への間接的な侮辱になりかねないと思ってか、男が口を濁す。
ジルベルトにはそれだけで十分だった。
ジルベルトは知らず眉をひそめ、かすかに頭痛を覚えてこめかみに手を触れた。
(……馬鹿め)
内心で吐き捨てた。純朴も過ぎればただの愚者だ。
王太子の妃ともなれば、ただの妻ではありえない。
将来増えるであろう側室たちを前にしても嫉妬に狂うことなく醜態をさらすことも許されず、女達をとりまとめなければならない。あるいは側室を迎えないことで統率の責任を免れるとしても、未来の国母であり、王が不在のときには代理として権力を持ち、人臣をまとめねばならぬ立場なのだ。ただの女で務まるものではない。
ましてやジョナタのあの性格が幼少からそのままなら、脇の甘さや隙はありあまるほどだ。有能な側近が必要なのはもちろん、妃の補佐も求められる。
真実の愛などといって、何の力も教養もない女を王妃に据えればどんな災いを招くか。
――なんのために、婚約者が王太子妃として厳しく教育されていたと思っているのか。
秋の陽射しの下、なんの苦労もなくジョナタに与えられた、あの矢車菊の瞳をした少女の姿が鮮やかに蘇ってきた。
ジルベルトは立ち上がっていた。
「――王都へ行くぞ」
側近の男がかすかに驚きを露わにする。
これまで国境の安定につとめた労をねぎらうといって、国王からしばしば都に招かれていたが、ジルベルトはできるかぎり辞していた。
だがいま、ジルベルトには一刻も早く王都へ行かねばならない理由ができた。
(エヴェリーナ――)
あの少女は、どのように成長しているだろう。
優秀な、といわれた彼女のまま成長したのだろうか。
かつて欲しいと思い、だがかなわなかった彼女のままでいるだろうか。
――もしそうであるなら。
「さあ、みなのもの。このジルベルトを大いに祝ってもらいたい」
国王の言葉に続き、周囲から明るい賞賛の声と拍手とがあがった。
ジルベルトは最低限の微笑をつくりながら、だが心の底では冷ややかに見ていた。
集まったのは高位の貴人と国王夫妻、そして王太子とその新しい婚約者だ。
自分の目で見たマルタは、側近から受けた報告以上でも以下でもない女だった。――つまり、まったくの市井の女だった。
生きる活力のようなものは漲っていて、ジョナタがそこに惹かれたであろうことは理解できた。だが、それだけだった。
地に生きる女である以上、宮廷という別世界で生きられるとは思えない。
とても王太子妃にふさわしい女ではなかった。
救いようがないのは、ジョナタもマルタも恋愛という強い目くらましによってそれが見えていないということだ。
この婚約を許した父の気も知れなかった。この場にいる何人が、王太子の新たな婚約を真に祝福しているだろう。
そう思えば、華やかさに満ちたこの場もひどく滑稽なものに思えた。
胸中で冷ややかに場を眺めながら、ジルベルトは視線を動かす。この王都にまで赴いた目的の相手を探す。
――そして、見つけた。
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