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よく通る低音が、場を一変させた。
エヴェリーナは目を見開き、他の者と同様に声のほうを見る。
「兄上。先にはじめてしまいましたよ」
「構わん」
ジョナタただ一人が変わらず優しげな声をかけた。
ジルベルトの登場は、場にかすかな緊張をもたらす。
ジョナタとは反対に、ジルベルトは場を引き締めて周囲の注目や集中を促すような存在感を放っていた。
――けれどエヴェリーナだけは、奇妙にも安堵に似た気持ちを覚えていた。
(……来てくれた)
とっさにそんなことを思った。しかし、彼は自分のためにやってきたのではなく、はじめから招かれていたというだけのことなのだ。
それでも、生ぬるく澱んでいた空気を、ジルベルトの鋭さが切り裂いて清涼な流れを運んでくれるような気がした。
やがてジルベルトと目が合った。冷たさのある高貴な唇にふっと笑みが浮かぶ。
救われたように感じたのを見透かされたようで、エヴェリーナは慌てて目を逸らした。それでも、頬が少し熱かった。
――ゆえに、ジョナタがエヴェリーナの様子を見て軽く目を瞠ったことも気づかなかった。
「およそ予想はつくが、弟に何か言われたか」
庭園を散策している最中、傍らに立ったジルベルトが、少し声を落として言った。
エヴェリーナは言葉につまった。――ジョナタに悪意や皮肉を受けたわけではない。むしろ、その逆ですらあった。
ジョナタやマルタを中心に、他の貴人たちが少し先行して庭園を楽しんでいる。
エヴェリーナはジルベルトに付き添われるような形でジョナタたちの後を歩いていた。
――だが実際は、ジルベルトが他の人間から少し遠巻きにされているためでもあるようだった。
「あいつは善良ゆえ、少し鈍いところもある。このたびの茶会も、あなたのためを思って新たな相手をあてがおうなどと考えていたのだろう。新しい婚約者に浮かれて、あなたにも同じ浮かれ気分を味合わせることが罪滅ぼしになるとでも思っているのだ。あくまでもあなたのためだと思い込んでいるから余計にたちが悪い」
ゆっくりと歩きながら、ジルベルトはやや冷ややかにそう批判する。
しかしそれはほとんど的を射ており、エヴェリーナは息を飲んだ。
同時に、温かな水が体中に広がって行くような安堵を覚えた。
ジルベルトだけが、いまこの場で自分を理解してくれているような気がした。
「それで、答えは見つかったか?」
エヴェリーナは弾かれたように顔を上げる。ジルベルトを見る。
曇りのない、意思の強さを感じさせる目がエヴェリーナを見つめ返す。
「私欲でも愛でもなく、あなたを落ち込ませていたものの正体だ」
静かに問われ、エヴェリーナは息をつめた。
――この胸を軋ませた感情の正体。嫉妬というだけでは説明しきれない何か。
愛とも違う。野心ではない。
なら、それは。
エヴェリーナの中で、漠然とした感情が形をとりかける。
「兄上。エヴェリーナをそそのかすのはやめてください」
つかみかけた何かが、その声で解けてしまう。
エヴェリーナが少し慌てると、いつの間にかジョナタとマルタが近くにいた。追随していた貴人たちは、それぞれに別れて思い思いに散策しているようだった。あるいは気を遣って距離を置いているのかもしれない。
「そそのかすとはずいぶんな言い方だな」
「エヴェリーナは、私にとって大事な友人ですので」
ジョナタは大真面目に言った。その隣のマルタが、複雑な顔をしている。
ジョナタの目が横に滑り、エヴェリーナを見る。
「……君は、そんな顔もするんだな」
驚きのまじったような眼差しを受け、エヴェリーナは虚を衝かれた。
――そんな顔。
それほどおかしな表情をしているのか。急に不安になって、鏡で確かめたくなった。
エヴェリーナは目を見開き、他の者と同様に声のほうを見る。
「兄上。先にはじめてしまいましたよ」
「構わん」
ジョナタただ一人が変わらず優しげな声をかけた。
ジルベルトの登場は、場にかすかな緊張をもたらす。
ジョナタとは反対に、ジルベルトは場を引き締めて周囲の注目や集中を促すような存在感を放っていた。
――けれどエヴェリーナだけは、奇妙にも安堵に似た気持ちを覚えていた。
(……来てくれた)
とっさにそんなことを思った。しかし、彼は自分のためにやってきたのではなく、はじめから招かれていたというだけのことなのだ。
それでも、生ぬるく澱んでいた空気を、ジルベルトの鋭さが切り裂いて清涼な流れを運んでくれるような気がした。
やがてジルベルトと目が合った。冷たさのある高貴な唇にふっと笑みが浮かぶ。
救われたように感じたのを見透かされたようで、エヴェリーナは慌てて目を逸らした。それでも、頬が少し熱かった。
――ゆえに、ジョナタがエヴェリーナの様子を見て軽く目を瞠ったことも気づかなかった。
「およそ予想はつくが、弟に何か言われたか」
庭園を散策している最中、傍らに立ったジルベルトが、少し声を落として言った。
エヴェリーナは言葉につまった。――ジョナタに悪意や皮肉を受けたわけではない。むしろ、その逆ですらあった。
ジョナタやマルタを中心に、他の貴人たちが少し先行して庭園を楽しんでいる。
エヴェリーナはジルベルトに付き添われるような形でジョナタたちの後を歩いていた。
――だが実際は、ジルベルトが他の人間から少し遠巻きにされているためでもあるようだった。
「あいつは善良ゆえ、少し鈍いところもある。このたびの茶会も、あなたのためを思って新たな相手をあてがおうなどと考えていたのだろう。新しい婚約者に浮かれて、あなたにも同じ浮かれ気分を味合わせることが罪滅ぼしになるとでも思っているのだ。あくまでもあなたのためだと思い込んでいるから余計にたちが悪い」
ゆっくりと歩きながら、ジルベルトはやや冷ややかにそう批判する。
しかしそれはほとんど的を射ており、エヴェリーナは息を飲んだ。
同時に、温かな水が体中に広がって行くような安堵を覚えた。
ジルベルトだけが、いまこの場で自分を理解してくれているような気がした。
「それで、答えは見つかったか?」
エヴェリーナは弾かれたように顔を上げる。ジルベルトを見る。
曇りのない、意思の強さを感じさせる目がエヴェリーナを見つめ返す。
「私欲でも愛でもなく、あなたを落ち込ませていたものの正体だ」
静かに問われ、エヴェリーナは息をつめた。
――この胸を軋ませた感情の正体。嫉妬というだけでは説明しきれない何か。
愛とも違う。野心ではない。
なら、それは。
エヴェリーナの中で、漠然とした感情が形をとりかける。
「兄上。エヴェリーナをそそのかすのはやめてください」
つかみかけた何かが、その声で解けてしまう。
エヴェリーナが少し慌てると、いつの間にかジョナタとマルタが近くにいた。追随していた貴人たちは、それぞれに別れて思い思いに散策しているようだった。あるいは気を遣って距離を置いているのかもしれない。
「そそのかすとはずいぶんな言い方だな」
「エヴェリーナは、私にとって大事な友人ですので」
ジョナタは大真面目に言った。その隣のマルタが、複雑な顔をしている。
ジョナタの目が横に滑り、エヴェリーナを見る。
「……君は、そんな顔もするんだな」
驚きのまじったような眼差しを受け、エヴェリーナは虚を衝かれた。
――そんな顔。
それほどおかしな表情をしているのか。急に不安になって、鏡で確かめたくなった。
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