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「説明するまでもないが、私に不穏の心はない。……どれほど努力したところで、生まれはどうにかなるものではない。そのことに鬱屈を抱くほど若くはない」

 さらりと続けられた淡白な言葉に、エヴェリーナは遅れてはっとした。
 ――不穏の心はない。
 それはつまり、叛逆の意志などはないと言っているのではないか。

 むろん、言葉ではいくらでも偽ることができる。しかし、エヴェリーナには彼が嘘を言っているようには思えなかった。

 生まれはどうにかなるものではない、とも言った。
 簡潔な言葉に感情の湿った響きはなかった。諦め受け入れたあとの、乾いてさらさらとした感触に似ていた。
 言葉にすれば短いその結論に至るまで、ジルベルトはどれだけ悩み考え、あるいは何かを乗り越えてきたのか。

「ジョナタは王太子として問題のない素質を持っている。私は面倒ごとは嫌いだ。大きな領地を一つおさめるだけで十分だ。我がもそのことをよくご存知だ」

 さらりと言われ、エヴェリーナは息を飲む。

(不満はない……、国王陛下もそれをご存知ということ?)

 第一王子でありながら王太子ではないという立場に、別に不満はない。不穏な考えもない。そのことを、国王もわかっている。――だからこそ、王はジルベルトのためにわざわざ祝勝会などを開いて表舞台に立たせたのか。

 エヴェリーナの見た限り、ジルベルトとジョナタは不仲には見えなかったのも確かだった。仲が良いとも見えなかったが、貴人の兄弟としてはごく普通の範囲であったように思える。

 大器を感じさせ自信に満ちあふれていながらも、王位にはさほど興味がない――ジルベルトの奇妙なねじれは、だが不思議と納得できてしまった。
 それだけジルベルトは鷹揚で、ぎらぎらとした野心を感じないからかもしれない。

 エヴェリーナがそんなことを考えていると、ふいに小さく笑う声があった。

「――おおむね、ジョナタは善良で根の真っ直ぐな男だが、それゆえに一つ欠点がある」

 エヴェリーナは驚いてジルベルトを見た。目と目が合う。

「珍味は、正統な美食あってこそ際立つということがわからぬらしい。たまに食すからこその珍味だ。野趣に溢れた珍味も毎日口にすればいずれ飽きるし、常食には向かん」

 軽く揶揄するような口調に、エヴェリーナは忙しなく瞬く。
 ジョナタにわだかまりはないというようなことを言っていたのに――何を言おうとしているのだろう。

 ふ、とエヴェリーナの手がまたもすくわれた。指先を引かれて、ジルベルトの吐息が触れる。

「伴侶を見る目がないな、弟は」

 触れる息がかすかに笑っている。
 とたん、エヴェリーナはくらりと目眩を覚えた。たちまち頬に熱がのぼる。

「ご、ご冗談を……っ」

 ようやくのことでそれだけを言い、手を引く。
 ひどくいたたまれず、顔を背ける。ジルベルトの笑い声が聞こえる。

(な、何を言うの……っ!)

 顔が熱い。
 ――これまで、もっと直接的に容姿を褒められたことは何度もある。そのことにいちいち動揺などしなかった。なのに、どうしていまこれほど動揺してしまうのだろう。
 ジルベルトの眼差しにも声にも、あまりに力があるからなのか。

 ――野趣に溢れた珍味という言葉が、たぶんマルタを指しているだろうこともようやく気づく。とたん、エヴェリーナの胸に仄暗い喜びがわいた。
 貴人らしい婉曲な、だが陰湿さの感じない言葉で、マルタより自分を認めてくれたのはジルベルトだけだ。

 それでも、エヴェリーナは自分を戒めた。

(……浮かれてはだめ)

 こんな喜び方は、卑小に感じられる。自分に許したくない類のものだった。
 マルタもジョナタももう自分には関係ない。何を言われても反応せず、遠ざけることが一番いいのだ。
 ――おそらくは、ジルベルトも。
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