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当主夫妻とエヴェリーナは動転した。
ほとんど不意打ちのような来訪だった。他の身分のものなら無礼を怒り跳ね返すところだが、相手はかの第一王子である。
夫妻の動揺がおさまらぬうちに、ジルベルトは表面上は穏やかで丁寧に、だが有無をいわさぬ奇妙な圧力でもって
「エヴェリーナ嬢を少々借りるぞ、侯爵」
と言って、館から連れ出した。
エヴェリーナ自身もまた、動揺を顔に出さないのが精一杯だった。気づけば、黒い幌付きの馬車に乗せられ、大きな館へ連れてこられた。
王都内にある彼の別荘であるらしい。
「しばらく留守にしていたもので行き届いていない部分もあるだろうが、他の場所で好奇の目にさらされるよりはましだろう」
ジルベルトはそう言った。
エヴェリーナは否定も肯定もできなかった。確かに、ジルベルトと連れ立っているところを他人に見られたらいやでも噂になるため人目は避けたい。
微妙な立ち位置の第一王子と、婚約破棄されたばかりの元王太子妃候補だった。
――が、そもそもジルベルトがこのように自分を引きずり出さねばいいだけのことだ。
エヴェリーナはようやく動揺をやりすごし、相手を警戒した。
「……わたくしにどのようなご用件ですか」
「そう警戒するな。暇潰しの相手を探していてな。まあ、私の目にとまった運の悪さを嘆くんだな」
ややくだけた、だが尊大な態度そのものにジルベルトは言った。あまりに悪びれたところがなく、また含みのない様子でエヴェリーナは困惑した。
――ジルベルトから滲む尊大さはジョナタとはまるで正反対だ。しかし不思議と、彼においては自然であるようにも思えた。
大きな館の中は静かだった。あまり使っていないためか、どこかひんやりとして人の生活している気配がない。
エヴェリーナは前を行く長身の背に向かって言った。
「……こちらにご夫人はいますか。ご挨拶をしておきたいのですが」
気が進まなかったが、決しておろそかにしてはならない行動だった。ただでさえジルベルトの妻妾には誤解されかねない状況なのだ。せめて挨拶はして、やましい関係などではないと主張しておかねばならない。
ジルベルトは振り向きさえせずに言った。
「誰と勘違いしているのか知らんが、私はいまだ妻帯していない。むろん愛人もいない」
エヴェリーナは大きく目を見開いた。
そして、不可解なほど動揺した。
(結婚していない? 恋人もいない……?)
そんな馬鹿な、と思い、だがジルベルトが戯れや嘘をついているようにも思えなかった。
弟のジョナタも決して多情な人ではなく、浮いた噂がほとんどなかった。――エヴェリーナに夢中だったからと周りは囃したてたが、そうではないとエヴェリーナ自身が知っている。
一途な人々なのかもしれない。
エヴェリーナはふとそんなことを思い、なにか無性に気恥ずかしさのようなものを覚え、ジルベルトの後ろ姿から目を逸らした。
広い応接間に通される。向かい合うように置かれた椅子、その真ん中にテーブルがあり、テーブルの上には盤があった。
均等に区切られた陣地に、決まった位置に置かれた各種の駒。
ジルベルトはごく自然に、椅子をひいてエヴェリーナに着席を促した。
エヴェリーナは慎重に、礼儀正しく腰を下ろす。
ジルベルトもまた、エヴェリーナと向かい合うように腰を下ろした。
「さて、エヴェリーナ嬢。あなたはむろん、盤遊戯もできるな?」
「……多少は心得があります」
内心で訝しみながらも、エヴェリーナは首肯する。
盤遊戯は上流階級の知的な遊びとして広く好まれ、エヴェリーナも当然のことながら教育の一環として手ほどきを受けている。
何度かジョナタの相手を務めたこともある。
エヴェリーナ側には白い駒が並び、ジルベルト側は黒が並んでいる。
ジルベルトの長い指が、黒い駒の一つをとってもてあそんだ。
「なら付き合え。言っておくが、手ぬるい勝負は私をもっとも退屈させるものだ。全力で勝ちに来い」
鋭い目が射る。
先日の夜会と同じ――挑戦的で、まるで宣戦布告のようだ。
エヴェリーナはかすかに息を飲む。渇きを覚えた喉で、精一杯つとめます、といつもの答えを返す。
そして白い指で、駒の一つを持ち上げた。
ほとんど不意打ちのような来訪だった。他の身分のものなら無礼を怒り跳ね返すところだが、相手はかの第一王子である。
夫妻の動揺がおさまらぬうちに、ジルベルトは表面上は穏やかで丁寧に、だが有無をいわさぬ奇妙な圧力でもって
「エヴェリーナ嬢を少々借りるぞ、侯爵」
と言って、館から連れ出した。
エヴェリーナ自身もまた、動揺を顔に出さないのが精一杯だった。気づけば、黒い幌付きの馬車に乗せられ、大きな館へ連れてこられた。
王都内にある彼の別荘であるらしい。
「しばらく留守にしていたもので行き届いていない部分もあるだろうが、他の場所で好奇の目にさらされるよりはましだろう」
ジルベルトはそう言った。
エヴェリーナは否定も肯定もできなかった。確かに、ジルベルトと連れ立っているところを他人に見られたらいやでも噂になるため人目は避けたい。
微妙な立ち位置の第一王子と、婚約破棄されたばかりの元王太子妃候補だった。
――が、そもそもジルベルトがこのように自分を引きずり出さねばいいだけのことだ。
エヴェリーナはようやく動揺をやりすごし、相手を警戒した。
「……わたくしにどのようなご用件ですか」
「そう警戒するな。暇潰しの相手を探していてな。まあ、私の目にとまった運の悪さを嘆くんだな」
ややくだけた、だが尊大な態度そのものにジルベルトは言った。あまりに悪びれたところがなく、また含みのない様子でエヴェリーナは困惑した。
――ジルベルトから滲む尊大さはジョナタとはまるで正反対だ。しかし不思議と、彼においては自然であるようにも思えた。
大きな館の中は静かだった。あまり使っていないためか、どこかひんやりとして人の生活している気配がない。
エヴェリーナは前を行く長身の背に向かって言った。
「……こちらにご夫人はいますか。ご挨拶をしておきたいのですが」
気が進まなかったが、決しておろそかにしてはならない行動だった。ただでさえジルベルトの妻妾には誤解されかねない状況なのだ。せめて挨拶はして、やましい関係などではないと主張しておかねばならない。
ジルベルトは振り向きさえせずに言った。
「誰と勘違いしているのか知らんが、私はいまだ妻帯していない。むろん愛人もいない」
エヴェリーナは大きく目を見開いた。
そして、不可解なほど動揺した。
(結婚していない? 恋人もいない……?)
そんな馬鹿な、と思い、だがジルベルトが戯れや嘘をついているようにも思えなかった。
弟のジョナタも決して多情な人ではなく、浮いた噂がほとんどなかった。――エヴェリーナに夢中だったからと周りは囃したてたが、そうではないとエヴェリーナ自身が知っている。
一途な人々なのかもしれない。
エヴェリーナはふとそんなことを思い、なにか無性に気恥ずかしさのようなものを覚え、ジルベルトの後ろ姿から目を逸らした。
広い応接間に通される。向かい合うように置かれた椅子、その真ん中にテーブルがあり、テーブルの上には盤があった。
均等に区切られた陣地に、決まった位置に置かれた各種の駒。
ジルベルトはごく自然に、椅子をひいてエヴェリーナに着席を促した。
エヴェリーナは慎重に、礼儀正しく腰を下ろす。
ジルベルトもまた、エヴェリーナと向かい合うように腰を下ろした。
「さて、エヴェリーナ嬢。あなたはむろん、盤遊戯もできるな?」
「……多少は心得があります」
内心で訝しみながらも、エヴェリーナは首肯する。
盤遊戯は上流階級の知的な遊びとして広く好まれ、エヴェリーナも当然のことながら教育の一環として手ほどきを受けている。
何度かジョナタの相手を務めたこともある。
エヴェリーナ側には白い駒が並び、ジルベルト側は黒が並んでいる。
ジルベルトの長い指が、黒い駒の一つをとってもてあそんだ。
「なら付き合え。言っておくが、手ぬるい勝負は私をもっとも退屈させるものだ。全力で勝ちに来い」
鋭い目が射る。
先日の夜会と同じ――挑戦的で、まるで宣戦布告のようだ。
エヴェリーナはかすかに息を飲む。渇きを覚えた喉で、精一杯つとめます、といつもの答えを返す。
そして白い指で、駒の一つを持ち上げた。
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