上 下
11 / 38

6-2

しおりを挟む
 当主夫妻とエヴェリーナは動転した。
 ほとんど不意打ちのような来訪だった。他の身分のものなら無礼を怒り跳ね返すところだが、相手はかの第一王子である。

 夫妻の動揺がおさまらぬうちに、ジルベルトは表面上は穏やかで丁寧に、だが有無をいわさぬ奇妙な圧力でもって

「エヴェリーナ嬢を少々借りるぞ、侯爵」

 と言って、館から連れ出した。
 エヴェリーナ自身もまた、動揺を顔に出さないのが精一杯だった。気づけば、黒い幌付きの馬車に乗せられ、大きな館へ連れてこられた。
 王都内にある彼の別荘であるらしい。

「しばらく留守にしていたもので行き届いていない部分もあるだろうが、他の場所で好奇の目にさらされるよりはましだろう」

 ジルベルトはそう言った。
 エヴェリーナは否定も肯定もできなかった。確かに、ジルベルトと連れ立っているところを他人に見られたらいやでも噂になるため人目は避けたい。
 微妙な立ち位置の第一王子と、婚約破棄されたばかりの元王太子妃候補だった。

 ――が、そもそもジルベルトがこのように自分を引きずり出さねばいいだけのことだ。
 エヴェリーナはようやく動揺をやりすごし、相手を警戒した。

「……わたくしにどのようなご用件ですか」
「そう警戒するな。暇潰しの相手を探していてな。まあ、私の目にとまった運の悪さを嘆くんだな」

 ややくだけた、だが尊大な態度そのものにジルベルトは言った。あまりに悪びれたところがなく、また含みのない様子でエヴェリーナは困惑した。
 ――ジルベルトから滲む尊大さはジョナタとはまるで正反対だ。しかし不思議と、彼においては自然であるようにも思えた。

 大きな館の中は静かだった。あまり使っていないためか、どこかひんやりとして人の生活している気配がない。
 エヴェリーナは前を行く長身の背に向かって言った。

「……こちらにご夫人はいますか。ご挨拶をしておきたいのですが」

 気が進まなかったが、決しておろそかにしてはならない行動だった。ただでさえジルベルトの妻妾には誤解されかねない状況なのだ。せめて挨拶はして、やましい関係などではないと主張しておかねばならない。

 ジルベルトは振り向きさえせずに言った。

「誰と勘違いしているのか知らんが、私はいまだ妻帯していない。むろん愛人もいない」

 エヴェリーナは大きく目を見開いた。
 そして、不可解なほど動揺した。

(結婚していない? 恋人もいない……?)

 そんな馬鹿な、と思い、だがジルベルトが戯れや嘘をついているようにも思えなかった。
 弟のジョナタも決して多情な人ではなく、浮いた噂がほとんどなかった。――エヴェリーナに夢中だったからと周りは囃したてたが、そうではないとエヴェリーナ自身が知っている。

 一途な人々なのかもしれない。
 エヴェリーナはふとそんなことを思い、なにか無性に気恥ずかしさのようなものを覚え、ジルベルトの後ろ姿から目を逸らした。

 

 広い応接間に通される。向かい合うように置かれた椅子、その真ん中にテーブルがあり、テーブルの上にはボードがあった。
 均等に区切られた陣地に、決まった位置に置かれた各種の駒。

 ジルベルトはごく自然に、椅子をひいてエヴェリーナに着席を促した。
 エヴェリーナは慎重に、礼儀正しく腰を下ろす。

 ジルベルトもまた、エヴェリーナと向かい合うように腰を下ろした。

「さて、エヴェリーナ嬢。あなたはむろん、盤遊戯ボードゲームもできるな?」
「……多少は心得があります」

 内心で訝しみながらも、エヴェリーナは首肯する。
 盤遊戯は上流階級の知的な遊びとして広く好まれ、エヴェリーナも当然のことながら教育の一環として手ほどきを受けている。
 何度かジョナタの相手を務めたこともある。

 エヴェリーナ側には白い駒が並び、ジルベルト側は黒が並んでいる。
 ジルベルトの長い指が、黒い駒の一つをとってもてあそんだ。

「なら付き合え。言っておくが、手ぬるい勝負は私をもっとも退屈させるものだ。全力で勝ちに来い」

 鋭い目が射る。
 先日の夜会と同じ――挑戦的で、まるで宣戦布告のようだ。

 エヴェリーナはかすかに息を飲む。渇きを覚えた喉で、精一杯つとめます、といつもの答えを返す。
 そして白い指で、駒の一つを持ち上げた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王子は婚約破棄を泣いて詫びる

tartan321
恋愛
最愛の妹を失った王子は婚約者のキャシーに復讐を企てた。非力な王子ではあったが、仲間の協力を取り付けて、キャシーを王宮から追い出すことに成功する。 目的を達成し安堵した王子の前に突然死んだ妹の霊が現れた。 「お兄さま。キャシー様を3日以内に連れ戻して!」 存亡をかけた戦いの前に王子はただただ無力だった。  王子は妹の言葉を信じ、遥か遠くの村にいるキャシーを訪ねることにした……。

私は王妃になりません! ~王子に婚約解消された公爵令嬢、街外れの魔道具店に就職する~

瑠美るみ子
恋愛
 サリクスは王妃になるため幼少期から虐待紛いな教育をされ、過剰な躾に心を殺された少女だった。  だが彼女が十八歳になったとき、婚約者である第一王子から婚約解消を言い渡されてしまう。サリクスの代わりに妹のヘレナが結婚すると告げられた上、両親から「これからは自由に生きて欲しい」と勝手なことを言われる始末。  今までの人生はなんだったのかとサリクスは思わず自殺してしまうが、精霊達が精霊王に頼んだせいで生き返ってしまう。  好きに死ぬこともできないなんてと嘆くサリクスに、流石の精霊王も酷なことをしたと反省し、「弟子であるユーカリの様子を見にいってほしい」と彼女に仕事を与えた。  王国で有数の魔法使いであるユーカリの下で働いているうちに、サリクスは殺してきた己の心を取り戻していく。  一方で、サリクスが突然いなくなった公爵家では、両親が悲しみに暮れ、何としてでも見つけ出すとサリクスを探し始め…… *小説家になろう様にても掲載しています。*タイトル少し変えました

婚約破棄された令嬢は変人公爵に嫁がされる ~新婚生活を嘲笑いにきた? 夫がかわゆすぎて今それどころじゃないんですが!!

杓子ねこ
恋愛
侯爵令嬢テオドシーネは、王太子の婚約者として花嫁修業に励んできた。 しかしその努力が裏目に出てしまい、王太子ピエトロに浮気され、浮気相手への嫌がらせを理由に婚約破棄された挙句、変人と名高いクイア公爵のもとへ嫁がされることに。 対面した当主シエルフィリードは馬のかぶりものをして、噂どおりの奇人……と思ったら、馬の下から出てきたのは超絶美少年? でもあなたかなり年上のはずですよね? 年下にしか見えませんが? どうして涙ぐんでるんですか? え、王太子殿下が新婚生活を嘲笑いにきた? 公爵様がかわゆすぎていまそれどころじゃないんですが!! 恋を知らなかった生真面目令嬢がきゅんきゅんしながら引きこもり公爵を育成するお話です。 本編11話+番外編。 ※「小説家になろう」でも掲載しています。

ほらやっぱり、結局貴方は彼女を好きになるんでしょう?

望月 或
恋愛
ベラトリクス侯爵家のセイフィーラと、ライオロック王国の第一王子であるユークリットは婚約者同士だ。二人は周りが羨むほどの相思相愛な仲で、通っている学園で日々仲睦まじく過ごしていた。 ある日、セイフィーラは落馬をし、その衝撃で《前世》の記憶を取り戻す。ここはゲームの中の世界で、自分は“悪役令嬢”だということを。 転入生のヒロインにユークリットが一目惚れをしてしまい、セイフィーラは二人の仲に嫉妬してヒロインを虐め、最後は『婚約破棄』をされ修道院に送られる運命であることを―― そのことをユークリットに告げると、「絶対にその彼女に目移りなんてしない。俺がこの世で愛しているのは君だけなんだ」と真剣に言ってくれたのだが……。 その日の朝礼後、ゲームの展開通り、ヒロインのリルカが転入してくる。 ――そして、セイフィーラは見てしまった。 目を見開き、頬を紅潮させながらリルカを見つめているユークリットの顔を―― ※作者独自の世界設定です。ゆるめなので、突っ込みは心の中でお手柔らかに願います……。 ※たまに第三者視点が入ります。(タイトルに記載)

「あなたのことはもう忘れることにします。 探さないでください」〜 お飾りの妻だなんてまっぴらごめんです!

友坂 悠
恋愛
あなたのことはもう忘れることにします。 探さないでください。 そう置き手紙を残して妻セリーヌは姿を消した。 政略結婚で結ばれた公爵令嬢セリーヌと、公爵であるパトリック。 しかし婚姻の初夜で語られたのは「私は君を愛することができない」という夫パトリックの言葉。 それでも、いつかは穏やかな夫婦になれるとそう信じてきたのに。 よりにもよって妹マリアンネとの浮気現場を目撃してしまったセリーヌは。 泣き崩れ寝て転生前の記憶を夢に見た拍子に自分が生前日本人であったという意識が蘇り。 もう何もかも捨てて家出をする決意をするのです。 全てを捨てて家を出て、まったり自由に生きようと頑張るセリーヌ。 そんな彼女が新しい恋を見つけて幸せになるまでの物語。

義妹がすぐに被害者面をしてくるので、本当に被害者にしてあげましょう!

新野乃花(大舟)
恋愛
「フランツお兄様ぁ〜、またソフィアお姉様が私の事を…」「大丈夫だよエリーゼ、僕がちゃんと注意しておくからね」…これまでにこのような会話が、幾千回も繰り返されれきた。その度にソフィアは夫であるフランツから「エリーゼは繊細なんだから、言葉や態度には気をつけてくれと、何度も言っているだろう!!」と責められていた…。そしてついにソフィアが鬱気味になっていたある日の事、ソフィアの脳裏にあるアイディアが浮かんだのだった…! ※過去に投稿していた「孤独で虐げられる気弱令嬢は次期皇帝と出会い、溺愛を受け妃となる」のIFストーリーになります! ※カクヨムにも投稿しています!

【完結】どうやら私は婚約破棄されるそうです。その前に舞台から消えたいと思います

りまり
恋愛
 私の名前はアリスと言います。  伯爵家の娘ですが、今度妹ができるそうです。  母を亡くしてはや五年私も十歳になりましたし、いい加減お父様にもと思った時に後妻さんがいらっしゃったのです。  その方にも九歳になる娘がいるのですがとてもかわいいのです。  でもその方たちの名前を聞いた時ショックでした。  毎日見る夢に出てくる方だったのです。

天才少女は旅に出る~婚約破棄されて、色々と面倒そうなので逃げることにします~

キョウキョウ
恋愛
ユリアンカは第一王子アーベルトに婚約破棄を告げられた。理由はイジメを行ったから。 事実を確認するためにユリアンカは質問を繰り返すが、イジメられたと証言するニアミーナの言葉だけ信じるアーベルト。 イジメは事実だとして、ユリアンカは捕まりそうになる どうやら、問答無用で処刑するつもりのようだ。 当然、ユリアンカは逃げ出す。そして彼女は、急いで創造主のもとへ向かった。 どうやら私は、婚約破棄を告げられたらしい。しかも、婚約相手の愛人をイジメていたそうだ。 そんな嘘で貶めようとしてくる彼ら。 報告を聞いた私は、王国から出ていくことに決めた。 こんな時のために用意しておいた天空の楽園を動かして、好き勝手に生きる。

処理中です...