9 / 38
5-2
しおりを挟む
第一王子に手を引かれるがまま、エヴェリーナは音楽と人の輪の中に引きずり出される。
「殿下……!」
「一曲付きあってくれ。こういった場は久しぶりでね、多少腕が鈍っているだろうが寛大に見てほしい」
言いながら、ジルベルトはエヴェリーナの腰に手を回し、もう一方の手を重ね合わせた。
腕が鈍っているなどという表現とは裏腹に、ためらいのない強い手だった。――ジョナタとは、まったく違う。
エヴェリーナは混乱した。予想もしなかった不意打ちを受けたようだった。
人目を集めている――しかもよく知りもしない第一王子とかかわった上で。婚約を解消されてから、こんなふうに人目を浴びるようなことなど決してしなかったというのに。
ジルベルトは強引で、ここまで引き出されてしまえば、エヴェリーナは断ることはできない。
(……私を、見世物にしようとでもいうの?)
少し考える力が戻ってくると、そんなふうに疑った。あからさまに感情を顔に出すことはすまいと思っても、ジルベルトを見る目に怒りが滲む。
それを察していないのか、あるいはあえて無視しているのか、ジルベルトは薄い微笑で答えた。
「あなたは非の打ち所のない、完璧な令嬢だそうだな――お手並み拝見といこう」
艶のある低い声に、挑発的な響きが漂う。
エヴェリーナは頬に熱を感じた。怒りに似たものがわきあがり、心を乱されそうになる。
――だが、侮蔑されているのとは違うように感じた。
宣戦布告をされているような気がした。
エヴェリーナ自身が不思議に思うほど、むくむくと反発心が首をもたげた。
手を、広い肩に乗せる。
そして、これまでにない、挑み返すような気持ちで微笑した。
「ご期待に添えるよう、精一杯つとめます」
一瞬だけ、ジルベルトの動きが止まった。その唇に佩(は)かれた微笑が深まったように見えた。
重なった手が、エヴェリーナの腰に触れる手が無言の合図を送ってくる。
エヴェリーナはそれに答え、ジルベルトの息に合わせた。ゆるやかに水が流れて行くような自然さで、二人は音楽に乗った。
間もなくエヴェリーナは気づく。
(――嘘つき)
思わず、男に抗議の一つでもしたくなった。
何が久しぶりなのか。いや、それは真実であったとしても、腕が鈍っているなどというのはまったくの嘘だ。
ジルベルトの足運びもリードもまったく完璧で、支える手や触れる指先にまでそつがなかった。引き寄せてくる力は強いのに、不埒さも荒さも感じない。
ジョナタも完璧だったが、ジルベルトのリードは大胆で自信に溢れていた。身を委ねても安心できるような強さがある。
くわえて、強い視線を感じた。エヴェリーナはつとめて目を合わさないようにしていたが、触れあう手も体にまわる腕も熱を感じるほどなのに、視線は更に焼き付くようだ。
――他の女性であったなら、これだけでジルベルトに魅了されていたかもしれない。
リードだけではない――もっと何か大きな主導権まで奪われかねない。
エヴェリーナは頭の隅で緊張を維持しつづけた。ジルベルトの意図はわからないが、この決して無害ともいえぬ相手に、このまま流されたくも屈したくないと思った。
――たとえいまはどれだけ惨めといわれようと、笑われようと、自分は王太子妃候補であった人間なのだ。
そのように育ててくれた両親のために、家名のために、安い女だとは思われたくない。
一つも間違えまいと全身に神経を行き渡らせながら、ジルベルトの動きについていく。
そうしながら、エヴェリーナはここ久しく感じなかった奇妙な充実感を覚えていた。
無気力に苛まれ、弛緩しきっていた体がふいに目覚めさせられたかのようだった。
華やかな舞台。極度の緊張を強いられる場で、望まれうる最高の行動を取る。
――そのために訓練させられてきた。
リードされているという形は保ちつつも、ジルベルトの動きをすべて読み、次の彼の動作のために備える。
相手に神経を研ぎ澄ませ、その動きの一つ一つに応じるのは、どこか静かな決闘のようでもあった。
だから――周囲の視線をいつの間にか浴びていることにも気づかなかった。
「殿下……!」
「一曲付きあってくれ。こういった場は久しぶりでね、多少腕が鈍っているだろうが寛大に見てほしい」
言いながら、ジルベルトはエヴェリーナの腰に手を回し、もう一方の手を重ね合わせた。
腕が鈍っているなどという表現とは裏腹に、ためらいのない強い手だった。――ジョナタとは、まったく違う。
エヴェリーナは混乱した。予想もしなかった不意打ちを受けたようだった。
人目を集めている――しかもよく知りもしない第一王子とかかわった上で。婚約を解消されてから、こんなふうに人目を浴びるようなことなど決してしなかったというのに。
ジルベルトは強引で、ここまで引き出されてしまえば、エヴェリーナは断ることはできない。
(……私を、見世物にしようとでもいうの?)
少し考える力が戻ってくると、そんなふうに疑った。あからさまに感情を顔に出すことはすまいと思っても、ジルベルトを見る目に怒りが滲む。
それを察していないのか、あるいはあえて無視しているのか、ジルベルトは薄い微笑で答えた。
「あなたは非の打ち所のない、完璧な令嬢だそうだな――お手並み拝見といこう」
艶のある低い声に、挑発的な響きが漂う。
エヴェリーナは頬に熱を感じた。怒りに似たものがわきあがり、心を乱されそうになる。
――だが、侮蔑されているのとは違うように感じた。
宣戦布告をされているような気がした。
エヴェリーナ自身が不思議に思うほど、むくむくと反発心が首をもたげた。
手を、広い肩に乗せる。
そして、これまでにない、挑み返すような気持ちで微笑した。
「ご期待に添えるよう、精一杯つとめます」
一瞬だけ、ジルベルトの動きが止まった。その唇に佩(は)かれた微笑が深まったように見えた。
重なった手が、エヴェリーナの腰に触れる手が無言の合図を送ってくる。
エヴェリーナはそれに答え、ジルベルトの息に合わせた。ゆるやかに水が流れて行くような自然さで、二人は音楽に乗った。
間もなくエヴェリーナは気づく。
(――嘘つき)
思わず、男に抗議の一つでもしたくなった。
何が久しぶりなのか。いや、それは真実であったとしても、腕が鈍っているなどというのはまったくの嘘だ。
ジルベルトの足運びもリードもまったく完璧で、支える手や触れる指先にまでそつがなかった。引き寄せてくる力は強いのに、不埒さも荒さも感じない。
ジョナタも完璧だったが、ジルベルトのリードは大胆で自信に溢れていた。身を委ねても安心できるような強さがある。
くわえて、強い視線を感じた。エヴェリーナはつとめて目を合わさないようにしていたが、触れあう手も体にまわる腕も熱を感じるほどなのに、視線は更に焼き付くようだ。
――他の女性であったなら、これだけでジルベルトに魅了されていたかもしれない。
リードだけではない――もっと何か大きな主導権まで奪われかねない。
エヴェリーナは頭の隅で緊張を維持しつづけた。ジルベルトの意図はわからないが、この決して無害ともいえぬ相手に、このまま流されたくも屈したくないと思った。
――たとえいまはどれだけ惨めといわれようと、笑われようと、自分は王太子妃候補であった人間なのだ。
そのように育ててくれた両親のために、家名のために、安い女だとは思われたくない。
一つも間違えまいと全身に神経を行き渡らせながら、ジルベルトの動きについていく。
そうしながら、エヴェリーナはここ久しく感じなかった奇妙な充実感を覚えていた。
無気力に苛まれ、弛緩しきっていた体がふいに目覚めさせられたかのようだった。
華やかな舞台。極度の緊張を強いられる場で、望まれうる最高の行動を取る。
――そのために訓練させられてきた。
リードされているという形は保ちつつも、ジルベルトの動きをすべて読み、次の彼の動作のために備える。
相手に神経を研ぎ澄ませ、その動きの一つ一つに応じるのは、どこか静かな決闘のようでもあった。
だから――周囲の視線をいつの間にか浴びていることにも気づかなかった。
10
お気に入りに追加
3,957
あなたにおすすめの小説
婚約破棄してくださって結構です
二位関りをん
恋愛
伯爵家の令嬢イヴには同じく伯爵家令息のバトラーという婚約者がいる。しかしバトラーにはユミアという子爵令嬢がいつもべったりくっついており、イヴよりもユミアを優先している。そんなイヴを公爵家次期当主のコーディが優しく包み込む……。
※表紙にはAIピクターズで生成した画像を使用しています
そう言うと思ってた
mios
恋愛
公爵令息のアランは馬鹿ではない。ちゃんとわかっていた。自分が夢中になっているアナスタシアが自分をそれほど好きでないことも、自分の婚約者であるカリナが自分を愛していることも。
※いつものように視点がバラバラします。
婚約破棄されたショックですっ転び記憶喪失になったので、第二の人生を歩みたいと思います
ととせ
恋愛
「本日この時をもってアリシア・レンホルムとの婚約を解消する」
公爵令嬢アリシアは反論する気力もなくその場を立ち去ろうとするが…見事にすっ転び、記憶喪失になってしまう。
本当に思い出せないのよね。貴方たち、誰ですか? 元婚約者の王子? 私、婚約してたんですか?
義理の妹に取られた? 別にいいです。知ったこっちゃないので。
不遇な立場も過去も忘れてしまったので、心機一転新しい人生を歩みます!
この作品は小説家になろうでも掲載しています
【完結】転生したら少女漫画の悪役令嬢でした〜アホ王子との婚約フラグを壊したら義理の兄に溺愛されました〜
まほりろ
恋愛
ムーンライトノベルズで日間総合1位、週間総合2位になった作品です。
【完結】「ディアーナ・フォークト! 貴様との婚約を破棄する!!」見目麗しい第二王子にそう言い渡されたとき、ディアーナは騎士団長の子息に取り押さえられ膝をついていた。王子の側近により読み上げられるディアーナの罪状。第二王子の腕の中で幸せそうに微笑むヒロインのユリア。悪役令嬢のディアーナはユリアに斬りかかり、義理の兄で第二王子の近衛隊のフリードに斬り殺される。
三日月杏奈は漫画好きの普通の女の子、バナナの皮で滑って転んで死んだ。享年二十歳。
目を覚ました杏奈は少女漫画「クリンゲル学園の天使」悪役令嬢ディアーナ・フォークト転生していた。破滅フラグを壊す為に義理の兄と仲良くしようとしたら溺愛されました。
私の事を大切にしてくれるお義兄様と仲良く暮らします。王子殿下私のことは放っておいてください。
ムーンライトノベルズにも投稿しています。
「Copyright(C)2021-九十九沢まほろ」
表紙素材はあぐりりんこ様よりお借りしております。
罠にはめられた公爵令嬢~今度は私が報復する番です
結城芙由奈
ファンタジー
【私と私の家族の命を奪ったのは一体誰?】
私には婚約中の王子がいた。
ある夜のこと、内密で王子から城に呼び出されると、彼は見知らぬ女性と共に私を待ち受けていた。
そして突然告げられた一方的な婚約破棄。しかし二人の婚約は政略的なものであり、とてもでは無いが受け入れられるものではなかった。そこで婚約破棄の件は持ち帰らせてもらうことにしたその帰り道。突然馬車が襲われ、逃げる途中で私は滝に落下してしまう。
次に目覚めた場所は粗末な小屋の中で、私を助けたという青年が側にいた。そして彼の話で私は驚愕の事実を知ることになる。
目覚めた世界は10年後であり、家族は反逆罪で全員処刑されていた。更に驚くべきことに蘇った身体は全く別人の女性であった。
名前も素性も分からないこの身体で、自分と家族の命を奪った相手に必ず報復することに私は決めた――。
※他サイトでも投稿中
【コミカライズ決定】地味令嬢は冤罪で処刑されて逆行転生したので、華麗な悪女を目指します!~目隠れ美形の天才王子に溺愛されまして~
胡蝶乃夢
恋愛
婚約者である王太子の望む通り『理想の淑女』として尽くしてきたにも関わらず、婚約破棄された挙句に冤罪で処刑されてしまった公爵令嬢ガーネット。
時間が遡り目覚めたガーネットは、二度と自分を犠牲にして尽くしたりしないと怒り、今度は自分勝手に生きる『華麗な悪女』になると決意する。
王太子の弟であるルベリウス王子にガーネットは留学をやめて傍にいて欲しいと願う。
処刑された時、留学中でいなかった彼がガーネットの傍にいることで運命は大きく変わっていく。
これは、不憫な地味令嬢が華麗な悪女へと変貌して周囲を魅了し、幼馴染の天才王子にも溺愛され、ざまぁして幸せになる物語です。
噂の悪女が妻になりました
はくまいキャベツ
恋愛
ミラ・イヴァンチスカ。
国王の右腕と言われている宰相を父に持つ彼女は見目麗しく気品溢れる容姿とは裏腹に、父の権力を良い事に贅沢を好み、自分と同等かそれ以上の人間としか付き合わないプライドの塊の様な女だという。
その名前は国中に知れ渡っており、田舎の貧乏貴族ローガン・ウィリアムズの耳にも届いていた。そんな彼に一通の手紙が届く。その手紙にはあの噂の悪女、ミラ・イヴァンチスカとの婚姻を勧める内容が書かれていた。
王子は婚約破棄を泣いて詫びる
tartan321
恋愛
最愛の妹を失った王子は婚約者のキャシーに復讐を企てた。非力な王子ではあったが、仲間の協力を取り付けて、キャシーを王宮から追い出すことに成功する。
目的を達成し安堵した王子の前に突然死んだ妹の霊が現れた。
「お兄さま。キャシー様を3日以内に連れ戻して!」
存亡をかけた戦いの前に王子はただただ無力だった。
王子は妹の言葉を信じ、遥か遠くの村にいるキャシーを訪ねることにした……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる