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16歳
閑話18 怪談話(後編)
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ぱちっと目が覚めて、周囲を見渡す。
ユリスの部屋だ、ここ。あのまま寝てしまった。朝になったら、タイラーがやってきてまた文句を言われてしまう。別にいいけど。タイラーに叱られたくらいで、俺はへこたれない。
欠伸をこぼして、抱き枕代わりの綿毛ちゃんを探す。バタバタと手を動かして、柔らかい毛に触れた。いそいそと引き寄せれば、エリスちゃんだった。
綿毛ちゃんはどこだ。
上半身を起こして探すが、見当たらない。ユリスが枕にしているかもと思いそっちも探すがやはり居ない。寝息を立てるユリスは、ちょっと揺さぶったくらいでは目を開けない。
「綿毛ちゃん?」
小声で呼びかけてみるが、返事もない。
毛玉が一匹消えた。
「大変だ。猫」
「にゃ」
眠そうな猫を抱えて、ベッドをおりる。その際、ユリスのことを踏んでしまったが、ユリスは唸るだけで起きない。こいつは一度寝たらなかなか目を覚まさないのだ。ちょっと羨ましい。
一応部屋の中を確認するが、あの図々しい毛玉の姿は見えない。綿毛ちゃんが夜中に居なくなるなんて初めてだ。
「もしかして、おばけにやられたのかもしれない」
どうしよう、エリスちゃん! と猫を揺さぶるが、眠そうに鳴くだけで頼りにならない。仕方がない。綿毛ちゃんはか弱いペットだ。見捨てるわけにはいかない。助けてあげようと思う。
白猫エリスちゃんを抱っこしたまま、ドアを開ける。すると、普段であれば明かりが灯っているはずの廊下がなぜか真っ暗だ。
え、なんで?
これは本格的におばけの仕業かもしれない。暗闇の中、何度も歩いた廊下を進む。明かりがないだけで、まったく知らない場所みたいだ。
思わず腕に力がこもる。エリスちゃんは強い猫なので、おばけにも負けないはずだ。いざとなったらエリスちゃんをおばけと戦わせようと思う。きっと負けない。
「綿毛ちゃーん?」
しんと静まり返った廊下には、俺の足音と弱々しい声だけが響く。ティアンを起こすと面倒なので、小声で呼びかけるしかない。
一体どこに行ったのか。綿毛ちゃんが足を向けそうな場所ってどこだろうか。あの犬は食い意地が張っているので、きっと厨房に違いない。だが、厨房は廊下の一番端にある。あんな遠いところまで、この暗闇を進むのは怖い。
猫を抱えてゆっくりと廊下を進む。先程のユリスの静かな語り口が頭の中で蘇って、小さく震える。いやいや。あれは単にセドリックを追いまわすニックの話だった。まったく怖い話ではなかった。怖くない怖くないと、自分に言い聞かせる。こんな時にこそ、綿毛ちゃんのお気楽な声が聞きたい。
「ユリスも連れてくればよかった」
腕の中の猫だけが頼り。
廊下が普段よりも長く感じる。
ちらっと背後を確認するが、なにも居ない。だよね。心臓が無駄にバクバクしてくる。走りたいのを必死に我慢して、早足になる。自分の息遣いが、やけに耳に残る。
ぴたっと足を止めて、もう一度背後を確認する。やはりなにも居ない。
そうしてやっとのことで厨房近くまでやってきた俺は、立ち止まって今一度ドア越しに「綿毛ちゃん?」と声をかけてみる。
重く閉ざされた厨房のドアは、沈黙を保っている。
中を確認するしかない。覚悟を決めてドアに近寄る俺であったが、その前にギシッと音がした。普段であれば気付きもしない音だと思うが、静寂の中ではとても大きく響いた。
「っ!」
息を呑んで猫を強く抱きしめる。
ギギッと軋む音がして、目の前のドアがゆっくりと開いた。俺、まだドアノブに触ってないのに。
半開きになったドアの向こうは、真っ暗闇。あり得ない状況を理解して、顔が引き攣る。
「ぎゃあ!」
ひとりでに開いたドアに悲鳴をあげる俺。だがその直後、ドアの向こうから飛び出してきた人影がさらに俺を恐怖に陥れる。
「ぎゃー!」
絶対におばけだ。
再び悲鳴をあげる俺であったが、「ちょ! 勘弁してくださいよ!」との焦ったような声が聞こえてきて、動きを止めた。この声には聞き覚えがある。
「俺ですって」
「……アロン?」
はい、と肯定する言葉に、俺は思わずアロンの腕にしがみつく。びっくりさせやがって。アロンのことだ。酒のつまみでも探しに厨房を漁っていたに違いない。だが、一応理由を尋ねてみる。ちょっと声が震えてしまったが、アロンはそこには触れない。
「なにしてんの、こんなところで」
「すみません。ルイス様が居るのがわかって。つい驚かせてやろうと」
焦りを悟られないようにと精一杯平静を装ったのだが、返ってきたアロンの言葉にカッと怒りが湧いてくる。要するに、俺がいると知っておどかしてきたのだ。
「謝れ!」
「だからすみませんって」
へらへら笑うアロンは、まったく反省していない。こいつのせいで無駄に怖い思いをした。怒りのおさまらない俺は、抱えていた猫の前足を握って、アロンに猫パンチをお見舞いしてやる。
「謝れ! 猫もびっくりした!」
「悪かったですって。まさかあんなに驚くとは」
いやいや。夜中に真っ暗な廊下である。ドアがひとりでに開いたらそりゃ驚くよ。悲鳴のひとつもあげたくなるってものだ。
「おつまみ泥棒してたのか!?」
「なんでわかるんですか」
まったく。
以前はお菓子泥棒してたのに。おつまみ泥棒に進化(?)してる。
「はやく寝なよ」
「ルイス様こそ。今何時だと思っているんですか」
「俺は綿毛ちゃん探してるの」
こんな夜中に姿を消すなんて何事だ。
おばけにやられたかもしれないと言えば、アロンは「おばけ? いるんですか?」と真面目な顔で訊いてくる。それは知らない。
しかし、アロンは意外と物知りである。もしかしたら、ユリスよりもずっとヴィアン家に詳しいかもしれない。アロンの出現により、先程までの恐怖はどこかへ吹っ飛んだ。しかし、ちょっぴり怖いのでアロンの袖を握って逃がさないようにする。アロンはクソ野郎なので、俺が怖がっていると知ったら俺を置いて逃げて面白がるくらいのことはやりかねない。
「ねー、アロン」
「なんです」
俺に構わず再び厨房に入っていくアロンは、「ろくなものがないな」とぶつぶつ言いながら戸棚を漁っている。実に堂々とした泥棒である。俺のこと置いて逃げたら、ブルース兄様に犯行を告げ口してやろうと思う。
「この屋敷っておばけいる?」
「あの犬がいるじゃないですか」
「綿毛ちゃんは、おばけじゃないんだって」
「へー」
どうでもよさそうに相槌をうつアロンは、どこからかチーズを持ってきた。「これでいいや」となにやら満足そうである。
「なんか怖い話ある?」
袖を引けば、アロンが「怖い話?」と首を捻る。
「そういうの興味あるんですか?」
「暑いから。怖い話は夏でしょ?」
部屋に戻るというアロンに、なんとなくついていく。どうやらレナルドと飲んでいるらしい。仲良いな、このふたり。たまにニックも参加していると聞く。
暗い廊下を進みながら、アロンは「うーん」と唸ってしまう。アロンの手中にあるチーズに、エリスちゃんが興味津々。首を伸ばす猫のことをぎゅっと抱える。
「ありきたりな怪談話なら、それなりに」
「うん」
「遠出すること多いんで、俺」
「うん」
「旅先で聞いた話とか」
そう言って、アロンは静かに語り始めた。
ある小さな村に出かけた時のことである。
「すげぇ小さな村で。俺いつもは夜になると遊びに行くんですけど。あ、昔の話ですよ? 今は夜遊びとかしないんで! 俺にはルイス様がいますし」
「今そういうのはいいから」
どうでも良い弁解を始めるアロンを制止する。おまえが夜遊びしまくっていたことは俺も知っている。今はやめたことも。
話の続きを促す。こほんと咳払いをしたアロンは、階段に足をかけながら「それで」と再開する。
「そこ夜に遊ぶような場所もなかったんで、仕方なく宿で大人しくしてたんです」
その時は、騎士団の任務で他のヴィアン家騎士たちも同行していたらしい。遊ぶ場所がないので、自然と宿での飲み会が始まった。
「んで、そろそろ寝ようって段階になって、気がついたんです」
静かな語り口に、思わず息を呑む。階段の途中で足を止めれば、アロンも立ち止まってこちらを見下ろすように振り返る。
「ひとり、多いんですよ」
「え?」
「その任務。確かに五人で出かけたはずなのに、部屋に六人居るんですよ」
ぎゅっと猫を抱きしめれば、エリスちゃんが小さく鳴く。
「みんな騎士なんですよ。全員の顔と名前もわかる。なのに増えたひとりがわからない。まぁでも、みんな酔ってましたからね」
軽く肩をすくめるアロンは、「なかなか怖いでしょ?」と得意気だ。
「え、それどうなったの?」
そんな中途半端なところで終わりにされたら気になって仕方がない。怖がる俺に、アロンは「たいした話じゃないですよ」と足を進める。こんなところで置いていかれたらたまらない。慌てて追いかける俺は、そのままアロンの部屋に向かうことになる。
「いや、本当に。くだらないですよ」
「なんで教えてくれないの!」
ちょっぴり苛立つ俺に、アロンは部屋のドアを開けながら「あいつですよ」と、室内を指差した。明かりのある室内を覗けば、グラスを傾けるレナルドと目が合った。「あれ? ルイス様?」と、驚いた顔をする彼の向かいにあるソファーでは、酔い潰れたらしいニックが横たわっている。
「どっち?」
「ニックですよ! ニック! その時の巡回メンバーに当時副団長だったセドリックがいたんですけどね。そいつ勝手に追いかけて合流してきたんですよ!」
寝てんじゃねぇよ! とニックに掴みかかるアロンを半眼で眺める。
要するに、宿で一泊している際、セドリックを追いかけてきたニックがしれっと混じってきたということらしい。またニックかよ。すごくくだらない。あとニックの行動力に引く。
ニックによる連日のストーカー行動を見かねて「放っておいていいの?」と、オーガス兄様に尋ねたことがある。その際の兄様は、苦笑しながら「これでも前よりはマシになったんだよ」と言っていた。なるほど。以前のニックは巡回だろうとなんだろうとお構いなしにセドリックを尾行していたらしい。普通に引く。
あまりにも自然な顔で合流してきて、おまけにその時のみんなは酒に酔っていたので、ニックが増えていることにしばらく気が付かなかったらしい。実にくだらない。
「ダメですよ、ルイス様。こんなろくでもない場所に顔を出したら」
「なんかレナルドのこと久しぶりに見た」
「はいはい。お久しぶりです。お部屋に戻りましょうね。アロンもルイス様連れて来んなよ」
後半は、ニックに掴みかかるアロンへと向けられた言葉である。くるっと振り向いたアロンが「ルイス様が勝手について来たんでしょ」と眉間に皺を寄せる。クソ野郎が。
酔っ払いを見ていても面白くない。戻ろうと考える俺であったが、ニックが倒れていたソファーの端っこに乗っている灰色毛玉を見て目を丸くする。
「綿毛ちゃん!」
俺が探していた毛玉が、ソファーの隅ですやすやと寝ている。
「アロンがとったの?」
「なんで俺がそんなことしないといけないんですか。勝手に入ってきたんですよ」
アロンいわく、レナルドと飲み始めてすぐ。ドアがノックされたので開けてみれば、綿毛ちゃんがお座りしていたらしい。
『オレもお酒のみたいでーす。坊ちゃんがいるとのめないからねぇ』
そう言ってニマニマしながら入ってきたらしい。食いしん坊毛玉め。お酒も飲むのか。そのまま我が物顔で飲み会に加わったらしい。
おそらく俺が、アロンたちがよく夜中に飲み会しているとこぼしたのを聞いていたのだろう。わる毛玉め。
「起きろ! 毛玉!」
『いてっ!』
頭をペシッとすれば、綿毛ちゃんがハッと顔を上げる。きょろきょろと視線を彷徨わせる綿毛ちゃんは、『あれ? なんで坊ちゃんがここにいるのぉ』と呑気に笑っている。こっちはおまえを探してここまでやって来たんだぞ。笑うんじゃない。
「綿毛ちゃん、やめて。こんなガラの悪い奴らの仲間になったらダメだから」
『えー?』
へらへら笑う毛玉を抱えて、代わりにエリスちゃんを床に下ろす。下ろした瞬間、アロンが持ってきたチーズ目掛けて走り出すエリスちゃんに、場が騒然とする。
「やめろ、エリスちゃん! そんなの食べたらダメ! おつまみ泥棒の仲間にされるぞ」
慌てて綿毛ちゃんを離して、エリスちゃんを捕まえる。「おつまみ泥棒ってなに。俺ら散々な言われようだな」と苦笑するレナルドは、いまだにグラスを手放さない。
もう何もかもが滅茶苦茶だ。
すべては俺の部屋から脱走した綿毛ちゃんのせいだ。「謝れ!」と毛玉に詰め寄るが、酔っているのかへらへら笑うばかりで話が通じない。
「もう! ブルース兄様に言ってやる!」
アロンの悪行含めて、全部告げ口してやる。拳を握りしめる俺をよそに、酔っ払い共は好き勝手に振る舞い続けていた。
ユリスの部屋だ、ここ。あのまま寝てしまった。朝になったら、タイラーがやってきてまた文句を言われてしまう。別にいいけど。タイラーに叱られたくらいで、俺はへこたれない。
欠伸をこぼして、抱き枕代わりの綿毛ちゃんを探す。バタバタと手を動かして、柔らかい毛に触れた。いそいそと引き寄せれば、エリスちゃんだった。
綿毛ちゃんはどこだ。
上半身を起こして探すが、見当たらない。ユリスが枕にしているかもと思いそっちも探すがやはり居ない。寝息を立てるユリスは、ちょっと揺さぶったくらいでは目を開けない。
「綿毛ちゃん?」
小声で呼びかけてみるが、返事もない。
毛玉が一匹消えた。
「大変だ。猫」
「にゃ」
眠そうな猫を抱えて、ベッドをおりる。その際、ユリスのことを踏んでしまったが、ユリスは唸るだけで起きない。こいつは一度寝たらなかなか目を覚まさないのだ。ちょっと羨ましい。
一応部屋の中を確認するが、あの図々しい毛玉の姿は見えない。綿毛ちゃんが夜中に居なくなるなんて初めてだ。
「もしかして、おばけにやられたのかもしれない」
どうしよう、エリスちゃん! と猫を揺さぶるが、眠そうに鳴くだけで頼りにならない。仕方がない。綿毛ちゃんはか弱いペットだ。見捨てるわけにはいかない。助けてあげようと思う。
白猫エリスちゃんを抱っこしたまま、ドアを開ける。すると、普段であれば明かりが灯っているはずの廊下がなぜか真っ暗だ。
え、なんで?
これは本格的におばけの仕業かもしれない。暗闇の中、何度も歩いた廊下を進む。明かりがないだけで、まったく知らない場所みたいだ。
思わず腕に力がこもる。エリスちゃんは強い猫なので、おばけにも負けないはずだ。いざとなったらエリスちゃんをおばけと戦わせようと思う。きっと負けない。
「綿毛ちゃーん?」
しんと静まり返った廊下には、俺の足音と弱々しい声だけが響く。ティアンを起こすと面倒なので、小声で呼びかけるしかない。
一体どこに行ったのか。綿毛ちゃんが足を向けそうな場所ってどこだろうか。あの犬は食い意地が張っているので、きっと厨房に違いない。だが、厨房は廊下の一番端にある。あんな遠いところまで、この暗闇を進むのは怖い。
猫を抱えてゆっくりと廊下を進む。先程のユリスの静かな語り口が頭の中で蘇って、小さく震える。いやいや。あれは単にセドリックを追いまわすニックの話だった。まったく怖い話ではなかった。怖くない怖くないと、自分に言い聞かせる。こんな時にこそ、綿毛ちゃんのお気楽な声が聞きたい。
「ユリスも連れてくればよかった」
腕の中の猫だけが頼り。
廊下が普段よりも長く感じる。
ちらっと背後を確認するが、なにも居ない。だよね。心臓が無駄にバクバクしてくる。走りたいのを必死に我慢して、早足になる。自分の息遣いが、やけに耳に残る。
ぴたっと足を止めて、もう一度背後を確認する。やはりなにも居ない。
そうしてやっとのことで厨房近くまでやってきた俺は、立ち止まって今一度ドア越しに「綿毛ちゃん?」と声をかけてみる。
重く閉ざされた厨房のドアは、沈黙を保っている。
中を確認するしかない。覚悟を決めてドアに近寄る俺であったが、その前にギシッと音がした。普段であれば気付きもしない音だと思うが、静寂の中ではとても大きく響いた。
「っ!」
息を呑んで猫を強く抱きしめる。
ギギッと軋む音がして、目の前のドアがゆっくりと開いた。俺、まだドアノブに触ってないのに。
半開きになったドアの向こうは、真っ暗闇。あり得ない状況を理解して、顔が引き攣る。
「ぎゃあ!」
ひとりでに開いたドアに悲鳴をあげる俺。だがその直後、ドアの向こうから飛び出してきた人影がさらに俺を恐怖に陥れる。
「ぎゃー!」
絶対におばけだ。
再び悲鳴をあげる俺であったが、「ちょ! 勘弁してくださいよ!」との焦ったような声が聞こえてきて、動きを止めた。この声には聞き覚えがある。
「俺ですって」
「……アロン?」
はい、と肯定する言葉に、俺は思わずアロンの腕にしがみつく。びっくりさせやがって。アロンのことだ。酒のつまみでも探しに厨房を漁っていたに違いない。だが、一応理由を尋ねてみる。ちょっと声が震えてしまったが、アロンはそこには触れない。
「なにしてんの、こんなところで」
「すみません。ルイス様が居るのがわかって。つい驚かせてやろうと」
焦りを悟られないようにと精一杯平静を装ったのだが、返ってきたアロンの言葉にカッと怒りが湧いてくる。要するに、俺がいると知っておどかしてきたのだ。
「謝れ!」
「だからすみませんって」
へらへら笑うアロンは、まったく反省していない。こいつのせいで無駄に怖い思いをした。怒りのおさまらない俺は、抱えていた猫の前足を握って、アロンに猫パンチをお見舞いしてやる。
「謝れ! 猫もびっくりした!」
「悪かったですって。まさかあんなに驚くとは」
いやいや。夜中に真っ暗な廊下である。ドアがひとりでに開いたらそりゃ驚くよ。悲鳴のひとつもあげたくなるってものだ。
「おつまみ泥棒してたのか!?」
「なんでわかるんですか」
まったく。
以前はお菓子泥棒してたのに。おつまみ泥棒に進化(?)してる。
「はやく寝なよ」
「ルイス様こそ。今何時だと思っているんですか」
「俺は綿毛ちゃん探してるの」
こんな夜中に姿を消すなんて何事だ。
おばけにやられたかもしれないと言えば、アロンは「おばけ? いるんですか?」と真面目な顔で訊いてくる。それは知らない。
しかし、アロンは意外と物知りである。もしかしたら、ユリスよりもずっとヴィアン家に詳しいかもしれない。アロンの出現により、先程までの恐怖はどこかへ吹っ飛んだ。しかし、ちょっぴり怖いのでアロンの袖を握って逃がさないようにする。アロンはクソ野郎なので、俺が怖がっていると知ったら俺を置いて逃げて面白がるくらいのことはやりかねない。
「ねー、アロン」
「なんです」
俺に構わず再び厨房に入っていくアロンは、「ろくなものがないな」とぶつぶつ言いながら戸棚を漁っている。実に堂々とした泥棒である。俺のこと置いて逃げたら、ブルース兄様に犯行を告げ口してやろうと思う。
「この屋敷っておばけいる?」
「あの犬がいるじゃないですか」
「綿毛ちゃんは、おばけじゃないんだって」
「へー」
どうでもよさそうに相槌をうつアロンは、どこからかチーズを持ってきた。「これでいいや」となにやら満足そうである。
「なんか怖い話ある?」
袖を引けば、アロンが「怖い話?」と首を捻る。
「そういうの興味あるんですか?」
「暑いから。怖い話は夏でしょ?」
部屋に戻るというアロンに、なんとなくついていく。どうやらレナルドと飲んでいるらしい。仲良いな、このふたり。たまにニックも参加していると聞く。
暗い廊下を進みながら、アロンは「うーん」と唸ってしまう。アロンの手中にあるチーズに、エリスちゃんが興味津々。首を伸ばす猫のことをぎゅっと抱える。
「ありきたりな怪談話なら、それなりに」
「うん」
「遠出すること多いんで、俺」
「うん」
「旅先で聞いた話とか」
そう言って、アロンは静かに語り始めた。
ある小さな村に出かけた時のことである。
「すげぇ小さな村で。俺いつもは夜になると遊びに行くんですけど。あ、昔の話ですよ? 今は夜遊びとかしないんで! 俺にはルイス様がいますし」
「今そういうのはいいから」
どうでも良い弁解を始めるアロンを制止する。おまえが夜遊びしまくっていたことは俺も知っている。今はやめたことも。
話の続きを促す。こほんと咳払いをしたアロンは、階段に足をかけながら「それで」と再開する。
「そこ夜に遊ぶような場所もなかったんで、仕方なく宿で大人しくしてたんです」
その時は、騎士団の任務で他のヴィアン家騎士たちも同行していたらしい。遊ぶ場所がないので、自然と宿での飲み会が始まった。
「んで、そろそろ寝ようって段階になって、気がついたんです」
静かな語り口に、思わず息を呑む。階段の途中で足を止めれば、アロンも立ち止まってこちらを見下ろすように振り返る。
「ひとり、多いんですよ」
「え?」
「その任務。確かに五人で出かけたはずなのに、部屋に六人居るんですよ」
ぎゅっと猫を抱きしめれば、エリスちゃんが小さく鳴く。
「みんな騎士なんですよ。全員の顔と名前もわかる。なのに増えたひとりがわからない。まぁでも、みんな酔ってましたからね」
軽く肩をすくめるアロンは、「なかなか怖いでしょ?」と得意気だ。
「え、それどうなったの?」
そんな中途半端なところで終わりにされたら気になって仕方がない。怖がる俺に、アロンは「たいした話じゃないですよ」と足を進める。こんなところで置いていかれたらたまらない。慌てて追いかける俺は、そのままアロンの部屋に向かうことになる。
「いや、本当に。くだらないですよ」
「なんで教えてくれないの!」
ちょっぴり苛立つ俺に、アロンは部屋のドアを開けながら「あいつですよ」と、室内を指差した。明かりのある室内を覗けば、グラスを傾けるレナルドと目が合った。「あれ? ルイス様?」と、驚いた顔をする彼の向かいにあるソファーでは、酔い潰れたらしいニックが横たわっている。
「どっち?」
「ニックですよ! ニック! その時の巡回メンバーに当時副団長だったセドリックがいたんですけどね。そいつ勝手に追いかけて合流してきたんですよ!」
寝てんじゃねぇよ! とニックに掴みかかるアロンを半眼で眺める。
要するに、宿で一泊している際、セドリックを追いかけてきたニックがしれっと混じってきたということらしい。またニックかよ。すごくくだらない。あとニックの行動力に引く。
ニックによる連日のストーカー行動を見かねて「放っておいていいの?」と、オーガス兄様に尋ねたことがある。その際の兄様は、苦笑しながら「これでも前よりはマシになったんだよ」と言っていた。なるほど。以前のニックは巡回だろうとなんだろうとお構いなしにセドリックを尾行していたらしい。普通に引く。
あまりにも自然な顔で合流してきて、おまけにその時のみんなは酒に酔っていたので、ニックが増えていることにしばらく気が付かなかったらしい。実にくだらない。
「ダメですよ、ルイス様。こんなろくでもない場所に顔を出したら」
「なんかレナルドのこと久しぶりに見た」
「はいはい。お久しぶりです。お部屋に戻りましょうね。アロンもルイス様連れて来んなよ」
後半は、ニックに掴みかかるアロンへと向けられた言葉である。くるっと振り向いたアロンが「ルイス様が勝手について来たんでしょ」と眉間に皺を寄せる。クソ野郎が。
酔っ払いを見ていても面白くない。戻ろうと考える俺であったが、ニックが倒れていたソファーの端っこに乗っている灰色毛玉を見て目を丸くする。
「綿毛ちゃん!」
俺が探していた毛玉が、ソファーの隅ですやすやと寝ている。
「アロンがとったの?」
「なんで俺がそんなことしないといけないんですか。勝手に入ってきたんですよ」
アロンいわく、レナルドと飲み始めてすぐ。ドアがノックされたので開けてみれば、綿毛ちゃんがお座りしていたらしい。
『オレもお酒のみたいでーす。坊ちゃんがいるとのめないからねぇ』
そう言ってニマニマしながら入ってきたらしい。食いしん坊毛玉め。お酒も飲むのか。そのまま我が物顔で飲み会に加わったらしい。
おそらく俺が、アロンたちがよく夜中に飲み会しているとこぼしたのを聞いていたのだろう。わる毛玉め。
「起きろ! 毛玉!」
『いてっ!』
頭をペシッとすれば、綿毛ちゃんがハッと顔を上げる。きょろきょろと視線を彷徨わせる綿毛ちゃんは、『あれ? なんで坊ちゃんがここにいるのぉ』と呑気に笑っている。こっちはおまえを探してここまでやって来たんだぞ。笑うんじゃない。
「綿毛ちゃん、やめて。こんなガラの悪い奴らの仲間になったらダメだから」
『えー?』
へらへら笑う毛玉を抱えて、代わりにエリスちゃんを床に下ろす。下ろした瞬間、アロンが持ってきたチーズ目掛けて走り出すエリスちゃんに、場が騒然とする。
「やめろ、エリスちゃん! そんなの食べたらダメ! おつまみ泥棒の仲間にされるぞ」
慌てて綿毛ちゃんを離して、エリスちゃんを捕まえる。「おつまみ泥棒ってなに。俺ら散々な言われようだな」と苦笑するレナルドは、いまだにグラスを手放さない。
もう何もかもが滅茶苦茶だ。
すべては俺の部屋から脱走した綿毛ちゃんのせいだ。「謝れ!」と毛玉に詰め寄るが、酔っているのかへらへら笑うばかりで話が通じない。
「もう! ブルース兄様に言ってやる!」
アロンの悪行含めて、全部告げ口してやる。拳を握りしめる俺をよそに、酔っ払い共は好き勝手に振る舞い続けていた。
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