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16歳
綿毛ちゃんの日常13
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『やーめーてぇー』
「大人しくしろ!」
『なんでそんなに横暴なの?』
オレは毎日苦労している。
大変なのは、主にルイス坊ちゃんの相手だ。
今日も今日とて、オレのことを追いかけまわしてくる坊ちゃんは、両手で水の入ったバケツを持っている。溢さないように慎重な足取りでオレを追う坊ちゃんは、ちょっと怒っている。
昼のことである。
突然庭で遊ぶと言い出したルイス坊ちゃん。それ自体は別に珍しいことでもないので、オレも同行した。ティアンさんは騎士団の訓練に参加するといって不在。ヴィアン家の騎士として新入りのティアンさんは、まずは騎士団に馴染もうと頑張っている。
ジャンさんがついてこようとしたのだが、庭で遊ぶだけだから大丈夫と、坊ちゃんが制止した。
そうしてルイス坊ちゃんとふたりで庭に出たところまでは良かったのだが、ふらふらとあてもなく散歩していた坊ちゃんの足が噴水へと向いた瞬間に少しだけ嫌な予感を覚えた。
けれども坊ちゃんも十六歳。流石に変な遊び方はしないだろうと無言で追いかけたのだが、途中で坊ちゃんはピタリと足を止めてしまう。そのままオレを置いて屋敷内に駆け込んだ坊ちゃん。少しして、その手に空のバケツを携えて戻ってきた。もう嫌な予感。
案の定、噴水の水を汲み始める坊ちゃんは「綿毛ちゃん! こっち来て!」とオレを手招きする。坊ちゃん、その水なにに使うつもりだい。
最近はあまり噴水で遊びたいと言わなくなったルイス坊ちゃん。ティアンさんが事あるごとに「噴水はいいんですか?」と不思議そうな顔をしている。そう訊ねたくなる気持ちもわかる。少し前の坊ちゃんは、噴水に対する執着が酷かったもんねぇ。
ルイス坊ちゃんも成長したなぁ、と呑気に思っていたのだが、根っこのところは全然変わっていない。時折思い出したようにとんでもない悪戯をするのだ。今日だってそう。
水の入ったバケツを手に、オレを追いかけてくる坊ちゃん。明らかにオレに水をぶっかけようとしている。
『やめてぇ、誰か助けてぇ』
「待て!」
幸いバケツを運ぶのに苦戦しているルイス坊ちゃんは、足取りが重い。スタスタ逃げるオレは、一体どこまで逃げるべきか考える。立ち止まれば、絶対に水をかけられる。一番安全なのは、このままブルースくんの元に駆け込むことだ。ブルースくんなら、ルイス坊ちゃんの悪戯を止めてくれると思う。だが、そう都合よくブルースくんの姿が見えるわけでもない。
夢中で走るオレは、騎士棟まで逃走範囲を広げようとする。建物の角を勢いよく曲がれば、「うわ!」という驚愕の声と共に、誰かの足が視界に入って慌てて足を止めた。
『ごめんねぇ。大丈夫?』
顔を上げれば、緑色の髪の毛が見える。眼鏡のズレを気にするお兄さんは、確か騎士団の事務の人だ。名前はたしか。
「ミゲル!」
そうそう、ミゲルさん。
思い出したのも束の間。怒鳴るような声の持ち主が、徐々にこちらへと近づいてくる。
「その犬捕まえて!」
「え?」
ルイス坊ちゃんの大声に、ミゲルさんが姿勢を正す。身構えるオレと、それを見下ろすミゲルさん。
「えっと?」
『気にしないでいいよぉ』
へらへら笑って誤魔化しておく。もう逃げるのも疲れたので諦めようと思う。ぺたんと座るオレに、ルイス坊ちゃんが寄って来た。
「ミゲル! 何してるの!」
「いえ、団長を探してまして」
バケツを地面に置く坊ちゃんは「セドリック? ニックに訊くといいよ」と即答する。そうだね。セドリックさんの動向は、なぜかニックさんが逐一把握している。苦笑するミゲルさんは「そうします」と頷いている。
「俺はね、綿毛ちゃんを洗おうとしてたところ」
『洗わなくていいよぉ』
「ダメ! 汚い!」
『汚くないよ、失礼な』
百歩譲って綺麗にしてくれるのはいいけど、なんで噴水の水で洗おうとするのか。普通に風呂場で洗ってくれないかなぁ。やんわりと伝えるが、坊ちゃんは首を捻って終わりにしてしまう。
「綿毛ちゃんの毛をふわふわにするために、俺は毎日頑張ってる。ミゲルも触っていいよ」
ルイス坊ちゃんは、オレの毛をお手入れしてくれる。方法はちょっとアレだけど。ブラッシングする時とか、手つきが荒いのだ。遠慮なく毛を引っ張ってくる。
おそるおそるオレに手を伸ばしてくるミゲルさんは、指先で軽くオレの頭に触る。すぐに手を離してしまうあたり、動物が苦手なのだろうか。神経質そうな顔だもんなぁ。今も眉間にぎゅっと皺が寄っている。
大丈夫、オレはおとなしい毛玉だよぉとにこにこしていると、坊ちゃんがおもむろにバケツを持ち上げた。不意をつかれたオレは、逃げる暇もなかった。
バシャンと盛大な水音がして、頭からびしょ濡れになってしまった。ポタポタと毛先から水が滴り落ちる。一歩後ろに下がったミゲルさんが驚きに目を見開いていた。
「綿毛ちゃん、綺麗になったよ」
『水かぶったくらいで洗ったことにはならないよぉ』
多分どうでもいい反論をするオレは、困惑していたのだと思う。ぶるぶると体を震わせて水を飛ばせば、坊ちゃんが目に見えて喜ぶ。もう一回やってとせがまれる。
そうして水気を含んだオレを抱き上げた坊ちゃんは、ミゲルさんへと歩み寄る。
「肉球さわる?」
「あ、いえ」
眼鏡に触るミゲルさんは、オレに触れようとはしない。
オレのことを上下に振る坊ちゃんは、水気をきろうとしているらしい。視界が揺れて気持ち悪いからやめてほしいかな。
『坊ちゃん。お部屋に戻ろう。できればタオルで拭いてほしいでーす』
「我儘言うな」
『これって我儘にカウントされるの? もうちょい優しくしてよぉ』
濡れたままだと風邪ひいちゃう。
くしゃっと顔を歪めた坊ちゃんは「仕方ない」とオレを地面におろしてくれる。
「ロニーに会ってからね」
『なんでよ』
どうやら騎士棟近くまで来たから、ついでにロニーさんと会いたいようだ。ミゲルさんに手を振って駆け出す坊ちゃん。オレは迷った末に、坊ちゃんを追いかけた。今は夏なので、多少濡れていても問題はない。それにオレは普通の生き物よりも丈夫なので、これくらいでは風邪なんてひかない。坊ちゃんから目を離すと、なんかとんでもない事をやってしまいそうだ。
一生懸命に走っていくと、騎士棟前で誰かと会話する坊ちゃんの背中が見えた。話し込んでいる相手は、セドリックさんだ。
「さっきミゲルが探してたよ」
「左様で」
「行ってあげないの?」
「……」
坊ちゃんの言葉に沈黙を返すセドリックさんは、明らかに面倒くさいという顔をしている。ミゲルさんを探して歩くのが嫌なのだろう。さすがやる気なしの団長さんだ。自分からは動かないのだ。
「その犬は」
そんなセドリックさんが、珍しく自分から声を発した。片眉を器用に持ち上げてみせるセドリックさんは、オレのことを見下ろしている。
「なぜ濡れているのですか」
「俺が洗ってあげた」
「……左様で」
答えを返すのも面倒になったのだろう。
力なく頷くセドリックさんは、この場から立ち去りたいと言わんばかりにそわそわしている。
『坊ちゃん。行こう』
空気を読んでルイス坊ちゃんに声をかける。セドリックさんの仕事を邪魔したら悪いからね。
「セドリック! 今度綿毛ちゃんの肉球触らせてあげるね!」
「お構いなく」
勝手にオレの肉球を触らせると約束する坊ちゃんに、前足をちょっぴり持ち上げて抗議する。だが、坊ちゃんは素早くしゃがんでオレの前足を握ってくる。握手がしたかったわけではない。
『お部屋に戻ろうよぉ。疲れた』
「綿毛ちゃんはおじいちゃんだもんね」
『違うから!』
その呼び方は許容できない。オレは長生きしてるけど、まだまだ気持ちは若いつもりだ。
『ロニーさんはまた今度でよくない?』
「よくない!」
『えー』
どうしてもロニーさんに会うと言って聞かない坊ちゃんは、ロニーさんを探して勢いよく駆け出した。どうやら部屋に戻れるのは、まだまだ先になりそうだ。
「大人しくしろ!」
『なんでそんなに横暴なの?』
オレは毎日苦労している。
大変なのは、主にルイス坊ちゃんの相手だ。
今日も今日とて、オレのことを追いかけまわしてくる坊ちゃんは、両手で水の入ったバケツを持っている。溢さないように慎重な足取りでオレを追う坊ちゃんは、ちょっと怒っている。
昼のことである。
突然庭で遊ぶと言い出したルイス坊ちゃん。それ自体は別に珍しいことでもないので、オレも同行した。ティアンさんは騎士団の訓練に参加するといって不在。ヴィアン家の騎士として新入りのティアンさんは、まずは騎士団に馴染もうと頑張っている。
ジャンさんがついてこようとしたのだが、庭で遊ぶだけだから大丈夫と、坊ちゃんが制止した。
そうしてルイス坊ちゃんとふたりで庭に出たところまでは良かったのだが、ふらふらとあてもなく散歩していた坊ちゃんの足が噴水へと向いた瞬間に少しだけ嫌な予感を覚えた。
けれども坊ちゃんも十六歳。流石に変な遊び方はしないだろうと無言で追いかけたのだが、途中で坊ちゃんはピタリと足を止めてしまう。そのままオレを置いて屋敷内に駆け込んだ坊ちゃん。少しして、その手に空のバケツを携えて戻ってきた。もう嫌な予感。
案の定、噴水の水を汲み始める坊ちゃんは「綿毛ちゃん! こっち来て!」とオレを手招きする。坊ちゃん、その水なにに使うつもりだい。
最近はあまり噴水で遊びたいと言わなくなったルイス坊ちゃん。ティアンさんが事あるごとに「噴水はいいんですか?」と不思議そうな顔をしている。そう訊ねたくなる気持ちもわかる。少し前の坊ちゃんは、噴水に対する執着が酷かったもんねぇ。
ルイス坊ちゃんも成長したなぁ、と呑気に思っていたのだが、根っこのところは全然変わっていない。時折思い出したようにとんでもない悪戯をするのだ。今日だってそう。
水の入ったバケツを手に、オレを追いかけてくる坊ちゃん。明らかにオレに水をぶっかけようとしている。
『やめてぇ、誰か助けてぇ』
「待て!」
幸いバケツを運ぶのに苦戦しているルイス坊ちゃんは、足取りが重い。スタスタ逃げるオレは、一体どこまで逃げるべきか考える。立ち止まれば、絶対に水をかけられる。一番安全なのは、このままブルースくんの元に駆け込むことだ。ブルースくんなら、ルイス坊ちゃんの悪戯を止めてくれると思う。だが、そう都合よくブルースくんの姿が見えるわけでもない。
夢中で走るオレは、騎士棟まで逃走範囲を広げようとする。建物の角を勢いよく曲がれば、「うわ!」という驚愕の声と共に、誰かの足が視界に入って慌てて足を止めた。
『ごめんねぇ。大丈夫?』
顔を上げれば、緑色の髪の毛が見える。眼鏡のズレを気にするお兄さんは、確か騎士団の事務の人だ。名前はたしか。
「ミゲル!」
そうそう、ミゲルさん。
思い出したのも束の間。怒鳴るような声の持ち主が、徐々にこちらへと近づいてくる。
「その犬捕まえて!」
「え?」
ルイス坊ちゃんの大声に、ミゲルさんが姿勢を正す。身構えるオレと、それを見下ろすミゲルさん。
「えっと?」
『気にしないでいいよぉ』
へらへら笑って誤魔化しておく。もう逃げるのも疲れたので諦めようと思う。ぺたんと座るオレに、ルイス坊ちゃんが寄って来た。
「ミゲル! 何してるの!」
「いえ、団長を探してまして」
バケツを地面に置く坊ちゃんは「セドリック? ニックに訊くといいよ」と即答する。そうだね。セドリックさんの動向は、なぜかニックさんが逐一把握している。苦笑するミゲルさんは「そうします」と頷いている。
「俺はね、綿毛ちゃんを洗おうとしてたところ」
『洗わなくていいよぉ』
「ダメ! 汚い!」
『汚くないよ、失礼な』
百歩譲って綺麗にしてくれるのはいいけど、なんで噴水の水で洗おうとするのか。普通に風呂場で洗ってくれないかなぁ。やんわりと伝えるが、坊ちゃんは首を捻って終わりにしてしまう。
「綿毛ちゃんの毛をふわふわにするために、俺は毎日頑張ってる。ミゲルも触っていいよ」
ルイス坊ちゃんは、オレの毛をお手入れしてくれる。方法はちょっとアレだけど。ブラッシングする時とか、手つきが荒いのだ。遠慮なく毛を引っ張ってくる。
おそるおそるオレに手を伸ばしてくるミゲルさんは、指先で軽くオレの頭に触る。すぐに手を離してしまうあたり、動物が苦手なのだろうか。神経質そうな顔だもんなぁ。今も眉間にぎゅっと皺が寄っている。
大丈夫、オレはおとなしい毛玉だよぉとにこにこしていると、坊ちゃんがおもむろにバケツを持ち上げた。不意をつかれたオレは、逃げる暇もなかった。
バシャンと盛大な水音がして、頭からびしょ濡れになってしまった。ポタポタと毛先から水が滴り落ちる。一歩後ろに下がったミゲルさんが驚きに目を見開いていた。
「綿毛ちゃん、綺麗になったよ」
『水かぶったくらいで洗ったことにはならないよぉ』
多分どうでもいい反論をするオレは、困惑していたのだと思う。ぶるぶると体を震わせて水を飛ばせば、坊ちゃんが目に見えて喜ぶ。もう一回やってとせがまれる。
そうして水気を含んだオレを抱き上げた坊ちゃんは、ミゲルさんへと歩み寄る。
「肉球さわる?」
「あ、いえ」
眼鏡に触るミゲルさんは、オレに触れようとはしない。
オレのことを上下に振る坊ちゃんは、水気をきろうとしているらしい。視界が揺れて気持ち悪いからやめてほしいかな。
『坊ちゃん。お部屋に戻ろう。できればタオルで拭いてほしいでーす』
「我儘言うな」
『これって我儘にカウントされるの? もうちょい優しくしてよぉ』
濡れたままだと風邪ひいちゃう。
くしゃっと顔を歪めた坊ちゃんは「仕方ない」とオレを地面におろしてくれる。
「ロニーに会ってからね」
『なんでよ』
どうやら騎士棟近くまで来たから、ついでにロニーさんと会いたいようだ。ミゲルさんに手を振って駆け出す坊ちゃん。オレは迷った末に、坊ちゃんを追いかけた。今は夏なので、多少濡れていても問題はない。それにオレは普通の生き物よりも丈夫なので、これくらいでは風邪なんてひかない。坊ちゃんから目を離すと、なんかとんでもない事をやってしまいそうだ。
一生懸命に走っていくと、騎士棟前で誰かと会話する坊ちゃんの背中が見えた。話し込んでいる相手は、セドリックさんだ。
「さっきミゲルが探してたよ」
「左様で」
「行ってあげないの?」
「……」
坊ちゃんの言葉に沈黙を返すセドリックさんは、明らかに面倒くさいという顔をしている。ミゲルさんを探して歩くのが嫌なのだろう。さすがやる気なしの団長さんだ。自分からは動かないのだ。
「その犬は」
そんなセドリックさんが、珍しく自分から声を発した。片眉を器用に持ち上げてみせるセドリックさんは、オレのことを見下ろしている。
「なぜ濡れているのですか」
「俺が洗ってあげた」
「……左様で」
答えを返すのも面倒になったのだろう。
力なく頷くセドリックさんは、この場から立ち去りたいと言わんばかりにそわそわしている。
『坊ちゃん。行こう』
空気を読んでルイス坊ちゃんに声をかける。セドリックさんの仕事を邪魔したら悪いからね。
「セドリック! 今度綿毛ちゃんの肉球触らせてあげるね!」
「お構いなく」
勝手にオレの肉球を触らせると約束する坊ちゃんに、前足をちょっぴり持ち上げて抗議する。だが、坊ちゃんは素早くしゃがんでオレの前足を握ってくる。握手がしたかったわけではない。
『お部屋に戻ろうよぉ。疲れた』
「綿毛ちゃんはおじいちゃんだもんね」
『違うから!』
その呼び方は許容できない。オレは長生きしてるけど、まだまだ気持ちは若いつもりだ。
『ロニーさんはまた今度でよくない?』
「よくない!」
『えー』
どうしてもロニーさんに会うと言って聞かない坊ちゃんは、ロニーさんを探して勢いよく駆け出した。どうやら部屋に戻れるのは、まだまだ先になりそうだ。
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