上 下
399 / 577
14歳

379 間違えないで

しおりを挟む
 ジェフリーは、その後もなんとなく遠慮しているみたいだった。

 俺が「楽しくない?」とうっかり尋ねたものだから、余計に気を遣わせてしまったらしい。全力で楽しいアピールをしてくるジェフリーに、なんだか申し訳ない気持ちになってくる。

 ブルース兄様は、アロンと一緒にちょくちょく俺たちの様子を見にきた。

「……おまえが静かなのは珍しいな」
「俺はいつも静かだもん。余計なこと言わないで!」
「はいはい」

 ジェフリーに聞かれたらどうする。うっかりと俺の普段の様子をもらしてしまいそうなブルース兄様を慌てて阻止する。俺はジェフリーの前では大人なお兄さんということになっているのだ。余計なことを言うんじゃない。

 普段から俺とジェフリーのやりとりを見ていたアロンは、余計なことは言わない。「ルイス様はいつもこんな感じですよね?」と、ジェフリーの前では話を合わせてくれるから安心である。

 俺は乗馬もできるし、本も読むし、勉強もできるお兄さんなのだ。騒いだりはしないのだ。

 そうやって精一杯大人なお兄さんを演じた俺は、夜になるともうヘトヘトだった。すごく疲れた。いつもアーキア公爵家で会う時には、アロンとジャン、それにレナルドしかいない。みんな空気を読んで話を合わせてくれるのだが、ここはヴィアン家の屋敷である。

 ブルース兄様やオーガス兄様。それに顔見知りの騎士や使用人たちがジェフリーに余計なことを言わないかとずっとハラハラしていた。俺のイメージが崩れることだけは、絶対に阻止しなければならない。

 ぐったりとベッドに倒れ込んだ俺に、レナルドが苦笑している。

「お兄さんをやるのも大変ですね」
「つかれた。もう寝たい」

 ジャンが寝る準備を進めてくれるが、ジェフリーはどうしようか。一応、客室を用意しているが、ジェフリーはひとりで眠れるのかな。だってまだ十二歳だし。知らない屋敷にひとりで寝るのは怖いかもしれない。

 考えた結果、俺はベッドから身を起こす。

「ジェフリー連れてくる」

 そうして客室にお邪魔すれば、ぽつんと椅子に座るジェフリーがいた。なんでひとりぼっちなんだろう。

 デニスと一緒にやって来たジェフリーである。たくさんいたお供の使用人はどこに行ったのか。きっとデニスのところだ。

 静まり返った室内で、なにをするわけでもなくボケッとしていたジェフリーは、俺が突然訪ねてきたので驚いたらしい。慌てて立ち上がっているが、気まずそうに顔を逸らしている。

 ここ最近でわかったのだが、多分アーキア公爵家はまだジェフリーを家族として認めたわけではないのだろう。てっきり跡継ぎ候補としてジェフリーを引き取ったと思ったのだが、ジェフリーには家庭教師もついていない。万が一のために備えるのであれば、ジェフリーにもきちんと教育をしないと使い物にならないのに、それをしない。

 きっとジェフリーの母親が元気になったら、彼を彼女のもとに戻すつもりなのだろう。無下にもできないので、一時的に置いてあげているといった感じなのかもしれない。ジェフリーもそれを察しているから、文句を言わないのかも。母親のもとへ帰りたいのだ。

 アーキア公爵家に受け入れてもらえないことは、もしかしたらジェフリーにとっては希望なのかもしれない。母親が元気になる。母親のもとへ戻れるという可能性を示していると思っているのかもしれない。

 だが、ユリスから聞いた感じだと容態はあまりよろしくないらしい。だからこそ、ジェフリーの母親は彼をアーキア公爵家に置いて行ったのだろう。

「俺の部屋で寝る?」
「え?」

 きょとんとするジェフリーの手をとって、半ば強引に部屋へと引っ張っていく。「あ、でも」と遠慮しているらしいジェフリー。そんな気にしなくていいのに。

 ジェフリーと一緒に寝ても、オーガス兄様はなにも言わないと思う。兄様は、俺がティアンと一緒に寝ても「別にいいんじゃない?」としか言わないから。

 ジャンとレナルドが引き上げた後も、ジェフリーはいまだに遠慮しているようであった。

 綿毛ちゃんは疲れた顔で床に転がっている。お喋り好きなのに、今日はまったくお喋りできなくて不満たらたらだ。エリスちゃんは、普段通りに枕元を占領している。ジェフリーが居ても、なにも気にならないらしい。さすが強い猫だ。

「猫と一緒に寝てもいいよ」

 おいでよ、とジェフリーをベッドに招けば、彼はおずおずと上がってくる。そんなに緊張しなくても。

 明かりを消して、寝転がる。
 綿毛ちゃんは、角を隠すためにベッドから離れた床で寝ている。毛布をあげたので寒くはないだろう。

「……ルイス様」
「んー? なに?」
「僕、今日すごく楽しかったです。お世辞とかじゃなくて」
「うん、よかった」

 枕元にいた猫を引き寄せて、ゆったり撫でる。エリスちゃんは、いつももふもふだ。可愛い。

「ルイス様が僕の名前呼んでくれるの嬉しいです」
「うん」

 暗闇の中、ジェフリーの表情はよく見えない。だが、緊張したような雰囲気は伝わってくる。なんだかちょっぴり嫌な予感がする。

「だから、なんというか。僕の我儘なんですけど」
「うん」
「僕はジェフリーです。間違えないで」

 縋るような声に、心臓が跳ねる。
 やっぱりどうでもよくなかったんだ。

「ごめんね。もう間違えないよ」

 なんでティアンと呼び間違えたのだろうか。いつも一緒に遊ぶのがティアンだったから。夢中で遊んでいるとついつい彼の名前が口をついて出てきてしまうのだろうか。

「ごめんね、ジェフリー」

 こくんと、ジェフリーが小さく頷いたのがわかった。

「すみません。変なこと言って」
「全然変じゃないよ」

 自分の名前を間違えないでほしいなんて、ごく当然のことだ。我儘でもなんでもない。悪いのは俺なのに、なんでそんなに卑屈なんだろう。同じ卑屈でも、オーガス兄様とはちょっと違う。オーガス兄様は、とりあえず謝っとけ的な卑屈さだ。謝罪の言葉をよく口にするけど、本気で自分が悪いと思っているわけではないと思う。兄様のあれは単なる口癖だ。

 一方で、ジェフリーは本気で自分が悪いと思っていそうな雰囲気がある。とても申し訳なさそうに眉尻を下げる彼は、あまり子供っぽさがない。

 ティアンもあまり子供っぽくはなかったけど、あいつは単にませているだけでちゃんと十二歳だった。俺のお菓子を奪おうとするし、嫌なことは嫌と言うし。思い返せば、あいつは結構我儘だった。

「僕、ルイス様のこと好きです」
「ありがとう」

 反射でお礼を言ってから「ん?」と首を捻る。
 でも相手はジェフリーだしな。深い意味はないのだろう。とりあえず「俺もジェフリー好きだよ」と答えておく。

 だが、なんだかジェフリーの様子がおかしい。

 身じろぎした彼は、上半身を起こしてベッドに膝を抱えて座り込んでしまう。寝ないのか?

 なんとなく俺も座った方がいいのかと思って、ジェフリーと同じく体を起こそうとしたのだが、邪魔が入った。

「ジェフリー?」

 こちらに寄ってきたジェフリーが、なぜか俺に覆い被さってくる。おかげで俺は、ベッドに転がったまま身動きができない。

「ジェフリー? どしたの」

 ジェフリーが、俺の顔を覗き込んでくる。暗闇のせいで、彼の表情は窺えない。だが、張り詰めた空気と強張った息遣いが、ジェフリーの緊張感を伝えてくる。

 自然と、息を呑む。

 ジェフリーが再び動いた。こちらに近づいてくる彼の顔。青い瞳が、暗闇の中で揺らめいたような気がした。

 唇に触れた柔らかな感触。音もなく落ちてきたキスに、俺は静かに目を見開く。

 好きです、という先程の言葉が頭の中を何度も流れる。

 ティアンさんじゃなくて、僕を見て。

 今にも消え入りそうな弱々しい声が、降ってきた。
しおりを挟む
感想 415

あなたにおすすめの小説

悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!

梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!? 【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】 ▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。 ▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。 ▼毎日18時投稿予定

主人公のライバルポジにいるようなので、主人公のカッコ可愛さを特等席で愛でたいと思います。

小鷹けい
BL
以前、なろうサイトさまに途中まであげて、結局書きかけのまま放置していたものになります(アカウントごと削除済み)タイトルさえもうろ覚え。 そのうち続きを書くぞ、の意気込みついでに数話分投稿させていただきます。 先輩×後輩 攻略キャラ×当て馬キャラ 総受けではありません。 嫌われ→からの溺愛。こちらも面倒くさい拗らせ攻めです。 ある日、目が覚めたら大好きだったBLゲームの当て馬キャラになっていた。死んだ覚えはないが、そのキャラクターとして生きてきた期間の記憶もある。 だけど、ここでひとつ問題が……。『おれ』の推し、『僕』が今まで嫌がらせし続けてきた、このゲームの主人公キャラなんだよね……。 え、イジめなきゃダメなの??死ぬほど嫌なんだけど。絶対嫌でしょ……。 でも、主人公が攻略キャラとBLしてるところはなんとしても見たい!!ひっそりと。なんなら近くで見たい!! ……って、なったライバルポジとして生きることになった『おれ(僕)』が、主人公と仲良くしつつ、攻略キャラを巻き込んでひっそり推し活する……みたいな話です。 本来なら当て馬キャラとして冷たくあしらわれ、手酷くフラれるはずの『ハルカ先輩』から、バグなのかなんなのか徐々に距離を詰めてこられて戸惑いまくる当て馬の話。 こちらは、ゆるゆる不定期更新になります。

平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです

おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの) BDSM要素はほぼ無し。 甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。 順次スケベパートも追加していきます

そばにいてほしい。

15
BL
僕の恋人には、幼馴染がいる。 そんな幼馴染が彼はよっぽど大切らしい。 ──だけど、今日だけは僕のそばにいて欲しかった。 幼馴染を優先する攻め×口に出せない受け 安心してください、ハピエンです。

総長の彼氏が俺にだけ優しい

桜子あんこ
BL
ビビりな俺が付き合っている彼氏は、 関東で最強の暴走族の総長。 みんなからは恐れられ冷酷で悪魔と噂されるそんな俺の彼氏は何故か俺にだけ甘々で優しい。 そんな日常を描いた話である。

氷の華を溶かしたら

こむぎダック
BL
ラリス王国。 男女問わず、子供を産む事ができる世界。 前世の記憶を残したまま、転生を繰り返して来たキャニス。何度生まれ変わっても、誰からも愛されず、裏切られることに疲れ切ってしまったキャニスは、今世では、誰も愛さず何も期待しないと心に決め、笑わない氷華の貴公子と言われる様になった。 ラリス王国の第一王子ナリウスの婚約者として、王子妃教育を受けて居たが、手癖の悪い第一王子から、冷たい態度を取られ続け、とうとう婚約破棄に。 そして、密かにキャニスに、想いを寄せて居た第二王子カリストが、キャニスへの贖罪と初恋を実らせる為に奔走し始める。 その頃、母国の騒ぎから逃れ、隣国に滞在していたキャニスは、隣国の王子シェルビーからの熱烈な求愛を受けることに。 初恋を拗らせたカリストとシェルビー。 キャニスの氷った心を溶かす事ができるのは、どちらか?

もう人気者とは付き合っていられません

花果唯
BL
僕の恋人は頭も良くて、顔も良くておまけに優しい。 モテるのは当然だ。でも――。 『たまには二人だけで過ごしたい』 そう願うのは、贅沢なのだろうか。 いや、そんな人を好きになった僕の方が間違っていたのだ。 「好きなのは君だ」なんて言葉に縋って耐えてきたけど、それが間違いだったってことに、ようやく気がついた。さようなら。 ちょうど生徒会の補佐をしないかと誘われたし、そっちの方に専念します。 生徒会長が格好いいから見ていて癒やされるし、一石二鳥です。 ※ライトBL学園モノ ※2024再公開・改稿中

とある金持ち学園に通う脇役の日常~フラグより飯をくれ~

無月陸兎
BL
山奥にある全寮制男子校、桜白峰学園。食べ物目当てで入学した主人公は、学園の権力者『REGAL4』の一人、一条貴春の不興を買い、学園中からハブられることに。美味しい食事さえ楽しめれば問題ないと気にせず過ごしてたが、転入生の扇谷時雨がやってきたことで、彼の日常は波乱に満ちたものとなる──。 自分の親友となった時雨が学園の人気者たちに迫られるのを横目で見つつ、主人公は巻き込まれて恋人のフリをしたり、ゆるく立ちそうな恋愛フラグを避けようと奮闘する物語です。

処理中です...