冷酷な少年に成り代わってしまった俺の話

岩永みやび

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14歳

374 褒め言葉

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「この池、魚がいる」
「はい」
「食べられる?」
「え? い、いえ。観賞用なので」

 いいな。俺も魚欲しい。
 うちの噴水で魚飼えないのかな。でもエリスちゃんに食べられてしまうかもしれない。うちの猫はちょっと強気だから。

 じっと池を覗き込む俺の横で、ジェフリーも魚を観察している。

 ジェフリーは、いつもひとりで遊んでいるらしい。デニスは遊んでくれないのだとか。もともとは、母親と一緒に街で暮らしていたらしい。けれども数年前、突然ジェフリーの母親が、彼をこの屋敷に連れてきた。そこで出迎えてくれた公爵こそが、ジェフリーの父親だと主張し始めたのだとか。

 ジェフリーにも、寝耳に水だったらしい。その後、ジェフリーを除いた大人たちの間で幾度となく話し合いの場が設けられ、最終的にジェフリーはアーキア公爵家に身を置くこととなった。彼の母親は、病気で先が長くないらしい。公爵が金銭の援助をして治療を受けているらしいのだが、病状はあまりよくないという。

 一方の公爵家は、突然現れたジェフリーの扱い方に困っている。彼の母親が公爵の子供だと言い張っているだけで、実際に公爵の子だという確信が持てない。しかし、公爵もまったく身に覚えがないというわけでもないらしく、無下にもできないそうだ。

 実の子供かどうかなんて検査すれば簡単に分かりそうだが、この世界ではまだそこまで科学が発展していないらしい。だから結論も出せない。

 ジェフリーはたぶん、あまりこの屋敷に居たくないのだろう。母親のそばに居たいという本音が透けて見えるようである。そんでもって、公爵家もジェフリーの扱い方に困っている。なんだか妙な状況である。

「よし! 馬に乗って遊ぼう」

 本当は池の魚を捕まえたいのだが、ジェフリーが渋るので別の遊びを提案してみる。「え」と目を丸くするジェフリーは、「僕、馬に乗ったことないです」と告白してくる。

「そうなの?」
「はい」

 なんでも屋敷内で放置されているため、誰も乗り方を教えてくれないのだとか。母親と街で暮らしていた時も、貧しい生活だったので馬なんて買えなかったという。馬って移動手段にも使うけど、入手しようと思えば結構お金がいるらしい。餌代とかもかかるもんね。必要不可欠というわけでもないので、庶民は馬を所持していないことも多いのだとか。遠出するには乗合いの馬車なんかを使うらしい。

 突然の悲しい告白に、俺は遠い目になる。これはどう反応するのが正解なの? ジェフリーとの接し方がよくわからないよ。わからないので、放置云々の悲しいくだりは聞かなかったことにする。

「じゃあ俺が乗り方教えてあげる」

 これでも結構乗馬は上手くなった。今ではひとりで乗れるくらいだ。クレイグ団長にも褒められた。俺が馬に乗れるようになったので、心残りなく辞められると言っていた。

 ほら、と手を引けば、ジェフリーは挙動不審にきょろきょろしてしまう。誰かに怒られないかと心配しているらしい。うちから連れてきた馬であれば大丈夫だと思う。アロンを振り返れば、「別にいいですけど」との返答。レナルドは、いまだに疲れた顔をしている。馬での長距離移動がきつかったらしい。

 馬を預けているという場所へ、アロンの先導で向かう。その間、ジェフリーは俺の手を握ったまま離さない。

 俺より低い背丈に、頼りのない佇まい。俺に引っ張られるように、半歩後ろを黙ってついてくるジェフリーの手を、ぎゅっと握っておく。なんか、ちゃんと握っておかないと迷子になりそうな危うさがあった。一応、彼はここに住んでいるので実際に迷子になることはないのだろうけど。

 そうして到着した厩舎の前で、ジェフリーは少しだけ怖がるような素振りを見せた。なんだか少し前の自分を見ているようで、変な親近感が湧いてくる。俺も昔は、馬が怖かった。

「大人しいから大丈夫だよ」

 いつもアロンが乗っている大きな馬に手を伸ばして撫でてみる。「ほら、大丈夫」とジェフリーを振り返れば、彼は片手で俺の手を握ったまま、馬を見上げていた。その瞳が不安そうに揺れている。

「触ってみなよ」
「いえ、僕はその」
「噛みついたりしないから」

 ほら、と握った手を引けば、ジェフリーが「うわっ」とたたらを踏んでしまう。慌てて「ごめん!」と謝れば、「大丈夫です」との弱々しい声が返ってくる。

 なんか俺がジェフリーをいじめているみたいである。もしかしたら馬は嫌だったのかも。手を離そうとするのだが、ジェフリーが離してくれない。

 そのまましばらくの間、立ち尽くす。

 いきなり大きな馬は怖かったかもしれない。俺も、昔は馬が怖かった。こんなことなら綿毛ちゃんも連れてくればよかった。綿毛ちゃんは大人しいから、ジェフリーでも触れたかもしれないのに。

「あの」

 どうしたものかと悩んでいれば、ジェフリーが小さく俺の手を引いてきた。

「なに?」
「あの、ちょっと触ってみます」

 突然の宣言に、俺は反射的に「頑張れ!」と応援する。

 片手は俺と繋いだまま、おそるおそる馬へと手を伸ばすジェフリーは、とても頑張っていることが伝わってくる。緊張のためか、俺の手を握る手に力がこもっている。なんだか俺まで緊張してくる程の震え具合だ。

 腰が引けたまま、なぜか薄目で馬から顔を逸らすジェフリーは、えいっと馬に触った。

「やったぁ!」

 万歳と手をあげる俺に、片手を引っ張られたらしいジェフリーが「うわ」と言ってバランスを崩している。

「あ、ごめん」
「い、いえ」
「でもすごいじゃん! 馬触れたね!」
「はい!」

 はにかむジェフリーは、照れたように頬を掻く。その子供っぽい表情に、なんだか俺は安堵した。ようやく年相応(?)の姿を見られた気がする。ジェフリーは、なんだかずっと暗い空気をまとっていた。カビが生えそうな薄暗さだった。

 それがようやく晴れたのだ。俺まで嬉しくなってくる。

「じゃあ次は馬に乗ろう!」
「そ、それはちょっと」

 乗るのは怖いというので、俺だけ乗ってみる。アロンの馬は大きいのだが大人しい。確か名前があったはず。アロンがよく、馬に愚痴をこぼしている姿を目撃するのだ。

「アロン。この馬の名前なに」
「ローザですよ」

 そうだ。ローザだ。
 ローザの上に乗ってみる。途端に高くなる視界にテンションあがる。俺を見上げるジェフリーの、縋るような泣きそうな、微妙な顔が視界を掠めた。

「なんでローザって名前にしたの?」

 ジェフリーに手を振ってから、誤魔化すようにアロンに視線を移す。ジェフリーの意味深な目線に、妙な胸騒ぎがしたような気がする。

「それは、はじ」
「はじ?」

 中途半端なところで言葉をぶった斬ったアロンは、なぜかたらたらと冷や汗を流している。え、なに?

「あ、えっと! ほら。はじ、初めて、飼ったペットの名前がローザだったので」
「ふーん?」

 なんだかすごく挙動不審だが、訊かれたくないことのようなので、それ以上の追求はやめておく。別にどうしても名前の由来が知りたかったわけでもないし。

 そうして馬を降りた俺に、ジェフリーが駆け寄ってくる。

「すごい! すごくかっこいいです!」
「大きい馬はかっこいいよね」
「馬もですけど。ルイス様も!」
「……え?」

 俺?
 面食らう俺に、ジェフリーは「はい! 颯爽と馬を乗りこなすなんてかっこいいです!」と目をキラキラさせてきた。

 なんだか聞き慣れない褒め言葉に、ムズムズとした気分になってくる。俺はいつも、お母様とお父様に可愛いと手放しで褒められることはあっても、かっこいいと言われたことはほとんどない。

 自分よりも年下の少年から向けられる輝いた眼差しは、俺の人生において初めての経験ではないだろうか。

 いまだに「すごい」「かっこいい」と並べるジェフリーを前に、俺は自然と背筋を伸ばした。
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