冷酷な少年に成り代わってしまった俺の話

岩永みやび

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14歳

369 優しい空気

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「じゃあね、リアーナ」
「はい。ルイス様とユリス様もお元気で」

 翌日。
 朝早い時間にもかかわらず、リアーナたちは帰ると言い出した。結婚の話を、俺の方からお断りしたからだ。

 ばいばいとリアーナに手を振る。「また遊びに来てね」と言ってみるが、彼女は苦笑して流してしまう。そのまま馬車へと向かうリアーナは、振り返ることはしなかった。

 ちらりとフランシスの方に視線を向ける。あれから、彼とは会話できていない。目を合わせることさえできないでいる。

 気まずいという思いもあるが、単純にユリスが邪魔というのもある。ユリスはなぜか、俺の横にぴたりとくっついてくる。リアーナが「仲良しですね」と笑っていたが、俺は笑えない。正直、ちょっと鬱陶しい。

 少し離れたところ。馬車の近くに、フランシスはいた。今はブルース兄様とお話している。兄様は、しかめっ面だ。対するフランシスは、ちょっと引きつった笑みを浮かべている。

「もうあいつのことは忘れろ」

 未練がましく見つめていれば、ユリスに小突かれた。忘れろと言われても、そんな簡単には忘れられない。

 声をかけようか? でもなんて?

 再び、フランシスの方へ顔を向ける。後ろにはベネットがいた。相変わらず素敵な長髪である。

「ベネットと遊びたい」
「我儘を言うな」

 ユリスの袖を引けば、露骨に嫌そうな顔をされてしまった。

「おまえはあの犬とでも遊んでおけ。あいつだって髪長いだろ」
「うーん」

 綿毛ちゃんはケチだからな。前は大人にはバレたくないと頑なに人間姿になってくれなかった。現在では、人間にも化けられると大人たちにも知られたのに、疲れるとか適当なこと言って全然姿を変えてくれない。ケチ毛玉め。

「あ。フランシスこっち来たよ」

 硬い表情で、こちらに歩み寄ってくるフランシスに、ユリスが小さく舌打ちした。

「……やあ」

 俺の前で足を止めて、控えめに片手をあげるフランシス。なんだか疲れた顔だ。ブルース兄様と飲み会した後のアロンみたいな顔をしている。

 ブルース兄様は、酒癖が悪いらしい。ちょっと飲む分には問題ないのだが、調子に乗って飲み過ぎると、なぜかアロンに掴みかかるらしい。物騒なんだよね、とオーガス兄様が嘆いていた。だからアロンは、酒を飲んでいるブルース兄様には極力近寄らない。運悪く相手をさせられた次の日は、なんだかすごく疲れた顔をしている。

「……悪かったね」

 謝罪の言葉を口にするフランシスに、なぜか殴りかかろうとするユリスを食い止める。「やめろよ」と囁けば、「なぜ!」という力強い言葉が返ってきた。なぜって。殴るのは普通にダメだろ。

「それじゃあ、僕はこれで」

 喧嘩腰のユリスにビビったのか。呆気なく背を向けるフランシスに、反射的に手を伸ばそうとして、触れる直前に思いとどまった。代わりに「フランシス!」と名前を呼んでおく。

 足を止めてくれたフランシスは、俺の言葉を待つように静かに佇んでいる。その背中に向けて、俺は笑顔を投げかける。

「また遊びに来てね! 次は犬見せてあげる。俺ね、犬も飼ってるんだ」

 灰色でもふもふだよ、と教えてあげれば、フランシスの肩がピクリと揺れる。「その時はベネットも連れてきてね」と言い添えておけば、彼は顔を覆った。

 ここからでは、フランシスの背中しか見えない。なんだか小さく見える背中は、ちょっと頼りなく思えてしまう。

「ごめんね、ルイスくん」

 俺の名前を呼んでくれた。そんな単純なことが、とても嬉しく感じてしまう。

 フランシスは、きっと気まずくて俺と顔を合わせたくないのだろう。友達でも、そういう時はある。だから大丈夫。友達だから、大丈夫。

「俺、待ってるから。でも、できれば早く遊びに来てね。犬が大きくなっちゃうかもだから」

 横でユリスが「あの犬、あれ以上成長するのか?」と首を捻っている。それは知らない。でも、フランシスをうちに呼ぶ口実がほしかった。

 待ってるから、ともう一度口にする。

「……うん」

 微かに返ってきた頷きに、へらっと笑みがこぼれてくる。ちらりと肩越しに視線を投げてきたフランシスは、ちょっとだけ泣きそうな顔をしていた。


※※※


「ルイス様。ケーキ食べます?」
「食べる!」

 おやつの時間。ケーキ片手にやってきたアロンは、気の利く男だと思う。俺はちょうど甘い物が食べたい気分であった。

 おやつの時間を察知したのか。ユリスも部屋にやって来る。アロンの持参したケーキを眺めて、「僕はこれにする」と勝手に食べ始めてしまう。

「ルイス様」
「んー?」

 美味しいケーキをパクパク食べる。綿毛ちゃんが『オレのは?』と、足元をうろうろしてくる。「犬はケーキ食べちゃダメなんだぞ」と言い聞かせておく。

 ロニーは、副団長引き継ぎの件で席を外している。部屋にはユリスと、ユリスに引っ付いてきたタイラー。お茶を準備するジャン。それに俺のことを凝視してくるアロンがいる。

「ねーこ。猫もおやつ食べるか?」
「にゃあ」
『オレは?』

 俺と猫の会話に割り込んでくる綿毛ちゃんの相手は大変だ。綿毛ちゃんには後であげる。綿毛ちゃんに先におやつをあげると、猫がすごい勢いで綿毛ちゃんに猫パンチをするのだ。多分、白猫エリスちゃんは、綿毛ちゃんのことを子分かなにかだと思っている。

「アロンは食べないの?」

 俺のことを見るだけで、ケーキに手をつけないアロン。アロンが持ってきたケーキなのに。気にせずパクパクしていれば、「美味しいですか?」と質問された。

「美味しいよ」
「それはよかった」
「うん」

 ジャンがお茶を用意する前に、全部食べちゃいそうな勢いである。だが、ケーキはまだ残っている。ちらりとアロンを窺えば、「全部食べていいですよ」との素敵な言葉が返ってきた。

「僕も食べる」
「え」
「そんなに食べないだろ」

 残りのケーキはふたつである。ユリスと一個ずつか。独り占めしたかったのに。「夕食、入らなくなりますよ」とタイラーが苦言を呈してくるが、誰も聞いていない。

 アロンは最近、お菓子をよく持ってきてくれる。前々から俺にお菓子をくれていたが、最近ではいい物をくれるようになった。今日のケーキとか。以前はキャンディーとかが多かったのに。

 それとアロンは最近、俺に対して好きとは言わなくなった。諦めたのかな? とも思ったが、そういうわけでもなさそうだ。以前であれば、毎日どころか朝昼晩と「好き」という言葉を吐いていた。その度に、俺はなんだか妙にそわそわとした落ち着きのない気持ちになっていたのだが。

「アロン」
「はい」

 こうして「俺のこと好きですか?」と鬱陶しい確認をしてこない穏やかなアロンは、居心地がいいと感じる。

「はい、ひと口あげる」

 フォークで切り分けたケーキを彼の口元に差し出せば、アロンがびっくりしたように目を大きくする。

「いいんですか?」
「いいよ。アロンが持ってきたケーキだし」

 どうぞ、とフォークを動かせば、彼はちょっと身を乗り出して、フォークを咥えた。

「美味しい?」
「ん。美味しいですよ」

 ふふっと笑うアロンは、とても楽しそうだ。いや、嬉しそう? 久しぶりに見る柔らかな雰囲気だ。出会った当初を彷彿とさせる優しい空気。

 そんなにこのケーキ美味しかった?

 パクッと自分の口にもケーキを放り込む。なぜか、ユリスがニヤニヤ顔で俺とアロンを見比べている。

「アロン。今日一緒に遊ぶ?」
「え、いいですよ」

 驚きつつも即答したアロンは、さすがノリのいいお兄さんだ。「仕事はどうしたんですか」と半眼になるタイラーに、「ルイス様のお相手も仕事のうちだから」と平然と返すアロン。そんな彼には、近頃ずっと感じていた圧のようなものがまったくない。

 なんだか今日のアロンとは、久しぶりに楽しく遊べそうな気がした。
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