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13歳

323 戯れなのか、本気なのか

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 綿毛ちゃんを追いかけていれば、いつの間にか騎士棟から離れて屋敷前まで戻ってしまった。

 そのまま中に引っ込もうとする綿毛ちゃんは、外遊びに飽きたらしい。いや、暑いから室内に避難したいだけかも。

 やはりあのもふもふ毛玉を刈り取るしかないのか。

 逡巡していれば、俺の考えを察知したのだろうか。綿毛ちゃんが『なんか変なこと考えてない?』と警戒してくる。

「その毛、暑くない?」

 ハッと息を呑む綿毛ちゃんは『暑くないよ! まったく! これっぽっちも暑くない!』と勢いよく否定しにかかる。本当かなぁ。

 ユリスが戻ってきていないことを確認して、自室に戻る。

 ユリスは一体どこへ出かけたのか。多分だけどデニスの屋敷ではないだろう。まさか王宮だろうか。魔法研究の施設をつくるというのであれば、きっと王宮内で話が進んでいるはずだ。あそこは、エリックたち王族が住まう空間であると共に、政治を行うための中心地としての役割もあるらしい。

 王立騎士団もあるし、国を治めるために必要な部署やらなにやらが揃っているのだ。きっとユリスはそちらに顔を出しているに違いなかった。

 俺は、エリックたちがいつも過ごしている方の空間にしか足を踏み入れたことがないから、詳しいことはわからないけど。

 部屋に猫をおろせば、壁際に備え付けてある水飲み皿へと真っ先に駆けていく。エリスちゃんは気が強い猫らしく、綿毛ちゃんが猫用の水飲み皿に近寄れば、ものすごい勢いで追い払いにかかるのだ。それにビビった綿毛ちゃんは、滅多にそちらへは近付かなくなった。

 一心不乱に水を飲むエリスちゃんは、暑さにやられたらしい。適当に扇いでやる。そのまま部屋でまったりしていれば、アロンがやってきた。

「ブルース様が呼んでたけど」

 ロニーにそう伝えるアロンは、はよ行けと急かしている。ちらりとロニーに視線を向けられて、俺は頷く。

「行ってきなよ」
「はい」

 小さく頭を下げるロニーは、ブルース兄様の部屋へ向かう。てっきり一緒に帰ると思っていたアロンは、戻る気配がない。どういうつもりなのか、逆にジャンを追い出そうとしている。

 困り顔のジャンは、しかしアロン相手に強くは出られない。そそくさと退出してしまう。

 残ったのは、水を飲む猫と、そんな猫にビビる犬だけ。

「ルイス様」

 柔らかい声色で、名前を呼ばれる。いつからだろうか。アロンは、俺の名前をすごく丁寧に呼ぶようになった。なんかこう口調が柔らかくなったと言うべきか。言葉で説明するのは難しいが、なんだか壊れ物でも扱うかのような丁寧さで、俺の名前を紡ぐのだ。その度に、ちょっと擽ったいような感じがする。

 俺の前に片膝をついたアロンは、なんだか上機嫌らしい。だが、いつものへらっとした締まりのない笑みではなく、王子様のような爽やかな笑みだ。

 あぁ、またなんか始まった。

 アロンは、俺とふたりきりになると性格が変わるというかなんというか。いつものクソ野郎っぷりが嘘のように、王子様然とした振る舞いを始めるのだ。正確には犬と猫がいるのだが、アロンにとって二匹の存在は眼中にないのだろう。

 どうしようかな。

 こういう変な雰囲気になると、アロンは変なことを口走る。どうせまた俺のことが好きだとかなんとか言うつもりだ。

 もう聞き飽きた。アロンの好きの意味が、俺にはわからない。きっと、アロンには他にも好きな子がたくさんいる。俺は、その中の内のひとりに過ぎない。

 好意を伝えられて悪い気はしないが、揶揄い半分だと思われるアロンの言動には、ちょっぴり困りつつある。

 どうにかして話を逸らしてしまおうか。それこそ、綿毛ちゃんが割り込んできてくれればいいのに。

 足元の毛玉に目線で助けを求めるが、犬はそろそろと離れてしまう。空気の読めない犬だな。

 思わず口からため息がこぼれたその瞬間。

 アロンが、そっと俺の左手をとった。慈しむように撫でられて、居心地の悪さに首をすくめる。

「アロン?」

 今度はどういう趣向なのか。咎めるように声をかけるが、アロンはにこりと綺麗に笑うばかりで解放してくれない。

 俺の困惑に気が付いていながら、無視をしていることは明白であった。アロンは、聡い人物である。俺の彷徨う視線に気が付かないような奴ではない。

 一度手を離したアロンは、己の懐からなにかを取り出した。小さな箱である。

 大事に両手で包み込んだ彼は、意を決したかのようにそっと蓋を開いてみせた。

 あ、と思った。

「これ。アロンの」
「これはルイス様に」

 前に預かっていた指輪である。その後、アロンに返却したのだが、そう言えば俺の分をきちんと用意するとか言っていたことを思い出す。本気だったのか。その後進展がなかったため、一度譲った指輪を返してもらうための言い訳かと思っていた。

 見れば、俺にぴったりのサイズである。

「用意するのに時間がかかってしまって」

 アロンの指にも、同じデザインの指輪がはめられている。なんとなく見比べていれば、アロンが少しだけ弱気になったように見えた。

 珍しく迷うような動揺のようなものをあらわにしたアロンは、俺を見上げた。覗き込むようにして注目されれば、自然と俺の注意もそちらへ向く。

 アロンの少しだけ揺れ動く瞳の中に、俺自身の姿を見た。

 ふいっと顔を逸らせば、「ルイス様」と小さく呼ぶ声が聞こえてくる。

「受け取ってくれますか」

 頷くしかなかった。
 そもそもそういう約束だったことを思い出したのだ。十二歳の時である。新しい指輪を用意したら、もらってやってもいいと確かに俺は言った。もちろん、アロンも覚えているに違いなかった。だから頷いた。

 安堵したように表情を崩すアロンは、そっと指輪を箱から取り出した。そうして箱の置き場に迷うように視線をずらした彼は、結局は己の懐へと突っ込んだ。

「じゃあこれは、ルイス様に」

 いつになく丁寧に、俺の手をとったアロンは、おそるおそるといった様子で指輪をはめてくる。俺の左手の薬指。

 指輪って、つける位置になにか意味があったんじゃなかったっけ? でもあれは前世の話だ。この世界でも、指輪の意味が同じだとは限らない。生憎、前世でも人から指輪をもらった経験なんてない。意味するところはわからないが、わからなくても問題ないような気がした。

 ぼんやり眺める。

 なにか言わなければと思うのに、上手い言葉が見つからない。先に口を開いたのは、アロンだった。

「ちょっと遅くなりましたけど。俺からの誕生日プレゼントってことで」
「……うん」

 誕生日プレゼントか。それならいいか。もらっちゃっても。

「ありがと」
「はい」

 今度は猫にあげたらダメですよと笑って。アロンは部屋を出て行った。

 細身のシルバー。何気なく天井にかざしてみる。窓から差し込む光によって輝くそれは、到底安物には見えなかった。

「もらっちゃった」

 ジャンはまだ戻ってこない。追い出されたついでに、何か用事でも片付けに行ったのかもしれない。

 綿毛ちゃんを見下ろせば、灰色毛玉は困ったようにうろうろしていた。

『大丈夫なの?』
「なにが」

 心臓が、音を立て始める。心の奥底で思っていたことをあてられたみたいで、変な居心地の悪さを覚える。

『今のさぁ』

 綿毛ちゃんは、口を閉じる。だが言われなくてもわかっていた。

 なんかプロポーズみたいだなぁ、と。

 認めた途端に、ずっしりと指輪の重みを感じる気がした。これはもらってもよかったのだろうか。

 戯れなのか、本気なのか。時々わからなくなる。

「これは、誕生日プレゼントだから」

 言い訳のように紡げば、綿毛ちゃんが『そうだね』と小さく体を震わせる。

 そう。これは誕生日プレゼントだから。だから、もらっても問題はないと思う。

 曖昧な態度をとるなと。いつかユリスが言っていたことを思い出した。これは曖昧な態度に入るのだろうか。

 でも、俺には初めからこれを受け取らないという選択肢はなかった。これを拒否することは、アロン自身を拒否することだと、なんとなく思ってしまったのだ。
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