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12歳
281 結婚式
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十二歳の夏。
喧騒に包まれた大広間から離れて。
煌びやかな室内には、静寂がおりていた。衣擦れの音さえ響く広い空間には、なぜだか温かな空気が満ちていた。
「戻らなくていいの?」
ソファーでゆったりと横になるエリックは、俺の問いかけにうんと伸びをする。
着心地悪そうな豪華な衣服に身を包んだエリックは、俺の記憶の中で一番きらきらした姿をしていた。無駄にしか思えない輝かしい装飾がふんだんに施された白い正装もあいまって、本日のエリックは、どこへだしても恥ずかしくない立派な王子様であった。
本日、この国はとても重要な日を迎えた。
簡単に言ってしまえば、王太子殿下であるエリックの結婚式だ。
お披露目も終わり、諸々やらなければならない儀式も滞りなく終了した。すっかり日も暮れて、先程まで豪華絢爛な式が行われていた広間は、そのまま身内のみでの宴会へと突入した。
ずっと舞台に上がって気を張っていたらしいエリックに手を引かれて、広間からほど近いこの部屋へと連れ込まれたのが先程のこと。
主役の不在に、みんなが気が付かないわけがないので、そろそろ戻らないとまずい頃合だと思う。
「ブルース兄様に怒られるよ?」
「なんで私がブルースごときに怯えなければならない。勝手に心配させておけ」
ふっと小さく笑うエリックは、目を瞑ったまま動こうとしない。俺はというと、そのエリックに膝枕をしてやっている状況である。
俺の方が先にソファーに座ったところ、後から歩いてきたエリックが遠慮なしに俺の膝に頭を預けたのだ。そんなに重くはないが、動けないからやめてほしい。
さらさらとした金髪を、手持ち無沙汰に撫でていれば、エリックがくすくす上機嫌に笑う。
「ようやく、ふたりきりになれたな?」
意味深に呟くエリックは、結婚式が面倒だとずっと文句を言っていた。ふたりだけの小規模なものでいいと主張しては、数週間前から泊まり込みで手伝いに来ていたブルース兄様を呆れさせていた。
王太子殿下ということもあり、それはもう盛大な挙式となった。
数ヶ月前から国の警備が厳しくなり、物々しい空気が漂う中にも、お祝いムードが混在しており、とにかくみんな浮き足立っていた。
近隣の国からも人の出入りが多くなり、特に他国からの来賓を迎える役割を任されたブルース兄様は、毎日あちこち駆け回って大変そうであった。オーガス兄様も、王宮内に引きこもって、準備や挨拶に追われていたが。
そんな忙しそうな兄様たちを横目に、俺はユリスやマーティーと共にそわそわして、この日を迎えた。
久しぶりに顔を合わせたマーティーは、ちょっと大きくなっていた。実に一年以上は会っていなかった。最後に会ったのは、ユリスが増えたあの騒動の時である。
俺に会うなり、「よかったな」とひと言かけてきたマーティーは、性格もちょっぴり大人っぽくなっていた。佇まいが落ちついている。単に歳をとった影響かと思ったが、どうやら原因はそれだけではないらしい。
兄であるエリックの結婚が、影響していることは明らかであった。
直前までの忙しさを思い出しながら、エリックの髪を撫で続ける。俺が飼っている白猫の方がもふもふしている。
「ねえ、戻んなくていいの? 主役がいないとダメでしょ」
そろそろブルース兄様あたりがキレてもおかしくはない。俺まで巻き添えで怒られるのは、ごめんである。
けれども、エリックは緩く笑うだけで動こうとはしない。彼が立ち上がらないことには、俺も動けない。
「朝から立ちっぱなしで疲れた。やっと休めたんだ。少しくらいいいだろ」
掠れた声を発するエリックは、終始にやにやと頬が緩みっぱなしである。そんな幸せオーラ全開にされると、こちらが照れてしまう。
しかし式の間、エリックはほとんど座ったままだった。立ちっぱなしだったのは、もっぱらブルース兄様の方である。けれども、あの場に長時間身を置いて、気疲れしたのは本当だろう。俺もすごく疲れたし。
見知らぬ大人たちが、次から次へと挨拶にやってくる。兄様たちの真似をして、無難に流していたが、すごく疲れた。特に、俺はつい最近までヴィアン家には存在しなかった摩訶不思議な末っ子である。ユリスと並んでいれば、あちらこちらから好奇の目を向けられて辟易とした。
そんな俺を助けてくれたのは、意外にもマーティーであった。黙り込んで無愛想を貫くユリスに代わり、俺の前に立ったマーティーは毅然としていた。ついこの間までの、少しお子様扱いした程度で泣き喚いていたベイビーの姿は、そこにはなかった。
俺の盾にでもなったつもりか。堂々たる態度で、俺への敵意や好奇の目を遠ざけてみせたマーティーは、まさに王子の名に相応しい気品を備えていた。「兄上に頼まれたからな」と、素っ気なく視線を逸らしたマーティーは、間違いなくこの国の王子として成長しつつあった。
「もう戻る。ブルース兄様に怒られる」
「勝手に怒らせておけ」
無責任なエリックは、目を閉じたまま動かなくなってしまう。やめろ。ここで寝るな。
暴れてやろうかと拳をそっと握りしめる。俺の不穏な気配を察知したのか、エリックがくすくすと笑う。くすぐったそうな軽い笑いは、なんだか幸せオーラにあふれていた。
「新婚旅行はどこがいいと思う?」
「行くの?」
「一生に一度のお祝い事だ。それくらい許されるだろう」
「本当に一生に一度って言い切れる?」
「どういう意味だ。私の浮気を疑っているのか?」
別にそういうわけでは。
エリックは前に、俺のことを側室にしたいと言っていた。その後、俺のお父様が文句を言った結果、では正室でと勝手に話がまとまった過去がある。ここから察するに、結婚相手はひとりではないのだろう。
「側室は? どうなるの?」
興味本位に尋ねれば、「嫉妬か?」と真顔で返された。意味がわからない。
やがて身を起こしたエリックは、気怠そうに伸びをする。ようやく膝枕係から解放された俺は、急いで立ち上がる。またもや枕にされては堪らないからな。
そうして乱れた正装を、なんとなくで整える。うん、だめだ。あとでジャンに整えてもらおう。自分ではうまくできない。そう決意したのも束の間。
後ろから伸びてきた手が、俺の首元に添えられる。そのまま優しい手付きでタイを締め直してくれるエリックは、なんだか必要以上にくっついてくる。バックハグのような体勢に、少しだけ緊張が走る。
息を詰める俺の耳元で、エリックが小さく笑った。
「そんなに緊張しなくとも」
「そんなにくっつかないで」
エリック相手に緊張するのも馬鹿らしくなってきて、言い返してやる。
笑いを堪えようとして失敗したらしいエリックは、俺から距離を取ると誤魔化すように咳払いをした。
「私のも確認してくれ。おかしなところはないか?」
「……寝癖ついてるよ」
「冗談だろ?」
「冗談でーす」
へらっと笑って揶揄えば、エリックが仕返しといわんばかりに乱暴に頭を撫でてくる。髪型崩れるからやめろ。
なんとかその手から逃れて、ホッと息を吐く。
きらきらしているエリックは、隙なんてなかった。
「……かっこいいよ」
ぼそっと褒めてやれば、彼はニヤリと口角を上げる。
「どうだ。私のかっこよさに惚れ直したか?」
悪戯っぽい問いかけに、やれやれと肩をすくめておく。浮かれエリックに、なにを言っても無駄だろう。
その時、部屋のドアが控えめにノックされた。
「殿下! ルイスもなにをしている! はよ戻れ」
返事も待たずに開け放ったのは、ブルース兄様であった。正装に身を包んで、一切の隙のない兄様は、俺とエリックを静かに睨みつけた。おめでたい席なのに、その眉間の皺はなんだ。
「目を離すとすぐにこれだ。ジャンはどこ行った」
「エリスちゃんにご飯あげてる」
「だから猫はおいてこいと言ったのに」
結婚式の準備等で、俺らはしばらくヴィアン家を離れている。屋敷には使用人が残っているとはいえ、白猫エリスちゃんを置き去りにするのは可哀想だから連れてきたのだ。
ぐちぐちと文句を垂れるブルース兄様は、相変わらずである。
さっさと会場に戻れと背中を押されて一歩踏み出したのだが、大事なことを忘れていた。
くるりとエリックに向き直る。ここ最近は多忙のあまり、ろくに会話もできていなかった。
「エリック!」
「ん?」
鏡を覗き込んでいたエリックは、手を止めてこちらに視線を投げる。
「結婚おめでとう!」
「……おまえに言われると複雑だな」
途端に眉を寄せたエリックは、言葉通り複雑な顔をしていた。
「俺以外の女と結婚なんてしないで! と、泣いてくれてもいいんだぞ?」
「なんでだよ」
こうして本日、エリックは結婚した。俺の知らない、どこぞの王女様だという女の人と。
喧騒に包まれた大広間から離れて。
煌びやかな室内には、静寂がおりていた。衣擦れの音さえ響く広い空間には、なぜだか温かな空気が満ちていた。
「戻らなくていいの?」
ソファーでゆったりと横になるエリックは、俺の問いかけにうんと伸びをする。
着心地悪そうな豪華な衣服に身を包んだエリックは、俺の記憶の中で一番きらきらした姿をしていた。無駄にしか思えない輝かしい装飾がふんだんに施された白い正装もあいまって、本日のエリックは、どこへだしても恥ずかしくない立派な王子様であった。
本日、この国はとても重要な日を迎えた。
簡単に言ってしまえば、王太子殿下であるエリックの結婚式だ。
お披露目も終わり、諸々やらなければならない儀式も滞りなく終了した。すっかり日も暮れて、先程まで豪華絢爛な式が行われていた広間は、そのまま身内のみでの宴会へと突入した。
ずっと舞台に上がって気を張っていたらしいエリックに手を引かれて、広間からほど近いこの部屋へと連れ込まれたのが先程のこと。
主役の不在に、みんなが気が付かないわけがないので、そろそろ戻らないとまずい頃合だと思う。
「ブルース兄様に怒られるよ?」
「なんで私がブルースごときに怯えなければならない。勝手に心配させておけ」
ふっと小さく笑うエリックは、目を瞑ったまま動こうとしない。俺はというと、そのエリックに膝枕をしてやっている状況である。
俺の方が先にソファーに座ったところ、後から歩いてきたエリックが遠慮なしに俺の膝に頭を預けたのだ。そんなに重くはないが、動けないからやめてほしい。
さらさらとした金髪を、手持ち無沙汰に撫でていれば、エリックがくすくす上機嫌に笑う。
「ようやく、ふたりきりになれたな?」
意味深に呟くエリックは、結婚式が面倒だとずっと文句を言っていた。ふたりだけの小規模なものでいいと主張しては、数週間前から泊まり込みで手伝いに来ていたブルース兄様を呆れさせていた。
王太子殿下ということもあり、それはもう盛大な挙式となった。
数ヶ月前から国の警備が厳しくなり、物々しい空気が漂う中にも、お祝いムードが混在しており、とにかくみんな浮き足立っていた。
近隣の国からも人の出入りが多くなり、特に他国からの来賓を迎える役割を任されたブルース兄様は、毎日あちこち駆け回って大変そうであった。オーガス兄様も、王宮内に引きこもって、準備や挨拶に追われていたが。
そんな忙しそうな兄様たちを横目に、俺はユリスやマーティーと共にそわそわして、この日を迎えた。
久しぶりに顔を合わせたマーティーは、ちょっと大きくなっていた。実に一年以上は会っていなかった。最後に会ったのは、ユリスが増えたあの騒動の時である。
俺に会うなり、「よかったな」とひと言かけてきたマーティーは、性格もちょっぴり大人っぽくなっていた。佇まいが落ちついている。単に歳をとった影響かと思ったが、どうやら原因はそれだけではないらしい。
兄であるエリックの結婚が、影響していることは明らかであった。
直前までの忙しさを思い出しながら、エリックの髪を撫で続ける。俺が飼っている白猫の方がもふもふしている。
「ねえ、戻んなくていいの? 主役がいないとダメでしょ」
そろそろブルース兄様あたりがキレてもおかしくはない。俺まで巻き添えで怒られるのは、ごめんである。
けれども、エリックは緩く笑うだけで動こうとはしない。彼が立ち上がらないことには、俺も動けない。
「朝から立ちっぱなしで疲れた。やっと休めたんだ。少しくらいいいだろ」
掠れた声を発するエリックは、終始にやにやと頬が緩みっぱなしである。そんな幸せオーラ全開にされると、こちらが照れてしまう。
しかし式の間、エリックはほとんど座ったままだった。立ちっぱなしだったのは、もっぱらブルース兄様の方である。けれども、あの場に長時間身を置いて、気疲れしたのは本当だろう。俺もすごく疲れたし。
見知らぬ大人たちが、次から次へと挨拶にやってくる。兄様たちの真似をして、無難に流していたが、すごく疲れた。特に、俺はつい最近までヴィアン家には存在しなかった摩訶不思議な末っ子である。ユリスと並んでいれば、あちらこちらから好奇の目を向けられて辟易とした。
そんな俺を助けてくれたのは、意外にもマーティーであった。黙り込んで無愛想を貫くユリスに代わり、俺の前に立ったマーティーは毅然としていた。ついこの間までの、少しお子様扱いした程度で泣き喚いていたベイビーの姿は、そこにはなかった。
俺の盾にでもなったつもりか。堂々たる態度で、俺への敵意や好奇の目を遠ざけてみせたマーティーは、まさに王子の名に相応しい気品を備えていた。「兄上に頼まれたからな」と、素っ気なく視線を逸らしたマーティーは、間違いなくこの国の王子として成長しつつあった。
「もう戻る。ブルース兄様に怒られる」
「勝手に怒らせておけ」
無責任なエリックは、目を閉じたまま動かなくなってしまう。やめろ。ここで寝るな。
暴れてやろうかと拳をそっと握りしめる。俺の不穏な気配を察知したのか、エリックがくすくすと笑う。くすぐったそうな軽い笑いは、なんだか幸せオーラにあふれていた。
「新婚旅行はどこがいいと思う?」
「行くの?」
「一生に一度のお祝い事だ。それくらい許されるだろう」
「本当に一生に一度って言い切れる?」
「どういう意味だ。私の浮気を疑っているのか?」
別にそういうわけでは。
エリックは前に、俺のことを側室にしたいと言っていた。その後、俺のお父様が文句を言った結果、では正室でと勝手に話がまとまった過去がある。ここから察するに、結婚相手はひとりではないのだろう。
「側室は? どうなるの?」
興味本位に尋ねれば、「嫉妬か?」と真顔で返された。意味がわからない。
やがて身を起こしたエリックは、気怠そうに伸びをする。ようやく膝枕係から解放された俺は、急いで立ち上がる。またもや枕にされては堪らないからな。
そうして乱れた正装を、なんとなくで整える。うん、だめだ。あとでジャンに整えてもらおう。自分ではうまくできない。そう決意したのも束の間。
後ろから伸びてきた手が、俺の首元に添えられる。そのまま優しい手付きでタイを締め直してくれるエリックは、なんだか必要以上にくっついてくる。バックハグのような体勢に、少しだけ緊張が走る。
息を詰める俺の耳元で、エリックが小さく笑った。
「そんなに緊張しなくとも」
「そんなにくっつかないで」
エリック相手に緊張するのも馬鹿らしくなってきて、言い返してやる。
笑いを堪えようとして失敗したらしいエリックは、俺から距離を取ると誤魔化すように咳払いをした。
「私のも確認してくれ。おかしなところはないか?」
「……寝癖ついてるよ」
「冗談だろ?」
「冗談でーす」
へらっと笑って揶揄えば、エリックが仕返しといわんばかりに乱暴に頭を撫でてくる。髪型崩れるからやめろ。
なんとかその手から逃れて、ホッと息を吐く。
きらきらしているエリックは、隙なんてなかった。
「……かっこいいよ」
ぼそっと褒めてやれば、彼はニヤリと口角を上げる。
「どうだ。私のかっこよさに惚れ直したか?」
悪戯っぽい問いかけに、やれやれと肩をすくめておく。浮かれエリックに、なにを言っても無駄だろう。
その時、部屋のドアが控えめにノックされた。
「殿下! ルイスもなにをしている! はよ戻れ」
返事も待たずに開け放ったのは、ブルース兄様であった。正装に身を包んで、一切の隙のない兄様は、俺とエリックを静かに睨みつけた。おめでたい席なのに、その眉間の皺はなんだ。
「目を離すとすぐにこれだ。ジャンはどこ行った」
「エリスちゃんにご飯あげてる」
「だから猫はおいてこいと言ったのに」
結婚式の準備等で、俺らはしばらくヴィアン家を離れている。屋敷には使用人が残っているとはいえ、白猫エリスちゃんを置き去りにするのは可哀想だから連れてきたのだ。
ぐちぐちと文句を垂れるブルース兄様は、相変わらずである。
さっさと会場に戻れと背中を押されて一歩踏み出したのだが、大事なことを忘れていた。
くるりとエリックに向き直る。ここ最近は多忙のあまり、ろくに会話もできていなかった。
「エリック!」
「ん?」
鏡を覗き込んでいたエリックは、手を止めてこちらに視線を投げる。
「結婚おめでとう!」
「……おまえに言われると複雑だな」
途端に眉を寄せたエリックは、言葉通り複雑な顔をしていた。
「俺以外の女と結婚なんてしないで! と、泣いてくれてもいいんだぞ?」
「なんでだよ」
こうして本日、エリックは結婚した。俺の知らない、どこぞの王女様だという女の人と。
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