上 下
190 / 577

閑話10 幻の王子様(sideデニス)

しおりを挟む
「おい、おまえ」

 一体なんの集まりだったか。今となってはすっかり忘れてしまったが、その淡々とした鋭い声だけはしっかり覚えている。

 あれは僕が七歳の時である。お父様に付き添って訪れたどこぞの屋敷でのパーティー。雑談にかまける大人たちを横目に、僕はすっかり暇を持て余していた。周囲を見ても随分と歳上の者ばかり。気の合いそうな話し相手は見当たらない。

 引き連れて来た使用人と、部屋の隅で退屈しのぎにお菓子を吟味していた時である。

 突然かけられた偉そうな声に、反射的に振り返る。

 視界に広がる艶やかな黒に、目を奪われた。

「名前は?」

 素っ気なく投げられた問いに、慌てて姿勢を正す。

「デニーです」

 心構えなんてしていない。とりあえず愛称を告げてからすぐに後悔する。もっとちゃんと自己紹介しないと。けれども眼前に現れた少年は、興味なさそうに鼻を鳴らす。僕と同い年くらいだと思う。ひと目見て貴族の子供とわかる格好だ。きっと僕と同じく誰かに連れてこられて暇を持て余しているのだろう。

 そのままテーブルへと近寄った彼は、無造作に焼き菓子をひとつ摘んでみせる。

「ん」

 押し付けられたそれを受け取れば、彼がにやりと口角を上げる。

「それ食べてみろ。まずかったぞ」
「え、美味しくないの?」

 そんな物を押し付けるな。ムッと頬を膨らませれば、同じ物をもうひとつ押し付けられた。なんだこいつ。

 見たことない顔である。どこの誰だろう。というか僕の名前は訊ねるくせに自分は名乗らないってどういうつもりだ。非常識にも程がある。

「名前は?」

 彼の真似をして訊ねてやれば、黒い瞳が面白そうに細められる。

「ユリス・ヴィアン」

 その名前に目を見開く。ここらでヴィアン家の名を知らない者なんていない。大公家だ。そしてユリスといえば三男坊だ。確か六歳。

 ぽかんとしていれば、さらに同じお菓子をもうひとつ押し付けられた。さっきからなんなのだ。

 遠慮なしにジロジロと僕を見回したユリスは、「おまえ顔だけはいいな」となんか失礼なことを言い放つ。それを聞かなかったことにして後ろに控えていた使用人にお菓子を預ける。それを見たユリスがまたもや同じお菓子を渡してくる。なにこれ。

「なんのつもり?」

 我慢できずに問いかければ、ユリスが片眉を持ち上げた。

「それ、嫌いなんだ。僕は食べないからおまえが責任持って全部持って帰れ」
「なんでそうなるのさ」

 食べないならそのまま置いておけよ。手をつけるな。

「それよりおまえ、いくつだ」
「七歳だけど。それよりデニーって呼んでよ」

 僕の言葉を無視したユリスは、またもやお菓子を渡してくる。

「ちょっとやめて」
「まだ残ってる」
「残しとけばいいじゃん。全部食べる必要なんてないでしょ」

 立食形式のパーティーだ。各々食べたい物だけ手をつければ良い。嫌いなものがあれば手をつけなければ良いだけの話だ。

 散々僕にお菓子を押し付けて満足したように佇むユリスに声をかける者があった。

「おい、ユリス。あんまり彷徨くんじゃない」

 憮然とした表情でこちらに歩み寄ってくるのはブルース様だ。ヴィアン家の私営騎士団に混じって街の巡回などをしている姿を見かけたことがある。社交界にもよく顔を出すためお互い顔見知りだ。

「……なんだ。珍しい組み合わせだな」

 僕とユリスを物珍しそうに見比べたブルース様は、ふと僕が握るお菓子に目を落として意外そうな顔をする。

「仲良くなったのか?」
「うるさい」

 素っ気なく吐き捨てたユリスは、そのままブルース様を追い払うかのように睨みつけてしまう。兄弟仲があまりよろしくないのか?

 呆然と見守っていれば、諦めたように息を吐き出したブルース様が背を向ける。「あまり遠くへ行くなよ」と言い置いて去ってしまう。

 残された僕は、ユリスへと目を向ける。

 つんとそっぽを向いていた彼は、ブルース様の姿が見えなくなるのを確認してからこちらに目を向けてくる。

「デニー」
「なに」
「それ食べないのか」
「え、今?」

 眉を寄せて、ユリスに押し付けられたお菓子を眺める。いつの間にかユリスの側には彼の従者と思わしき壮年の男が控えている。

 おずおずと焼き菓子を口にする。

「普通に美味しい」
「そうか」

 なんだか満足そうに頷いたユリスは「気に入ったなら全部やる」と再びお菓子を片っ端から手渡そうとしてくる。慌てて遠慮すれば「どうした」と首を傾げるユリス。

「なんでそんなに渡してくるの」
「美味いだろ? おまえに食べさせたくて」
「え……」

 予想外の言葉に目を見開く。それってつまり僕のためってこと? なにそれ、そんなのってあれじゃん。

「好き」

 思わずぽつりと呟けば、ユリスがふっと柔らかく微笑む。
 
「そうか」
「結婚して!」

 なんかどうしようもなく格好良く見えてしまった。勢いあまって前のめりに求婚すればユリスが「いいぞ」と腰に手をあてる。

「じゃあ結婚しよう‼︎」
「あぁ、そのうちな」

 にやりと口角を上げたユリスの手を取る。得意気なユリスが後ろの従者に向かって「ほら。女なんて適当に甘い物渡しておけばどうにかなるだろ」とほざいていたがどうでもいい。
 暇なパーティーだと思っていたが、とんでもなく良いことがあった。黒を纏う少年は、まさしく僕の王子様だったから。


※※※


「って、思ってたんだけどな」

 はぁっと深いため息をつく。

 あれから約四年。
 久しぶりに対面した僕の王子様はなんだかすごく子供っぽくなっていた。

 おかしい。前はもっとクールだった。この数年でなにがあったのか。

 どうやらあの時、ユリスは僕のことを女の子だと思っていたらしい。髪長かったし、割と可愛い顔してたもんな。しかしその後、僕が男だとどこかで耳にしたらしいユリスは僕のことをすっかり記憶から放り出してしまったようだ。

「……いや、成長が止まっただけかな?」

 思えばあの時もやたら僕にお菓子を押し付けていた。なんかお菓子ひとつでどうにかなると考えていた節がある。まぁ、実際僕はまんまと惚れてしまったわけだけど。でもそれは僕が七歳だったからだ。

 しかしどうだ。十歳に成長したはずのユリスはいまだにお菓子でどうにかなると思っている。これはあれだ。四年前から成長していないんだ。

「どこにいったんだよ、僕の王子様」

 あの日の王子様は、どうやら一夜限りの幻だったらしい。すっかりと夢から覚めてしまった僕は深々と息を吐いた。
しおりを挟む
感想 415

あなたにおすすめの小説

悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!

梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!? 【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】 ▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。 ▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。 ▼毎日18時投稿予定

主人公のライバルポジにいるようなので、主人公のカッコ可愛さを特等席で愛でたいと思います。

小鷹けい
BL
以前、なろうサイトさまに途中まであげて、結局書きかけのまま放置していたものになります(アカウントごと削除済み)タイトルさえもうろ覚え。 そのうち続きを書くぞ、の意気込みついでに数話分投稿させていただきます。 先輩×後輩 攻略キャラ×当て馬キャラ 総受けではありません。 嫌われ→からの溺愛。こちらも面倒くさい拗らせ攻めです。 ある日、目が覚めたら大好きだったBLゲームの当て馬キャラになっていた。死んだ覚えはないが、そのキャラクターとして生きてきた期間の記憶もある。 だけど、ここでひとつ問題が……。『おれ』の推し、『僕』が今まで嫌がらせし続けてきた、このゲームの主人公キャラなんだよね……。 え、イジめなきゃダメなの??死ぬほど嫌なんだけど。絶対嫌でしょ……。 でも、主人公が攻略キャラとBLしてるところはなんとしても見たい!!ひっそりと。なんなら近くで見たい!! ……って、なったライバルポジとして生きることになった『おれ(僕)』が、主人公と仲良くしつつ、攻略キャラを巻き込んでひっそり推し活する……みたいな話です。 本来なら当て馬キャラとして冷たくあしらわれ、手酷くフラれるはずの『ハルカ先輩』から、バグなのかなんなのか徐々に距離を詰めてこられて戸惑いまくる当て馬の話。 こちらは、ゆるゆる不定期更新になります。

【完結】別れ……ますよね?

325号室の住人
BL
☆全3話、完結済 僕の恋人は、テレビドラマに数多く出演する俳優を生業としている。 ある朝、テレビから流れてきたニュースに、僕は恋人との別れを決意した。

平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです

おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの) BDSM要素はほぼ無し。 甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。 順次スケベパートも追加していきます

氷の華を溶かしたら

こむぎダック
BL
ラリス王国。 男女問わず、子供を産む事ができる世界。 前世の記憶を残したまま、転生を繰り返して来たキャニス。何度生まれ変わっても、誰からも愛されず、裏切られることに疲れ切ってしまったキャニスは、今世では、誰も愛さず何も期待しないと心に決め、笑わない氷華の貴公子と言われる様になった。 ラリス王国の第一王子ナリウスの婚約者として、王子妃教育を受けて居たが、手癖の悪い第一王子から、冷たい態度を取られ続け、とうとう婚約破棄に。 そして、密かにキャニスに、想いを寄せて居た第二王子カリストが、キャニスへの贖罪と初恋を実らせる為に奔走し始める。 その頃、母国の騒ぎから逃れ、隣国に滞在していたキャニスは、隣国の王子シェルビーからの熱烈な求愛を受けることに。 初恋を拗らせたカリストとシェルビー。 キャニスの氷った心を溶かす事ができるのは、どちらか?

総長の彼氏が俺にだけ優しい

桜子あんこ
BL
ビビりな俺が付き合っている彼氏は、 関東で最強の暴走族の総長。 みんなからは恐れられ冷酷で悪魔と噂されるそんな俺の彼氏は何故か俺にだけ甘々で優しい。 そんな日常を描いた話である。

そばにいてほしい。

15
BL
僕の恋人には、幼馴染がいる。 そんな幼馴染が彼はよっぽど大切らしい。 ──だけど、今日だけは僕のそばにいて欲しかった。 幼馴染を優先する攻め×口に出せない受け 安心してください、ハピエンです。

なんで俺の周りはイケメン高身長が多いんだ!!!!

柑橘
BL
王道詰め合わせ。 ジャンルをお確かめの上お進み下さい。 7/7以降、サブストーリー(土谷虹の隣は決まってる!!!!)を公開しました!!読んでいただけると嬉しいです! ※目線が度々変わります。 ※登場人物の紹介が途中から増えるかもです。 ※火曜日20:00  金曜日19:00  日曜日17:00更新

処理中です...