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閑話10 幻の王子様(sideデニス)
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「おい、おまえ」
一体なんの集まりだったか。今となってはすっかり忘れてしまったが、その淡々とした鋭い声だけはしっかり覚えている。
あれは僕が七歳の時である。お父様に付き添って訪れたどこぞの屋敷でのパーティー。雑談にかまける大人たちを横目に、僕はすっかり暇を持て余していた。周囲を見ても随分と歳上の者ばかり。気の合いそうな話し相手は見当たらない。
引き連れて来た使用人と、部屋の隅で退屈しのぎにお菓子を吟味していた時である。
突然かけられた偉そうな声に、反射的に振り返る。
視界に広がる艶やかな黒に、目を奪われた。
「名前は?」
素っ気なく投げられた問いに、慌てて姿勢を正す。
「デニーです」
心構えなんてしていない。とりあえず愛称を告げてからすぐに後悔する。もっとちゃんと自己紹介しないと。けれども眼前に現れた少年は、興味なさそうに鼻を鳴らす。僕と同い年くらいだと思う。ひと目見て貴族の子供とわかる格好だ。きっと僕と同じく誰かに連れてこられて暇を持て余しているのだろう。
そのままテーブルへと近寄った彼は、無造作に焼き菓子をひとつ摘んでみせる。
「ん」
押し付けられたそれを受け取れば、彼がにやりと口角を上げる。
「それ食べてみろ。まずかったぞ」
「え、美味しくないの?」
そんな物を押し付けるな。ムッと頬を膨らませれば、同じ物をもうひとつ押し付けられた。なんだこいつ。
見たことない顔である。どこの誰だろう。というか僕の名前は訊ねるくせに自分は名乗らないってどういうつもりだ。非常識にも程がある。
「名前は?」
彼の真似をして訊ねてやれば、黒い瞳が面白そうに細められる。
「ユリス・ヴィアン」
その名前に目を見開く。ここらでヴィアン家の名を知らない者なんていない。大公家だ。そしてユリスといえば三男坊だ。確か六歳。
ぽかんとしていれば、さらに同じお菓子をもうひとつ押し付けられた。さっきからなんなのだ。
遠慮なしにジロジロと僕を見回したユリスは、「おまえ顔だけはいいな」となんか失礼なことを言い放つ。それを聞かなかったことにして後ろに控えていた使用人にお菓子を預ける。それを見たユリスがまたもや同じお菓子を渡してくる。なにこれ。
「なんのつもり?」
我慢できずに問いかければ、ユリスが片眉を持ち上げた。
「それ、嫌いなんだ。僕は食べないからおまえが責任持って全部持って帰れ」
「なんでそうなるのさ」
食べないならそのまま置いておけよ。手をつけるな。
「それよりおまえ、いくつだ」
「七歳だけど。それよりデニーって呼んでよ」
僕の言葉を無視したユリスは、またもやお菓子を渡してくる。
「ちょっとやめて」
「まだ残ってる」
「残しとけばいいじゃん。全部食べる必要なんてないでしょ」
立食形式のパーティーだ。各々食べたい物だけ手をつければ良い。嫌いなものがあれば手をつけなければ良いだけの話だ。
散々僕にお菓子を押し付けて満足したように佇むユリスに声をかける者があった。
「おい、ユリス。あんまり彷徨くんじゃない」
憮然とした表情でこちらに歩み寄ってくるのはブルース様だ。ヴィアン家の私営騎士団に混じって街の巡回などをしている姿を見かけたことがある。社交界にもよく顔を出すためお互い顔見知りだ。
「……なんだ。珍しい組み合わせだな」
僕とユリスを物珍しそうに見比べたブルース様は、ふと僕が握るお菓子に目を落として意外そうな顔をする。
「仲良くなったのか?」
「うるさい」
素っ気なく吐き捨てたユリスは、そのままブルース様を追い払うかのように睨みつけてしまう。兄弟仲があまりよろしくないのか?
呆然と見守っていれば、諦めたように息を吐き出したブルース様が背を向ける。「あまり遠くへ行くなよ」と言い置いて去ってしまう。
残された僕は、ユリスへと目を向ける。
つんとそっぽを向いていた彼は、ブルース様の姿が見えなくなるのを確認してからこちらに目を向けてくる。
「デニー」
「なに」
「それ食べないのか」
「え、今?」
眉を寄せて、ユリスに押し付けられたお菓子を眺める。いつの間にかユリスの側には彼の従者と思わしき壮年の男が控えている。
おずおずと焼き菓子を口にする。
「普通に美味しい」
「そうか」
なんだか満足そうに頷いたユリスは「気に入ったなら全部やる」と再びお菓子を片っ端から手渡そうとしてくる。慌てて遠慮すれば「どうした」と首を傾げるユリス。
「なんでそんなに渡してくるの」
「美味いだろ? おまえに食べさせたくて」
「え……」
予想外の言葉に目を見開く。それってつまり僕のためってこと? なにそれ、そんなのってあれじゃん。
「好き」
思わずぽつりと呟けば、ユリスがふっと柔らかく微笑む。
「そうか」
「結婚して!」
なんかどうしようもなく格好良く見えてしまった。勢いあまって前のめりに求婚すればユリスが「いいぞ」と腰に手をあてる。
「じゃあ結婚しよう‼︎」
「あぁ、そのうちな」
にやりと口角を上げたユリスの手を取る。得意気なユリスが後ろの従者に向かって「ほら。女なんて適当に甘い物渡しておけばどうにかなるだろ」とほざいていたがどうでもいい。
暇なパーティーだと思っていたが、とんでもなく良いことがあった。黒を纏う少年は、まさしく僕の王子様だったから。
※※※
「って、思ってたんだけどな」
はぁっと深いため息をつく。
あれから約四年。
久しぶりに対面した僕の王子様はなんだかすごく子供っぽくなっていた。
おかしい。前はもっとクールだった。この数年でなにがあったのか。
どうやらあの時、ユリスは僕のことを女の子だと思っていたらしい。髪長かったし、割と可愛い顔してたもんな。しかしその後、僕が男だとどこかで耳にしたらしいユリスは僕のことをすっかり記憶から放り出してしまったようだ。
「……いや、成長が止まっただけかな?」
思えばあの時もやたら僕にお菓子を押し付けていた。なんかお菓子ひとつでどうにかなると考えていた節がある。まぁ、実際僕はまんまと惚れてしまったわけだけど。でもそれは僕が七歳だったからだ。
しかしどうだ。十歳に成長したはずのユリスはいまだにお菓子でどうにかなると思っている。これはあれだ。四年前から成長していないんだ。
「どこにいったんだよ、僕の王子様」
あの日の王子様は、どうやら一夜限りの幻だったらしい。すっかりと夢から覚めてしまった僕は深々と息を吐いた。
一体なんの集まりだったか。今となってはすっかり忘れてしまったが、その淡々とした鋭い声だけはしっかり覚えている。
あれは僕が七歳の時である。お父様に付き添って訪れたどこぞの屋敷でのパーティー。雑談にかまける大人たちを横目に、僕はすっかり暇を持て余していた。周囲を見ても随分と歳上の者ばかり。気の合いそうな話し相手は見当たらない。
引き連れて来た使用人と、部屋の隅で退屈しのぎにお菓子を吟味していた時である。
突然かけられた偉そうな声に、反射的に振り返る。
視界に広がる艶やかな黒に、目を奪われた。
「名前は?」
素っ気なく投げられた問いに、慌てて姿勢を正す。
「デニーです」
心構えなんてしていない。とりあえず愛称を告げてからすぐに後悔する。もっとちゃんと自己紹介しないと。けれども眼前に現れた少年は、興味なさそうに鼻を鳴らす。僕と同い年くらいだと思う。ひと目見て貴族の子供とわかる格好だ。きっと僕と同じく誰かに連れてこられて暇を持て余しているのだろう。
そのままテーブルへと近寄った彼は、無造作に焼き菓子をひとつ摘んでみせる。
「ん」
押し付けられたそれを受け取れば、彼がにやりと口角を上げる。
「それ食べてみろ。まずかったぞ」
「え、美味しくないの?」
そんな物を押し付けるな。ムッと頬を膨らませれば、同じ物をもうひとつ押し付けられた。なんだこいつ。
見たことない顔である。どこの誰だろう。というか僕の名前は訊ねるくせに自分は名乗らないってどういうつもりだ。非常識にも程がある。
「名前は?」
彼の真似をして訊ねてやれば、黒い瞳が面白そうに細められる。
「ユリス・ヴィアン」
その名前に目を見開く。ここらでヴィアン家の名を知らない者なんていない。大公家だ。そしてユリスといえば三男坊だ。確か六歳。
ぽかんとしていれば、さらに同じお菓子をもうひとつ押し付けられた。さっきからなんなのだ。
遠慮なしにジロジロと僕を見回したユリスは、「おまえ顔だけはいいな」となんか失礼なことを言い放つ。それを聞かなかったことにして後ろに控えていた使用人にお菓子を預ける。それを見たユリスがまたもや同じお菓子を渡してくる。なにこれ。
「なんのつもり?」
我慢できずに問いかければ、ユリスが片眉を持ち上げた。
「それ、嫌いなんだ。僕は食べないからおまえが責任持って全部持って帰れ」
「なんでそうなるのさ」
食べないならそのまま置いておけよ。手をつけるな。
「それよりおまえ、いくつだ」
「七歳だけど。それよりデニーって呼んでよ」
僕の言葉を無視したユリスは、またもやお菓子を渡してくる。
「ちょっとやめて」
「まだ残ってる」
「残しとけばいいじゃん。全部食べる必要なんてないでしょ」
立食形式のパーティーだ。各々食べたい物だけ手をつければ良い。嫌いなものがあれば手をつけなければ良いだけの話だ。
散々僕にお菓子を押し付けて満足したように佇むユリスに声をかける者があった。
「おい、ユリス。あんまり彷徨くんじゃない」
憮然とした表情でこちらに歩み寄ってくるのはブルース様だ。ヴィアン家の私営騎士団に混じって街の巡回などをしている姿を見かけたことがある。社交界にもよく顔を出すためお互い顔見知りだ。
「……なんだ。珍しい組み合わせだな」
僕とユリスを物珍しそうに見比べたブルース様は、ふと僕が握るお菓子に目を落として意外そうな顔をする。
「仲良くなったのか?」
「うるさい」
素っ気なく吐き捨てたユリスは、そのままブルース様を追い払うかのように睨みつけてしまう。兄弟仲があまりよろしくないのか?
呆然と見守っていれば、諦めたように息を吐き出したブルース様が背を向ける。「あまり遠くへ行くなよ」と言い置いて去ってしまう。
残された僕は、ユリスへと目を向ける。
つんとそっぽを向いていた彼は、ブルース様の姿が見えなくなるのを確認してからこちらに目を向けてくる。
「デニー」
「なに」
「それ食べないのか」
「え、今?」
眉を寄せて、ユリスに押し付けられたお菓子を眺める。いつの間にかユリスの側には彼の従者と思わしき壮年の男が控えている。
おずおずと焼き菓子を口にする。
「普通に美味しい」
「そうか」
なんだか満足そうに頷いたユリスは「気に入ったなら全部やる」と再びお菓子を片っ端から手渡そうとしてくる。慌てて遠慮すれば「どうした」と首を傾げるユリス。
「なんでそんなに渡してくるの」
「美味いだろ? おまえに食べさせたくて」
「え……」
予想外の言葉に目を見開く。それってつまり僕のためってこと? なにそれ、そんなのってあれじゃん。
「好き」
思わずぽつりと呟けば、ユリスがふっと柔らかく微笑む。
「そうか」
「結婚して!」
なんかどうしようもなく格好良く見えてしまった。勢いあまって前のめりに求婚すればユリスが「いいぞ」と腰に手をあてる。
「じゃあ結婚しよう‼︎」
「あぁ、そのうちな」
にやりと口角を上げたユリスの手を取る。得意気なユリスが後ろの従者に向かって「ほら。女なんて適当に甘い物渡しておけばどうにかなるだろ」とほざいていたがどうでもいい。
暇なパーティーだと思っていたが、とんでもなく良いことがあった。黒を纏う少年は、まさしく僕の王子様だったから。
※※※
「って、思ってたんだけどな」
はぁっと深いため息をつく。
あれから約四年。
久しぶりに対面した僕の王子様はなんだかすごく子供っぽくなっていた。
おかしい。前はもっとクールだった。この数年でなにがあったのか。
どうやらあの時、ユリスは僕のことを女の子だと思っていたらしい。髪長かったし、割と可愛い顔してたもんな。しかしその後、僕が男だとどこかで耳にしたらしいユリスは僕のことをすっかり記憶から放り出してしまったようだ。
「……いや、成長が止まっただけかな?」
思えばあの時もやたら僕にお菓子を押し付けていた。なんかお菓子ひとつでどうにかなると考えていた節がある。まぁ、実際僕はまんまと惚れてしまったわけだけど。でもそれは僕が七歳だったからだ。
しかしどうだ。十歳に成長したはずのユリスはいまだにお菓子でどうにかなると思っている。これはあれだ。四年前から成長していないんだ。
「どこにいったんだよ、僕の王子様」
あの日の王子様は、どうやら一夜限りの幻だったらしい。すっかりと夢から覚めてしまった僕は深々と息を吐いた。
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