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89 泣いてない

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 とりあえず猫は隠しておこうと思う。自室に戻って一番大きい棚を開けて中身を引っ張り出す。空いたスペースに猫を入れようとすればものすごく抵抗された。

『やめろ! 馬鹿か』
「だって仕方なくない?」
『仕方ないわけあるか』
「兄様に見つかったら捨てられるよ」
『それより先におまえに殺されそうなんだが』

 するりと逃げた猫は椅子の上で丸くなる。気難しい猫だ。いくらなんでもずっと隠しておくわけじゃあるまいに。俺だってちゃんと色々考えている。ひとまず猫を隠してブルース兄様に「もとの場所に戻してきた」と報告する計画なのだ。猫のいない部屋を見せれば兄様も信じてくれると思う。そのためには猫の協力が不可欠だというのに。

「ユリス様。どうされますか」

 計画を台無しにされて立ち尽くす俺に、珍しくジャンが話しかけてくる。きっとブルース兄様に猫をどうにかしろと念押しされたに違いない。こういう時は無視するに限る。ジャンは俺には強く出てこないからな。そのうち諦めるだろう。

 一方のセドリックは無関心を貫いている。どうやら護衛という仕事に徹してその他のことは全部ジャンに丸投げするつもりらしい。これはラッキーだった。セドリックが敵にまわると俺が一気に不利になるからな。

 ブルース兄様とアロンが追いかけてくる気配もないし、しばらくは放置しておいても大丈夫だろうと気を取り直す。今度ブルース兄様に何か言われたら先程の作戦を実行すればいい。完璧である。

 ひとり満足する俺であったが、対するジャンはなにか言いたげな顔をしていた。


※※※


「みて、猫」
「どこで捕まえてきたんですか」

 午後。
 のこのことやって来たティアンに黒猫を自慢してやる。眉を寄せた彼は「戻して来なさい」と素っ気ない。子供のくせに猫が好きではないのか? 触りたいとか思わないのか? 「噛まないから大丈夫だよ」と微笑んでやれば「そういう話ではありません」とそっぽを向いてしまう。

「これ飼うことにした」
「ブルース様はなんと?」
「飼っていいって言った」
「流れるように嘘をつきますよね」

 わかったように肩をすくめるティアンは「猫をどうにかしてこいとブルース様に言われましたよ」と暴露する。こいつ。俺を騙したな。

「でも猫が飼って欲しいって言った」
「猫は喋りません」

 は?

「……ティアン。猫は喋るよ」
「喋りません。なんで僕がおかしいみたいな顔してるんですか」

 いやいやいや。だって喋ったし!
 この世界の猫って喋るんだろ? ジャンもなにも言わないぞ。だが俺は大事なことを思い出した。ジャンは気弱なので俺がいくらおかしなことをしていても基本的に口を挟んでこないのだ。

「ジャン! この猫喋ったよね⁉︎」
「……い、いえ。喋りません」

 控えめに否定したジャンはさっと視線を逸らす。え、まじで? てことはジャンは俺がひとりで猫相手に話しかけているのをずっと見守っていたということか? なんて奴だ。俺を子供だと思ってバカにしやがって。

「猫! なんか喋って!」

 頼みの綱である黒猫を振り返れば『うるさい』と高圧的な返事があった。

「ほら今喋った!」
「喋っていません」

 つんと否定したティアンは本当に猫の言葉が聞こえていないらしい。なにこれ。俺の幻聴?

『無駄だ。どうやらおまえとだけ会話できるらしい』

 くわっと呑気に欠伸をした猫がそんなことを言う。そういう大事なことは先に言えよ。おかげでティアンがものすごい目で俺を見ている。ジャンとセドリックに至っては目線すら合わせてくれなくなったぞ。

「……飼って欲しいって、言われたもん」

 一気に形勢が不利になった。ぎゅっと唇を引き結べば、ティアンが困ったように眉を寄せる。

「泣かないでくださいよ」
「泣いてないもん」

 でも正直泣きそう。
 これではまるで俺が嘘つき扱いだ。

「アロンみたいな嘘つき野郎だと思われてしまう」
「誰もそこまでは言ってないですよ」

 急に優しい声になったティアン。なんだか無性に悲しくなって俯いているとジャンが隣にしゃがみ込む。

「その猫、いつも屋敷を彷徨いております。少しの間ならユリス様のお部屋に置いてあげても問題ないのでは?」
「……うん」

 俺に泣かれると困ると思ったのだろう。ジャンにしては積極的な提案をしてくる。とりあえずそれに乗っかっておこう。

「ちょっとの間だけですよ」

 いつになくお兄さんぶったティアンがちょっとだけ折れてくれた。
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