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閑話5 解けない誤解
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なんだか見覚えのある顔だ。
今日も今日とて呑気に庭の散歩をしていた俺は、屋敷の正門が開く気配を察知した。とはいえ馬車が通れるほど巨大で威圧感のある門だ。開く時にすごい音がするというだけの話である。
外に出かけた騎士なんかが帰ってくる時は正門ではなくその横にある小さな扉から出入りしていることを俺は知っている。
門が開くのは客人が来た時か、たくさんの荷馬車を迎え入れなければならない時だ。なんだか楽しそうな予感がする。
「よし」
迷うことなく正門へと足を向けた俺。後ろから疲れた顔のジャンと涼しい顔のセドリックが続く。
幸いたいした距離はなかった。
草木に隠れて徐々に距離を詰めていく。数頭の馬がみえた。どうやら客人らしい。出迎えのためだろうか。ちらほらとヴィアン家騎士の姿もみえる。
なんだか白黒だな。そう考えて思い至った。客人は王立騎士団だ。ヴィアン家とお揃いっぽい白い騎士服を着ている。
「あれって王立騎士団?」
確認のためジャンを振り返れば、息を切らした彼は「はい」と掠れた声で頷いた。こいつはなんでこんなに疲労しているんだ。もしかして俺が無駄に走らせたからか?
しかし王立騎士団といえば俺を誘拐した組織である。主犯は従兄弟のエリック。実行犯はサム。油断ならない相手である。
じっと木陰で息を潜めていると、馬からおりた白騎士のひとりがこちらを振り向いた。
「おや、お久しぶりです。ユリス様」
「……よくわかったな」
「はい? なにがでしょうか」
「俺隠れてたのに」
目敏く発見するとは流石王立騎士団だな。敵ながらあっぱれだ。
「あ、隠れているおつもりだったんですね。気がまわらず失礼いたしました」
なんだとこの野郎。
失礼な物言いをしたのは、誘拐事件の実行犯であるサムだ。一時期ヴィアン家に潜入していたらしい彼はうちにとってはスパイである。こんな簡単に敷地に入れてもいいものなのか。
警戒心を露わにゆっくり近づくと、サムはうちの騎士団に馬を任せて屋敷に向かい始めてしまう。
「ジャン」
「……はい?」
「追うぞ!」
「え」
肩で息をしていたジャンが口元を引き攣らせる。しかしジャンを待っている時間はない。はやくしないとサムを見失ってしまう。
勢いよく駆け出した俺であったが、サムを案内する一行の中に見知った顔を発見して後ろから突進していく。
「ミゲル!」
「ユ、ユリス様」
こちらを振り返ったミゲルは目に見えて顔色を悪くする。彼は騎士団の事務を担う人物である。ヒョロくて騎士っぽくはないが事務方なので問題ない。
「なにしてるの?」
「仕事です」
簡潔に答えた彼は、助けを求めるように周囲に視線を走らせる。どうも俺との会話が苦手らしい。なんとも失礼な奴だ。克服のためにちょっと練習に付き合ってやろうと思う。
「ミゲルってなんで騎士団に入ったの」
「え。えっと、それはその安定した職に就きたくて」
「王立騎士団ではなくうちに入ったのはなんで?」
「えー、その。単純に家から近かったので。申し訳ありません」
よくわからんタイミングで謝罪したミゲルは、しきりに眼鏡のズレを気にしている。挙動不審だ。
「サムはなにしに来たの」
「お仕事ですよ」
さらりと答えたサムは、こほんと咳払いをしてみせる。
「先日は大変失礼いたしました。殿下の命令とはいえユリス様には怖い思いをさせてしまいましたね」
腰を折ったサムは、困ったように眉尻を下げている。エリックの我儘ぶりは俺も知っている。こいつも苦労しているんだな。あんなのでも一応王太子らしい。よくわからんがすごく偉い人なのだ。きっとサムも無茶振りされていたに違いない。なんだか同情心が湧き出てきた。
「いつでもうちに転職してきていいからね」
「もったいないお言葉です」
「ロニーもいるしね」
「……もしかしてこの前の誤解はまだ解けていないのでしょうか」
誤解? なにが?
もしかして例の件か。
「大丈夫。サムがロニーのこと好きって話でしょ。誰にも言ってないよ。あ、ティアンには言っちゃった。あとジャンにも」
「結構広めていらっしゃいますね」
ひくりと顔を引き攣らせたサムは遠い目をする。後ろで会話を聞いていたミゲルがすごい顔をしている。しまった。ミゲルにも秘密が知られてしまった。口止めしないと。
「ミゲル」
「はい!」
「今の話聞かなかったことにしてね。秘密なんだから」
「も、もちろんです」
「ちょ、ユリス様。お待ちください」
なにやら割って入ったサムが苦い顔をしている。
「そこの君。今のはユリス様のご冗談です。お気になさらず」
「冗談じゃないよ。ほんとだよ。サムはロニーと仲良くなるために俺と一緒にロニーも誘拐したんだよ。あ、でもこの話は内緒ね」
「ちょ、ですから」
慌てて俺の口を封じようと、サムが手を伸ばす。しかし直前でマズいと考え直したのか。結局、苛立ったように舌打ちひとつ残すにとどまった。
「ものすごい勢いで話を広めようとしないでください」
「広めてないよ。口止めしてるの」
「まさかそうやっていちいち口止めしてまわっているんですか? そんなことをすれば余計に真実味が増すじゃないですか」
なにやら肩を怒らせるサムは「もうダメだ」と天を仰いでいる。
だが気を取り直すように咳払いをすると、にこりと笑みを浮かべた。
「エリック殿下がユリス様にお会いしたいと申しておりました。また近いうちに遊びにいらしてくださいね」
わかりやすく話題を変えてきた。よほどロニーに対して真剣なのだろう。こっそり肩をすくめて気が付いた。
「あ、もしかしてロニーも一緒に連れて来いってこと⁉︎」
「違います」
「わかった。ロニーと一緒に行くね。大丈夫、俺ふたりのこと応援するから」
「いえですから」
「きっとブルース兄様も応援してくれるよ。お母様も応援するって言ってたし」
「待ってください。一体どこまで話が広がっているんですか⁉︎」
俺が誘拐されたことを非常にお母様が気にしていたからな。心配させまいとお母様にだけは真実を話しておいたのだ。そう。すべてはサムがロニーと仲良くなりたいがために仕組んだものだと。真相を知ったお母様は「あらまあ」と両手を口にあてていた。
なぜか顔色の悪くなったサムは「どうすんだこれ」とぶつぶつ言っている。
そのまま屋敷に入った一行は、真っ直ぐに応接室へと向かう。先導していたうちの騎士がノックすれば、間を置かずにドアが開け放たれる。
「お待ちしておりました」
営業スマイルで白騎士さんたちを出迎えたのはアロンだ。入室する騎士たちに紛れて俺も一歩部屋に踏み入れようとした瞬間、当然のように横からアロンに抱きかかえられた。
「なにをしれっと入ろうとしているんですか」
「ダメなの?」
「お仕事の邪魔したらダメですよ」
爽やかに言ってのけて、アロンは俺をセドリックに押し付ける。
「副団長も見てないで止めてくださいよ。あ、元副団長でしたね」
もはやアロンのセドリックいじりはノルマみたいなものだ。出会う度に口にしないと落ち着かないらしい。重症だな。
俺を受け取ったセドリックは、小さく眉を寄せると俺を見下ろした。
「ユリス様。向こうで遊びましょう」
背後ではジャンが大きく頷いている。よほど早くこの場を去りたいらしい。
「おい、アロン。なにをしている」
部屋の中から鋭いブルース兄様の声が飛んでくる。なんだ、中にいるのは兄様か。無駄に怒られるのはごめんだ。ここは一旦引くしかないな。
※※※
「サムは?」
「もうとっくに帰ったぞ」
「なんで呼んでくれないんだ! 裏切り者!」
「呼んでやるなんて約束してないだろ」
俺としたことが。
庭で見つけた猫を追い回すのに夢中ですっかりサムのことを忘却していた。実はサムを見つける前にも黒猫を追いかけていたのだ。主にジャンが。
その後アロンに邪魔されてサムを諦めた俺は、再び庭で猫を発見した。当然追いかけた。主にジャンが。
ジャンは猫を捕まえるのが下手くそだ。結局逃げられてしまった。しかしサムのことを思い出して慌てて応接室に行ったのだが中は無人だった。
そうしてやって来たのはブルース兄様の部屋だ。
「サムはなにしに来たの」
「この間の件のお詫びだな。エリック殿下にも困ったものだな。結局王立騎士団が尻拭いしてるじゃないか」
「なんでブルース兄様にお詫びするの?」
「あの件で一番迷惑を被ったのは俺だが? 誰がおまえを迎えに行ったか覚えていないのか」
「一番迷惑したのは俺だもん!」
誘拐されたのは俺だぞ。なんでブルース兄様が被害者ぶっているんだ。地団駄を踏むとブルース兄様が「おまえは殿下と遊んでいただけだろ」と無茶苦茶なことを言う。なんて冷たい奴だ。
「本来なら兄上が対応すべきなんだがな。この件では兄上はなにひとつ関与していないからな」
「オーガス兄様はなんで迎えにきてくれなかったの」
「なんでって、そりゃおまえ」
なぜだか口を閉ざしたブルース兄様。やがてため息とともに「兄上と仲良くしてやれよ」と苦言を呈されてしまった。どういうことだよ。
「ところでこれなに」
兄様の執務机に放置されていた箱に手を伸ばす。見た目からして絶対お菓子だと思う。俺に内緒で食べるなんて許さない。
「勝手に触るな」
「開けていい?」
あぁ、と小さく唸った兄様。さっそく包装紙を破き始めると「開け方豪快ですね」と横からアロンが口を挟む。
わくわくと箱を開ける。中に入っていたのは茶葉だった。いらん。
「期待外れ」
「なにを期待していたんだ」
「返す」
「散らかすだけ散らかしやがって」
こちらを睨みつける兄様の圧に負けたのか。ジャンが慌てて紙屑を拾い集める。なんか前にも見たな、この光景。
「あぁ、それと」
お菓子がないなら用はない。帰ろうと踵を返した俺を、ブルース兄様が呼び止める。
「ほらこれ。おまえの忘れ物だと。サムが持ってきたんだが」
忘れ物なんてしたっけ?
手ぶらで誘拐された俺である。まったく心当たりがない。
確認しようと視線を投げて、すぐに顔をそらす。
「それは俺のじゃない」
「ご丁寧に戸棚の奥に隠してあったらしいが?」
兄様の手にあるのは誘拐中、カル先生に押し付けられた教科書だ。それはマジで俺のではないです。
ぐいぐいと兄様が教科書を押し付けてくる。仕方がなく受け取って、俺はため息をつく。
「じゃあ俺がカル先生に返しておいてあげます。感謝してね」
「くだらんこと言ってないでちゃんと勉強しろ」
まったくサムめ。余計なことをするんじゃない。
今日も今日とて呑気に庭の散歩をしていた俺は、屋敷の正門が開く気配を察知した。とはいえ馬車が通れるほど巨大で威圧感のある門だ。開く時にすごい音がするというだけの話である。
外に出かけた騎士なんかが帰ってくる時は正門ではなくその横にある小さな扉から出入りしていることを俺は知っている。
門が開くのは客人が来た時か、たくさんの荷馬車を迎え入れなければならない時だ。なんだか楽しそうな予感がする。
「よし」
迷うことなく正門へと足を向けた俺。後ろから疲れた顔のジャンと涼しい顔のセドリックが続く。
幸いたいした距離はなかった。
草木に隠れて徐々に距離を詰めていく。数頭の馬がみえた。どうやら客人らしい。出迎えのためだろうか。ちらほらとヴィアン家騎士の姿もみえる。
なんだか白黒だな。そう考えて思い至った。客人は王立騎士団だ。ヴィアン家とお揃いっぽい白い騎士服を着ている。
「あれって王立騎士団?」
確認のためジャンを振り返れば、息を切らした彼は「はい」と掠れた声で頷いた。こいつはなんでこんなに疲労しているんだ。もしかして俺が無駄に走らせたからか?
しかし王立騎士団といえば俺を誘拐した組織である。主犯は従兄弟のエリック。実行犯はサム。油断ならない相手である。
じっと木陰で息を潜めていると、馬からおりた白騎士のひとりがこちらを振り向いた。
「おや、お久しぶりです。ユリス様」
「……よくわかったな」
「はい? なにがでしょうか」
「俺隠れてたのに」
目敏く発見するとは流石王立騎士団だな。敵ながらあっぱれだ。
「あ、隠れているおつもりだったんですね。気がまわらず失礼いたしました」
なんだとこの野郎。
失礼な物言いをしたのは、誘拐事件の実行犯であるサムだ。一時期ヴィアン家に潜入していたらしい彼はうちにとってはスパイである。こんな簡単に敷地に入れてもいいものなのか。
警戒心を露わにゆっくり近づくと、サムはうちの騎士団に馬を任せて屋敷に向かい始めてしまう。
「ジャン」
「……はい?」
「追うぞ!」
「え」
肩で息をしていたジャンが口元を引き攣らせる。しかしジャンを待っている時間はない。はやくしないとサムを見失ってしまう。
勢いよく駆け出した俺であったが、サムを案内する一行の中に見知った顔を発見して後ろから突進していく。
「ミゲル!」
「ユ、ユリス様」
こちらを振り返ったミゲルは目に見えて顔色を悪くする。彼は騎士団の事務を担う人物である。ヒョロくて騎士っぽくはないが事務方なので問題ない。
「なにしてるの?」
「仕事です」
簡潔に答えた彼は、助けを求めるように周囲に視線を走らせる。どうも俺との会話が苦手らしい。なんとも失礼な奴だ。克服のためにちょっと練習に付き合ってやろうと思う。
「ミゲルってなんで騎士団に入ったの」
「え。えっと、それはその安定した職に就きたくて」
「王立騎士団ではなくうちに入ったのはなんで?」
「えー、その。単純に家から近かったので。申し訳ありません」
よくわからんタイミングで謝罪したミゲルは、しきりに眼鏡のズレを気にしている。挙動不審だ。
「サムはなにしに来たの」
「お仕事ですよ」
さらりと答えたサムは、こほんと咳払いをしてみせる。
「先日は大変失礼いたしました。殿下の命令とはいえユリス様には怖い思いをさせてしまいましたね」
腰を折ったサムは、困ったように眉尻を下げている。エリックの我儘ぶりは俺も知っている。こいつも苦労しているんだな。あんなのでも一応王太子らしい。よくわからんがすごく偉い人なのだ。きっとサムも無茶振りされていたに違いない。なんだか同情心が湧き出てきた。
「いつでもうちに転職してきていいからね」
「もったいないお言葉です」
「ロニーもいるしね」
「……もしかしてこの前の誤解はまだ解けていないのでしょうか」
誤解? なにが?
もしかして例の件か。
「大丈夫。サムがロニーのこと好きって話でしょ。誰にも言ってないよ。あ、ティアンには言っちゃった。あとジャンにも」
「結構広めていらっしゃいますね」
ひくりと顔を引き攣らせたサムは遠い目をする。後ろで会話を聞いていたミゲルがすごい顔をしている。しまった。ミゲルにも秘密が知られてしまった。口止めしないと。
「ミゲル」
「はい!」
「今の話聞かなかったことにしてね。秘密なんだから」
「も、もちろんです」
「ちょ、ユリス様。お待ちください」
なにやら割って入ったサムが苦い顔をしている。
「そこの君。今のはユリス様のご冗談です。お気になさらず」
「冗談じゃないよ。ほんとだよ。サムはロニーと仲良くなるために俺と一緒にロニーも誘拐したんだよ。あ、でもこの話は内緒ね」
「ちょ、ですから」
慌てて俺の口を封じようと、サムが手を伸ばす。しかし直前でマズいと考え直したのか。結局、苛立ったように舌打ちひとつ残すにとどまった。
「ものすごい勢いで話を広めようとしないでください」
「広めてないよ。口止めしてるの」
「まさかそうやっていちいち口止めしてまわっているんですか? そんなことをすれば余計に真実味が増すじゃないですか」
なにやら肩を怒らせるサムは「もうダメだ」と天を仰いでいる。
だが気を取り直すように咳払いをすると、にこりと笑みを浮かべた。
「エリック殿下がユリス様にお会いしたいと申しておりました。また近いうちに遊びにいらしてくださいね」
わかりやすく話題を変えてきた。よほどロニーに対して真剣なのだろう。こっそり肩をすくめて気が付いた。
「あ、もしかしてロニーも一緒に連れて来いってこと⁉︎」
「違います」
「わかった。ロニーと一緒に行くね。大丈夫、俺ふたりのこと応援するから」
「いえですから」
「きっとブルース兄様も応援してくれるよ。お母様も応援するって言ってたし」
「待ってください。一体どこまで話が広がっているんですか⁉︎」
俺が誘拐されたことを非常にお母様が気にしていたからな。心配させまいとお母様にだけは真実を話しておいたのだ。そう。すべてはサムがロニーと仲良くなりたいがために仕組んだものだと。真相を知ったお母様は「あらまあ」と両手を口にあてていた。
なぜか顔色の悪くなったサムは「どうすんだこれ」とぶつぶつ言っている。
そのまま屋敷に入った一行は、真っ直ぐに応接室へと向かう。先導していたうちの騎士がノックすれば、間を置かずにドアが開け放たれる。
「お待ちしておりました」
営業スマイルで白騎士さんたちを出迎えたのはアロンだ。入室する騎士たちに紛れて俺も一歩部屋に踏み入れようとした瞬間、当然のように横からアロンに抱きかかえられた。
「なにをしれっと入ろうとしているんですか」
「ダメなの?」
「お仕事の邪魔したらダメですよ」
爽やかに言ってのけて、アロンは俺をセドリックに押し付ける。
「副団長も見てないで止めてくださいよ。あ、元副団長でしたね」
もはやアロンのセドリックいじりはノルマみたいなものだ。出会う度に口にしないと落ち着かないらしい。重症だな。
俺を受け取ったセドリックは、小さく眉を寄せると俺を見下ろした。
「ユリス様。向こうで遊びましょう」
背後ではジャンが大きく頷いている。よほど早くこの場を去りたいらしい。
「おい、アロン。なにをしている」
部屋の中から鋭いブルース兄様の声が飛んでくる。なんだ、中にいるのは兄様か。無駄に怒られるのはごめんだ。ここは一旦引くしかないな。
※※※
「サムは?」
「もうとっくに帰ったぞ」
「なんで呼んでくれないんだ! 裏切り者!」
「呼んでやるなんて約束してないだろ」
俺としたことが。
庭で見つけた猫を追い回すのに夢中ですっかりサムのことを忘却していた。実はサムを見つける前にも黒猫を追いかけていたのだ。主にジャンが。
その後アロンに邪魔されてサムを諦めた俺は、再び庭で猫を発見した。当然追いかけた。主にジャンが。
ジャンは猫を捕まえるのが下手くそだ。結局逃げられてしまった。しかしサムのことを思い出して慌てて応接室に行ったのだが中は無人だった。
そうしてやって来たのはブルース兄様の部屋だ。
「サムはなにしに来たの」
「この間の件のお詫びだな。エリック殿下にも困ったものだな。結局王立騎士団が尻拭いしてるじゃないか」
「なんでブルース兄様にお詫びするの?」
「あの件で一番迷惑を被ったのは俺だが? 誰がおまえを迎えに行ったか覚えていないのか」
「一番迷惑したのは俺だもん!」
誘拐されたのは俺だぞ。なんでブルース兄様が被害者ぶっているんだ。地団駄を踏むとブルース兄様が「おまえは殿下と遊んでいただけだろ」と無茶苦茶なことを言う。なんて冷たい奴だ。
「本来なら兄上が対応すべきなんだがな。この件では兄上はなにひとつ関与していないからな」
「オーガス兄様はなんで迎えにきてくれなかったの」
「なんでって、そりゃおまえ」
なぜだか口を閉ざしたブルース兄様。やがてため息とともに「兄上と仲良くしてやれよ」と苦言を呈されてしまった。どういうことだよ。
「ところでこれなに」
兄様の執務机に放置されていた箱に手を伸ばす。見た目からして絶対お菓子だと思う。俺に内緒で食べるなんて許さない。
「勝手に触るな」
「開けていい?」
あぁ、と小さく唸った兄様。さっそく包装紙を破き始めると「開け方豪快ですね」と横からアロンが口を挟む。
わくわくと箱を開ける。中に入っていたのは茶葉だった。いらん。
「期待外れ」
「なにを期待していたんだ」
「返す」
「散らかすだけ散らかしやがって」
こちらを睨みつける兄様の圧に負けたのか。ジャンが慌てて紙屑を拾い集める。なんか前にも見たな、この光景。
「あぁ、それと」
お菓子がないなら用はない。帰ろうと踵を返した俺を、ブルース兄様が呼び止める。
「ほらこれ。おまえの忘れ物だと。サムが持ってきたんだが」
忘れ物なんてしたっけ?
手ぶらで誘拐された俺である。まったく心当たりがない。
確認しようと視線を投げて、すぐに顔をそらす。
「それは俺のじゃない」
「ご丁寧に戸棚の奥に隠してあったらしいが?」
兄様の手にあるのは誘拐中、カル先生に押し付けられた教科書だ。それはマジで俺のではないです。
ぐいぐいと兄様が教科書を押し付けてくる。仕方がなく受け取って、俺はため息をつく。
「じゃあ俺がカル先生に返しておいてあげます。感謝してね」
「くだらんこと言ってないでちゃんと勉強しろ」
まったくサムめ。余計なことをするんじゃない。
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