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59 毒味とは

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「俺はオレンジで、ティアンはえーと、バナナミルクで」
「勝手に僕の分注文しないでください。それとバナナミルクって絶対に喉渇いた時に飲むやつじゃないです」

 なんの嫌がらせですか、とティアンは腰に手をあてて険しい顔をしている。親切心で注文してあげたのに酷い仕打ちだ。お子様は甘ったるい飲み物好きだろ。

 手ぶらで来た俺に代わって、セドリックがお金を払ってくれた。アロンはただただ突っ立っている。

「セドリックとアロンは? いらないの?」
「お気遣いなく」

 短く答えたセドリックは真面目である。仕事中だから遠慮しているのだろう。対するアロンは「ユリス様の半分貰うので大丈夫です」と言ってのける。あげねえよ。

「はいお待たせ!」

 気前良さそうな店員さんがジュースを渡してくれる。美味しそうなオレンジジュースを受け取ろうとしたら、横からひょいと奪われてしまう。

「アロン。返して」

 手を伸ばすが身長が圧倒的に足りない。ちくしょう。
 ティアンは何食わぬ顔で受け取ったバナナミルクに口をつけて顔を顰めている。もっと美味しそうに飲めよ。失礼だろ。

 その間にもアロンは俺のオレンジジュースをぐいっと呷ってしまった。なにをしとるんだこいつは!

「アロンが俺のとったんだけど!」
「ちょ、ちょっとやめてくださいよ」

 思わず隣にいたティアンの腕を掴んで勢いよく揺らせば、バナナミルクを溢しそうになったらしく慌てて俺を避けはじめる。

「ただの毒味でしょ。なにを今更」
「毒味」

 未知の単語にすんっと動きを止める。
 アロンを見上げれば宣言通り半分ほど飲み干していた。クソが。

「いつもそんなことしないじゃん」
「それは屋敷内の話でしょう。いまは外です。平和な街とはいえ何があるかわかりませんからね。ユリス様は誘拐された前科もありますし」

 得意気に解説するティアンは、そんなことも知らんのかとお怒りのご様子である。
 そうか。ユリスはお坊ちゃんだからな。街に行くにも護衛が必要なくらいだから毒味にもまあ納得できないことはない。しかしだ。

「半分も飲む必要ある?」

 前世の記憶ではドラマなんかで毒味としてちょっと口をつけたりしている場面は見たことがある。だがアロンのように遠慮なしにがぶ飲みする場面は見覚えがない。俺の知ってる毒味と違う。

「だってどうせ残すでしょ?」

 半眼になる俺に、アロンがけろっと言い放つ。なんて奴だ。子供扱いするんじゃない。

「俺が先に飲みたかった!」
「いやだから。毒味の意味わかってます?」

 なぜかティアンが呆れた顔をする。なんでだよ、そこは俺の味方しろよ!
 残り半分になったジュースを押し付けられる。

「アロンはクソ野郎」
「俺、仕事しただけなのに」

 被害者ぶったアロンは大袈裟に目尻を拭ってみせる。泣き真似下手くそだな。

「じゃあ僕の半分あげますよ」
「いらない。いまそういう気分じゃない。俺は今喉が渇いているんだ」

 こんな状態で甘ったるくてねっとりしているバナナミルクなんて飲めるか。逆に喉渇くわ。

「それは僕もですけど? ユリス様が注文したんでしょ」

 ぐいぐいとティアンに押し付けられたバナナミルクをそのままアロンに横流しする。

「いらないです」
「遠慮せずに」

 しばし無言の睨み合いを続けていた俺らだが、背後で気配を消していたセドリックがわざとらしく咳払いしたことで中断する。

 結局バナナミルクはアロンが苦い顔をして飲み干していた。普通に美味しいんだろうけどね。タイミングが悪かったよね。喉カラッカラの時に飲むものではないね。

「ところで話は変わるんだけどさ」

 オレンジジュースを飲み終えて満足した俺は意気揚々と街に繰り出していた。アロンを当てにしてもまともな店に連れて行ってもらえそうにないので自分たちの足で探すことにしたのだ。セドリックも無口で当てにならないし。

 人の波を避けるようにしてちょこちょこ進んでいた俺は、ふと思い出して隣に並ぶティアンを見た。

「側室ってなに?」
「急にどうしたんですか。いくらなんでも話題変わりすぎですよ」

 だから話変わるけどって言ったじゃん。なんだ、こいつ。人の話聞いてなかったのか?

「で? どう言う意味か知ってる?」

 正直あまり期待はしていない。なんせ俺でも知らない単語なのだ。俺より精神年齢お子様のティアンが知らなくとも無理はない。

 しかし予想に反して、ティアンは「側室ですか」と空中に視線を向ける。

「えっと、つまり側妻ですね。妾とも言いますけど」

 どうしよう。なにもわからない。
 ティアンが難しい言葉を操っている。見た目子供なのに。どうやら俺は相当変な顔をしていたらしい。「あ、こいつなにもわかってないな」という表情をしたティアンが言葉を探して考え込む。

「えーと、だからそのつまりですね。二番目、三番目の妻ってことですよ」
「……妻?」

 つま?
 予想もしていなかった単語に、ぱちぱちと目を瞬く。そういえばエリックが側室云々言い出したときにブルース兄様が、俺はまだ子供だとか男だとかごねてたなと思い出す。

 驚きのあまりぴたりと足を止める。しかしここは往来激しい街中である。すぐさま人混みに押されそうになったところをセドリックが手を引いて助けてくれる。

「エリック殿下はそういうお遊びを軽々しく口にする方ですよ」

 アロンが横から口を挟んでくる。彼の言う通り、あれはエリックの冗談だったのかもしれない。俺がエリックの妻とかあり得ないし。それにエリックはちょっとギャグセンスが死んでるしな。クソ面白くもない冗談を嬉々として披露するタイプだ。

 じゃあ気にしなくていいか。今思えば俺ももうちょっと面白みのある返しをしてやればよかったかもしれない。事あるごとにエリックが側室の話を蒸し返してくるのもよく考えればツッコミ待ちをしていたのだろう。なるほど、なるほど。ギャグセンスが終わっている割には笑いに対して熱心らしい。一番厄介なタイプだ。

 ずっと心の隅で引っかかっていたことが解決して清々しい気分になる。一方でひとり状況がわからないらしいティアンが小首を傾げていた。

「エリック殿下がどうかされたんですか?」
「俺、エリックに側室にならないかって言われちゃった」
「……は?」

 顔が怖いよ、ティアン。

「まさか了承したんですか」
「ううん。保留にしておいた」
「そんなもの保留にするんじゃありません!」

 ブルース兄様と同じ反応だ。案外気が合うのかもしれないな、このふたり。
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