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閑話4 噴水騒動

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 最近なんだか庭園が騒がしい。正確には人の出入りが増えた。騎士だったり業者のような人だったり、とにかく普段ではみないような数の人が行き来している。
 ヴィアン家が誇る壮大な庭園は常にきっちり手入れがされ、騎士たちも必要以上には立ち入らない。見回りなどで数人の騎士がうろつくことはあっても大抵はすぐに立ち去っていくはずだ。俺も何度も庭で遊んでいるが人と出会うことなど稀である。

「お庭が気になりますか?」

 部屋の窓から乗り出して庭園をガン見していたところにティアンが駆け寄ってくる。カル先生の授業終わり。荷物を片付けて立ち上がったカル先生も興味深そうに寄ってくる。

「なんか人多くない?」

 庭園を指さして言えば、ティアンがやんわりと俺の指を下ろさせる。あれか? 人を指さしちゃいけませんってか。そんなやりとりを無言で眺めていたカル先生は小さく苦笑する。

「庭の整備をするそうですよ」
「整備」

 一体どこを整備するというのか。というかなぜカル先生は俺よりもうちの事情に詳しいのか。

「なんでも噴水を撤去するのだとか」
「……え?」

 いまなんと?
 びっくりしてカル先生を見上げれば、彼はなんでもないように「あそこの噴水を撤去するそうですよ」と再度言ってのける。

 待て待て待て。

「ダメだよ!」
「うわ。急に大声出さないでくださいよ」

 隣にいたティアンが大袈裟に耳を押さえてみせるがそれどころではない。だってあの噴水は俺のお気に入りなのだ。ティアンだって知っているだろ。今は寒いから我慢しているが夏になったらあそこで泳ぐつもりでいるのだ。撤去されるなんて絶対に認めない! 誰だそんなこと言い出した奴は!

 怒りに震える俺は部屋を飛び出した。こういう余計なことを指示する人物に心当たりがある。

「ちょっとどこ行くんですか!」

 後ろからティアンが追ってくるが待っている暇はない。俺は今、噴水を守るという重要ミッションが発生したのだから!

「セドリック殿! ユリス様が脱走しました!」

 脱走ってなんだ。失礼な。
 ティアンは俺を追いかけるついでにセドリックの部屋のドアをガンガン叩いて呼び出している。カル先生の授業中、ジャンとセドリックはそれぞれ自室で待機となっている。彼らにとって数少ない休憩時間ともいえる。

 ちらりと肩越しに背後を見遣れば、セドリックがちょうど顔を覗かせるところだった。そのままティアンとふたりで追いかけてくる。どうでもいいがジャンも呼んでやれよ。仲間外れは可哀想だろうが。


※※※


「見損なったぞ! 兄様!」
「ノックをしろ。馬鹿者」

 犯人はブルース兄様に違いない。
 勘の冴えわたる俺は二階にある兄様の部屋に突撃した。後ろには呆れ顔のティアンとセドリックも一緒だ。ついでに騒ぎに気がついて出てきたジャンもいる。カル先生は涼しい顔で帰って行った。残業はしない主義らしい。

 開口一番俺を怒鳴りつける兄様を真正面から睨みつける。

「なんで噴水の撤去なんてするんだ! 卑怯者!」
「なにが卑怯なんだ」

 眉を寄せた兄様は、執務机でなにやら書類を広げていた。中央の応接ソファーではなぜかアロンがゆったりと寛いでいる。

「あの噴水お気に入りでしたもんね」

 ティーカップを傾けながら、アロンがにっこりと笑う。この部屋の主ってこいつだったっけ?

「アロンは仕事ないの?」
「ありますよ」

 じゃあ今は休憩中かなにかだろうか。いやアロンのことはどうでもいい。

「噴水撤去したらダメ。俺が遊ぶから」
「噴水でどうやって遊ぶんだ」
「泳ぐ」
「馬鹿」

 ストレートな罵倒に拳を握りしめる。

「まだ泳がないもん! 夏になったらの話だもん!」
「馬鹿」

 再び俺をシンプルに罵倒した兄様は、呆れたように眉間を押さえている。

「おまえが最近噴水に妙に執着しているから」
「執着はしてない。ちょっと遊びたいだけ」
「だから噴水でどう遊ぶつもりなんだ、まったく」

 書類に視線を落とした兄様に代わって、アロンが「大公妃様ですよ」と首を伸ばす。

「お母様?」
「そうです。あの噴水随分と古いもので、所々ヒビ割れやカケがあるんですよね。放置してても問題なかったんですが、ユリス様が大変執着されているのを知った大公妃様が危ないからと」

 なんてこった。俺のせいかよ。
 きっとユリスのことが可愛くて仕方のないお母様は、俺が怪我をする可能性を考慮して撤去という決断をしたのだろう。その心遣いはありがたいが、噴水がなくなるのは納得いかない。なんとか止めないと。

「俺は子供じゃないから。それくらいで怪我しません」
「寝ぼけたこと言ってないで勉強でもしてこい。というかおまえがまったく予習も復習もしてこないとカルが嘆いていたぞ。ちゃんと勉強すると約束したよな」
「今日はティアンと遊んであげる約束してるんだった。行こうティアン」
「そんな約束してませんけど」

 空気読めよ、お子様め!
 こうなったら俺の味方になってくれそうなのはアロンしかいない。ジャンは気弱でブルース兄様には逆らえないから期待はしていない。セドリックは無口だし。

「アロン! ブルース兄様を止めてよ」

 側によって行けば、アロンが「げ」と短く呻く。しかしすぐに笑みを貼り付けると俺と目線を合わせてくる。

「ユリス様。安全面を考えた結果ですから諦めましょう」
「そんなこと言わずに。俺の味方してくれないなら、アロンがこっそり厨房のお菓子摘み食いしてることブルース兄様にバラすよ」
「もうバラしてますよね⁉︎ なんのことですか、ユリス様! まったく心当たりがありませんね!」

 勢いよく立ち上がった彼に対して「おい、アロン」と地を這うような声がかかる。

「違いますよ、ブルース様。俺がそんなことするわけないでしょ」
「いや、おまえならやっていてもおかしくはないだろ」
「俺に対する侮辱ですよ!」
「正当な評価だろうが」

 そのままアロンとブルース兄様の言い合いが始まってしまう。ヤバい、止めなければ。

「喧嘩しないで、ふたりとも」
「元凶がなに言ってるんですか」

 ティアンの目が冷たい。俺は悪くないのに。


※※※


「一旦撤去はするが、またすぐ新しいのを設置するから落ち着け」
「それを早く言えよ」

 どうやら俺の早とちりだったらしい。ようは老朽化した噴水を新しくするということだそうだ。それならいいや。

 一瞬で熱意を失った俺は「夏までには新しいのにしておいてね」とブルース兄様に言い含めておく。

「泳いだらダメだからな」
「泳ぐ以外にどうやって遊ぶの?」

 兄様は実に不思議なことを言う。しまいには「いっそ泳げないデザインのものに変更するか?」と恐ろしいことを考え始める。

 てかデザインの変更ってできるんだ。今の噴水は巨大で結構な水が溜まっており俺ひとり十分泳げるくらいの代物だ。でもせっかく新しくするというのなら違うデザインがいいかも。

「俺が考える! 新しい噴水!」
「は?」

 予想外の申し出だったのか、兄様が虚をつかれたような顔をする。

「ティアンと一緒に考える」
「僕を巻き込まないでください」

 そんな冷たいこと言うなよ。
 俺の噴水なんだから俺が考えると主張すれば、兄様は「おまえの噴水ではない」とどうでもいい所に食いついてくる。そこは流せよ。

 しかし「考えてみるだけならいいんじゃないですか? 採用するかはさておき」とアロンが口添えしてくれたことで事態は解決した。

「好きにしろ」

 ため息混じりのお許しを貰った俺は、さっそくティアンと共にデザイン案の作成に取り掛かることにした。
 自室に戻ってテーブルに広げた白紙を前に、俺はペンを握る。

「ティアンはどういうのがいいと思う?」
「どうでも。いまと同じでいいんじゃないですか」

 投げやりな返答である。
 しかし安心して欲しい。俺に頭の中にはすでにカッコいい噴水のイメージがあった。そう、マーライオンである。是非ともあれを再現してみたい。だが俺はライオンはあまり好きではない。どうせなら自分の好きな動物に変えてしまおう。あと記憶だとマーライオンは下半身が魚だったよな。でも魚にはしなくていいかな。そんなに魚可愛くないし。

 さっそくデザイン案を紙に書き出していくと、横から覗いてたティアンが「なんです、それ」と首を捻る。

「猫」
「ねこ」

 なんだその信じられないみたいな顔は。

「なんというか、随分と個性的ですね」
「ありがと」
「褒めてはないです」

 ぶつくさと呟くティアンは無視だ。こいつは俺が何をやっても概ね文句を言ってくる。真剣に耳を貸すだけ無駄なのだ。

「できた。これでいこうと思う」
「なんですか。それは」
「見てわかるだろ」
「見てわからないから聞いているんです」

 偉そうなティアンは、説明しろと腕を組む。まぁこの世界にマーライオンはなさそうだからな。この芸術的価値が理解できなくても仕方ないだろう。

「あのね、猫が真ん中に立って口から水吐いてる噴水にする」
「どういう悪夢ですか、それ」

 悪夢じゃない。芸術だ。
 けれどもティアンはわかりやすく引いている。口元が引き攣っていた。

「ティアンはまだ子供だからこの芸術性がわからないんだね」
「これが芸術」

 なんだその顔は。
 腹の立った俺は、紙を引っ掴んでジャンに突きつけた。

「ジャンはどう思う」
「えっと」

 視線を彷徨わせたジャンは、やがて苦い顔で「私は犬派なので、すみません」と小声で頭を下げた。おまえの派閥はどうでもいい。「もうちょっとマシな誤魔化し方なかったんですか?」とティアンが呆れている。

「セドリックは?」
「お言葉ですが、ユリス様」

 流れを予測していたのか。綺麗に一礼したセドリックは、ひどく真剣な表情で俺を見据えた。

「予算の都合もございます。職人の腕の問題もありましょう。ユリス様の芸術的な作品をそのまま再現できるかは難しいところかと。もう少しシンプルなデザインがよろしいのでは」
「なるほど」

 確かにマーライオンを見たことない職人さんが、マーライオンを再現できるかは微妙なところだ。「上手く誤魔化しましたね」とティアンがセドリックに感心したような目を向けている。

「とりあえず兄様に見せてみよう」

 兄様なら気に入ってどうにか再現してくれると思う。
 嬉々として再び兄様の部屋を訪れた俺だが、肝心のブルース兄様は俺の図案をみるなり目を剥いた。

「なんだこれは」
「新しい噴水のデザイン」
「これが? 何がどうなっているんだ。おまえ絵下手くそだな」
「下手じゃないし!」

 なんて失礼な奴だ。アロンを見ると、彼は彼で盛大に肩を震わせていた。クソ野郎が。

「新しい噴水これにして。ティアンもこれがいいって言った」
「言ってませんよ。人の発言を捏造しないでください」

 頭を抱える兄様は、「ところでこれはなんの絵だ」と目を細めている。

「猫。猫が立って、口からびゃあって水吐いてる」
「……正気か?」

 ちくしょう。兄様もか。まぁでもブルース兄様は脳筋だしな。その芸術的センスには期待していない。こちらを気にせず爆笑し始めたアロンもだ。あいつも芸術には縁がなさそうだ。

 俺がいかに素晴らしいデザインかを力説していると、兄様は「あー」と唸りながら何やら引き出しをあさり始める。やがてひとつの箱を取り出すと、俺に差し出した。

「なんこれ」

 包装紙を遠慮なくビリビリに破けば、「散らかすな」とすかさず兄様の小言が飛んでくる。慌てたようにジャンが散らばった紙屑を拾い集める。中から出てきたのはクッキーだった。

「クッキー!」

 見た目からして絶対美味しそうなやつ。バンザイして喜ぶと、兄様は「全部やる」と短く吐き捨てた。

 そうしておもいがけずクッキーをゲットした俺は、満足して兄様の部屋を後にした。「上手く誤魔化しましたね」とティアンがなにやら感心していたがどうでもいい。

「あげないから」

 クッキーの箱を抱きしめて言えば、「いりませんよ」とティアンが肩をすくめた。

 後日、庭園には元のものと寸分変わらぬデザインの噴水が新設された。なんでだよ。
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