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30 不穏な影
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玄関ドアもこれまた重厚な作りだった。ノブに手をかけて、はっとする。
重そうなドアは俺ひとりでスムーズに開けるのは困難だろう。四苦八苦している間に誰かが駆け付けるかもしれない。
それになにより。
息を殺して外の様子を伺う。こういう壮大な屋敷の前には見張りの騎士がいるのが常套だ。いつも庭を散歩する時も、このドアは見張り番の騎士が開けてくれる。いまは夜である。しかし騎士による警備は二十四時間体制が普通だろう。てことは、このドアの向こうには騎士ふたりが突っ立っているに違いない。
ここから出るのは無理だ。
声をかければドアを開けてはくれるだろうが、俺ひとりなことに困惑して人を呼ぶに決まっている。
くるりと背を向けて、もと来た道を戻る。そうして玄関から離れた俺は、適当な窓に近寄っておそるおそる外を覗いた。人の姿は見えない。念入りに確認した後、ジャンプして鍵を開ける。
ゆっくりと横にスライドさせればあっさり開いた窓の外に靴を放ってよじ登る。そうして外に着地した。
よし、脱出成功!
靴を履いて歩き出す。静まり返った庭園は、遠くにぽつぽつと明かりが見える。多分見回りの騎士が手にしている明かりかな。
ここ数日ですっかり見慣れたはずの庭園は、夜の帳が下りることで様変わりしていた。手探りでわくわくと一歩踏み出す。澄んだ空気が肺を満たして、肌寒さにジャケットの前をしっかり合わせる。
屋敷を見上げると、堂々とした佇まいで歴史を感じさせる。西洋風の建物だ。手入れが行き届いているため不思議と古臭さはない。
耳を澄ますと、庭園のメインである巨大噴水の音が聞こえる。涼やかさを通り越して暴力的な荒々しい水音だ。
にやりと口角が上がる。
普段はティアンとジャンに邪魔されてろくに近寄れないからな。絶好のチャンスだ。
手入れされた芝生のため足音は目立たない。噴水が見えるなり、俺は駆け出した。
「うわ、すげえ!」
こんなにデカい噴水初めてだ。
爆上がりするテンションのまま、噴水に手を突っ込む。
「つめた!」
夜風は我慢できる程度とはいえ、さすがに水は冷たいな。希望としてはプールみたく泳ぎたかったのだが無謀かな。しばらくバチャバチャと水面を叩いて遊んでいると、背後に揺れる光に気が付いた。
噴水脇にしゃがみ込んだまま目線を上げると、人影がふたつ。
「ここでなにをしている」
「噴水で遊んでる」
突然の声に驚いてありのままの事実を伝えれば、人影は困惑したように微かに動いた。
「子供?」
「誰が子供だ」
反射的に言い返して口を噤む。
相手は見回りの騎士だろう。手元に一応灯りを持ってはいるが、頼りない。俺の顔までは見えていないらしい。
バシャバシャと噴水の水面を叩く俺を、騎士ふたりは戸惑ったように囲む。
「君、名前は?」
どうやら俺を屋敷に侵入した近所の子供だとでも思っているらしい。それもそうか。まさかこんな夜中にユリスがひとりで噴水遊びしているなんて考えないか、普通。
やれやれ。面倒だがここで名前を誤魔化すとややこしいことになる。できればバレたくなかったのだが。青筋を浮かべたブルース兄様の顔がちらりと脳裏をよぎった。
「ユリスだけど」
ぼそっと呟けば、相手が硬直するのがわかった。
「「申し訳ございません!」」
ふたりの声がぴたりと重なった。息の合ったコンビに思わず笑いが込み上げる。くすくす忍び笑いを溢していると、片膝をついた騎士たちが肩を揺らす。
「僭越ながら、ユリス様」
「なに」
「このような時間になにをなさっているのでしょうか」
「だから噴水で遊んでる」
簡潔に答えると「左様でございますか」と緊張を含んだ声が返ってくる。俺相手にそんな恐縮する必要はないんだけどな。
「おひとりですか?」
「……うん」
後ろめたさもあり素直に肯定しておく。それに俺がひとりなのは見ればわかることだ。
騎士の持っていた明かりはどうやら火を灯すタイプのものらしい。風に吹かれて小さな炎が踊っている。
噴水から手を抜いて水滴を振り落とす。そうしてようやく見据えた騎士の顔に、俺は目を見開いた。俺に問いかけていたのは名前も知らない騎士だが、もう片方は見覚えがあるどころではない。
「ロニーじゃん!」
「はい。ロニーでございます」
ひぇ、憧れの長髪男子くんじゃん!
一気に興奮した俺は慌てて立ち上がる。急いで駆け寄れば、ロニーが片膝を付いて顔を下げたまま体を強張らせるのがわかった。そのただならぬ雰囲気に、いつかのセドリックの言葉を思い出す。
「あの、この前はごめん。急に友達とか言って」
眉根を寄せれば、ロニーが顔を上げた。驚きに染まった瞳は、炎をうけてゆらゆらと揺らめいている。
「い、いえ。とんでもございません」
近くでみるとやっぱりカッコいい。ぎこちない笑みを浮かべたロニーは俺の言葉を待っているようだった。
「その、友達は無理かもしれないけど、話し相手くらいにはなってもらえると嬉しい」
ちょっとした会話程度なら問題ないとティアンも言っていた。おずおずとロニーを伺えば、彼は小さく息を呑んですぐさま表情を引き締めた。
「私でよければ、いつでもお相手致します」
「やった! ありがとう」
両手をあげてバンザイすれば、ロニーは困ったように苦笑する。どこか柔らかさを含んだその表情に、ほっと安堵する。
お友達は無理だけどお近付きにはなれた! やった! よくやったぞ、俺!
自分を褒め称えていると、ロニーの隣に控えていたもうひとりの騎士が音もなく立ち上がった。その人物の存在を思い出したらしいロニーが、彼を指し示す。
「ユリス様。こちらはサムといいます。私の同期でーー」
ロニーの言葉が不自然に途切れた。
弱々しい炎に照らされ、鈍く光る銀色。
「申し訳ありませんが、ユリス様。私にご同行願います」
淡々とした声は冷たくて、同じくらいに冷え切ったであろう刃先はロニーの首筋に添えられていた。咄嗟に動けない俺の右手を、男が空いた方の手で掴んで引き寄せる。
「……サム。どういうつもりだ」
固く強張ったロニーの声。返ってきたのは嘲笑ひとつだった。
重そうなドアは俺ひとりでスムーズに開けるのは困難だろう。四苦八苦している間に誰かが駆け付けるかもしれない。
それになにより。
息を殺して外の様子を伺う。こういう壮大な屋敷の前には見張りの騎士がいるのが常套だ。いつも庭を散歩する時も、このドアは見張り番の騎士が開けてくれる。いまは夜である。しかし騎士による警備は二十四時間体制が普通だろう。てことは、このドアの向こうには騎士ふたりが突っ立っているに違いない。
ここから出るのは無理だ。
声をかければドアを開けてはくれるだろうが、俺ひとりなことに困惑して人を呼ぶに決まっている。
くるりと背を向けて、もと来た道を戻る。そうして玄関から離れた俺は、適当な窓に近寄っておそるおそる外を覗いた。人の姿は見えない。念入りに確認した後、ジャンプして鍵を開ける。
ゆっくりと横にスライドさせればあっさり開いた窓の外に靴を放ってよじ登る。そうして外に着地した。
よし、脱出成功!
靴を履いて歩き出す。静まり返った庭園は、遠くにぽつぽつと明かりが見える。多分見回りの騎士が手にしている明かりかな。
ここ数日ですっかり見慣れたはずの庭園は、夜の帳が下りることで様変わりしていた。手探りでわくわくと一歩踏み出す。澄んだ空気が肺を満たして、肌寒さにジャケットの前をしっかり合わせる。
屋敷を見上げると、堂々とした佇まいで歴史を感じさせる。西洋風の建物だ。手入れが行き届いているため不思議と古臭さはない。
耳を澄ますと、庭園のメインである巨大噴水の音が聞こえる。涼やかさを通り越して暴力的な荒々しい水音だ。
にやりと口角が上がる。
普段はティアンとジャンに邪魔されてろくに近寄れないからな。絶好のチャンスだ。
手入れされた芝生のため足音は目立たない。噴水が見えるなり、俺は駆け出した。
「うわ、すげえ!」
こんなにデカい噴水初めてだ。
爆上がりするテンションのまま、噴水に手を突っ込む。
「つめた!」
夜風は我慢できる程度とはいえ、さすがに水は冷たいな。希望としてはプールみたく泳ぎたかったのだが無謀かな。しばらくバチャバチャと水面を叩いて遊んでいると、背後に揺れる光に気が付いた。
噴水脇にしゃがみ込んだまま目線を上げると、人影がふたつ。
「ここでなにをしている」
「噴水で遊んでる」
突然の声に驚いてありのままの事実を伝えれば、人影は困惑したように微かに動いた。
「子供?」
「誰が子供だ」
反射的に言い返して口を噤む。
相手は見回りの騎士だろう。手元に一応灯りを持ってはいるが、頼りない。俺の顔までは見えていないらしい。
バシャバシャと噴水の水面を叩く俺を、騎士ふたりは戸惑ったように囲む。
「君、名前は?」
どうやら俺を屋敷に侵入した近所の子供だとでも思っているらしい。それもそうか。まさかこんな夜中にユリスがひとりで噴水遊びしているなんて考えないか、普通。
やれやれ。面倒だがここで名前を誤魔化すとややこしいことになる。できればバレたくなかったのだが。青筋を浮かべたブルース兄様の顔がちらりと脳裏をよぎった。
「ユリスだけど」
ぼそっと呟けば、相手が硬直するのがわかった。
「「申し訳ございません!」」
ふたりの声がぴたりと重なった。息の合ったコンビに思わず笑いが込み上げる。くすくす忍び笑いを溢していると、片膝をついた騎士たちが肩を揺らす。
「僭越ながら、ユリス様」
「なに」
「このような時間になにをなさっているのでしょうか」
「だから噴水で遊んでる」
簡潔に答えると「左様でございますか」と緊張を含んだ声が返ってくる。俺相手にそんな恐縮する必要はないんだけどな。
「おひとりですか?」
「……うん」
後ろめたさもあり素直に肯定しておく。それに俺がひとりなのは見ればわかることだ。
騎士の持っていた明かりはどうやら火を灯すタイプのものらしい。風に吹かれて小さな炎が踊っている。
噴水から手を抜いて水滴を振り落とす。そうしてようやく見据えた騎士の顔に、俺は目を見開いた。俺に問いかけていたのは名前も知らない騎士だが、もう片方は見覚えがあるどころではない。
「ロニーじゃん!」
「はい。ロニーでございます」
ひぇ、憧れの長髪男子くんじゃん!
一気に興奮した俺は慌てて立ち上がる。急いで駆け寄れば、ロニーが片膝を付いて顔を下げたまま体を強張らせるのがわかった。そのただならぬ雰囲気に、いつかのセドリックの言葉を思い出す。
「あの、この前はごめん。急に友達とか言って」
眉根を寄せれば、ロニーが顔を上げた。驚きに染まった瞳は、炎をうけてゆらゆらと揺らめいている。
「い、いえ。とんでもございません」
近くでみるとやっぱりカッコいい。ぎこちない笑みを浮かべたロニーは俺の言葉を待っているようだった。
「その、友達は無理かもしれないけど、話し相手くらいにはなってもらえると嬉しい」
ちょっとした会話程度なら問題ないとティアンも言っていた。おずおずとロニーを伺えば、彼は小さく息を呑んですぐさま表情を引き締めた。
「私でよければ、いつでもお相手致します」
「やった! ありがとう」
両手をあげてバンザイすれば、ロニーは困ったように苦笑する。どこか柔らかさを含んだその表情に、ほっと安堵する。
お友達は無理だけどお近付きにはなれた! やった! よくやったぞ、俺!
自分を褒め称えていると、ロニーの隣に控えていたもうひとりの騎士が音もなく立ち上がった。その人物の存在を思い出したらしいロニーが、彼を指し示す。
「ユリス様。こちらはサムといいます。私の同期でーー」
ロニーの言葉が不自然に途切れた。
弱々しい炎に照らされ、鈍く光る銀色。
「申し訳ありませんが、ユリス様。私にご同行願います」
淡々とした声は冷たくて、同じくらいに冷え切ったであろう刃先はロニーの首筋に添えられていた。咄嗟に動けない俺の右手を、男が空いた方の手で掴んで引き寄せる。
「……サム。どういうつもりだ」
固く強張ったロニーの声。返ってきたのは嘲笑ひとつだった。
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