上 下
32 / 577

30 不穏な影

しおりを挟む
 玄関ドアもこれまた重厚な作りだった。ノブに手をかけて、はっとする。

 重そうなドアは俺ひとりでスムーズに開けるのは困難だろう。四苦八苦している間に誰かが駆け付けるかもしれない。

 それになにより。
 息を殺して外の様子を伺う。こういう壮大な屋敷の前には見張りの騎士がいるのが常套だ。いつも庭を散歩する時も、このドアは見張り番の騎士が開けてくれる。いまは夜である。しかし騎士による警備は二十四時間体制が普通だろう。てことは、このドアの向こうには騎士ふたりが突っ立っているに違いない。

 ここから出るのは無理だ。

 声をかければドアを開けてはくれるだろうが、俺ひとりなことに困惑して人を呼ぶに決まっている。

 くるりと背を向けて、もと来た道を戻る。そうして玄関から離れた俺は、適当な窓に近寄っておそるおそる外を覗いた。人の姿は見えない。念入りに確認した後、ジャンプして鍵を開ける。
 ゆっくりと横にスライドさせればあっさり開いた窓の外に靴を放ってよじ登る。そうして外に着地した。

 よし、脱出成功!

 靴を履いて歩き出す。静まり返った庭園は、遠くにぽつぽつと明かりが見える。多分見回りの騎士が手にしている明かりかな。

 ここ数日ですっかり見慣れたはずの庭園は、夜の帳が下りることで様変わりしていた。手探りでわくわくと一歩踏み出す。澄んだ空気が肺を満たして、肌寒さにジャケットの前をしっかり合わせる。

 屋敷を見上げると、堂々とした佇まいで歴史を感じさせる。西洋風の建物だ。手入れが行き届いているため不思議と古臭さはない。

 耳を澄ますと、庭園のメインである巨大噴水の音が聞こえる。涼やかさを通り越して暴力的な荒々しい水音だ。

 にやりと口角が上がる。

 普段はティアンとジャンに邪魔されてろくに近寄れないからな。絶好のチャンスだ。

 手入れされた芝生のため足音は目立たない。噴水が見えるなり、俺は駆け出した。

「うわ、すげえ!」

 こんなにデカい噴水初めてだ。
 爆上がりするテンションのまま、噴水に手を突っ込む。

「つめた!」

 夜風は我慢できる程度とはいえ、さすがに水は冷たいな。希望としてはプールみたく泳ぎたかったのだが無謀かな。しばらくバチャバチャと水面を叩いて遊んでいると、背後に揺れる光に気が付いた。

 噴水脇にしゃがみ込んだまま目線を上げると、人影がふたつ。

「ここでなにをしている」
「噴水で遊んでる」

 突然の声に驚いてありのままの事実を伝えれば、人影は困惑したように微かに動いた。

「子供?」
「誰が子供だ」

 反射的に言い返して口を噤む。
 相手は見回りの騎士だろう。手元に一応灯りを持ってはいるが、頼りない。俺の顔までは見えていないらしい。

 バシャバシャと噴水の水面を叩く俺を、騎士ふたりは戸惑ったように囲む。

「君、名前は?」

 どうやら俺を屋敷に侵入した近所の子供だとでも思っているらしい。それもそうか。まさかこんな夜中にユリスがひとりで噴水遊びしているなんて考えないか、普通。
 やれやれ。面倒だがここで名前を誤魔化すとややこしいことになる。できればバレたくなかったのだが。青筋を浮かべたブルース兄様の顔がちらりと脳裏をよぎった。

「ユリスだけど」

 ぼそっと呟けば、相手が硬直するのがわかった。

「「申し訳ございません!」」

 ふたりの声がぴたりと重なった。息の合ったコンビに思わず笑いが込み上げる。くすくす忍び笑いを溢していると、片膝をついた騎士たちが肩を揺らす。

「僭越ながら、ユリス様」
「なに」
「このような時間になにをなさっているのでしょうか」
「だから噴水で遊んでる」

 簡潔に答えると「左様でございますか」と緊張を含んだ声が返ってくる。俺相手にそんな恐縮する必要はないんだけどな。

「おひとりですか?」
「……うん」

 後ろめたさもあり素直に肯定しておく。それに俺がひとりなのは見ればわかることだ。

 騎士の持っていた明かりはどうやら火を灯すタイプのものらしい。風に吹かれて小さな炎が踊っている。

 噴水から手を抜いて水滴を振り落とす。そうしてようやく見据えた騎士の顔に、俺は目を見開いた。俺に問いかけていたのは名前も知らない騎士だが、もう片方は見覚えがあるどころではない。

「ロニーじゃん!」
「はい。ロニーでございます」

 ひぇ、憧れの長髪男子くんじゃん!
 一気に興奮した俺は慌てて立ち上がる。急いで駆け寄れば、ロニーが片膝を付いて顔を下げたまま体を強張らせるのがわかった。そのただならぬ雰囲気に、いつかのセドリックの言葉を思い出す。

「あの、この前はごめん。急に友達とか言って」

 眉根を寄せれば、ロニーが顔を上げた。驚きに染まった瞳は、炎をうけてゆらゆらと揺らめいている。

「い、いえ。とんでもございません」

 近くでみるとやっぱりカッコいい。ぎこちない笑みを浮かべたロニーは俺の言葉を待っているようだった。

「その、友達は無理かもしれないけど、話し相手くらいにはなってもらえると嬉しい」

 ちょっとした会話程度なら問題ないとティアンも言っていた。おずおずとロニーを伺えば、彼は小さく息を呑んですぐさま表情を引き締めた。

「私でよければ、いつでもお相手致します」
「やった! ありがとう」

 両手をあげてバンザイすれば、ロニーは困ったように苦笑する。どこか柔らかさを含んだその表情に、ほっと安堵する。

 お友達は無理だけどお近付きにはなれた! やった! よくやったぞ、俺!

 自分を褒め称えていると、ロニーの隣に控えていたもうひとりの騎士が音もなく立ち上がった。その人物の存在を思い出したらしいロニーが、彼を指し示す。

「ユリス様。こちらはサムといいます。私の同期でーー」

 ロニーの言葉が不自然に途切れた。

 弱々しい炎に照らされ、鈍く光る銀色。

「申し訳ありませんが、ユリス様。私にご同行願います」

 淡々とした声は冷たくて、同じくらいに冷え切ったであろう刃先はロニーの首筋に添えられていた。咄嗟に動けない俺の右手を、男が空いた方の手で掴んで引き寄せる。

「……サム。どういうつもりだ」

 固く強張ったロニーの声。返ってきたのは嘲笑ひとつだった。
しおりを挟む
感想 415

あなたにおすすめの小説

悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!

梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!? 【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】 ▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。 ▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。 ▼毎日18時投稿予定

主人公のライバルポジにいるようなので、主人公のカッコ可愛さを特等席で愛でたいと思います。

小鷹けい
BL
以前、なろうサイトさまに途中まであげて、結局書きかけのまま放置していたものになります(アカウントごと削除済み)タイトルさえもうろ覚え。 そのうち続きを書くぞ、の意気込みついでに数話分投稿させていただきます。 先輩×後輩 攻略キャラ×当て馬キャラ 総受けではありません。 嫌われ→からの溺愛。こちらも面倒くさい拗らせ攻めです。 ある日、目が覚めたら大好きだったBLゲームの当て馬キャラになっていた。死んだ覚えはないが、そのキャラクターとして生きてきた期間の記憶もある。 だけど、ここでひとつ問題が……。『おれ』の推し、『僕』が今まで嫌がらせし続けてきた、このゲームの主人公キャラなんだよね……。 え、イジめなきゃダメなの??死ぬほど嫌なんだけど。絶対嫌でしょ……。 でも、主人公が攻略キャラとBLしてるところはなんとしても見たい!!ひっそりと。なんなら近くで見たい!! ……って、なったライバルポジとして生きることになった『おれ(僕)』が、主人公と仲良くしつつ、攻略キャラを巻き込んでひっそり推し活する……みたいな話です。 本来なら当て馬キャラとして冷たくあしらわれ、手酷くフラれるはずの『ハルカ先輩』から、バグなのかなんなのか徐々に距離を詰めてこられて戸惑いまくる当て馬の話。 こちらは、ゆるゆる不定期更新になります。

【完結】別れ……ますよね?

325号室の住人
BL
☆全3話、完結済 僕の恋人は、テレビドラマに数多く出演する俳優を生業としている。 ある朝、テレビから流れてきたニュースに、僕は恋人との別れを決意した。

平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです

おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの) BDSM要素はほぼ無し。 甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。 順次スケベパートも追加していきます

氷の華を溶かしたら

こむぎダック
BL
ラリス王国。 男女問わず、子供を産む事ができる世界。 前世の記憶を残したまま、転生を繰り返して来たキャニス。何度生まれ変わっても、誰からも愛されず、裏切られることに疲れ切ってしまったキャニスは、今世では、誰も愛さず何も期待しないと心に決め、笑わない氷華の貴公子と言われる様になった。 ラリス王国の第一王子ナリウスの婚約者として、王子妃教育を受けて居たが、手癖の悪い第一王子から、冷たい態度を取られ続け、とうとう婚約破棄に。 そして、密かにキャニスに、想いを寄せて居た第二王子カリストが、キャニスへの贖罪と初恋を実らせる為に奔走し始める。 その頃、母国の騒ぎから逃れ、隣国に滞在していたキャニスは、隣国の王子シェルビーからの熱烈な求愛を受けることに。 初恋を拗らせたカリストとシェルビー。 キャニスの氷った心を溶かす事ができるのは、どちらか?

総長の彼氏が俺にだけ優しい

桜子あんこ
BL
ビビりな俺が付き合っている彼氏は、 関東で最強の暴走族の総長。 みんなからは恐れられ冷酷で悪魔と噂されるそんな俺の彼氏は何故か俺にだけ甘々で優しい。 そんな日常を描いた話である。

そばにいてほしい。

15
BL
僕の恋人には、幼馴染がいる。 そんな幼馴染が彼はよっぽど大切らしい。 ──だけど、今日だけは僕のそばにいて欲しかった。 幼馴染を優先する攻め×口に出せない受け 安心してください、ハピエンです。

なんで俺の周りはイケメン高身長が多いんだ!!!!

柑橘
BL
王道詰め合わせ。 ジャンルをお確かめの上お進み下さい。 7/7以降、サブストーリー(土谷虹の隣は決まってる!!!!)を公開しました!!読んでいただけると嬉しいです! ※目線が度々変わります。 ※登場人物の紹介が途中から増えるかもです。 ※火曜日20:00  金曜日19:00  日曜日17:00更新

処理中です...