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閑話2 アロンvsティアン(sideアロン)

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 最近、ちょっと鬱陶しいなと思うことがある。

「ユリス様への下心が見え見えなんですよ!」
「下心て」

 ビシッとこちらに指を突きつける少年は、たしかクレイグ団長のご子息だったはず。まだ残るあどけなさの中に、父親譲りの強い瞳が垣間見える。

 名前はティアンといったか。

 最初に出会ったのはいつだったか。彼がもっと幼い頃に一度だけ顔を合わせたかもしれない。よく覚えていないが。

 しかしだからといって出会い頭に罵倒されるほどの恨みを買った覚えはない。

 廊下ですれ違っただけでこの言われようである。

「君の気のせいじゃないかな。俺はただブルース様に同行しているだけだよ。その流れでよくユリス様とお会いするだけ。下心なんてとんでもない」
「じゃあなぜユリス様の前だと一人称が私になるんですか」
「なんでって。普通に目上の方に対する礼儀だけど」
「ブルース様の前では見せない礼儀ですね」
「ブルース様とは長い付き合いだからね。何か問題でも?」

 人当たりのいいお兄さんを演じつつ、けれども少し挑発的に笑ってみせれば、ティアンはつんと澄ました表情で息を吐く。

「まぁ、そういうことにしておいてあげます」
「偉そうだなぁ」

 思わず真顔になって本音を溢せば、彼が不愉快だと眉根を寄せる。やっと本性を見せたなと言わんばかりだ。

「偉そうなのはそちらでは? 大公子に対する振る舞いとは思えません」
「そうかな? でもユリス様は何も言わないしね。君が口を出すのは出過ぎた真似というやつでは?」

 ぐっと黙り込む少年は、考え込むように顔を俯ける。ちょっと言いすぎたか。とはいえ先に喧嘩を吹っかけてきたのはそっちだ。これくらいは許容範囲だろう。

 やれやれと肩をすくめて立ち去る。団長のご子息くんはこっちを睨み付けていた。


※※※


「もっと髪を切ったほうがいいと思います」
「急に?」

 反射的に自身の髪を触る。少し赤みのある髪は割と短く切り揃えている。長いと動く時に邪魔なのだ。女の子には清潔感があると好評なんだけどな、とどうでもいいことを考えているとティアンは忌々しげに舌打ちをひとつ。

「とにかくもっと短くした方がいいです」
「いやいや意味がわからん」

 年長者に対する舌打ちは見逃してやろう。だからさっさと戻れと手を振れば、ティアンは周囲を見渡して人気のないことを確認する。そうしておもむろに近づくと、声を潜めた。

「ユリス様は、髪の短い方がお好みらしいです」

 急にどうしたんだ。なんのアドバイスだ。怪訝に思えば、彼は焦れたように早口になる。

「あなたユリス様に下心があるじゃないですか。ユリス様とお近付きになりたいんですよね? だったらユリス様の好みに忠実になるべきです」
「いや下心はないって」

 しかしどういう風の吹きまわしか。
 記憶ではティアンには嫌われていたような気がする。少なくとも好かれてはいない。それが突然俺の味方をするような発言をするだろうか。

 うん、罠だな。

 おそらくユリス様の好みは正反対だろう。つまり長髪がお好みということだ。わかりやすい嘘に思わず笑いが込み上げる。目敏い彼はそれを見逃さない。

「何を笑っているんですか」
「笑ってない。でもその手には乗らない」

 簡潔に告げれば、露骨に嫌な顔をする。

「わかりやすいなぁ」
「バカにしてます?」
「してない。してない」

 それからもティアンは俺を目にするたびに嫌がらせ紛いの会話を吹っかけてきた。初めは子供らしい悪戯だと笑って流していた。優しいお兄さん的にはそうすべきだと思ったからだ。しかし最近ではさすがに笑い流せないことが増えてきた。

「アロン殿は女遊びが激しいので、距離を置くべきです」

 あろうことかユリス様に面と向かってそう告げるティアンを目撃した時はぶん殴ってやろうかと思った。けれどもユリス様の前だ。必死に怒りを宥めて、人当たりのいい笑顔を浮かべる。困ったように眉尻を下げてやれば、子供の悪戯に困惑しつつも根気よく相手をしてやる良きお兄さんっぽくみえるはず。

「ユリス様。本気にしないでくださいね」
「アロンってモテるんだ」

 まっすぐに向けられた目は、心なしかきらめいていた。一瞬、反応が遅れる。それを肯定と受け取ったらしいユリス様は、わくわくとした様子で「俺もモテたい」と言い出す。

 馬鹿正直だな。そういうのは思っていてもあまり口に出すべきではない。
 喉元まで迫り上がってきた言葉をなんとか押し込んで、控えめな苦笑を浮かべておく。

「ユリス様は十分魅力的かと」
「そうですよ。ユリス様はそのままで十分です!」

 ユリス様が俺の真似をしたいと言うことを恐れたのか。ユリス様に必死で言い聞かせるティアンはどこか滑稽で口元が緩んでしまう。それを根性で堪えて、ユリス様と目線を合わせるために片膝をつく。

 子供は嫌いだ。だが子供に懐かれるのは案外簡単である。目線を合わせて、話をすべて肯定する。常に笑顔。これだけでいい。もっともティアンのように聡い子には通用しないかもしれないが。そこまで考えて今のはさすがにユリス様に対して不敬だなと内心で苦笑する。

 ヴィアンの氷の花と称される少年は、けれども実際に顔を合わせてみると印象がガラリと変わった。

 これの一体どこが氷なのか。
 普段のユリス様は幼い子供そのものである。

 しかし片鱗はあった。セドリックの件などまさにそれ。自分でクビにした副団長に対して「誰がおまえを辞めさせた」と問い詰めたのには背筋が冷えた。まさに氷の花。

 冷酷さはたしかにある。普段はなりを潜めているだけで。

「まぁね。俺は類い稀なる美少年だからね」

 底抜けに明るい声に意識を無理矢理戻される。
 顔を上げると、得意げに胸を張るユリス様がいた。

「自己評価高すぎません?」

 冷静にツッコむティアンには慣れを感じた。

「高くない。正当な評価」

 堂々と宣言する少年は、力強く頷いた。腹の底から笑いが込み上げてくる。押し殺せなくて小さく笑えば、ユリス様が「え」と戸惑いの声をあげる。

「アロンはそう思わない? 俺って美少年だよね」
「どういう確認なんですか、それ」

 呆れ気味に答えるティアンに、ますます笑いが止まらない。

「心配せずとも、ユリス様は見目麗しいですよ」

 呼吸を整えてなんとか返答すれば、ユリス様は満足したらしい。得意げに口元を緩めている。

「ユリス様、アロン殿の言うことは九割方嘘なので信用してはダメですよ。今だって笑ってましたし」
「アロンは嘘つかないよ」

 そうだよね、と黒い瞳に見上げられてらしくもなく動揺した。疑われることは常でも、底抜けの信頼を寄せられたのは随分と久しぶりだ。それを目敏く察知したらしいティアンが「やっぱりこいつは嘘つきですよ!」と勢いよく俺に指を突きつける。

 俺を差し置いて言い合いを始めたふたりをしばらく眺めていると、少し離れたところからこちらを見守っているジャンとセドリックがいた。ふと思い至って片手を上げれば、セドリックが忌々しげに顔を顰めた。基本、無表情な彼だが俺と対峙する時には不機嫌さを隠そうともしない。

 どうも俺は副団長に嫌われているらしい。

「いや、元副団長か」

 わざと小さく声に出して訂正すれば、セドリックが露骨に顔を背ける。背後でオロオロするジャンが面白い。にやにやしていると「何笑ってるんですか」とティアンが突っかかる。

「別になにも。お話は終わりましたか?」

 立ち上がって襟元を整えれば、ユリス様が「終わった。俺の勝ち」と簡潔に報告してくる。いまの話し合いに勝ち負けがあったのか。よくわからない。


※※※


「お宅のご子息くんがやたら俺に絡んでくるのですが。どうにかしてください」
「いま忙しいから自分で対処してくれ」

 俺の苦言をあっさり流したクレイグ団長は、忙しそうに書類整理をしている。机に山のように積まれた書類を見てちょっと崩してみたいという好奇心が湧き上がる。もちろん実行はしない。

「書類仕事は副団長に任せればよろしいのに」
「その副団長が不在だから困っている」

 そうだった、そうだった。
 解任されたんだっけ、あの人。生真面目なセドリックを思い出す。

「俺が代わりに副団長になりますよ」
「いらん」

 短く断った団長は、考え直したのか歯切れ悪く言葉を続ける。

「副団長はその、信頼に値する人物を置くべきだ。私は、仮に戦などが起こった時にだ。自分の命を預けても構わないと思える者こそ副団長に選任すべきと考えている」
「それってつまり俺が信頼に値せず命を預けられないってことですか?」

 強気で問いただせば、団長は手元の書類に目を落として口を噤んでしまう。どうやら俺は相当に信頼がないらしい。べつにいいけど。

「ところでご子息のことですよ。すれ違う度にいらんことをユリス様に吹き込んでいるのですが。いい加減どうにかしてくださいよ」
「具体的には?」

 話くらいは聞いてくれる気になったのだろうか。少々投げやりな問いに、俺は指折り数えて今までの悪口を列挙した。

「俺は嘘つきだとか、女にだらしないとか、軽薄とか、猫かぶりだとか」
「全部事実じゃないか」
「違いますよ」

 くるりと振り返って、団長室の応接ソファーで優雅に紅茶を嗜むブルース様を視界に捉える。暇なら団長の書類仕事を手伝ってやればいいのにという考えが頭をよぎるが無駄だろう。団長の固辞する姿が目に見えている。

「ブルース様はどう思われますか?」
「全部事実だろ」
「だから違いますって」

 ユリス様は、どうにもブルース様が遊びで騎士団に顔を出していると考えている節がある。けれどもそれは違う。大公家の人間として武力である騎士団の統率を仕事として行なっているのだ。訂正してもいいが、心配にかこつけてブルース様を貶す様子が面白いのでしばらくは黙っておくつもりだ。

「というかおまえはユリスに近付くな。いらんことを吹き込んでいるのはおまえだろうに」

 まったく酷い言い様である。

「いいです、わかりました。自分でどうにかするのでご心配なく!」
「あぁ、頼んだぞ」

 興味なさそうに頷いて、団長は話を切り上げる。親が親なら子も子だな。俺に対する冷たい態度がそっくりだ。

 どうにも俺の悩みは真剣に取り合ってくれないらしい。やれやれと大袈裟に肩をすくめておく。

 似たもの親子で嫌になるな。
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