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 ジャンはブルース兄様に連れられてどこかへ行ってしまった。マジでごめんなさい。あとで謝ろう。

 部屋に取り残されたのは俺と騎士さん。
 メイドさんは朝食の片付けを済ませると去って行った。壁際に直立する騎士さんは剣を持っていなかった。ちょっと残念。間近で見てみたかったのに。

 特にすることもないので椅子に腰掛けてぼんやりする。窓の外に目を遣るが、ジャンがいない以上庭に出るのも控えた方がいいかもしれない。俺はまだ家庭内で遭難はしたくないのだ。

 となると暇を持て余した俺の視線は自然と壁際の騎士さんに向かう。
 短く切り揃えた髪は赤みがかっており当たり前のように背が高い。涼しい目元が特徴的なお兄さんだ。目力が変に強いブルース兄様とは対照的だな。

 というか別に騎士さんが残る必要はなくない? よくわかんないけどこの人ブルース兄様のお付きの人だろう? ブルース兄様についていけよ。

「あの」
「はい?」
「ブルース兄様についていかなくていいの?」
「いえ。ユリス様をおひとりにするわけにもいきませんので」

 失礼な。この人たち俺をなんだと思っているのか。確かに見た目は十歳児だが、部屋にひとり残るくらいなんでもない。精神年齢は高校生だからな。
 常に人が付きまとっていてひとりの時間がないのはかなりのストレスなんだ。

「俺はひとりで大丈夫」
「いえ、そういうわけには」

 にこりと笑って流される。うーん。柔らかな態度だが押しが強いタイプだな。厄介だ。

「名前は?」

 とりあえずこのお兄さんとも仲良くなっておこう。そう思い尋ねれば、彼はゆっくりとこちらに歩み寄って、俺の傍に膝をつく。

「アロンといいます。よろしくお願いしますね、ユリス様」

 王子だ。
 ブルース兄様よりもよっぽど王子っぽい。
 ぼんやり見惚れていると、さらりと俺の手を取って軽く口付けた。

 あ、なんか動悸が。

 くすりと笑ってアロンは再び壁際へと戻っていく。

「あ、そうだ。ユリス様」
「ん?」
「副団長の件、なんとか考えてやってくださいね。彼も悪気があったわけではないので」
「ん? うん」

 意味深な流し目を送られて、よくわからないが頷いておく。

 そういえばジャンも副団長がどうのと言っていたな。なんなんだよ、副団長の件って。


※※※


 ジャンがクビになったらどうしよう。そんな心配はあっさり解消した。

 割とすぐに戻ってきたジャンは、青い顔をしていたが概ねいつも通りだった。

「あんまりジャンをいじめてやるな」
「いじめてない」

 なぜかブルース兄様は俺をひと睨みする。何を言ったんだ、ジャン。そのまま兄様は俺の前にどかりと腰を下ろした。なんでだよ。自分の部屋に帰れよ。

「まぁおまえは色々と前科があるからな。ジャンが疑心暗鬼になるのも無理はないな」
「なんの話ですか?」

 ふんっと鼻で笑ったブルース兄様は、長い足を組んで偉そうに「とぼけるな」とのたまう。
 どうしよう。脳筋お兄様との会話が成り立たない。
 てか前科ってなんだよ。失礼過ぎるだろ。

「ブルース兄様は暇なのですか?」

 暗に出て行けと示唆するが、お兄様は「そんなわけあるか」と眉を顰めるだけで動こうとしない。マジで察しの悪い人だな。

「俺は兄様と違って忙しいのですが」
「おまえの方こそ暇人だろうが。言っておくが、今度の家庭教師は俺が選んだんだからな。俺の顔に泥を塗るような真似はしてくれるなよ」
「はぁ」
「なんだその気の抜けた返事は」

 あんまりブルース兄様の顔を立てようという気が起きないな。なんてこった。少し言い返してやろうと、俺は居住まいを正す。

「ブルース兄様も勉強した方がいいと思います」
「どういう意味だ」
「お父様の跡を継ぐのでしょう? もっと勉強した方がいいと思います」

 俺に構ってないでちゃんと働け。そんな思いを込めて睨みつければ、ぴくりとブルース兄様が器用に片眉を持ち上げた。
 なぜかジャンが「ユリス様」と悲痛な声を発する。

「それはどういう意味だ」
「え」

 よくわからんが貴族の家って世襲制じゃないの?
 違うの?
 途端に冷えた声でこちらを睨みつけてくるブルース兄様に、思わず背筋が凍る。なんでこんな絶望的な雰囲気になったんだ。誰か説明して!

 助けを求めておそるおそるジャンを振り返ろうとするが、その前にブルース兄様が「おい」と低い声を飛ばしたために叶わなかった。怖いってば。

「なぜ兄上を差し置いて俺が跡を継がなければならない」
「……あに、うえ?」

 鈍った思考は、言葉の意味を徐々に理解していく。
 いやいや、まだ兄がいるのかよ!
 てっきりブルース兄様が長男かと思っていた。違ったんかい。そういうのはもうちょっと早く教えてもらわないと!

「そ、そういえば居ましたね。あにうえ」
「おい、ユリス」
「えっと。俺は忙しいので、これで失礼します」
「どこに失礼するんだ。おまえの部屋はここだろうが」
「庭で遊ぶ予定があるので」
「そんなもの予定とは言わん」

 あわあわと言葉を詰まらせていると、音もなく隣に移動してきたアロンが背もたれに手をかけた。

「まぁまぁ、ブルース様も落ち着いてください。ちょっとした言葉の綾ですよ。ねえユリス様?」
「そう。ことばのあや」
「おまえそれ意味わかって言ってんのか?」

 相変わらず失礼なお兄様である。
 けれどもアロンの介入に毒気を抜かれたらしいブルース兄様は大袈裟に息を吐くとこめかみを押さえた。

「おまえは兄上のなにがそんなに気に食わないんだ」

 気に食わないもなにも。
 俺は長男には会ったことがないのだが。
 けれどもユリスとしてはそう答えるのはまずい。でも適当な答えが見つからない。結果、俺はダンマリを決め込む。

「いつになったら兄上と仲良くしてくれるんだか」

 その言い方に内心で首を傾げる。
 まるでユリスと長男が昔から不仲みたいな言い方だ。もしかして。

「俺は兄上と仲良しですけど」
「嘘つけ。ろくに会いもしないくせに」

 やっぱり。
 どうやら本物のユリスも長男とは仲が悪いらしい。よかった! なんだか場の空気は一瞬凍ったが、ユリス的にはたぶん模範解答な対応ができていたに違いない。ナイス、俺!

 ほっと胸を撫でおろす俺とは対照的に、ブルース兄様はそれはもう深いため息をついた。
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