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9 兄の小言

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 ブルース兄様は脳筋である。俺の苦手なタイプだ。

 貴族でありながら我が家お抱えの騎士団に混じって日頃から訓練に参加しているらしい。本人は体を動かすことが趣味だとのたまっているが騎士団員達からすればいい迷惑だろう。なんせブルース兄様は、騎士団にとって警護の対象でありいわば上司のようなものである。そんな人物がほいほい訓練になんて参加してみろ。やりにくいったらありゃしないだろう。可哀想な騎士団。

 俺とは随分歳が離れているブルース兄様は、暇さえあればこちらにやって来る。ただ遊びに来るだけなら大歓迎なのだが、そうではない。顔を合わせれば眉を顰め、小言の嵐だ。なんとも気難しいお兄様だ。けれども彼の弟に成り代わってしまったからな。適度に相手をしてやらないと。頑張れ、俺。

「遊び相手を用意してやる」
「お構いなく」

 俺がユリスに成り代わってから三日目。
 朝食の席に強引に突入してきたブルース兄様は偉そうにそう言い放った。今日はなぜか背後に騎士を連れている。物々しいな。

「可愛げのない奴だな」
「はぁ、どうも」
「褒めてはない」

 図々しく俺の前の席を陣取ったブルース兄様は、当然のように俺と朝食を共にしている。なぜ? 自分の部屋で食べろよ。

 しかし俺は弟という役割を全うしなければならない。仕方がないので話し相手くらいはしてやろう。

 テーブルには俺とブルース兄様が向かい合って座り、俺の背後にはジャンが、兄様の後ろには見慣れない騎士がひとり立っている。壁際にはメイドさんがひとり。俺の部屋にしては未だかつてない人口密度だ。

「……おい、音を立てるな」

 ブルース兄様の話を聞き流しつつ朝食を食べていたところ、不機嫌な様子で言われた。無茶言わないでくれ。ナイフとフォークなんて使い慣れてないんだ。音を立てないとか難易度が高い。カチャカチャ苦戦しているとブルース兄様の顔がさらに険しくなる。

「フォークの持ち方がおかしい」

 フォークに持ち方とかあんの? よくわからん。

「刃先を人に向けるんじゃない」

 違う。これについては俺の前に勝手に座ったブルース兄様が悪い。俺が刃先を向けたんじゃなくて、兄様が俺の刃先の前に出てきたんだ。

「おい、ジャン。おまえはこいつにどういう教育をしてるんだ」

 痺れを切らした兄様が、俺の背後に佇むジャンに鋭い目を向ける。
 俺はジャンに教育された覚えなんてないけどな。

「申し訳ありません」

 オロオロするジャンがちょっと可哀想だ。思えば俺がマナーを知らないのが原因なのだ。本物のユリスは生粋のお坊ちゃんらしいからマナーも完璧なのだろう。だとしたら別にジャンは悪くない。助けてやらねばという使命感から、俺はフォークを置いた。

「ブルース兄様」
「フォークの置き方が違う」

 フォークの置き方ってなんだよ。そんなことまで決まってるの? わけがわからないよ。

 もう何をやってもダメ出しされる。折れそうな心を必死に鼓舞して、俺は小さく咳払いをした。

「ジャンはその、あれなので。あんまり色々言わないであげてください」
「あれってなんだ」

 それ訊いちゃう?
 チラリと背後のジャンに目線を送る。いつも通り困った顔のジャンはきゅっと唇を引き結んでいる。

 本人の前で言うのはちょっと。
 だけど脳筋のお兄様は配慮というものができない。早く言えと鋭い眼光で急かしてくる。

 ジャンとブルース兄様を見比べる。ジャンはちょっと困ったお兄さんだけど常にユリスのために働いてくれている。きっとこれまでもそうだったのだろう。俺がユリスに成り代わったばかりにきっとジャンも色々困っているのだろう。今だってブルース兄様に一方的に責められて可哀想だ。よし、ここはジャンの名誉のために黙っておこう。

「おい、ユリス」
「ジャンはちょっと困った性癖なので」

 その場に居合わせた全員がピシリと固まった。
 ごめんよ、ジャン。だってブルース兄様の目が怖すぎるんだもん。

「ユ、ユリス様?」

 重苦しい空気の中、真っ先に声を上げたジャンは震えていた。青筋を立てたお兄様が乱暴にフォークを皿の上に放り投げた。

「おい、ジャン」
「いや、あの、なんのことだかさっぱり」
「ブルース兄様。音を立てるのは良くないですよ」
「おい、ちょっとこいつを黙らせとけ」

 不機嫌なブルース兄様に顎で示されて、後ろに控えていた騎士が寄ってくる。その顔は若干引き攣っていた。
「ユリス様。ちょっと向こうの部屋へ行きましょうか」
「いや、大丈夫」
 先に音を立てるなと言ったのは兄様なのに。八つ当たりがひどいな。

 俺らを一瞥した兄様は、次にジャンを見据えた。

「で? おまえは一体どういう流れでうちの弟に困った性癖とやらを披露したんだ」
「ですから、誤解です! そんなことーー」

 あ、これはいかん。なんか兄様が誤解してる。たぶんエロい方向で考えてるな、この脳筋め。流石にジャンが可哀想なので助け舟を出すことにした。まぁ発端も俺なんだけど。

「違いますよ、兄様。そうじゃないです」
「じゃあどうなんだ」
「えっと、だからつまりですね」

 俺が庇ったことで目に見えて安堵するジャン。よかった。ジャンを下手に追い詰めるとまたナイフを取り出しかねないからな。そんなことを考えながら口を開いたものだから、ついうっかり事実をぽろりと語ってしまった。

「たまにナイフでジャンを刺せと言ってきます」

 ジャンが顔を覆った。ブルース兄様が頬を引き攣らせて口籠る。メイドさんと騎士さんはさっと視線をあらぬ方向へ向けた。異様な空気だった。

「おま、それは。その、どういう性癖なんだ」
「……違います」
 
 ようやくそれだけを絞り出したジャンは、ついに膝をついた。
 うん。マジでごめん。
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