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8 初出勤
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目覚めたら遅刻が確定していた。絶望。
「リア」
鋭い声に顔だけをそちらに向ければ、ムスッとしたエドワードが上着を羽織るところだった。
鏡の前で襟を整えた彼は、まだ不機嫌だった。どうやらご機嫌取りには失敗したらしい。
ぼんやり眺めていると、キッと睨み付けられた。
「今度浮気したらわかっているな」
わかりません、とは口が裂けても言えない。寝転んだままこくこくと頷けば、エドワードは不機嫌そうに出て行った。なんだあいつ。
面と向かって文句を言う度胸のない僕は、力任せにベッドを殴る。しかし流石は高級品。拳は優しく受け止められてイライラの発散にはならなかった。
「クソが」
短く吐き捨てて体を起こす。怒っていながらも事後処理は欠かさない根は優しい王子様のことが憎らしい。
ノロノロとベッドから這い出て服を着る。なんでか僕が浮気したことになっているが心外である。あれはまだ未遂だった。致してないもん。
散々嬲られたせいであちこち痛い。泣いたせいか目が腫れている気もする。コンディションは最悪だった。顔を洗って身なりを整えるが、ため息が止まらない。
昨日のジェシーのお願いって夢じゃないよな。だとしたら僕はこれから近衛騎士団所属の事務官になってしまう。気が重いなんてもんじゃない。
しかも初日にして遅刻確定。行きたくない。でも無断欠勤すると後が怖い。どうやら僕の所属は正式に近衛騎士団になるらしい。当然、上司も経理部長ではなく騎士団長になる。泣く泣く鞄を肩にかけて外に出た。
考えたのだが、毎日毎日不自然に早足で出て行くからスコットに目を付けられるのだ。彼に捕まると自宅に辿り着くまで解放してもらえない。大幅なタイムロスとなる。そこで気持ちを落ち着けて、まったく急いでいませんけど? 的な雰囲気で帰ることにする。この作戦は案外上手くいった。
「おや。起きられたんですか」
「気分悪いけどね」
「これに懲りたら男遊びはやめることですね」
諌めるように肩をすくめるスコットに腹が立つ。こっちは遊びではない。すべては生活費を稼ぐためだ。ごくごく真剣に取り組んでいる。
しかし馬鹿正直にそれを言えばすぐさまエドワードに告げ口される。スコットはそういう男だ。
「お帰りですか」
「うん。さすがに疲れたからね」
欠伸を噛み締めれば、スコットが苦笑する。
「買い物でもしながら帰るから」
「お供しましょうか」
「いいよ。ひとりで帰れる」
「左様で」
なんとあっさり僕を解放したスコットは「お気を付けて」と言い残して仕事に戻って行った。
そそくさと屋敷を出た僕は、裏手にまわる。近衛騎士団は訓練場が併設された王宮奥に建物を構えている。騎士以外は基本的に立ち入らないので人気は少ない。道中、人のいないことを確認してから髪型を崩す。木陰でさっと着替えて、目元を隠すように髪を垂らす。仕上げに眼鏡をかければ地味な事務官リアムの完成だ。
騎士団の建物が見えてくるにつれ、自然と足が重くなる。心底行きたくない。初日から堂々と遅刻なんて怒られるに決まっている。
しかしここで回れ右をすることはできない。せっかく手にした職だし簡単には手放したくない。
「よし」
気合を入れて一歩踏み出す。
なんでも団員たちの寮なども併設されているらしく立派な門構えだ。歴史を感じる重厚な玄関扉をそっと開けて中を覗いてみる。広々とした玄関ホールには人気がなく、静まり返っている。
「こんにちはぁ?」
小さく呼びかけてみるが返事はない。え、誰も居ないの? そんなことある?
迷ったあげく、僕は勇気を持って中に踏み入れた。古びた建物だが掃除は行き届いている。一歩進むたびにギシッと床板が鳴る。
ポツンと玄関ホールに立ち尽くす。あれ? 僕の職場ってここであってるよね。ジェシーには明日から近衛騎士団の方に出勤しろと言われたのみで詳しい話は聞かされていない。
「おい」
突然背後の玄関が開け放たれてびくりと肩を揺らす。
「ここで何をしている」
警戒心を隠さない低い声。ゆっくり振り向いて前髪の間から覗けば、スコットと同じ騎士服に身を包んだ男が立っていた。ということは近衛騎士で間違いない。
「あ、あの。僕は本日からこちらに配属になりました。事務官のリアムといいます」
ぎこちなく自己紹介をすれば、眼前の男がピクリと片眉を持ち上げた。
「事務官の話は聞いていたが。今何時だと思っている」
「申し訳ありません」
とにかくガタイのいい男は彫りが深く端正な顔立ちだ。短く揃えた赤髪に鋭い目。背も高いため顔を見続けようと思うと首が痛くなってくる。
「遅刻の理由はなんだ」
王太子殿下に弄ばれていたからです、なんて言えるわけもなく。だが僕も馬鹿ではない。ここに来るまでの間に言い訳を考えておいたのだ。
「いつもの癖で経理部の方に向かってしまいました。慌てて引き返したのですが、近衛騎士団なんて今まで縁がなかったものですから、すっかり道に迷ってしまいまして。申し訳ありません」
恐縮したような態度で、ぺこりと頭を下げておく。
やがて呆れたような声が降ってきた。
「まあいい。明日からは気をつけろ」
「は、はい!」
ところでこの人一体誰なのだろうか。ちらりと顔を見上げれば、鋭い目線とかちあった。
「俺は近衛騎士団長のヴィクターだ。今日からよろしく頼む。ちょっと待て」
なんと。団長でしたか。慌てて深々と頭を下げれば、団長は一旦外に出てなにやら大声で誰かを呼んでいる。
遅刻の件は大目に見てもらえたらしい。ほっと息をついて今日から職場となる建物をぼんやりと見回した。
「リア」
鋭い声に顔だけをそちらに向ければ、ムスッとしたエドワードが上着を羽織るところだった。
鏡の前で襟を整えた彼は、まだ不機嫌だった。どうやらご機嫌取りには失敗したらしい。
ぼんやり眺めていると、キッと睨み付けられた。
「今度浮気したらわかっているな」
わかりません、とは口が裂けても言えない。寝転んだままこくこくと頷けば、エドワードは不機嫌そうに出て行った。なんだあいつ。
面と向かって文句を言う度胸のない僕は、力任せにベッドを殴る。しかし流石は高級品。拳は優しく受け止められてイライラの発散にはならなかった。
「クソが」
短く吐き捨てて体を起こす。怒っていながらも事後処理は欠かさない根は優しい王子様のことが憎らしい。
ノロノロとベッドから這い出て服を着る。なんでか僕が浮気したことになっているが心外である。あれはまだ未遂だった。致してないもん。
散々嬲られたせいであちこち痛い。泣いたせいか目が腫れている気もする。コンディションは最悪だった。顔を洗って身なりを整えるが、ため息が止まらない。
昨日のジェシーのお願いって夢じゃないよな。だとしたら僕はこれから近衛騎士団所属の事務官になってしまう。気が重いなんてもんじゃない。
しかも初日にして遅刻確定。行きたくない。でも無断欠勤すると後が怖い。どうやら僕の所属は正式に近衛騎士団になるらしい。当然、上司も経理部長ではなく騎士団長になる。泣く泣く鞄を肩にかけて外に出た。
考えたのだが、毎日毎日不自然に早足で出て行くからスコットに目を付けられるのだ。彼に捕まると自宅に辿り着くまで解放してもらえない。大幅なタイムロスとなる。そこで気持ちを落ち着けて、まったく急いでいませんけど? 的な雰囲気で帰ることにする。この作戦は案外上手くいった。
「おや。起きられたんですか」
「気分悪いけどね」
「これに懲りたら男遊びはやめることですね」
諌めるように肩をすくめるスコットに腹が立つ。こっちは遊びではない。すべては生活費を稼ぐためだ。ごくごく真剣に取り組んでいる。
しかし馬鹿正直にそれを言えばすぐさまエドワードに告げ口される。スコットはそういう男だ。
「お帰りですか」
「うん。さすがに疲れたからね」
欠伸を噛み締めれば、スコットが苦笑する。
「買い物でもしながら帰るから」
「お供しましょうか」
「いいよ。ひとりで帰れる」
「左様で」
なんとあっさり僕を解放したスコットは「お気を付けて」と言い残して仕事に戻って行った。
そそくさと屋敷を出た僕は、裏手にまわる。近衛騎士団は訓練場が併設された王宮奥に建物を構えている。騎士以外は基本的に立ち入らないので人気は少ない。道中、人のいないことを確認してから髪型を崩す。木陰でさっと着替えて、目元を隠すように髪を垂らす。仕上げに眼鏡をかければ地味な事務官リアムの完成だ。
騎士団の建物が見えてくるにつれ、自然と足が重くなる。心底行きたくない。初日から堂々と遅刻なんて怒られるに決まっている。
しかしここで回れ右をすることはできない。せっかく手にした職だし簡単には手放したくない。
「よし」
気合を入れて一歩踏み出す。
なんでも団員たちの寮なども併設されているらしく立派な門構えだ。歴史を感じる重厚な玄関扉をそっと開けて中を覗いてみる。広々とした玄関ホールには人気がなく、静まり返っている。
「こんにちはぁ?」
小さく呼びかけてみるが返事はない。え、誰も居ないの? そんなことある?
迷ったあげく、僕は勇気を持って中に踏み入れた。古びた建物だが掃除は行き届いている。一歩進むたびにギシッと床板が鳴る。
ポツンと玄関ホールに立ち尽くす。あれ? 僕の職場ってここであってるよね。ジェシーには明日から近衛騎士団の方に出勤しろと言われたのみで詳しい話は聞かされていない。
「おい」
突然背後の玄関が開け放たれてびくりと肩を揺らす。
「ここで何をしている」
警戒心を隠さない低い声。ゆっくり振り向いて前髪の間から覗けば、スコットと同じ騎士服に身を包んだ男が立っていた。ということは近衛騎士で間違いない。
「あ、あの。僕は本日からこちらに配属になりました。事務官のリアムといいます」
ぎこちなく自己紹介をすれば、眼前の男がピクリと片眉を持ち上げた。
「事務官の話は聞いていたが。今何時だと思っている」
「申し訳ありません」
とにかくガタイのいい男は彫りが深く端正な顔立ちだ。短く揃えた赤髪に鋭い目。背も高いため顔を見続けようと思うと首が痛くなってくる。
「遅刻の理由はなんだ」
王太子殿下に弄ばれていたからです、なんて言えるわけもなく。だが僕も馬鹿ではない。ここに来るまでの間に言い訳を考えておいたのだ。
「いつもの癖で経理部の方に向かってしまいました。慌てて引き返したのですが、近衛騎士団なんて今まで縁がなかったものですから、すっかり道に迷ってしまいまして。申し訳ありません」
恐縮したような態度で、ぺこりと頭を下げておく。
やがて呆れたような声が降ってきた。
「まあいい。明日からは気をつけろ」
「は、はい!」
ところでこの人一体誰なのだろうか。ちらりと顔を見上げれば、鋭い目線とかちあった。
「俺は近衛騎士団長のヴィクターだ。今日からよろしく頼む。ちょっと待て」
なんと。団長でしたか。慌てて深々と頭を下げれば、団長は一旦外に出てなにやら大声で誰かを呼んでいる。
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