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「そうすりゃ、みなが荘から出られるんだぞ?」

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「もしもし」

 蒸し蒸しと暑い部屋に。似つかない軽快なサウンドが鳴り響き、俺は目を覚ます。
 心地良く眠っている時に鳴る着信音。これほどウザったいものもないはずなのに、この時間に鳴る電話だけは。胸を躍らせるものがある。
 だって、相手が分かっているから。俺がずっと想って、ようやく恋人になれた夢叶だ。

『あ、もしもしー。起きたー?』
「うん、いま起きた」
『それは分かる。声がすっごい寝起き感あるもん』

 笑みを含む声色。まだ7時だと言うのに、夢叶の声には張りがあり、いつものそれと遜色ない。一体何時から起きているのだろうか。

「ほんとのほんとに寝起きだから」
『じゃあ、これでちゃんと起きてよ?』
「もちろん」

 あの日、補習初日にした約束。
 俺が寝坊しないように、夢叶が補習の間、毎朝モーニングコールをしてくれていた。
 この電話もそうだ。
 でも、それも――

「今日が最後、ですよね?」
『うん。今日で補習最後だもんね.......』

 顔は見えないけど。声色に切なさが帯びるのが分かった。それが伝わってきたから。通話を切るのが寂しくて、新たな言葉を紡いだ。

「夢叶のおかげで、遅刻せずにちゃんと行けたよ」
『そう言って貰えると、モーニングコールした甲斐があったよ』
「ありがと」

 寝起きだからだろうか。どんな会話をすればいいのか、どんな風に新たな話題を見つけ出せばいいのか。
 脳がまだ覚醒しきっていないせいで、上手く言葉を紡げない。

『ねぇ、今日さ。少し、時間ある?』

 しばらく無言が続いた後。先程までとは違う、緊張を帯びた声色で、夢叶は静かに訊いた。

「今日って、補習の後?」
『うん。社会科準備室に来て欲しいんだけど.......』
「分かった」

 彼女の緊張がこちらにも伝染し、ただでさえ乾燥している口内から、更に水分が奪われる感覚になる。

『補習は3つだったよね?』
「うん」
『じゃあ、3限目が終わったあと、社会科準備室で待ってるね』
「すぐに行く。飛んで行く」
『あはは。すぐに来てくれるのは嬉しいけど、怪我はしないでよ?』

 夢叶の言葉から、緊張の色が消えた。朝から笑い声も聞けて、会う約束まで出来た。
 こんな朝を迎えられるなんて、幸せの限りだ。

『あ、もう5分も話しちゃってる』

 電話の向こう側で時間を確認したのだろうか。驚いた様子を声だけで届けた夢叶は、少し早口で続ける。

『これじゃあ、稜くんが遅刻しちゃう』
「俺は全然大丈夫だよ」
『でもでも。折角起きてるのに! それじゃあね。また後でね?』

 捲し立てるようにそう言われ、流されるように俺も別れの挨拶を、再会の誓いを口にする。

「うん、じゃあ。また後でね」

 その言葉を最後に、電話は切れた。通話画面が落ち、夢叶とのトーク履歴の最後に、無料通話のマークが現れる。
 先生と生徒とは思えない程に、ずっと続くLINE。交換してまだ数日しか経ってないのに、1番初めのトークを見るには、かなり遡らないといけない。

 ――ちゃんと朝ごはん食べて学校来るんだよ?

 そんなことを思い、トーク画面をぼんやりと眺めていた時だ。不意に、スマホが震え、何かしらの通知が来た。
 何度か瞬きをしてから、目の焦点を合わせ、画面に目を落とすと。夢叶とのトーク画面に、新たなメッセージが届いていることに気づいた。

「どうせ頭がちゃんと働かないから、とか言うんだろな」

 彼女からのメッセージに独りでそう呟くと、それとほぼ同時に再度メッセージが届く。

 ――ちゃんと頭が働からね!

「ほらな」

 予想通りすぎる夢叶の台詞に、思わず笑みが零れた。真剣な表情で、人差し指を立てながら話す夢叶の姿が手に取るように分かる。

 ――分かってる。ちゃんと食べてから行くよ

 そう返事を送ってから。俺はスマホの画面を落とし、制服に着替え始める。
 今日が終われば、しばらくこの服を着ることはない。そう思えば少し寂しいような気がしなくもないが、みんなより少し遅い夏休みがようやく始まるのだ。

 夢叶と会えること。今日で補習が終わること。補習が終わった瞬間から夏休みが始まること。
 そんな期待を胸に膨らませながら、俺は朝食をとり、学校へ向かうのだった。


 * * * *

 キーンコーンカーンコーン。
 補習の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。

「今日で前田の補習終わりか」

 出席表か何かだろう。手元の紙に視線を落としてから、英語の補習を担当している先生が声をかけてくる。

「そうですね」
「前田だけは絶対遅刻して、ズルズル補習すると思ってたけどな」

 苦笑に近いそれを浮かべた先生は、教卓の上に広がるプリントを纏めながら言った。
 遅刻する前提で考えてたって、失礼極まりないだろ。何て最低な先生だ!

「俺だってやればできるんですよ!」
「やればできるなら、普段からやればいいだろ。そうすりゃ、みなが荘から出られるんだぞ?」

 みなが荘から出る.......?
 考えたこともなかった。入学当初は、学生寮にいた。でも、最初の中間テストで下から3位という順位を叩きだし、その上ほぼ毎日遅刻をしていたという点から。俺は学年最速で島流しにあい、みなが荘に入寮した。

 当初は学生寮に戻ろうって考えてた時期もあったけど。勉強は嫌いだし、朝起きれないし。無理だと判断した。でも――
 今年からは夢叶が担任の先生になり、恋に落ちて、1秒でも早く、1秒でも長く会いたいって思えて。
 いつの間にか、遅刻が無くなった。

 学生寮にいれば、食事の準備も後片付けも、順番にお風呂に入ったりするなんてことも無い。でも、みんなそれぞれが個室だし、好きなタイミングでご飯が食べられるから。やっぱり個が強くなって、今のように楽しく笑いながら、会話をしながら、食事をすることは無くなるだろう。

「それはそれで寂しいですよ」
「そんなこと言うやついるんだな。ほとんど自分たちでしないとダメなのに」
「みんなと一緒のことをやったりするの、思ったより楽しいんですよ」

 居室もない、共用の台所もない。羨ましいとも思えず、考えるだけでも胸にぽっかりと穴が空くような。そんな感覚に襲われた。

「前田。お前、やっぱり変なやつだな」

 ため息混じりにそう言う先生。傍から見れば、俺は変なのかもしれない。でも、やっぱりみなが荘は心地が良くて。あそこが俺の帰る場所だって思える。

「そんなことないですよ」

 そう答え、立ち上がった所で。教室に新たな生徒が入ってきた。

「おぉー、お前ら。昨日遅刻したから、延長だな」

 新たに入ってきた生徒に、先生が声をかけた。次、この教室で補習を受ける生徒たちらしい。俺はそれを横目で見ながら、教室を出て。社会科準備室に向かって走る。

 英語の補習の先生と少し話してしまった。夢叶を待たすことになってしまう。
 それだけは避けたいのに――
 早る想いが、駆ける脚をより一層に速くして。廊下を、階段を走り抜けた。

 その結果。社会科準備室の前まで辿り着いた時には、大きく息が上がっていた。
 脈が、鼓動が、速くなる。たぶん、それは走ったからだけじゃない。
 この扉を開けたら、夢叶が待ってるのが分かっているから。
 夢叶から誘ってもらえたから。
 その嬉しさが、喜びが、この鼓動の速さに反映されているのだろう。

 急いで来たのはわかって欲しいけど。でもそれが、あからさまにバレちゃうと、きっと夢叶は心配する。
 怪我したらどうするの?
 そう言って俺を見るのが手に取るように分かる。心配はして欲しいけど、心配は掛けたくないから。
 ふーっ、と大きく息を吐き。呼吸だけでも整えようとする。だが、1回のそれでは呼吸は定まらない。

「ふー。すぅー、はぁー」

 呼吸は整いつつあるけど、胸の鼓動はより一層早くなっているような気がする。
 何言われるんだろう。もしかして、お疲れ様的な、ご褒美が貰えたり!?

 そんなことを思いながら。
 俺は最後に大きな深呼吸をして、社会科準備室のドアに手をかけたのだった。
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