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「何か変な態度取られました」
しおりを挟む次の日――。俺はいつも通り、起床して居室に入った。
「おはようございます」
「おはよウシ」
俺の挨拶に綾人さんがエプロン姿で返事する。
「あれ? 今日は海斗先輩の日じゃなかったんですか?」
「海斗は帰ってきてなイカ」
「え。実家に帰ったんですよね?」
「そうだネコ」
俺と会話をしながら、綾人さんはフライパンに卵を割り、蓋をしめる。
「盛り上がる話でもあったんだろうネコ」
「そんなもんですか?」
「さぁ。僕は海斗じゃないからわかんないゾウキン」
蓋の隙間から煙が上がる。それを視認すると、綾人さんは蓋を取りお皿を用意する。
「とりあえず、飲み物は自分で用意してヨウカン」
「わかりました」
それとほぼ同時に、食パンが焼ける芳ばしい香りが鼻腔をくすぐる。
俺が起きるのを見越していたのだろうか。それとももう起こそうとしていたのか。
冷蔵庫を開け、ペットボトルコーヒーを取り出す。それをコップに注ぎ、その後に牛乳で割る。
「稜はコーヒーが好きだネコ」
「朝にはコーヒーって気がするんですよ」
「へぇー。じゃあ、そろそろ亜沙子ちゃん起こして来てくれるかナットウ?」
「了解です」
アイスコーヒーが完成したコップをテーブルに置いてから、俺は居室を出る。そして、階段を上る。
にしても、この階段登るのはじめてだな。
2階は女子部屋って聞いてるから、男子禁制ってイメージが強い。気持ち的には、男子が女子トイレに向かっているような感じだ。
それくらいに強い違和感を覚える。
「なんだよ、これ」
階段を上りきった所にある張り紙。それを見て、思わずその言葉が口から零れた。
『男子、侵入禁止! 特に稜くん!』
この文字には見覚えがある。亜沙子の文字だ。
「なんだよ、特に最後の部分。何もしないってんだよ」
ため息混じりに吐き捨てた時だ。みなが荘の2階に見受けられる扉の1番手前。
それがキィーと軋みを立てながら、開き始める。
「えっ.......?」
まさか、起きた?
てか、この状況.......やばくない?
そう思ったが、時既に遅しというやつだ。
「なんで稜くんがここにいるのよ!!」
悲鳴に近い声が上げられ、同時に開いていた扉がバンっ、と閉められる。
「なんでって。亜沙子を起こしに来たんだけど」
「変態!」
「な、なんで!?」
素直に答える。しかし、扉越しに返ってきた言葉は予想だにしていなかった言葉。
まさかの批判に目を丸くしていると、寝起きとは思えない張りのある声が聞こえてくる。
「階段のところの紙、見てないの?」
「見たけどさ。もう朝ごはんだからさ」
「.......そんなのわかってるわよ!」
一瞬、言葉に詰まるも亜沙子はしっかりと言い返してくる。てか、なんで顔を突き合わせて文句を言わないのか分からない。
扉越しに色々と言われても、違和感しかない。
しかも、一旦出てきていたんだ。わざわざ部屋に引き返した理由も分からない。
「まぁ、とりあえず悪かったよ。もうご飯だからな」
小首を傾げながら、扉の向こうにいるであろう亜沙子に声をかけてから踵を返す。
そして、そのまま階段を降り始める。それと同時に、扉の蝶番が軋む音が耳に届いた。
俺が階段を降りる音を確認してから、部屋から出てきたということだろう。
「そんなに俺と顔を合わせたくないのかよ」
昨日、一緒に出かけたばかりだと言うのに。どうして亜沙子の態度があんなのなのか。さっぱり、これっぽっちも分からず、訝るような顔を浮かべて階段を降りきった。
「起こしてくれタコ?」
「起こしに行ったら、何か変な態度取られました」
居室に戻ると、綾人さんがそう訊ねてきた。テーブルの上にはこんがりと焼けた食パンが3枚、それぞれのお皿に乗せて並べてある。
俺が亜沙子を起こしに行った、わずか数分の仕事とは思えない。程よい焦げ目のついた食パンの上には、バターも乗っており部屋中に芳ばしい香りが漂っている。
「顔でも見たんじゃないノリ?」
「まともには見てないですよ」
綾人さんの横に行き、出来たばかりの目玉焼きをテーブルに運びながら答える。すると、綾人さんは小さく笑った。
「そういうところだよ」
いつもとは違う。普通の話し方で、綾人さんは言うと台所の下部にある調味料置きから醤油を取り出す。
「これも運んで欲しイカ」
だが、それも一瞬。すぐさまいつも通りの口調に戻る綾人さん。俺はそんな綾人さんから醤油を預かり、テーブルに運ぶ。そうしていると、階段を降りてくる音が耳に届いた。
「もうすぐ来るでしょうね」
「ここに来るには、もう少しかかるんじゃないかナシ?」
「でも、いま降りてきましたよ?」
「それを分かるようにならないと、だネコ」
試すような口調で告げられる。だが、綾人さんに言っている意味が分からない。ご飯が出来ると言うのに、なぜすぐに居室に入ってこないのか。
料理が冷めてしまうだろうが。
綾人さんの言ったことは外れる。そう思っていた。しかし、亜沙子はすぐに居室に入ってくることはなかった。
亜沙子は居室の隣にあるお風呂場に繋がる、洗面・脱衣場の中へと消えていく。
「え、どうして?」
「亜沙子ちゃんの分も作り始めようカイ」
その行動原理が分からず、先ほど亜沙子の行動を推測した綾人さんに顔を向ける。だが、綾人さんは俺の疑問の答えを口にせず、代わりに冷蔵庫の中から卵を取り出す。
「あ、綾人さん!」
「答えは欲しがるだけじゃダメだヨウカン」
そう呼びかけても、綾人さんは返事をしない。フライパンの上に卵を割り、手に残った殻をシンクの中に設置してある三角コーナーに捨てている。
そして、先ほど同様にフライパンに蓋をかぶせた。
「稜くんの分はもう完成してるヨウカン。冷めないうちに食べていいんだからネコ?」
「あ、じゃあ。いただきます」
本当はまだまだ訊きたい。亜沙子がどうして洗面所の方へ行ったのか。どうしてそれが分かったのか。
ならさっき亜沙子に変な態度を取られた理由もわかるのでは無いのか。綾人さんがこぼした、顔を見たか否かの質問。それが大いに関係しているのか。
恋はしている。夢叶先生を想っている。
でも、恋愛はしていない。そんな経験はまだない。だから、女子の考えていることなんて皆目分からない。
それが分かる綾人さんや、海斗先輩はズルいや.......。
そんなことを思いながら、俺は席につく。少し動かすだけで黄身がぷるん、と動く。黄身が割れて、溢れださないように、ゆっくりと自分の方へ引き寄せてから、両手を合わせる。
「いただきます」
「ん」
短く答えた綾人さんは、同時にフライパンにかぶせた蓋をとる。
それを横目で確認しながら、俺は目玉焼きに醤油をかけるのだった。
* * * *
朝食を食べ終えてから、俺は身支度を済ませ、学校に向かった。
いつもみなが荘を出る時間より少し早い。日直だったり、そういったことでは無い。
土曜、日曜と夢叶先生に会えない日々が続いた。だから、1秒でも早く夢叶先生と会いたいんだ。
「おはようございます」
学校に着いた俺は、駆け上がるように階段を上りきり、教室へと入った。
「あ、今日は早いね。おはよう」
教室で待機していた夢叶先生が、俺を見てそう言った。朝とは思えない、華やかな表情を浮かべている。
それを見れただけで、みなが荘を早く出た意味がある。
そんな喜びも刹那。夢叶先生は事務机とセットになっているキャスター付きの椅子から立ち上がる。
「あれ? 夢叶先生、どうかしたんですか?」
「いまから職員会議なの」
短くため息をつきながら、苦笑を浮かべた顔を俺に向けた。
夢叶先生にとって、職員会議とやらは好きなものではないらしい。
「もうすぐ期末テストだけど、稜くんは大丈夫そう?」
事務机の上に置いてあったプリントをまとめながら、夢叶先生は俺に訊く。
「大丈夫そうに見えますか?」
教卓の前の席。俺の席にカバンを置きながら、自嘲の笑みを浮かべる。すると、プリントを抱えた夢叶先生がコツコツとヒールの音を鳴らしながら、俺に近寄ってくる。
「見えないから聞いたの」
「正解です」
眼前まで来た夢叶先生にそう答えると、夢叶先生はプリントを片手に持ち直し、空いた手の人差し指で俺の額をつついた。
「ちゃんと勉強しないと、夏休み補習だからね?」
いたずらっぽい笑みを浮かべた夢叶先生。いきなりの接触に少し心が踊り、恥ずかしさから顔が朱に染まる。
夢叶先生の顔が直視出来ない。
直視出来ない間に、夢叶先生は俺の前から立ち去っていく。
「.......っ!」
どうにか言葉を紡ごうとする。しかし、俺の想いが言葉になる前に。夢叶先生は教室を出て行ってしまった。
「テスト.......か」
「あちぃ.......」
俺が呟き、席に腰を下ろした時だ。不意に、そんな声が教室に響いた。練習で声を出しすぎているのだろう。声は枯れて、しゃがれている。
「って、あれ? 稜来るの早くね?」
「月曜だからな」
「普通、月曜は休みたいんだよ」
俺の言葉に、首にタオルを巻いた姿で教室に入ってきた卓が苦笑いを浮かべる。
「卓は朝練か?」
「おうよ。もうすぐ大会だからな」
「頑張れよ、2年生エースさん」
「さんきゅ。まぁ、稜が入ってくれたら百人力だけどな」
「練習もしてない奴が入ったところで何も変わらないだろ」
卓は肩をすぼめ、それもそうか、と答えると教室の後方にある自分の席にカバンを置いた。
そして、その位置から声を上げる。
「まぁ、その前にテストだな。赤点取ったらベンチ入り出来なくなるし」
「マジかよ。頑張れよ」
「頑張るのはお前もだろ」
そんな話をしているうちに、廊下の方がザワザワとし始めた。どうやら大多数が登校してきたようだ。
「夢叶先生に赤点とったら、夏休み補習とか言われたし。そこそこには頑張るよ」
「そうしろ」
他人事とは思えなかったのか。卓の表情が引きつったのが分かった。
まさか補習まであるとは思っていなかったのだろう。卓は分かりやすく、ため息をついていた。
そんな時、不意に廊下側から視線を感じた。
何だ?
疑問に思い、俺は廊下に顔を向けた。
瞬間、廊下を歩いていた一人の女子生徒と目が合う。お団子ヘアーが特徴的な、整った顔立ちの女子生徒――亜沙子だ。
途端、亜沙子は澄ました表情を崩す。くしゃっと表情を潰し、ちらっと舌を覗かせる。
いきなりのあっかんべーで、呆気にとられていると亜沙子はぷいっとそっぽを向いて彼女の教室へと歩いて行ってしまった。
しかし、その様子は怒っているようなものでは無い。どちらかと言うと、戸惑う俺を見て楽しんでいるような。そんな感じである。
今朝の亜沙子の様子。それから今の亜沙子の様子。
どうしてこれ程までに態度が違うのか。
その答えが分からないまま、本日の授業が始まるのだった。
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