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『味覚障害』 ~ナイフとフォークと紙粘土
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最初にあやベェがあれ?と思ったのは、ミニハンバーグを食べた時だ。
目の前の食卓テーブルに広がる、申し分ない朝食メニュー。
ご飯とナスとワカメの味噌汁、納豆、卵焼き、ほうれん草のおひたし、里芋と根菜の煮物。
そして母親がメイン料理に困ったときによく作る、ケチャップとウスターソースで味付けされた、はずの冷凍ミニハンバーグ。
そのままお弁当のおかずに流用することが多いので、作るのが楽なのであろうそれを、試しにもう一口食べてみる。
が、予想したケチャップの甘みや酸味、その中で主張するソースの味がない。
ぬめりとギュッと握り込んだスチールウールが崩壊するような食感だけで、なんというか味に色が無い。
口に入れる瞬間までトマトの赤やソースの黒々としたイメージがあるのに、いざ食べるとそれがまったく感じられない。
真っ白な、紙粘土で精巧に作ったハンバーグを食べてるようだった。
ご飯も食べてみるが甘みはなく、やはり色が無い。
元が白いのだから色は無いのだが、それでも無い。
透明とも違う。空虚な白い味。
細かく粒にして固めた、紙粘土で作った白米を食べてるようだった。
こっちはどうかとおひたしも食べてみる。
しかし、しゃぐしゃぐとした食感だけで、やはり直前まで思い描いていた緑色のほろ苦さがない。
普段は意識しない、鉄分を感じる緑色が。
舌に張り付くかつお節も、視覚で捉えた薄い茶色が口に入れた瞬間無くなる。濡れた木屑のような食感。
醤油はかかってるのかすらわからない。
卵焼きなんて後悔の味しかしない。ボソボソした食感だけ。
普段は意識しない、健康的な黄色いイメージが口に広がらない。
甘いのかだし味なのか、いつもは甘い卵焼きだから今日もかと予想するが、正解なんてわかりっこない。
ただただ早く飲み込んでしまおうと頑張って咀嚼する。
ダイレクトに命を頂いているのに、なんだか申し訳なくなる。
ハンバーグも命だが、こちらは生まれなかった命なのでもっと罪悪感がある。
納豆、味噌汁も口にするがダメだった。
煮物についてはもういいだろうと箸すらつけない。
そして、またかとあやベェが大きな身体でため息をつく。状況を受け入れる。
味覚が、わからなくなってしまった。
「今日、お昼いいかも」
「なんで!?」
お茶碗のご飯を炊飯器に戻し、味噌汁もこっそり鍋に戻して。
洗い終わった洗濯物をカゴに移そうとしている母親にあやベェがそう言うと、予想通り母親は怒った声を出した。
「ちょっと…、食べる時間ないかも知んないから。…委員会で」
大きな体に見合わない小さな声で、あやベェが適当に嘘をつく。
「だったら早く言いなさいよ!!もうお弁当作っちゃったじゃない!!」
「…お母さん食べてよ」
「食べるわよ、まったく!ほら退いて!」
苛立たしげにそう言うと、母親はあやベェを押しのけ大量の洗濯物を抱えてベランダへ。
朝の忙しい時間を使って作ってもらったお弁当。
確かに食べないのは申し訳ないと思う。
しかし今のあやベェにとって食事は意味を成さない。
味がわからないのだ。
苦痛以前に意味が無い。
かといって作ってもらったお弁当を学校のゴミ箱に捨てるなど出来ない。
「前のは…、いつだっけ」
学校へ向かいながら、あやベェはこの症状が何度目だろうと思い出す。
確か最初は小学生の頃。四年生だったか。
いや幼稚園の時にも一回なったはずだ。
初めはただただ驚いた。
何を食べてもニセモノを食べてるような感覚。
だからだろう、面白くて何でも食べてみた。
冷蔵庫にあるチューブの辛子やわさびを大量に舐めてみたり。
食卓塩を逆さにし、口に直接サラサラと入れてみたり。
普段は食べない食べ方、おやつのゼリーやドーナツに大量にお醤油をかけ回してみたりして色々と舌を刺激してみた。
なのに、何も来ない。
舌への刺激が。
甘い、辛い、苦い、しょっぱい。全て来ない。
ただただ食感だけ。
何かこれは大変なことになってるのでは、お母さんに言った方がいいのでは、もしかして病院に行くような事態に、そうなったら怒られる、それよりも手術に、どんな手術?もしかして、舌を焼いたりとか!!と思ってるうちに、症状はいつの間にか消えてホッとした。
今ならばなぜそんな症状が出たのか原因がわかる。
ストレスだ。
数日後に控えた幼稚園のお泊り遠足が嫌で嫌で仕方なかったのだ。
風邪でも引いてくれればいいものを、どういうわけか味がわからなくなった。
行きたくない行きたくないというストレスがそんな形で出てしまったのだ。
そしてお泊り遠足は休むこと無く、渋々行った。
行ってみればそれなりに楽しかったのだが。
「で、確かその次が」
信号待ちをしながら更に思い出していく。
次に発症したのは、小学生の時だ。
博物館への社会科見学が嫌だったのだ。
嫌だった理由は、バスでの移動が長そうだったからだ。
だからといってサボる訳にもいかない。
嫌だから、で行事をサボってはいけないことくらいわかっていたし、良い子だった。
子供だったともいえる。
その数日前から舌があれ?と思うことがあった。
妙な既視感があった。しかし食欲が落ち、これならバスで気分が悪くなることもないのではとむしろ安堵した。
しかしそれも社会科見学が終わったら自然と治った。
体に異常をきたすくらい嫌なものから逃げるなんて、考えもしなかった。
「で、中学の時だから…、二年の時か。あー、あれか」
二年生になってクラス替えがあり、4月の終わりにまたすぐクラス替えがあったのだ。
その年に限って時期外れな転入生が多く、それによって再度クラス替えが行われた。
せっかくグループが出来かけていた矢先のシャッフル。
おまけに成績、リーダー性、ムードメーカー、相性、手のかかる子、美醜など学期末に教師達によって入念に練られたはずのクラスバランスが崩れ、結果その年の二年生は荒れた。
最初は一部の生徒だけだったが、この崩壊の連鎖に乗るしかねえとばかりに徐々に普通の生徒も荒れ出した。
そこにあやべェも巻き込まれた。
真面目に授業を受けたいのに、生徒が妨害する。それがひどくなる。教師も真面目にやらなくなる。
周りに合わせ、授業なんてフケようぜに乗っからなくてはならなかった。
似合いもしないのに制服を改造しなくてはならなかった。
授業中に友人達と大声でお喋りをしなくてはならなかった。
真面目であることが裏切りとされた。
それにストレスを感じ、味がわからなくなったのだ。
しかしその時は原因がわかっていたので、不真面目の波と、徐々に収束していくその波に身を委ねていればあっさり治った。
そんなことが定期的に身に起こっている。おまけにその期間が短くなっていた。
そして、今回はと考え、
「免許、かなあ」
と、あやべェが呟く。
父親にまた言われたのだ。
18になったら必ず免許を取れと。
あやベェは乗り物に弱い。お泊り遠足も社会科見学も、今のような症状が出たのはバスに乗っての移動が憂鬱だったからだ。
免許を取れば乗り物酔いなんて治る。
だから免許を取れ。
だが教習所代は出さない。
車も自分で買え。
今の若いやつは車を買わないからけしからん。
それは、いつものやつだった。
父親はこうしてよく家族に講釈を垂れる。
捕まったら最後、話を延々聞かなくてはならない。
材料はなんでもいい。政治、スポーツ、テレビ、自分が語りたいこと、喋りたいことをぶつけてくる。
会話というキャッチボールは成り立たない。
そして、昨日のはいつもの「免許を取りさえすれば、乗り物酔いなんざ一発で治る」だった。
免許はわかる。
が、教習所代は?
車なんて今は家のを使えばいいのでは?
最近の若者論をなぜ自分に?
そもそも治る保証なんてあるの?
何十万も自腹で払って、それで治ってなかったら?
なんでお母さんはその時になったら考えればいいだとか、今そんなこと言ったってしょうがないじゃないだとか、それぐらいにしたらだとか、話をうまく遮ってくれないの?
様々な疑念とストレスが溜め込まれた結果、
「…味が」
自分の歴史と病歴を辿り、あやべェがふうーっと深い溜め息をつく。
が、悪いことばかりではない。
あやべェはむしろ楽観的だった。
まあ、いいかと。
味がわからなくなるということはつまり、食への関心がなくなるということだ。
中学の時にわかってしまった。
味がわからない、ゆえに食べなくなる。
結果痩せる。
当たり前のことだが、思春期においてのそれは嬉しい発見だった。
第一自分の食への異常なまでの関心が抑えられるのは喜ばしい。
あれもこれも食べたいという欲求に振り回されなくなるのだ。
普段のあやベェはわりと食いしん坊な方だ。
だから、これを機会にダイエットしようと決意した。
またどうせいつの間にか治るのだしと。
目の前の食卓テーブルに広がる、申し分ない朝食メニュー。
ご飯とナスとワカメの味噌汁、納豆、卵焼き、ほうれん草のおひたし、里芋と根菜の煮物。
そして母親がメイン料理に困ったときによく作る、ケチャップとウスターソースで味付けされた、はずの冷凍ミニハンバーグ。
そのままお弁当のおかずに流用することが多いので、作るのが楽なのであろうそれを、試しにもう一口食べてみる。
が、予想したケチャップの甘みや酸味、その中で主張するソースの味がない。
ぬめりとギュッと握り込んだスチールウールが崩壊するような食感だけで、なんというか味に色が無い。
口に入れる瞬間までトマトの赤やソースの黒々としたイメージがあるのに、いざ食べるとそれがまったく感じられない。
真っ白な、紙粘土で精巧に作ったハンバーグを食べてるようだった。
ご飯も食べてみるが甘みはなく、やはり色が無い。
元が白いのだから色は無いのだが、それでも無い。
透明とも違う。空虚な白い味。
細かく粒にして固めた、紙粘土で作った白米を食べてるようだった。
こっちはどうかとおひたしも食べてみる。
しかし、しゃぐしゃぐとした食感だけで、やはり直前まで思い描いていた緑色のほろ苦さがない。
普段は意識しない、鉄分を感じる緑色が。
舌に張り付くかつお節も、視覚で捉えた薄い茶色が口に入れた瞬間無くなる。濡れた木屑のような食感。
醤油はかかってるのかすらわからない。
卵焼きなんて後悔の味しかしない。ボソボソした食感だけ。
普段は意識しない、健康的な黄色いイメージが口に広がらない。
甘いのかだし味なのか、いつもは甘い卵焼きだから今日もかと予想するが、正解なんてわかりっこない。
ただただ早く飲み込んでしまおうと頑張って咀嚼する。
ダイレクトに命を頂いているのに、なんだか申し訳なくなる。
ハンバーグも命だが、こちらは生まれなかった命なのでもっと罪悪感がある。
納豆、味噌汁も口にするがダメだった。
煮物についてはもういいだろうと箸すらつけない。
そして、またかとあやベェが大きな身体でため息をつく。状況を受け入れる。
味覚が、わからなくなってしまった。
「今日、お昼いいかも」
「なんで!?」
お茶碗のご飯を炊飯器に戻し、味噌汁もこっそり鍋に戻して。
洗い終わった洗濯物をカゴに移そうとしている母親にあやベェがそう言うと、予想通り母親は怒った声を出した。
「ちょっと…、食べる時間ないかも知んないから。…委員会で」
大きな体に見合わない小さな声で、あやベェが適当に嘘をつく。
「だったら早く言いなさいよ!!もうお弁当作っちゃったじゃない!!」
「…お母さん食べてよ」
「食べるわよ、まったく!ほら退いて!」
苛立たしげにそう言うと、母親はあやベェを押しのけ大量の洗濯物を抱えてベランダへ。
朝の忙しい時間を使って作ってもらったお弁当。
確かに食べないのは申し訳ないと思う。
しかし今のあやベェにとって食事は意味を成さない。
味がわからないのだ。
苦痛以前に意味が無い。
かといって作ってもらったお弁当を学校のゴミ箱に捨てるなど出来ない。
「前のは…、いつだっけ」
学校へ向かいながら、あやベェはこの症状が何度目だろうと思い出す。
確か最初は小学生の頃。四年生だったか。
いや幼稚園の時にも一回なったはずだ。
初めはただただ驚いた。
何を食べてもニセモノを食べてるような感覚。
だからだろう、面白くて何でも食べてみた。
冷蔵庫にあるチューブの辛子やわさびを大量に舐めてみたり。
食卓塩を逆さにし、口に直接サラサラと入れてみたり。
普段は食べない食べ方、おやつのゼリーやドーナツに大量にお醤油をかけ回してみたりして色々と舌を刺激してみた。
なのに、何も来ない。
舌への刺激が。
甘い、辛い、苦い、しょっぱい。全て来ない。
ただただ食感だけ。
何かこれは大変なことになってるのでは、お母さんに言った方がいいのでは、もしかして病院に行くような事態に、そうなったら怒られる、それよりも手術に、どんな手術?もしかして、舌を焼いたりとか!!と思ってるうちに、症状はいつの間にか消えてホッとした。
今ならばなぜそんな症状が出たのか原因がわかる。
ストレスだ。
数日後に控えた幼稚園のお泊り遠足が嫌で嫌で仕方なかったのだ。
風邪でも引いてくれればいいものを、どういうわけか味がわからなくなった。
行きたくない行きたくないというストレスがそんな形で出てしまったのだ。
そしてお泊り遠足は休むこと無く、渋々行った。
行ってみればそれなりに楽しかったのだが。
「で、確かその次が」
信号待ちをしながら更に思い出していく。
次に発症したのは、小学生の時だ。
博物館への社会科見学が嫌だったのだ。
嫌だった理由は、バスでの移動が長そうだったからだ。
だからといってサボる訳にもいかない。
嫌だから、で行事をサボってはいけないことくらいわかっていたし、良い子だった。
子供だったともいえる。
その数日前から舌があれ?と思うことがあった。
妙な既視感があった。しかし食欲が落ち、これならバスで気分が悪くなることもないのではとむしろ安堵した。
しかしそれも社会科見学が終わったら自然と治った。
体に異常をきたすくらい嫌なものから逃げるなんて、考えもしなかった。
「で、中学の時だから…、二年の時か。あー、あれか」
二年生になってクラス替えがあり、4月の終わりにまたすぐクラス替えがあったのだ。
その年に限って時期外れな転入生が多く、それによって再度クラス替えが行われた。
せっかくグループが出来かけていた矢先のシャッフル。
おまけに成績、リーダー性、ムードメーカー、相性、手のかかる子、美醜など学期末に教師達によって入念に練られたはずのクラスバランスが崩れ、結果その年の二年生は荒れた。
最初は一部の生徒だけだったが、この崩壊の連鎖に乗るしかねえとばかりに徐々に普通の生徒も荒れ出した。
そこにあやべェも巻き込まれた。
真面目に授業を受けたいのに、生徒が妨害する。それがひどくなる。教師も真面目にやらなくなる。
周りに合わせ、授業なんてフケようぜに乗っからなくてはならなかった。
似合いもしないのに制服を改造しなくてはならなかった。
授業中に友人達と大声でお喋りをしなくてはならなかった。
真面目であることが裏切りとされた。
それにストレスを感じ、味がわからなくなったのだ。
しかしその時は原因がわかっていたので、不真面目の波と、徐々に収束していくその波に身を委ねていればあっさり治った。
そんなことが定期的に身に起こっている。おまけにその期間が短くなっていた。
そして、今回はと考え、
「免許、かなあ」
と、あやべェが呟く。
父親にまた言われたのだ。
18になったら必ず免許を取れと。
あやベェは乗り物に弱い。お泊り遠足も社会科見学も、今のような症状が出たのはバスに乗っての移動が憂鬱だったからだ。
免許を取れば乗り物酔いなんて治る。
だから免許を取れ。
だが教習所代は出さない。
車も自分で買え。
今の若いやつは車を買わないからけしからん。
それは、いつものやつだった。
父親はこうしてよく家族に講釈を垂れる。
捕まったら最後、話を延々聞かなくてはならない。
材料はなんでもいい。政治、スポーツ、テレビ、自分が語りたいこと、喋りたいことをぶつけてくる。
会話というキャッチボールは成り立たない。
そして、昨日のはいつもの「免許を取りさえすれば、乗り物酔いなんざ一発で治る」だった。
免許はわかる。
が、教習所代は?
車なんて今は家のを使えばいいのでは?
最近の若者論をなぜ自分に?
そもそも治る保証なんてあるの?
何十万も自腹で払って、それで治ってなかったら?
なんでお母さんはその時になったら考えればいいだとか、今そんなこと言ったってしょうがないじゃないだとか、それぐらいにしたらだとか、話をうまく遮ってくれないの?
様々な疑念とストレスが溜め込まれた結果、
「…味が」
自分の歴史と病歴を辿り、あやべェがふうーっと深い溜め息をつく。
が、悪いことばかりではない。
あやべェはむしろ楽観的だった。
まあ、いいかと。
味がわからなくなるということはつまり、食への関心がなくなるということだ。
中学の時にわかってしまった。
味がわからない、ゆえに食べなくなる。
結果痩せる。
当たり前のことだが、思春期においてのそれは嬉しい発見だった。
第一自分の食への異常なまでの関心が抑えられるのは喜ばしい。
あれもこれも食べたいという欲求に振り回されなくなるのだ。
普段のあやベェはわりと食いしん坊な方だ。
だから、これを機会にダイエットしようと決意した。
またどうせいつの間にか治るのだしと。
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