彼女の中指が勃たない。

坪庭 芝特訓

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『味覚障害』 2こねこね目

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「あやべェ、お昼は?」
「うん。ちょっと、減量することにした」

 いつもお昼を一緒に食べるクラスメイト達は、何も食べていないあやべェがダイエット中だからと言えば納得してくれた。
 そしてそれ以上は何も訊かない。
 抜け駆けは許さない!などと言ってむりやりお弁当の卵焼きを食べさせようなんてしない。そういう歳だからだ。
 おまけにあやべェは痩せている方ではない。
 標準体重で照らし合わせれば全く問題ないのだが、痩せていれば痩せているだけいいという歳の子達は、心の中でそうだね、その方がいいよと思っていたくらいだ。
 だから、何も言わず、何も訊かず、何も怪しまなかった。


「さあて、と。色々買わなきゃ」

 学校帰り。あやべェは大型スーパーに寄った。
 朝とお昼は抜いたが、味がわからないといっても一切食べないのでは体が持たない。
 プライベートブランドの異様に安いゼリー飲料や、ブロック型のバランス栄養食を買い込む。
 どうせわからないが味が被らないように。


「まだ起きないの!?時間無いわよ!!朝食べないの!?」
「んー…」

 昼は食べない、あるいはゼリー飲料を摂取すれば友人達の追求は免れた。
 問題は家だったが、これも朝はグズグズと部屋で時間を潰し、母親の朝メシ食べないのかコールには生返事をし、朝食を取らないようにした。
 起きれないのは委員会活動が忙しくて疲れているから。
 お弁当も夕飯も、委員会活動が忙しくて食べる時間がない、委員会の人達と食べてきたと言えばどうにかなった。
 学校のことなので親も深入りしてこない。何の委員会かも訊かない。
 勝手にしろと思われていたのかもしれないが。


 食べなくなると空腹感はすぐに感じなくなった。
 胃のぼんやりした熱さと微熱だけは感じられたが。
 そもそも今までが食欲と連動して食べていなかったのだから当然だ。
 空腹感を感じる前に食べ物を摂取する生活だったので、いざそのサインが来ても気にせずにいると、身体の方も出さなくなってくるのか。
 あやべェが自分の食生活を思い出してみる。
 家では黙っていても食事が用意され、パンやお菓子など、簡単に食べれるものが家に常備されていた。
 それ以外の自分が食べたいものも、まるで順番待ちしているかのようにコンビニ内やスーパーなど至る所に並んでいた。
 食欲に囚われないのは実に楽だった。
 新聞に挟まっている、買う予定のないスーパーの駅弁チラシを見ても胸がときめかなくて済む。
 コンビニのおにぎりが美味しくリニューアルしたというテレビCMや、グルメ系バラエティ番組を見てもよだれを垂らさなくて済む。
 ブロック栄養食もゼリー飲料も、ただ機械的に咀嚼すればいい。時間もかからず効率的だ。
 食べないうちに胃がどんどん小さくなっていくのもわかった。
 これなら仮に食べるようになってもすぐお腹いっぱいになってくれるはずだと、あやべェは少しだけふらつく頭で考えた。


「…よし」

 お風呂上がり、体重計に乗ったあやべェが嬉しそうな声を上げる。
 予想通り体重は落ちていた。
 2日で一キロも。
 一日に必要な摂取カロリーを大幅に下回っているから当然だが。
 ブロック栄養食を一日一箱、一食に二本食べていたのを、一食一本にしたのがよかったのか。
 お風呂場の鏡であやべェが自分の姿を見てみる。
 鎖骨のあたり、腹部、太ももの肉が減っているか。
 いや、まだ気のせいか。
 しかしこのまま突き進めば変化が目に見えてわかってくるはずだ。
 ぼんやりとした頭痛がずっと続いていたが、あやべェは気づかないふりをした。


「あやべェーっ!」

 昼休み。学校の廊下を歩いていると、自分のあだ名を呼ぶ元気な声がしてあやべェが振り向く。
 声ですでにわかった。同じクラスのゾノコはんだ。
 やや前歯の主張が激しい、げっ歯類を思わせる女の子だが、愛嬌のある顔で可愛い。
 仲の良い友人グループは違うがあやべェとは食の好みが合い、よくコンビニパンやコンビニのレジ横フードの話などをし、情報交換していた。

「ねねっ、この前言ってたクロワッサンさあっ、中にクーベルチュールが入ってるやつ!」
「ああ…」

 そういえ以前そんな話をしたなとあやべェが思い出す。
 だがもう遠い過去のように思えた。味も、どんなだったか思い出せない。
 クロワッサンがただ事じゃないくらい美味しくて、中のチョコが製菓用だからコクがあると教えた気がするが。

「あれこの前食べたんだけどっ、んもうチョー美味しかった!」

 そうゾノコはんがテンション高く報告してくれる。
 しかしあやべェは話に乗れない。
 でしょでしょ?とも、新たに発掘したコンビニパンのことも話せない。
 いつもと違い、ノリが悪いあやべェにゾノコはんがキョトンとするが、

「ごめん、また今度ね」

 急いでる振りをしてあやべェは逃げた。
 今の彼女と話すことなどなかった。



 味がわからなくなってからは家と学校を往復するだけの日々が続いた。
 学校に行くこと自体が重労働だったが、これも大事な運動だと言い聞かせ、あやべェは頑張って通った。
 時折目眩がし、具合が悪いと言って保健室に行こうと思ったが、食べてないことが保健の先生に悟られたら大変だと我慢した。
 目眩や頭痛は血糖値の問題だろうと飴を嘗めることでどうにか凌いでいた。
 当然味なんかしない。
 徐々に無くなる、作りの雑なビー玉を嘗めてるようなものだ。
 それで脳に栄養を送りながら、なるべく動かず、ただただ日々と時間が過ぎ去るのを待った。
 そうすれば基礎代謝が身体から脂肪と体重を削っていってくれる。
 何もせず、何も食べずで痩せるならこんなにいいことはない。
 しかし―、

「…あれ?」

 それは突然来た。
 学校帰り。気が向いた時にコンビニなどで立ち読みしていた少女マンガ雑誌。
 いわゆる青年向けの、週刊誌タイプではない。分厚いコミック雑誌だ。
 それが、あやべェは持てなかった。
 持てることは持てるが、いつも読んでいる作品を読み切るまでに、腕から力が抜けて持っていられない。
 ひどく重たい。
 これは何グラムだと考えるが、それすら考えられない。
 頭が働かない、動かない。動かすための燃料がない。
 そうだ、飴だと思ったが生憎先程食べた分で無くなってしまった。
 持ってる量がもう少ないから通学用のバッグに補充しておこうと思ったのだが、忘れていた。
 そんなことすらも覚えていられない。そんなことすら出来なくなっていた。
 そして今は、隔週発行のマンガ雑誌すら持っていられない。
 ダメだ、落としてしまいそうだと、あやべェはひどくしんどい思いで棚に戻した。
 体重と脂肪以外にも何かが落ちていってるのがわかった。
 棚に並ぶ雑誌類を見てあやべェが呟く。

「……リミットか」

 味覚障害が発動して、食べなくなって何日目だろうか。
 それすらわからない。
 中学の時の記録はとっくに抜いただろう。
 鏡と体重計を見ても申し分ないくらいの成果が出ていた。
 これ以上は危険か。そろそろ、食べなくては。
 成果が出ている分、少し勿体なかったが、

「ということは」

 さて、じゃあ何を食べようかと考える。
 おあつらえ向きに今いるのがコンビニなので、食べるものは豊富にある。
 必要最低限食べていたとは言え絶食、断食に近い。
 いきなり重いものは身体がキツイはずだ。
 まず軽いものを何か、と考え、そこから本当に食べたいものに繋げていこうと考えるが、

「…あれ?」

 食べたいものが、何もない。
 例えば、毎日義務のように食べていたブロック栄養食。あの、砂を固めたような味と食感の。
 リンゴ、バナナ、マンゴー味など様々な味が展開されていたが、そんなフレーバーなどわからなかった。
 今の自分は、味がわからないのだ。そんな自分が食べたいものなんてない。
 堂々巡りのような真実に、動かない頭で気づいた。


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