彼女の中指が勃たない。

坪庭 芝特訓

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『過蓋咬合』 ~わんわんにゃんにゃんくちゃくちゃペッペ

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「あぐぅう」
「どうしたん?いぬたん」

 右頬を抑えて痛がっている稲澤さんを見て、クラスメイトの女子が訊いてくる。
 どうしたもこうしたも稲澤さんは歯が痛かった。
 それも急に、上の奥歯が左右両方とも。
 あまりの痛みに日本犬に似た犬顔を歪ませる。

「虫歯じゃないの?見せてみ」

 虫歯の痛みでは無い気がするが、とりあえず口を開けてクラスメイトに見てもらう。

「ああ、でも大丈夫だ。なんともない」

 下から覗き込むようにして見てもらうが、歯はきれいなものだった。
 痛むという箇所以外も特に問題は見られず、歯並びも綺麗な方だが。すると、

「あれじゃない?知覚過敏」
「ええっ?」

 クラスメイトからの予想外のキーワードに更に稲澤さんの犬顔が歪む。

「歯ぁ強く磨きすぎたとか」
「無いよ。無い無い」
「新しい歯ブラシが固めだったとか」
「無い無い無い」

 歯ブラシはいつも母親が買ってくるが、固いのは歯を痛めるからと柔らかめをストックしてくれているのでその可能性はない。

「なんだろ…。っていうか痛くてかなわん」

 他に何かあるかと犬澤さんが考えるが、辛そうに更に顔を歪める。

「保健室行って痛み止め貰ってくれば?」
「それじゃあ私が付き添いで」
「ハイハイあたしもっ」

 サボりたいクラスメイト達が次々手を挙げ立候補するが、

「ちょっと待てい」

 凛とした声がそれを遮る。

「それならわたしの出番じゃないのかね」

 自他共に認める犬澤ちゃんの嫁ちゃんこと横末(よこすえ)ちゃんだ。
 犬澤ちゃんからすれば誰がついてこようが構わない。
 ただみんなサボりたいだけなのだ。


「すいませーん」
「はーい」
「なんか歯が痛いらしいんでー、鎮痛剤的なの貰えますかー」

 まず保健室に入ってきた横末ちゃんがそう申し出、養護の先生がその後ろにいる頬を抑えた稲澤さんを見る。

「歯?虫歯?」
「じゃないと思うんですけど」
「どれどれ」

 先生が近づき、顔を覗き込むようにしてくるので、稲澤さんが口をカパッと開けて見せる。

「うーん…、綺麗ね」
「どおも」

 やはり褒められた。
 そして口を閉じ、上下の歯をカチッと合わせる。
 それを見て、先生は何か思いあたったようで、

「ちょっと、もう一回開けてみて」
「へ?はあ」
「じゃなくてそのまま」

 見えやすいようにまた上を向くが、先生はそのまま、まっすぐこちらを向いたまま開けてくれと言う。
 よくわからないまま稲澤さんが下顎だけを下ろす。

「で、ゆっくり閉じてみて」

 更に言われるまま口を閉じてみせる。
 よくわからない横末ちゃんは見てるだけしか出来ない。
 先生は少し考え、

「前の授業、体育?」

 そう訊いてきた。

「え?はい」
「種目は?」
「槍投げですが」

 それを聞いてふうむと更に考え込み、

「歯食いしばったりした?」

 言われて稲澤さんがそういえば、という顔をする。
 その顔を見て、

「あのね、あなた噛み合わせがものすごく悪い」
「ええっ!?」

 知覚過敏の更に上を行くことを言われ、稲澤さんがびっくりする。

「歯はきれいなんだけど、歯医者とかも行ったことあまりない?」
「はい…」

 確かに悪くならないので行く機会がなかった。

「歯科検診で噛み合わせについて言われたことなかった?」
「ええっと、」

 言われたような気がしないでもない。が、悪い歯がなかったことの方が重要だった。
 要はちゃんと聞いてなかったのだ。

「今の貴方の状態だと、たぶん奥歯の上下四本でしか噛み合ってないの。口閉じてイーッてしてみて」

 言われるままに綺麗な歯を見せると、先生は机から大きな鏡を取り出し、イーっとした稲澤さんの姿を映す。

「ほら、犬歯とか前歯が全然合わさってない」
「あー、ホントだ」

 横末ちゃんも鏡を覗き込む。
 言われて初めて気づいた。
 出っ歯、とは違うが上の前歯が空中で下の前歯に被さるようになっていて、そのサイドの犬歯などは全く重ならず空間が出来ていた。
 が、それがどういうことなのか稲澤さんはわからない。
 何が問題なのかと。
 なので、

「普通は?」

 横末ちゃんに訊いてみた。
 横末ちゃんは稲澤さんに見せる前にまずイーっと、先生の方を見てやってみせ、

「うん。綺麗ね」

 お墨付きを貰ったので見せてやる。
 ちゃんとすべての歯が合わさっているし、余計な空間も上前歯の主張が激しいということもない。

「本来人間の歯っていうのは全部の歯に満遍なく力が加わってた方がいいの。だから例えば食事に関しても、」

 そこまで言って先生は少し考え、

「麺類とか、ちゃんと前歯で噛み切って食べてる?」
「え…」

 そりゃそうだろうと稲澤さんは思うが、改めて言われるとわからない。いや、これだけ噛み合ってないと出来ていないのではと。
 普段どうやって麺類を食べていたか思い出せない。
 右手の人差指と中指を箸のようにして、見えない麺を持ち上げてみるが、それをどうやって食べてるかわからない。なので、

「よこちゃんは?」
「あたし?」

 正常な噛み合わせの嫁に訊いてみる。

「ちゃんと食べれてる?前歯で噛み切って」

 そう言われるが横末ちゃんもわからない。普段どうやって麺類を食べてるかなんて。
 怪訝そうな不安そうな顔で揃ってフリーズしてしまった。
 そんな二人を見て先生は小さく溜息をつくと、

「他の子には内緒よ」

 そう言って、職員室に連れていってくれた。


「これ、食べてみて」
 
 職員室の給湯室で。
 先生は一分で作れる春雨ヌードルと割り箸を稲澤さんに差し出す。
 それを、稲澤さんがふーふーちゅるるっ、と啜る。

「どう?」
「あ…」

 どうやって麺類的なものを食べてるかの実験なのに、普通に食べてしまった。
 もう一度、今度はちゅる、と啜り、

「ん、ん」

 どう噛み切っているか口内に意識を向けると、

「!?」

 稲澤さんは上の前歯と舌で春雨を噛み切っていた。
 こんな食べ方をしていたことに驚く。
 そしてようやく自分がおかしいのだということに気付いた。
 その隣で横末ちゃんは残った春雨ヌードルを食べようとしていた。

「ど、どうすれば」
「治すのであれば、そうね、ちゃんと矯正とかして」
「矯正!?」

 いかにもお金と時間がかかりそうなワードが出てきて、稲澤さんの顔から血の気が引く。
 親になんと言ったらいいのか。

「それ、絶対ですか。絶対やらなきゃダメ?」

 絶対にやりたくないという思いともに訊くと、

「まあ矯正以外にも、他に方法がないわけでもないけど」
「教えてくださいっ」

 真剣な犬顔で稲澤さんが問う。

「方法としては、まあ、自力でね」
「自力?」


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