彼女の中指が勃たない。

坪庭 芝特訓

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『下顎水平埋伏智歯抜歯』 ~その痛みがいつまでも続くとお思いか?

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「うん。横向きだね」
「はい」
「おまけに完全に埋まっちゃってる」
「はあ」

 レントゲン写真を前に先生にそう言われても、亜衣は気の抜けた返事しか出来ない。
 それは去年、別の歯医者で言われたことだった。
 水平埋伏智歯。
 横向きに生えて、かつ歯茎に埋まってしまってるタイプの親知らず。
 親知らずの中でも相当厄介なものだった。
 それが下の最奥、左右に一本づつ。
 疲れたりするとズキンズキンと腫れ、鎮痛剤でもごまかしが効かなくなってきたのでいよいよ抜くことにした。
 が、口腔外科があり、水平埋伏の親知らず抜歯もするとホームページに掲げた歯医者に行くと「うちでは抜けない。どうしても抜きたいなら大学病院用に紹介状書くけど?」と言ってきた。
 ここで抜けるのでは?と問うも、それで紹介状はどうするの?いるなら書くけど?うちでは抜けませんが、の一点張り。

 それから一年。
 やはり時折訪れる腫れが辛く、鎮痛剤代が馬鹿らしいので改めて抜くことを決意した。
 以前とは違う別の歯医者でレントゲンを撮ってもらい、紹介状を書いてもらって大学病院へ、と思っていたのだが。

「で、どうする?いつ抜こうか。えーっと今月だとね。どこが空いてるかなーっと」

 先生はカルテを見ながら言った。

「はい。え?ここで抜けるんですか?」
「ん?うん。抜けるよ?口腔外科だし。ボクが抜くんだけど」

 ボクと先生が自分を指差す。白髪交じりのおじいちゃん先生だが口調や表情は若々しい。

「前に別の歯医者行ったら大学病院とかじゃなきゃ抜けないって言われたんですけど。抜くの難しいタイプだからって」
「んー?いやあ大丈夫だよ。どうしても全身麻酔とかじゃなきゃ嫌だとか一気に全部抜くっていうなら紹介状書くけど」
「いやいやいや!ここで抜けるならお願いします!」

 抜くのは嫌だが大学病院というのはもっと嫌だった。
 たかだか歯科関係で大学病院だの入院だの全身麻酔だのわざわざバスで遠くの病院まで通うだのとなると、もうそれだけでしんどくなってしまう。
 それがネックで渋っていたのだ。
 徒歩五分圏内の町医者で抜けるなら万々歳だ。

「そうか。じゃあいいのね?それだといつ頃がいいかな」
「一番早いといつでしょうか」
「一番早いとー、午後でもいいかな?」
「はい。大丈夫です」
「だったらね」


「来週頭に歯ぁ抜くって」
「え?早くね?」
「だけどもう少しすると繁忙期らしいし」

 帰ってきた亜衣は、家に来ていた恋人の多恵にそう報告する。
 先生によれば、もう少しすると新学期や新生活に向けて歯を治しておこうという客が増えるらしい。
 親知らずもそれに含まれるらしいが、口腔外科の診療日が少ないため、早ければ早いほど良いという。
 だが早ければ早いほど良いのは抜く日だけではない。

「はー。でも親知らず懐かしー。あたしもう抜いたしなー」

 多恵がそう長くもない人生を振り返る。
 それは何度も聞かされた昔話だ。親知らずを抜こうかと相談した時もされた。
 そして以前抜こうとした時に訊いたことを再度訊いてみる。

「準備とか、心構えとかある?」
「って言っても10代の時だしなー。あたしフツーに鎮痛剤飲んで呑み行ったりしてたし」

 10代での飲酒も問題だが、外科手術、しかも口内のをやってそれは、と亜衣が固まる。

「あと友達とかも抜いて、夜中の生番組とか出てたんじゃないかな」

 多恵は10代の頃アイドルみたいなことをしていた。
 別のアイドルグループのメンバーも抜いたが、そのままネットの生配信番組に出たという。
 抜いて直行で来たの?といじられはしたが、そうとは思われないほど特に腫れもなかったらしい。
 多恵自身は出かかっている親知らずが虫歯になりかけているので、マネージャーに相談したところ早いうちに抜いちまえと抜いたらしい。
 特に休んだりもせず、普通に学校にも行ったらしい。
 若さゆえか。
 しかし虫歯というだけあって抜きやすい、顔が出ているタイプの親知らず。
 参考にはならなかった。


 親知らずを抜歯するので休みたいの旨を伝えると、会社の方針からわりとあっさり休みは取れたものの、周りの意見は様々だった。

 そうだね、休んだ方がいいねと言うのは抜歯経験者。
 親知らず抜くくらいで普通休むかねえ、は非経験者。
 水平埋伏経験者なら、うん、休んだ方がいい、初めてなら尚更と言い、大学病院で一気に全身麻酔で四本抜いたと自慢する者も居た。
 そこから歯医者談義に花を咲かせたが、亜衣が知りたいのはやはり心構えや準備だ。

「食べたいもん食べといた方がいいよー。口開かなくて食べれなくなるからー」
「あと抜糸まで一週間くらいうまく歯ぁ磨けなくて絶対口ん中汚くなるから、最後に歯石取りみたいのしてもらったほうがいいな」
「食事とかは?」
「私はゼリーのやつかな。ちゅーって吸えるやつ。でも口すぼめると血の蓋が取れるから上向いて口開けて口にぴゅるーって入れるようにした方がいいね」
「ドライソケットですか?」
「あーっ!そう!ドライソケット!それになるから強めにうがいするなって俺も言われた!なんかうがいするなら口に水含んでぶるぶるって顔左右に振れって言われたわ」
「でも実際どれ位痛いんだろうねえ。ドライソケットって」

 血の蓋、いわゆる血餅についてはネットで調べておいた。
 抜いた穴にきちんと血の塊が出来て、それが蓋になってくれないとドライソケットといって骨がむき出しになり、激痛らしい。

「あとはもう薬飲んでただひたすら寝る。眠らなくても横になって。僕、張り切って本でも読もうって用意してたけど、結局読めなくてスマホでゲームしてたな。なんか抜いたとこがズクンズクンして内容入ってこないの。心臓の鼓動に合わせて痛むっていうか」

 ズクンズクンという表現に亜衣はひやっとするが参考にはなった。

 総意としては大したことはない、ということだった。
 だがほとんどの経験者は町医者レベルで抜ける易しい親知らずで、水平埋伏経験者は大学病院で抜いたらしい。
 ただその理由は口腔外科がない田舎で抜いたから、だった。
 そして、抜いたのはそんな田舎に、親元に住んでいた学生時代。
 やはり抜くのは皆若いうちなのだ。

 手術同意書にあった後遺症やらなんやらは怖かったが、亜衣はなぜだかワクワクしていた。
 何しろ親知らず抜歯にはおまけがついてくる。
 第一に小顔効果だ。
 これは女子的には嬉しい。
 そして肩こり解消。
 歳なのか肩こりが酷い。が、これがもし放置した厄介な親知らずのせいならそれが無くなるかもしれないのだ。
 どうなるかはわからないが、だからこそワクワクした。
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