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2、踊り子たちの要塞

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 乗り換え一回。電車に揺られること30分。遥心は目的駅の北口に出た。しかし、

「……どこだ」

 徒歩3分の場所が見当たらない。仕方なく左手にプリントアウトした地図、右手に劇場のサイトを表示したケータイを持って進んだ。
 駅前には活気も華やかさもなく、チェーン展開するコンビニや牛丼屋などの看板の色彩だけがやたらと目に付いた。じりじりと何年も照りつける不況という太陽に、町全体が色褪せてしまったみたいだった。地図を見ながら慎重に遥心が道を進むと、

「あれっ!?ここか。っていうか劇場って」

 地図を見て尚、見落としそうな場所に劇場はあった。想像していた劇場とだいぶ違う。もっと映画館的な、あるいは市民ホールのようなものを想像していたが全然違っていた。
 うらびれた喫茶店のような小ぢんまりした店構え、劇場構えだ。ビターカラーな板チョコ風のドアが余計に喫茶店らしさを煽っている。あるいは場末のスナックか。
 入り口ドアの横にはついさっきパソコン上で見た出演者さんの修正かけまくり、光飛ばしまくりな写真を使ったポスターが貼ってある。やはりここらしい。
 少し辺りを伺いながら、変装兼男装用の伊達眼鏡を掛け、遥心はチョコレートドアへと向かう。

 レンタルDVD屋で18禁コーナーの暖簾をくぐるぐらいドキドキする。ディスカウントショップでアダルトグッズコーナーに足を踏み入れるほどにはドキドキしない。
 窓口みたいなものはどこだろう、と遥心がドアを開けて進もうとすると、すぐ真横にカウンターが見えた。薄く色の入ったガラス窓で従業員の顔は見えない。
 ガラス窓の下が少しだけ開いていて、小皿が置いてあった。顔を合わせず、料金だけをやりとりできるようになっているようだ。
 ガラス窓に向かって、

「あ、えーと、女性、一枚」

 と、遥心が小声で言うと、ああ?と従業員がガラス窓の下から怪訝そうな顔を覗かせた。
 遥心は武骨眼鏡くんを外した顔で、にへらっと我ながらよくわからない笑みを浮かべると、従業員は顔を引っ込め、

「ああ、2500円ね」

と言った。
 ホッとしながら料金を払い、半券をちぎった入場券を渡される。
 とりあえず第一関門は突破出来た遥心は狭いロビーを抜け、場内入り口と書かれた扉を押す。
 扉は黒くて、やけに軽かった。



 最初に飛び込んできたのは、やけに悪い音響設備から流れてくる曲。それが耳に。スモークが炊かれた舞台でスポットライトを浴びる、裸に近い女性。それが視界に。
 それらを聴覚と視覚で捉えた後、遥心はすぐにシャツから伸びる細腕を掻き抱いた。
 節電とは全く無縁なほどよく効いた、吐きだした息が白く見えるのではないかというぐらい効きすぎた冷房。

「…狭い」

 そして予想以上の劇場の狭さ。市民ホールのイメージはすでに打ち消されていたが、それでも狭い。学校の教室、いや、それよりもっと。空間の狭さが冷房の効きを良くしていた。
 更に舞台と客席が、近い。
 さして広くもない本舞台と、その真ん中から短い花道が伸びて繋がっている中央舞台はひと一人が寝そべればいっぱいになる程度の広さしかない。
 その中央舞台の周りには身を寄せ合うようにして客が座っていた。
 比喩ではなく、本当に客のすぐ手の届くところで、ライトを浴びながら肌と生殖器を露わにした女性が、踊り子さんがいた。

 歳は20代前半程。やや童顔で、セミロングの茶髪を黒いリボンで左右に結っていた。
 最近の女性にしては等身が低い。まだ子供みたいな容姿のその女性が、上も下も隠さず男性の輪の中心にいた。
 たった一人の裸身に、30人近い男性の視線が突き刺さる。
 じっと息を詰めているその姿を見て、遥心はまるで自分が見られているような、裸にされて見られているような感覚に襲われ唾を飲み込む。
 前方と舞台周りは既にぎっちりと席が埋まっていたので、遥心は場内後方にあった今にも崩壊しそうなパイプ椅子に座った。
 舞台周りの席は備え付けの椅子だが、パイプ椅子が置いてある場内後方は比較的広々としている。備え付けの椅子の最後尾と、ちょうどパイプ椅子ゾーンが始まる間には、立って肘を乗せられるぐらいの高さの手すりがあった。どうやらここは本来、立ち見スペースらしい。
 立ち見が出るほど客が入ったら立たなくてはいけないのか、せっかくとった席を立つのは面倒くさい、その時は帰ろうと、疲れやすい現代っ子の遥心は来たばかりなのに早々に帰るタイミングを伺う。

 中央舞台では裸身の女性が膝を抱くように座り、その状態で曲が終わった。続いて流れてきた曲を聴いて、遥心の全身に鳥肌が立った。
 寒さにではない。一瞬の違和感と、それが何なのか、何の曲なのかと気付いたことへの反応として。
 本来ならばしっとりとしたイントロ。しかしザリザリとした悪すぎる音響のせいで、まるで違う曲のように聴こえる。
 いやそれ以上に、まさかこんなところで聴くなんてという思いが遥心には強かった。
 流れてきたのは、アニメ 魔崩少女ジャンヌバルク  エンディング曲『優しき崩壊』だった。
 膝を抱いた女性、―踊り子さんが曲に合わせてゆっくりと顔を上げる。髪を結った黒いリボンをほどくと、手首に嵌めたピンク色のシュシュに重ねるように巻きつけた。
 魔崩少女ジャンヌバルクの最終回は、主人公のジャンヌが敵として出会ったバルクと友達になり、お互いの髪を結っていたリボンとシュシュを友情の証として交換して終わる。
 黒いリボンはジャンヌちゃんで、ピンクのシュシュはバルクちゃんかと、興奮を抑えこみつつ遥心は演出意図を考える。
 踊り子さんは中央舞台で立ちあがると、黒とピンクで彩られた手首をライトの中で宙にかざし、それを愛おしそうに見つめる。
 メロディの波を泳ぐように、ライトを浴びながら舞台上で舞う。気付くと遥心は流れてくる曲に合わせて歌詞を口ずさんでいた。
 歌い出しから口パクで。無意識に、自分でも驚くほど一字一句間違えずに。

 口ずさみながら客席を見回すと、女性客は遥心一人。 
 いるのはおじさんやお爺さん客。太った客。背中の丸まった姿勢の悪い客。着ているものは派手な色が少ない。まだ昼間だというのに缶ビールを飲んでいる客もいた。
 だがこの中で、この曲がジャンヌバルクの『優しき崩壊』だと知っているのは自分だけなのではないのかと遥心は思った。あとは、舞台上で踊る踊り子さんただ一人。
 踊り子さんが柔らかく表情を作りながら、たびたび歌を口ずさむ。その口の動きは遥心と一緒だった。
 状況がうまく飲み込めない。だが遥心は自分がイメージしていた性風俗とだいぶ違っていた。いい方向に、だいぶ違った。
 サビに差し掛かると、すっとした動きで踊り子さんが舞台にうつ伏せになる。
 上半身だけで身体を支え、足を新体操の鹿倒立のようにずらして高くあげて静止した。ライトが一際強く当たり、舞台がゆっくりと回り始めると、客席から拍手が沸き起こった。
 突然の出来事に慌てながらも、遥心は周りを見て拍手をする。
 踊り子さんがまたポーズを決める。観客が拍手し、遥心も拍手する。
 なにかすごいポーズ決めたら拍手。周りを見ながら、空気を読みながら遥心は作法を理解していく。

 何度かライトの中で踊り子さんがポーズを決めると、ゆっくりと本舞台に移動しながら前の曲までまとっていた、白をベースに青の差し色が入った衣装を拾う。
 青と白は、ジャンヌバルクの作中でジャンヌが着ているコスチュームの色だ。踊り子さんがそれをいとおしそうに抱きしめる。
 ここも作品をなぞっているのかと遥心が考えていると、踊り子さんにライトが強くあたり、曲が終わる。客席から拍手が送られ、暗転。
 ステージが終わると、暗闇の中でやたら可愛いらしいありがとうございましたっ、という声が聞こえ、その踊り子さんのステージは終わった。

 大きく息をつき、遥心はガタつくパイプ椅子の背もたれに身を預けた。
 アニソンしか入っていない遥心の64GBの携帯音楽プレイヤーの中にも、当然今の曲は入っていた。自分の音楽プレイヤーの中身を暴かれたような気になり、なんだか急に気恥ずかしくなる。
 踊り子さんのとても綺麗な身体、綺麗なものを見せていただいたのに、代わりに自分の見られたくない部分を見られた気分だ。
 遥心が初めての体験をうまく消化できずに居ると、客席の明かりが付き、場内アナウンスが流れてきた。

「―ありがとうございました。逢瀬さくらちゃんのステージでした。続きまして撮影ショーです」
「さつえい、ショー?」

 撮影ショー、とやらが遥心には何かわからない。
 何が始まるのかわからないまま、遥心はしまい忘れていた財布をカバンに戻す。 耳は場内に薄く流れてきたBGMを捉えていた。
 その曲を聴いて遥心はその日、二度目の鳥肌が立った。
 流れてきたのは、アニメ とみくじこまちっ! のキャラクターソング『おかねでかえるユメ』だった。
 脳がやられてしまいそうな打ち込み系電波ソング。それなのに聴いているだけで物語と作品内のキャラクターの立ち位置がわかるという画期的な曲だ。当然堅気の、一般人は知らない。

 これはもしや、と遥心が悟る。
『優しき崩壊』が流れてきた時。
 遥心は踊り子さんがショーのイメージに合う曲として選んだ曲がたまたまそれであり、踊り子さんが歌えたのも練習するうちに勝手に覚えたのだと思った。かかっているBGMはひょっとしたら劇場のライブラリーにある適当な曲なのかもしれない。リボンとシュシュの演出は偶然かもしれない。
 鳥肌が収まらない。それは冷房のせいだけでは決してない。
 ケータイを取りだそうとして、遥心は壁に貼られた《場内ケータイ使用禁止。ケータイの使用はロビーで》という貼り紙を見つけた。
 そういえばサイトにも、盗撮対策のために場内でケータイは使用しないでくださいという文字があった。

 ロビーに出た遥心は、改めてケータイで《逢瀬さくら》と検索する。すぐに逢瀬さくら自身のブログがヒットした。
 内容は普段の他愛もない生活について。あとは自分の仕事についてさらりと。そして好きなアニメについて少し。だがそれのほとんどが深夜のマニアックなアニメだった。詩帆と行くはずだったアニメ映画もつい先日見てきたと綴っていた。

「……ガチだ。このひとガチだ。ガチオタだ」

 狭いロビーの片隅で、誰にも聞こえない声で遥心が呟く。ケータイを持つ手はほんの少しだが震えている。
 偶然ではない、この踊り子さんは全ての曲を自分で選んでいる。踊る曲も、先程BGMとして使っていた曲も。
 しばらくブログを見ていた遥心だが、喫煙所を兼ねたロビーは次第にタバコの煙と男性客に占領される。受付窓口の横に小さくプリントアウトされた香盤表があったのでそれを一枚貰い、場内に戻ると撮影ショーとやらが行われていた。
 さっきまで踊っていた踊り子さんが、逢瀬さくらが本舞台の端に全裸で座り、客に対して生殖器を晒した様々なポーズをとる。それを並んだ客が金銭と引き換えに一枚一枚カメラで撮影していた。

  明るい客電に照らされて行われるそれは、少々異様な光景に見えた。
 日本総オタク時代と言われる昨今。こういうお仕事に就かれている方がガチオタなのも珍しくは無いだろう。無いのだろうが―。
 いろんな思いを抱きながら、遥心はぼんやり撮影ショーとやらを眺める。
 撮影ショーと言うが、差し入れやプレゼントの受け渡しも兼ねていた。
 その際に客は少しだけ踊り子さんとお話などもしている。
 踊り子さんは笑顔で対応しているが、お触りなどはない。アイドルの握手会やCDお渡し会、のようだが違う。しかし限りなく近いとも言えた。

 やけに冗長な撮影ショーとやらが終わり、再び場内が暗くなる。
 遥心の耳にまた聞き慣れた曲が流れてきた。
 これから始まるハーモニーを予感させるような、心地よくサウンドを刻む軽めのギター。ユニット名をそのまま歌い上げるイントロ。
 流れてきたのはかつて一世を風靡した声優ユニット ミディアームズのデビュー曲『BACKSTAGE→→』だった。
 知っている曲のオンパレードに、遥心の心臓がまた早くなると、周囲にいた客が突然手にしたタンバリンを叩き出した。タンバリンを持たない客は男性特有の分厚い手のひらの中に空気が入るようにし、大きな音を出して手拍子をする。
 鼓膜がやられそうなその音に、遥心は椅子の上でタンバリン客と手拍子客から数センチ距離をとった。
 イントロが終わったあたりで、「アンコールありがとう」と同じようなノリで、ありがとうございましたー、という元気な声とともに、さっきの踊り子さんが全裸で登場する。
 両足を大きく開いた立て膝で舞台に座ると、舞台周りに座ったお客さん達に笑顔で生殖器を見せた。指でくぱあと開いて、満面の笑みで中までよく見えるようにする。
 グロテスクとも言える見慣れた内臓の入り口と、その上にある眩しい笑顔。その対比に女子大生は唖然とする。
 立てた膝を手で叩いてリズムをとり、ある程度舞台周りのお客さんにそれを見せると、立ちあがって客席にお尻を向けて立ち、身体を前に倒す。
 後ろの方のお客さんにも生殖器や、二つの排泄穴まで丸見えになった。踊り子さんが本舞台に戻り、中央でペコリとおじぎをすると、中途半端なところで曲がフェードアウト。場内がまた暗転し、

「―ありがとうございました。逢瀬さくらちゃんのステージでした」

と、場内アナウンスが流れる。どうやらこの踊り子さんのステージはこれでようやく終わったらしい。
 遥心が左胸のあたりを押さえる。予期せぬ出来事の連発に心臓がうるさい。
 予期せぬ場所で、予期せぬ曲が、予期せぬ性サービスとともに流れてくる。しかも遥心にとっては全く嬉しくないサービスだ。
 今思い出すと、『優しき崩壊』のひとつ前の曲は、ジャンヌバルクの二期 魔崩少女ジャンヌバルク Gestaltのエンディング曲、『たった二つの星座だけが』だった。
 古いアイドル歌謡曲かと思ったそれは、遥心にとって聞き慣れた曲だった。
 やはりさっきの踊り子さんはそっち方面の人か、遥心がうるさい鼓動と高揚感を鎮めようとしていると、すぐに次の踊り子さんのステージが始まった。

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