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第三回公演

30、昨夜は大いに大盛り上がり大会でしたね。一切覚えてませんけど。

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「…うっ」

 見知らぬ男達と呑んで騒いだ翌日。 
 蘭は、があんとした頭痛とともに目を覚ました。あとは、

「……くっさ」

 ツンとした刺激臭も一緒に。

「う、うぅ?」

 まぶたが張り付いたようにうまく開かない。
 酒は弱くない方だが、どうやら悪酔いしてしまったらしい。
 布団に寝ているようだが随分薄い布団だった。
 そこで、布団?と蘭が気づく。
 自室にあるのはベッドだ。
 さあっと血の気が引いていく。
 ここは、自宅ではない。
 誰の布団だ?それよりどこだ?誰の家だ?
 そう考える身体には布団の質感がダイレクトに伝わってくる。
 服を、着ていない。

「…ぇー?なんでぇー」

 いよいよ困った事態になっていた。
 そんなことを頭で考えながら、無理やり目を見開く。
 視界には見覚えのない天井が広がっていた。
 目だけで広さを測ると、四畳ほど。いやもっと狭い。
 ぐうっと頭を反らせると壁に大きな鏡が見えた。
 その下の台にはごちゃごちゃと物が置かれていた。
 化粧品や飲み物や化粧品、ティッシュ、化粧道具、ぬいぐるみ、ドライヤーなど。
 台の上だけではなく、下の空間にもごちゃごちゃと物が乱雑に置かれている。
 台は、どうやら壁に据え付けられた化粧台のようだが。
 視線だけを動かし周囲も見てみる。
 寝かされているすぐ脇にはランドリーバッグがあり、服が乱雑に入れられていた。

 なんだこの部屋は、と思ったが予想がついた。
 それより今の自分がどうなってるか気になった。
 今の、昨夜の自分は嵐士だったが、今の自分はどうなっているか。
 髪の頭頂部分に触れてみるとウィッグはない。本来の髪を抑えるアイテムもない。
 地毛に直接手が触れた。
 顔にも触れてみると、つるりとした本来の肌に触れた。
 男装メイクが落ちている。ということはきちんと全部落としてそれで寝たのか。
 動かない身体でそれらを考えていると、部屋のすみから視線を感じた。
 いや、先程から気づいていた。
 背中を向けているのに、その背中に目がついてるかの如く意識が突き刺さってくる。
 この部屋、空間に、自分以外の人間がいる。それは女性で、

「起きた?」
 
 その女性が、こちらに背を向けた状態で訊いてきた。
 背中を丸めて座り、何かしていたが、

「はい…。……臭い」
「あー?うるせえし」

 匂いについて蘭が言うと女性が笑い混じりに返す。
 鼻にツンとくる刺激臭はマニキュアの匂いだった。
 寝てる人間の横でマニキュアを塗るなんて普通の神経の人間ではない。

「あの」
「うん」
「…私、」

 蘭が本来の一人称を使う。

「うん」
「服着てませんけど」
「昨日脱いだからね」
「…あの」
「うん」
「知って」
「あ?」
「あの知ってて、その、脱がした、んですか?」

 男に変装した女と知って脱がしたのか、はたまた男と思って脱がし、女と知ったのか訊くが、

「知ってたよ。女の子だって」

 女性はマニキュアを塗りながら言い、蘭が身を横たえたまま大きく息をつく。
 落ち着け落ち着け、とにかく落ち着けって。
 大丈夫だよともう一人の自分が言い聞かせる。
 まだ未遂かもしれない。ただ寝かせられてるだけかもしれない。
 したとしても自分がしてしまったのか、あるいはやられてしまったのか。

「っていうかここって」
「ああ、ここ?劇場の上にある、踊り子が寝泊まりするとこ。楽屋と兼用の」
「えっ!?」

 踊り子、と彼女は言った。
 ということは、このマニキュアを塗っている女性は。
 体を起こして蘭が女性を見ると、女性もこちらを振り向いた。
 化粧っ気のない顔は見覚えはない。
 舞台メイクをした姿を思い浮かべてみる。
 昨日の出演者の一人なのかと目を細めて見る。
 それでも誰だかわからない。
 まったくわからない。

「寝起き目ぇ悪いの?」

 女性が鼻で笑いながら訊いてくるが、

「…誰?」
「はあー!?昨日かぶりでガッツリ見て写真も撮っただろうがよっ」
「ぇぇー?」

 言われて蘭が額を手で抑える。
 おじさん軍団と呑みながら見たのは覚えている。
 だがそのすべてがノリでやったものだ。
 その後どうなったかが思い出せない。
 ステージ内容も覚えていない。

「っていうかさ、前に」
「ちょっと待って」

 女性がなにか言おうとするのを蘭が一旦手で制す。その手を女性の方に向け、

「…踊り子さん?」
「はあ?」
「あ、違うのね」
「ねえ、マジで覚えてないの?」
「踊り子さん、ではないと。なぁんだぁー」
「…踊り子さんだよっ!!」
「ぅぇぇぇっ」

 踊り子さんではないのだとホッとしていたら、女性が布団に飛び乗り首を絞めてきた。
 なぜか眼の奥に信玄餅がちらつく。が、その理由が蘭にはわからない。
 だがそれよりも。
 やはりそうらしい。
 今首を絞めてきているのは踊り子さんで。
 しかもなぜだか怒っている。

「ごっ、ここ、は?」
「だからあたしの部屋だよっ!寝泊まりする用の!」

 この部屋はと改めて訊くと、女性は自分用楽屋だと答える。
 そこに、蘭は寝ていた。全裸で。
 そして頭が痛い。
 つまり。
 蘭が状況を整理する。
 自分は劇場の上にある専用楽屋のようなところに寝かされていたらしい。全裸で。

「ちっ。ったく」

 気が済んだのか身体を気遣ったのか、女性が舌打ちをかまし、布団の上から降りるが、

「ぐっ、ぐふ、くっふ。ん、ぐ」

 アルコールとマニキュアの匂いと置かれた状況に、蘭の喉が張り付き変な咳が出てくる。
 どうにかしてつばを飲み込むと、

「水飲む?」

 女性が飲みかけらしき水のボトルを掲げる。

「貰ぃまづ」

 ありがたくそれをいただくと、

「ふぅぅぅ」

 深い溜息をついて蘭はまた布団に潜り込んだ。
 悪い夢ならいいなあと。
 夢なら醒めてほしいなあと。
 が、夢ではない。

「おおい、寝んのかよ」

 その証拠に女性が布団に丸まった身体を足の裏でぐいぐいと押してくる。
 それを身に受けながら蘭はふとそういえば、昨日あれから友人たちがどうなったのかと考える。
 だが考えてみたところでそれも今はどうでもよかった。
 ケータイは、それが入ったカバンなどはちゃんとあるのか。
 その確認すら面倒だった。
 いっそこの煎餅布団と同化してしまいたかった。

「起きないの?」

 女性が先程よりかは幾分柔らかい声で訊いてくるが、蘭は布団に潜りんだまま答えない。
 その身体に、じゃあ、起きないんならさ、と女性が問いかけてくる。先程よりも更に優しく。

「……うん」
「ずっといる?」
「ん?」
「ここ」

 ここ、とは部屋、という意味だけではなさそうだ。
 劇場という意味も含んでそうな、ここ。
 まさか、と蘭は思う。
 スカウトではと。踊り子への。
 しかし、

「いや、あの」
「アタシの楽屋、ずっといる?」
「え?」
「今週いっぱいでも」

 何か、予想とは違うようだ。
 家出少女とでも思われたか。帰る家も通う学校もあるが。

「…あ、あの、ちゃんと家帰りますんで」

 ついさっきまでお布団と同化希望だったが、面倒なことに巻き込まれそうで蘭が布団から顔を出してそう言うと、

「ああ、違う違う。そうじゃなくって」

 踊り子さんは笑いながら手を振り、

「なんか…、あれ?えーと、オンナの場合なんて言うんだっけ」

 顔を横に向けて考えだす。

「えーと、男がヒモだから…、女の場合は」

 そして口の中だけでぶつぶつ言う。
 彼女が何を言いたいか蘭にもわかりかけてきた。
 女のそばに常に居て、それは衣食住を賄う代償で。
 身の回りの世話をしたり、あるいは一切しなくても女の側に愛情があれば怒られない存在。それは-。

「……付き人?」
「そうっ!付き人みたいのやらないっ?」
「なんで?」

 自ら導き出した答えに、はあ?とバカにしたような笑いを含んで蘭は訊いた。
 なんでストリッパーの付き人なんかしなきゃいけないのだと。
 100歩譲ってステージに感動したから是非付き人に、ならわからなくもない。
 だが、彼女のステージからはおそらくそんなものは受け取ってない。
 真正面から言われ、踊り子さんは言葉に詰まるが、

「なんで、って…、会いに来たんじゃないの?あたしに」

 蘭は本格的にわからなくなってきた。
 電波的な人か、それとも誰かと勘違いしてるのか。
 どうも会話に食い違いがある。
 それに気づいた踊り子さんの動揺も伝わってきた。

「べつにいいじゃんっ。若いし、どうせ暇でしょ?」

 そして苦し紛れに言ったような言葉に、蘭が、

「暇じゃねーし」

と、返す。鼻で笑いながら。
 歳はおそらく向こうのほうが上だが、あまりに考えと口撃が幼い。

「だって、昨日あんなに優しく、」
「すいません。ホントに覚えてないんで」

 遮るように言うと踊り子さんは険しい顔で唇をぐっと噛む。なにそれひどいと。
 だが一切覚えてないのだから仕方ない。
 それからしばしだんまりタイムが続いた。
 布団から出るに出れない。
 うっかり寝返りも打てない。
 口で勝っても体には何も身にまとってない事実が蘭を心細くさせた。
 というか、昨日あんなに優しく、何なのか。
 優しくしてやったのにか、優しくしてくれたのにか。

「…あの、私、服着てないんですけど」

 目元を手の甲で覆い、蘭が訊く。
 単に休ませるのに窮屈そうだから脱がしたのか、それ以外に目的があって脱がしたのかと。だが、

「なんで…、えええっ!?」

 踊り子さんの方を見ると憤怒の表情でこちらを見ていた。

「あっ、吐いたとか?」
「ああっ!?」
「ひいいっ!!」

 もしやと蘭が新たな可能性を上げるが、向こうは最大限に機嫌の悪い声を上げる。

「………あ、の、付き人って、具体的にどんなことするんすか」

 仕方なく質問を変えてみると、

「…普通は、昨日みたいなこと、する」
「だからあっ!」

 踊り子さんが頬を赤らめ、なぜか恥ずかしそうに言う。そして具体的なことは言ってくれない。
 どうも話が噛み合わない。
 アタマが悪いのか、これだから風俗嬢はと思いながら、蘭がウィッグを取られた頭をがしがし掻くと、部屋のドアがノックされた。
 布団に寝たままそちらを見ると、

「はぁい。どうぞ」

 踊り子さんがさっきまでとは違う明るい声を出す。

「まおりちゃん、朝ごはん食べ行かん?あら」

 ドアを開けて中を覗き込んできた女性が蘭を見る。
 こちらは見覚えがあった。
 少し歳のいった踊り子さんだ。
 アニソンは使わないもののお着物と提灯を使った、しっとり目のなかなか良いステージを見せてくれた。
 どうもと蘭が寝たまま会釈し、

「お友達?」

 そんな蘭を見て、まおりと呼ばれた踊り子さんに訊くが、
 
「ええ、まあ」

 踊り子さんが曖昧に答える。
 まあ、じゃねえだろと蘭は思うが否定するのも面倒なので黙っておいた。

「そう。あたしこれから出かけついでに朝ごはん食べいくんやけど、どう一緒に。良かったらお友達も」
「ああ、今日はちょっといいです。すいません。昨日この子と飲み過ぎちゃって。この子も、朝全然食べられないんで」

 蘭を引き合いに出し、申し訳無さそうな顔でまおりさんとやらが断り、

「出かけるってどこか行くんですか?」

 興味があるというより断った手前一応という体で姐さんに訊く。

「うん、知り合いのお見舞い行くんよ。ずっと入院してて、悪くはないらしいんやけど検査で長引いてるから言うて」

 年かさ姐さんが言った検査で長引いてる、というワードに蘭が引っかかる。
 だがすぐにまさかねと頭から振り払った。

「お客さんですか?」
「んー、まあね。あたしのデビューの時とかよく来てくれたんよ。ここ以外にもここらへんの劇場結構来てくれはって」

 まおりさんと年かさ姐さんの会話を聞き、蘭はほら、叔父がこんなところへ来るもんか、と心のなかで呟く。
 だが頭の片隅で踊り子さんの歳と叔父の年齢を照らし合わせてみたりする。
 これだけ家と繁華街が近いのだ。
 おまけに劇場は今よりずっと多かったらしい。
 ならば可能性としてはあるかもしれない。

「…う」

 そんな、どうでもいいことを考えてると頭がズキンと痛んだ。

「じゃあ。おともだち、お水たくさん飲みぃ」

 具合の悪そうな蘭に気遣ったのか、二、三やりとりしたあと、年かさのお姐さんは出て行った。




 
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