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暗殺剣同門始末
闇夜の旋風
しおりを挟む冬吉は、柏屋半左衛門に不審は抱いてはいない。
間違いなく信頼できる、尊敬できる人物であり恩義もある。
ただ、冬吉の人なりをみる目線は現実的である。
いかに立派な人物であっても、隠し事はあるし、大人物であるほど他人には知られたくない影、あるいは闇の部分を抱えていることがある。
半左衛門のなすことに不可解な点はいくつかあった。
第一に、用心棒を雇うのは良いのだが、それが二名、一人は穴蔵の前に配置しているが、もう一人は渡廊下に配置している。
普通に考えれば、二人とも穴蔵に配置しておけば良い。
夜間に料亭を狙うとするなら、やはり、金目のものであろう。
客の身の安全などを考えているなら、客のいる店の表側、客室に近いところに配置すべきである。
渡廊下にいる篠塚は、何から何を守っているのだろうか。
これは、半左衛門本人の身体しか考えられない。
そうであれば、篠塚は渡廊下ではなく、半左衛門が生活する奥の離れにいるのが正しいのであるが、それを遠ざけるように、表と奥の間に配置している。
他にもある。
熊七や芳次郎のような孤児の養育、彼らは店ではなく半左衛門が個人として受け入れている。
よって、彼らはお店の奉公人のような扱いはせず、せいぜい奥向きの雑用をさせるぐらいで、あとは、料理や商売を教えて自立させることを目指す。
そうであれば、彼らも奥で暮らせば良いようなものなのだが、奉公人たちと同じ店側の宿舎に住まわせている。
そもそも、冬吉に草間を開かせた点も、ありがたいことだが疑えばいくらでも疑える。
包丁人としての腕を買ったなら、花板の宗兵衛が望むように冬吉を柏屋の包丁人にすればいいし、腕っぷしを買ったなら、篠塚のように用心棒にしても良い。
柏屋の奉公人とすれば、その両方の役割も期待できたはずだ。
冬吉の料理は、料亭の高級なものだけでなく、庶民向けの味付けのものも多く、本人も幅広い料理の世界で自由に技を極めることを目指しているのは確かである。
それを汲み取ってというのはわかる。
ただ、どこかで、冬吉のことは店、というより自分の身辺すぐ近くからは、遠ざけようとしているようにも思えた。
そして、冬吉は半左衛門が、他人に狙われているということに気づいていた。
きっかけは、仗助とお夏が草間に来る契機となった事件である。
冬吉は、訳あって盗賊などの犯罪捜査については詳しい。
その冬吉から見て、明らかに『マムシの剛三』らが、柏屋を狙ったというのは異常なことであった。
いくら江戸屈指の料亭と言えど、蓄えている金はそれほどでもない。
確かに半左衛門は資産家だが、その財産の多くは別の物、土地や建物として保持しており、金子は当座必要な分しか手元に置いていない。
にも関わらず、柏屋には人が多く、用心棒もいるのでハイリスク・ローリターンの仕事になる。
そして、冬吉は、マムシの剛三の不可解な叫び声も聞いている。
『あのクソジジィの口車に乗ったらこれだっ!』
剛三を口車に乗せた、そしておそらくは、剛三に剣術を教えた人物がいるはずで、その男に柏屋、というよりも半左衛門自身が狙われているのではないか。
あの一件は、実は単純な押し込みに見せかけて、柏屋半左衛門の暗殺が目的だったのではないか。
冬吉はそれほど呑気な性格ではない。
何より、本来は呑気に考えていられるような立場ではない。
それは、自分の逃れることのできない業、生国を出てきた過去がそうさせているのである。
冬吉は広い柏屋の敷地を出鱈目に見回っているわけではない。
もし、不心得者が進入してくるなら、ここしかないという場所を目指していた。
盗人であれば、当然狙いは店の勝手口。
食材を運び込む都合上、入り口のすぐ近くに穴蔵への階段があり、穴蔵の奥には十日分までの売り上げを保管する部屋がある。
そこには、もう一人の用心棒、百田虎之助が控えている。
しかし、今回は盗人とは思われない。
冬吉が侵入者ではないかと直感した二人は浪人姿であった。
やはり、狙いは柏屋半左衛門その人に違いない。
ならば、わざわざ寝ている者の多い、店側から入ってくるとは考えられない。
考えられるのは、勝手口のさらに奥にある塀である。
塀の高さは四方同じ高さなのだが、ここだけ、外側から見ると低く見える。
外側の道が坂になっており、中のことがうかがえる高さではないが、侵入者が二人いれば、どうにか登って入ってくることができる。
冬吉は、渡り廊下から望める庭園を横切り、多くの植木の間を小走りで通り抜けた。
「で、用心棒が増えた様子はないのか?」
「ない。包丁人が一人新しく入っているが、それも親方が風邪ひいたとかで、代役で入っただけのようだ」
凶相の男の問いに、総髪の男が答える。
柏屋から程近い、隅田川のほとりにある草陰に身を潜めて会話である。
「仕留めや仕込みが守りについていると言うことは?」
「仕留めは刺客だ。影に隠れて不意をついての殺しが仕事で、襲われる側には向いてない。仕込みはそもそも武に強いわけではない。探りと段取りが仕事だ。どちらも守りには向かない」
理屈としてはあっている。
戦国時代あたりには、忍びの者が多く活躍したが、彼らも正面切っての戦闘を得意としていたわけではない。
諜報、工作、戦闘でも夜襲のような不意をつくことには長けていたが、正面きっての戦となれば、普通の兵と変わりなかった。
ただし、優れた忍びや刺客が、元々優れた剣客であると言うことがないわけではない。
総髪の男にはその点への注意が足りなかった。
自身、刺客として放たれた剣客であると言うのに。
「そろそろいいだろう。手筈通り、用心棒は俺が始末するから、お前は半左衛門をやれ」
「ああ」
総髪の言葉に、胡散臭そうにうなづきながら、凶相は立ち上がった。
先に走り出した凶相の男は、柏屋の塀、坂道のせいで、僅かに低くなっているところまで来て、振り向いた。
塀を背に腰を低く落とし、両手を合わせて組んだ形で構える。
そこに、総髪の男が走り込む。
総髪は、凶相の組んだ両手を踏み台にして飛びあった。
凶相は足を受けると同時に両腕を振り上げて、後ろに投げ飛ばすように総髪を上に持ち上げた。
塀の上に飛び上がった総髪が、凶相の手を握って上に引っ張り上げる。
一瞬のことであった。
鳶の経験がある、本格派の盗人でもここまで手慣れている者はそうはいない。
明らかに、こうした目的のために修練をしてきた動きである。
二人は塀を超えて柏屋の庭に降り立った。
植木の影になっており、侵入経路としては理想的である。
武家狙いの凶賊たちの事前の調べは完璧と言ってよい。
しかし、彼ら舐め役の盗人たちは昨晩死んでいる。
そこからの状況の変化に、剣客である二人は対応できるのだろうか。
剣客は、戦うことの専門家である。
人を殺す技を身につけているが、情報収集や工作は得意ではない。
盗賊たちなら、懸念事項とは考えていたであろう、新しい包丁人のことについては軽視していた。
冬吉は思案した。
塀の上から二人の男が降りてくるのが見えた。
相手は刺客。
風体は武士であるし、剣術使いであることは疑いはない。
一人ならともかく二人となると、冬吉だけでどうにかできる保証はない。
冬吉は自分の腕を過信していない。
一対一であれば、そうそう負けることはないとは自負しているが、二人となると怪しくなる。
篠塚が万全であれば、一人を逃しても対応可能であろう。
しかし、相手の実力がわからないうえに、篠塚の脇差を冬吉が借りてきている。
これは致し方ないことであるが、もし、冬吉が脇差を一本持ち込んでいれば、こんなことでは悩まなかったかもしれない。
相手二人の腕は不明だ。
冬吉も、二刀を持った篠塚も、一対一ならそうそう負けることはないと思われるが、人数は二人でも刀は一本足りなかった。
冬吉が考えたのは、一人で侵入者二人を倒す、もしくは少なくとも一人は倒し、もう一人は怪我を負わせて、一刀のみの篠塚でも苦戦しないようすることである。
着物の裾から鉄串を一本取り出した。
これは厨房での仕事の合間に、焼き場から一本失敬したものである。
鉄串は畳針よりやや重い程度であった。
距離は離れているが、冬吉の手裏剣術の射程内にはおさまっている。
鉄串を投げた。
以前、伊八を守るために釘を投げたのとは違う。
釘と串では勝手が違う。
釘はその重さで投げる。
串に重さはない。
距離を出すなら工夫が必要だ。
しかし、本来、串よりも軽い、針の方が冬吉とその流派の得手であった。
冬吉は腕を振り、手首を捻って鉄串を投げた。
「……打針・旋だと?」
その言葉は、本人の驚愕を示すとともに、他二人も仰天させた。
凶相は勘のみで腰の脇差を抜き、柄を目の前にかざして鉄串を受けたのだ。
月明かりがあるとは言え暗闇の中。
伊八を助けた時の釘よりもさらに見えにくく、風を切る音もしない。
冬吉の放つ、あるかなしかの殺気を感じ取り、咄嗟に目だけを守ったのだ。
剣客としての腕だけではない。
『なぜ、その名を!』
内心でのみ、そう叫んだのは冬吉だった。
『打針・旋』
その技を知る者は、自分を含めて三名しかいないはずであった。
針を投げる技を持つ者は他にもいるだろう。
あるいは、針に指先の捻りで回転を加え、弾道の安定と貫通力を与える技も、他流にあるかもしれない。
しかし、技の名まで同一と言うことはない。
この技の考案者は古今の兵法に詳しく、他流と同じ名を自流に採用するはずがない。
百年も前に考案したものではない。
練られてから十数年しか経ってない技なのだ。
これを柄で受け、名を知る者がいたことに、冬吉は驚愕したのだ。
隠れてはいられない。
隠れる意味もない。
冬吉は脇差を抜き、植木の影から出た。
「蟷螂ではないのかっ!」
総髪は混乱していた。
打針・旋の使い手は、半左衛門の配下では蟷螂しかいないと思っていたのだ。
あるいは蟷螂が、その技を誰かに伝えることがあったとしても、これほどの距離から打ち込める者を短期間に育てられることなど、あるものだろうか。
数年、鍛え込んだ自分と同等以上に。
冬吉は総髪の言葉を理解できなかった。
蟷螂とは何か。
冬吉の知るその言葉は、草場にいる虫以外には、一つの意味しか持たぬが、人の名ではない。
今度は、冬吉が顔の前にかざした柄に鉄串が刺さった。
凶相が投げ返したのだ。
冬吉同様に、指先で捻りを加えて。
「いけよ」
凶相は顔すら向けずにそう言った。
舌なめずりをしながら、怪しい光を両目にたたえて。
「てめぇの仕事は用心棒を殺ることだ。こいつは用心棒じゃねぇ」
総髪は冷や汗をかいていた。
自分よりこの男の方が腕は上だとは認めている。
だからこそ、半左衛門を殺す大役の方を任せたのだ。
だが、用心棒以上に危険な、この男の相手を任せていいものだろうか。
「まさか、俺が負けるとか思ってんじゃねぇだろうな。殺すぞ」
凶相、いや、もはや狂相と記すべきであろう。
男の顔は、戦いの愉悦に歪んでいた。
半左衛門自身は剣客でも刺客でもない。
戦人、そう呼ばれてはいても、それは頭の働きの話であって、武に優れているわけではない。
ならば、この状況では目の前の男は狂相が、用心棒は自分が引き受け、先に倒した方が的を殺るのが良い。
合理的な考えの総髪はすぐにそう判断した。
総髪が駆け出す。
冬吉がそれを追いかけようした刹那、狂相の男がつっかけてきた。
脇差を袈裟斬りに叩きつける。
冬吉はそれを受けるが、刃がぶつかり合った刹那、凶相の脇差は弾むように弧を描いた。
『一刃・月影!』
冬吉は驚愕とともに、横っ飛びでその場から退いた。
総髪はすでに植木の向こう側に走り去っている。
「ふんっ、どうやら真兎田の技を知っているのは確かなようだな」
狂相の言葉に、冬吉はうろたえた。
『真兎田流』又は『真兎田中条流』。
冬吉に中条流の技を教えた師が、自ら工夫した兵法の名である。
冬吉は十四の頃には、同じ師から中条流の目録を与えられた。
その後、師が密かに工夫を加えた、異質な技の数々を仕込まれた。
手裏剣術の一種である『打針』に加え、柔術、小太刀術や異質な二刀を用いる技も含まれる。
冬吉の師は剣鬼と呼ばれていた。
一種異常な情熱で、兵法を練り、それを秘中の秘として二人の弟子だけに伝えた。
その技を、柏屋に押込んできた男が使ったのである。
しかし、真兎田の技に驚いているのは、相手も一緒であった。
『月影』は、知っていればかわすこともできようが、知らねば余程の反射神経を持ち合わせていたとしても、かわし難い技である。
それを、刃を弾ませた瞬間に飛び退いてかわす。
技そのものを知らずして。そんなことはできない。
「蟷螂の弟子か?」
「蟷螂?」
狂相の言葉に冬吉は思わず聞き返した。
先ほど、総髪の男も冬吉を見て『蟷螂ではない』と叫んでいた。
「違うのか。まあいい、真兎田の剣客と本気でやりあえるてぇなら、なんだってかまわんさ」
ちろりと、刃をなめた。
「貴様らは何者だっ!?」
「ほう、半左衛門からも何も聞いていねぇのか」
つまり、この男たちのことは、半左衛門は知っている。
「私はただの、包丁人だ」
冬吉は己の動揺のためと、少しでも情報を引き出すために、この問答を続けようとしていた。
「ああ、今日から入ったとかいう、助っ人の包丁人ってやつか。ただの包丁人がなんでまた、真兎田の技を知っているのかねぇ」
彼らは少なくとも今日一日中、柏屋の動向を探っていたのだとわかる。
狂相には隙が全くない。
舌舐めずりをなどもしながら、こちらを睨めつける。
しかし、口調は一見呑気なまま、馬鹿にしているように続けた。
「名だけでも聞いておこうか。俺は次郎左、窪塚次郎左衛門だ」
相手も浪人とは言え武士である。
敵味方であり、まして柏屋に押し込み、半左衛門を殺そうとする者であろうと、相手が名乗ったのなら、こちらも名乗らなければならない。
そう考えるのは、やはり冬吉にも武士としての矜恃が残っているからであろう。
とは言え、名乗るのは町人として名である。
「冬吉だ」
「ふんっ、真兎田の技を使う者が町人な訳があるか。んっ、冬……そうか、貴様が……」
冬吉は嫌な予感がした。
次郎左は、大きく口を歪め、狂喜し、叫んだ。
「草間冬士郎かっ!」
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