ミコトサマ

都貴

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第五章

再来③

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街灯が消えて真っ暗な道には、闇に紛れて蠢く人が数人いた。
暗闇に満ちた空間で、奇妙な笑い声と悲鳴が飛び交った。

もはや、平和な世の中とは思えない異常な狂気と混乱が町に広がっていた。

そんな中、夜道を走ってあの禍々しい場所まで行くのは非常に恐ろしいことだ。
足が竦んで上手く動かない。
それでも綾奈は、行くしかないと自らを奮い立たせて、夜の闇に踏み込んだ。
玲は綾奈の手を握って先頭を切った。

「れいさぁ~ん、こんばんは~」

弾んだ声に呼ばれて足を止め、玲は声のする上方を仰いだ。
綾奈も同じように上を見る。

二人の視線の先には、窓から大きく身を乗り出して手を振る由梨絵の姿があった。

顔色は不健康に青白く、目は死んだように濁っていて輝きがない。
ケタケタと笑いながらこっちに向かって、ひたすら両手を大袈裟に振っている姿に怖気が走った。

 由梨絵は窓枠に足をかけると、何気なく宙へ身を投げた。
突然の出来事に足が動かず、綾奈と玲は呆然とそれを見ていた。

 時間にしてみれば一瞬の出来事だったが、由梨絵の身体が落ちていくのが妙にスローモーションに見えた。

地面に彼女の体が叩き付けられる瞬間を見るのが嫌で、綾奈は思わず両手で顔を覆った。

肉体の潰れる音も断末魔も聞こえない。
綾奈はおそるおそる覆っていた手をどける。

そこには、昆虫みたいに四つん這いで、平たくなって地面に着地した彼女の姿があった。
ほっとしたと同時に、恐ろしさに背筋が震えあがった。

美紀子といい由梨絵といい、霊にとり憑かれると肉体に異常をきたすらしい。
あの高さから落ちたというのに、由梨絵は痛そうな顔一つせずにニタニタしている。

ミコトサマに憑りつかれると、感覚の麻痺と異常なまでの運動神経の向上が起こるようだ。

「れいさん、ねぇ~れいさん、私と遊びましょうよぉ~、アハッ、アハハッ」

 由梨絵がよろよろと立ち上がって、玲に向かってきた。
足首が折れてしまったのか、左の足首は直角に内側を向いていた。
足だけじゃない。右手も変な方にねじれて曲がっていた。
肘の辺りから白い骨のようなものが飛びだしている。

だが、うめき声一つ上げず、笑いながら由梨絵は玲に向かってきた。
玲は由梨絵を上手く躱すと、綾奈の手を掴んで走り出した。

「アハハッ、待って~!れいさぁん」

 後ろから由梨絵が追いかけてくる。
酷い怪我で普通なら走れるはずがないのに、彼女は物凄い速さで走っている。
追い付かれるのも時間の問題だ。

「綾奈、あの角を曲がるぞ」

 少し先の角を玲の指が示した。言われた通りに綾奈は角を曲がる。

「あれえぇ、どこぉ?れいさ~ん、どこ~?かくれんぼかなぁ」

 クックと鶏みたいなしゃがれた声で笑いながら、由梨絵は曲がり角のすぐそばに置いてあったポリバケツの蓋を開けた。
しかし、中にはゴミが入っているだけだ。

「あれぇ、いな~い。じゃあ、ここかなぁ」

 由梨絵は今度はポリバケツの斜め前の藪の中に、頭から突っ込んだ。
だが、そこにも綾奈と玲の姿はない。

道の左側は塀で、右側はだだっ広い空き地。
さっきのポリバケツと藪以外は、隠れられそうな場所はない。

「いないなぁぁ。どこ、いっちゃたのかな~、アハアハッ。
でてきてよぉッ!ねえぇ、れいさん、れいさん、れいさん、れいさぁぁぁっんんんっっ!ヒヒィ、アハハハッ!」


 塀の向こうの家の敷地で、綾奈と玲はジッと息を殺していた。

近寄ったり遠ざかったりする声や、ガサガサと藪を探ったり塀をドンドンと叩く物音が聞こえるたびに、冷や汗が噴き出る。
極度の緊張で呼吸が荒くなりそうななか、じっと息を殺して二人は塀の向こうの気配を覗っていた。

「かくれんぼじゃ、なかったのねぇ、オニごっこねぇ。いま、いきま~す」

 不規則な駆け足の音が遠ざかっていく。

もう大丈夫だ・
動こうとした綾奈を、玲が無言で腕を引いてとめた。

その時、由梨絵の足音がまたこっちの方へ戻ってきた。
綾奈はどきりとする。

「でかけるならぁ、お化粧しなくっちゃ~、ウフフッ、ハハハ」

 今度はさっきと別方向に由梨絵の足音が遠ざかり、やがて完全に聞こえなくなった。

やっと綾奈はホッと息を吐く。
玲がとめてくれなかったら、足音を立ててしまって、見つかるところだった。

「ありがとう。お兄ちゃん」
「ああ。さあ、この家の庭をまわってもう一回道路へ出よう」

 ポリバケツを足場にして塀を飛び越えるという玲の作戦で、由梨絵を上手く撒くことができたが、いつまでそうやって狂人を躱し続けられるだろうか。
綾奈の胸は不安でいっぱいだった。

家から出たばかりでこの調子じゃあ、先々はもっと困難そうだ。

恐怖で破裂しそうな心臓を静めるのに深呼吸すると、綾奈は玲の後についてまた歩き出した。
うろつく亡霊になりはてた町民を避けながら、二人は屋敷への道を急いだ。

綾奈と玲の走る音を、闇に溢れている破壊音や奇声や悲鳴が消す。
ありがたいが、耐え難い不快な音に綾奈は眉根を寄せた。

「綾奈っ!」

 ノイズに混じって、暗闇から理性的な声が自分を呼ぶのが聞こえた。

綾奈は走りながら辺りを見回した。
しっかりと景色を見ている余裕がなかったから気付かなかったけれど、ここは美也の家の前の通りだ。
美也が玄関から飛び出してくるのが見えた。

美也が走っている綾奈と玲の横に並んだ。

いつもの理知的な顔、姿勢のよい走り方。
彼女は闇に囚われていないようだ。綾奈は頬を緩めて笑顔を浮かべた。

「美也、無事だったんだね」

「うん、私は何とか。お父さんは町で異変が起きているって飛び出してっちゃうし、お母さんは可笑しくなって家から走って飛び出てっちゃったし。
私、どうしていいかわからなくて。綾奈が言っていた話を思い出して、綾奈に会おうと思って」

「そうなんだ。お母さん、大変だったね。でも、無事でよかった」

「私も綾奈が無事でホッとしたわよ。綾奈が電話で話してくれたのってこのことよね。
いったいどうしたらいいの?こんな事態、収集がつかないわ」

「大丈夫、私がお兄ちゃんとミコトサマを封印しにいくから」

「ああ。美也ちゃんは何処か安全な所に隠れていた方がいい。憑かれた母親が出て行ったのだから、家で鍵を掛けて隠れているが一番安全だろう」

「いいえ、玲さん。私も行きます」

 高らかに宣言した美也を、綾奈は不安げな瞳で見る。

「ダメよ、美也。危ないんだよ。家にいてよ、私達が何とかするから」

「駄目よ、綾奈。綾奈と玲さんだけ危ない目に遭うなんてフェアじゃないわよ。私も手伝うわ。私にできることもあるでしょ?」

「美也」

「親友でしょ。私、綾奈を見捨てたりしないからね」

 ギュッと綾奈の手を握り、美也が笑みを浮かべた。

美也の言葉が嬉しくて、思わず目頭が熱くなってしまう。
感涙している場合じゃないと涙を拭うと、綾奈も力強く彼女の手を握り返した。

 夕食で賑わう時間の惨劇。
無明の闇に包まれた町からは狂笑と叫喚が絶えず響いていた。
そんな中、綾奈達は無我夢中で走った。

ようやく屋敷付近にきた時、綾奈は行く手に影を見つけた。
夜陰に紛れるその影の正体を、僅かな月明かりが浮かび上がらせる。

髪も服もグシャグシャにしてよろめきながら歩いているのは海だった。
何時も綺麗に整えた身形からは想像できない姿だ。

綾奈は思わず足を止めて海に近寄った。
俯いているせいで海の表情は覗えなかった。

「海、海でしょ。ねえ、大丈夫っ?」
「……どうしてよ。どうして……なの」
「海?」
「どうして、綾奈なのよ……いつも、いつだってそう……」

 顔を上げた海を見て綾奈は言葉を失った。
しっかりした性格の海は大丈夫だと、勝手にそう思っていたけどその予測は甘かった。

抑揚のない声とは正反対の、憎しみに満ちた瞳が綾奈を睨みつける。

海の両手が伸びてきて、綾奈は肩を掴まれて思い切り壁に叩き付けられた。
一瞬息が詰まり、綾奈は激しく咽る。
海は道に蹲った綾奈の前に仁王立ちになり、持っていた鉄パイプを掲げた。

海を止めようとした玲を妨害するように、知らない中年の男が彼に襲いかかってきた。
玲は男に容赦なく拳を叩き込んだ。しかし、相手は意識を手放さずに動き続けている。

「海、やめなさいよ!」

 美也が海を止めようと飛びかかったが、左手だけで簡単に突き飛ばされてしまう。
綾奈に向かって、鈍色の凶器が降り下ろされた。









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