ミコトサマ

都貴

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第五章

再来②

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開いた窓から凍てつくような冷風が吹き込んだ。カーテンが大きく揺れる。

窓から飛び込んだ母が、首を大きく傾けて奇妙な角度からこちらを見ている。
母の顔ににやりと嫌な笑みが浮かんだのを見て、綾奈はぞっとした。

「入れてくれて、ありがとう。綾奈。うふっ、ふふふっ」

 美紀子は奇声を上げながら綾奈に向かって飛び掛かった。

どう考えても普通じゃない。
きっと母は憑依されてしまったんだ。

オレンジの一番小さい明りになっていた照明を、玲がとっさに一番明るいものに切り替えた。
刹那、美紀子は両手で顔を覆い、苦しみに呻いて床でのた打ち回った。

「ギャアァァッッ!」

 思わず綾奈は美紀子から目を逸らした。
母とはそれほど仲がいいというわけではないけど、苦しんでいる様子を見るのは心苦しかった。

ショックで震える綾奈の肩を優しく抱くと、玲は部屋を出るよう促した。
美紀子の恨めしそうな瞳が綾奈と玲を見詰める。

「電気を消して、くる、しい。おねがい、電気を、電気を消して」

必死で訴える声から逃れるように、綾奈は耳を覆った。

「ぎぃぃぃっっ、苦しい、苦しいっ、苦しいぃぃぃっ!」

明かりに照らされて苦しむ美紀子を置いて、二人は玲の部屋へと移動した。
玲の部屋に入ると、綾奈は脱力してベッドに座り込んだ。

「まさか、母さんまで憑依されているなんてな」

玲がぽつりと呟く。
狂ってしまった母を思い出すと、目の端に涙が涙が浮かんだ。

「大丈夫か、綾奈」

玲の心配そうな目に覗き込まれて、綾奈は慌てて涙を拭った。

「うん、平気だよ。でも、どうしたらいいのかな……。
あのまま部屋に放置しておいて大丈夫なのかな?なんだか、苦しそうだったから怖くって―…」

「ああ、気持ちは解る。だけど、ああやって置いておくより他はない。襲ってきたらそれこそ嫌だろう」

「そう、だね」

「大丈夫だ綾奈。死んだりはしないさ。水曜日になればすべては元通りだ」

「うん」

そう、あと二・三日の辛抱だ。
昼間は問題ないし、夜は電気を点けて部屋に籠っていれば安心だ。

憑依された母親が気にかかるが、まさか光に照らされ続けただけで死んだりはしないだろう。
だから大丈夫。

綾奈はそう自分に言い聞かせた。

 ホッとしたのも束の間、突如、部屋が闇に覆われた。

驚いて綾奈と玲は窓から外を見た。
辺り一面が闇に覆われている。町中の電気が消えてしまっているようだ。

空には朧月よりも頼りない月が浮かんでいるだけだ。
それさえも、もうすぐ黒雲にすべてを呑み込まれてしまうだろう。
暗闇に包まれて冷静さを失い、綾奈は焦った声を出す。

「お、お兄ちゃん、これ、どうなってるのっ?」
「多分停電だろう。だが、一体何故だ?」

 玲は冷静な声で答えたが、横顔にはうっすらと焦りが滲んでいた。

保障されていたはずの安全がいきなり掻き消されてしまった。
綾奈はあまりの恐怖に鳴きたくなった。

でも、何故停電が起きたのだろうか。
曇りではあるが風は静かだし雨さえ降っていない、停電するような天候ではないのに、町全体を停電が襲っている。

まさか、誰かが電線を切ったのだろうか。
綾奈と玲の脳裏を嫌な予感が過った。

神座山並町ごく小さなコミュニティだ。
その為、電力源はたった一ヶ所しかなく、台風や雷で町全体が停電になることがしばしばあった。

そういう時でもすぐに電源は復旧されることが殆どだが、今回は一向に電気が復活しない。
やはり、この停電は誰かが意図的に行ったとしか考えられない。

「まさか、霊に操られて誰かが電線を切ったのか?だとすれば大変なことだぞ」

 玲が危惧を口にしたのと同時に、部屋のドアが激しく揺れた。
外から妙に甲高い美紀子の声が聞こえてくる。

「ほうら、ここを開けなさぁい、レイィッ、アヤナァぁ」

 鍵がかかった扉がガタガタと音を立てる。
ノブが激しく動いているのを綾奈は茫然と見ていた。

しばらくすると、鍵の部分を固い物で殴る音が聞こえはじめた。

綾奈はもちろん、玲でさえ何もできないまま、鍵が壊されてドアが開くのをぼんやりと見ていた。
薄く開いたドアから中を覗き込むようにして、黒々とした瞳が綾奈と玲を見た。
口元には歪んだ微笑が浮かべられている。

「あやなぁ~、勉強、しなさいぃ。悪い子の、綾奈!いうことを聞かない悪い子はぁ、死ねっ!キャハハハハッッ!」

楽しそうな子供じみた笑いを漏らしながら、美紀子が綾奈に飛びかかった。
その手には鈍く光るものが握られている。
窓から入ってくる僅かな月明かりを反射するそれは、包丁だった。

「きゃあっ。やめてっ、お母さんっ」
「死ね~、しねっしねぇ!アハッ、アハハハハ!」
「お母さん、お母さんっ」

 刃物を出鱈目に振り回す美紀子を止めようと、綾奈は腕に掴みかかった。
幽霊に憑かれているとはいえ、母親に死ねと言われながら刃物を向かられるのはかなりショックなことだった。

胸が痛い。
どうしようもなく苦しくて、綾奈は必死に美紀子の行動を止めさせようと母の腕にしがみ付いた。
だが、美紀子の手が止まることはなく、母は異常な力で綾奈を振り解いた。

反動で尻餅を付いて転んだ綾奈に、鋭利な切っ先が向けられた。

「綾奈、危ないっ、こっちだ」

 玲は美紀子を体当たりで突き飛ばすと、綾奈の手を引いて走り出した。

玲の肩には、宝玉と家の見取り図を入れた鞄が下げられている。
それを見た綾奈は不安げに瞳を揺らした。

「お兄ちゃんまさか―…」

「電気は待っていてもたぶん復興しない。ならば逃げ回っているよりも屋敷に行って、直接原因を鎮めた方がいいと思うんだ」

「でも、あそこは危険かもしれないんだよ」

「そうかもしれないが、このままでは悪霊に囚われた人の手で死人がでるかもしれない。
そうなってから治めたんじゃ遅いだろう。方法を知っているからには放っておくわけにはいかない。
大丈夫だ、お前は安全そうな場所まで俺が連れて行ってやる。そこに朝まで隠れていろ」

「いやっ、私もお兄ちゃんと行く」

 綾奈の言葉に玲は顔を顰めた。

「駄目だ!わかってると思うが危険なんだ。お前は隠れていろ、俺一人で行く」

 いつもは怒鳴ったりしない玲が珍しく声を荒げ、綾奈を諌める。
 鋭い光を放つ眼に少し戸惑いを覚えて怯んだが、綾奈はまっすぐ玲を見返すと強い口調で言った。

「ダメ、絶対に行くから!こうなっちゃったのは私のせいでもあるんだよ?
それなのに、お兄ちゃん一人にやらせて自分は隠れているなんてできないよっ」

 玲に負けないくらい強い瞳で彼を見詰めた。

「解った、一緒に行こう。こういう時のお前は、梃でも動かないからな」

苦笑を浮かべる玲に、綾奈は大きく頷いた。

「俺もお前も英雄じゃない。だけど、やらなくてはいけないな」
「うん!」

 綾奈と玲は狂気に呑みこまれて包丁を手に暴れる母を残し、家を飛び出した。






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