ミコトサマ

都貴

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第四章

蔓延する呪詛②

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開けた窓から冷たい風が吹き込んでレースのカーテンを揺らした。
時計の針はもうすぐ重なりそうだ。眠気を堪えて、綾奈は小説のページを捲くった。

 暗い気持ちを吹き飛ばそうと珍しく趣味ではない恋愛小説を手にとってみたが、これが意外と面白くて、ついつい読み進めてしまう。

明日は土曜日で朝早く起きる必要がないから、夜更かししたって平気だ。
綾奈はどっぷりと小説の世界に浸っていた。

不意に足に重みを感じた。きっとケイだ。
ケイはいつも、パソコンや読書や勉強をしていると、膝の上に飛び乗ってくる。
そして、膝の上でそのまま眠ってしまうのだ。

秋と冬は寒いからか、特に膝に飛び乗ってくることが多い。
寒いから温かい人の上で眠りたがる、甘えん坊なところが可愛くて、足が痺れるのを我慢して、いつもケイずっと上に乗せたままでいる。
ケイが退いてくれる頃には、足がジンジンして立てないこともしばしばあった。

今回も特にケイに構わずに、綾奈は小説を読み続けた。
主人公の少女の恋の行方が気になって、ケイの方を見ることさえもしなかった。
つい次へ次へと頁を捲ってしまう。

嫌煙していたけど、たまには恋愛小説もいいものだ。

 小説が中盤まで差し掛かった時、綾奈は何気なく顔を上げた。
近くばかり見ていて疲労してきた目を休めようと窓へ目を遣る。
ガラスの向こうに広がる闇に融け込むような、漆黒の毛並みの猫が窓枠に座っているのが見えた。

 一瞬、見間違いかと思った。指で目を擦ると、もう一度、綾奈は窓枠を見た。

見間違いじゃない。そこにはケイがちょこんと座っていた。
金色の目が、自分のことを捕えて離さない。

ケイは窓に座っている。だとしたら、今感じている膝の重みは誰のものなのか。

綾奈の背筋を冷や汗が伝い落ちていく。

そういえば、ケイにしてはやけに冷たいと思った。
ケイならもっと温もりがある。
しかし、今自分の膝に乗っているモノからは、温かみがまったく感じられなかった。

 ぞっとするような冷たさが足元から這い上がってくる。
早鐘を打つ心臓が痛むのを感じながら、綾奈は椅子を少し後ろへひいて自分の膝の上を見た。

 
机の下から立て膝の状態で自分の膝にしな垂れかかるモノが瞳に飛び込む。
長い黒髪を垂らして膝に纏わりついていたのは、血に塗れた白い着物の女だった。

白目のない、獣のような黒々とした瞳孔を爛々と輝かせ、口の端を吊り上げてこちらをじっと見詰めている。
乾いた唇から覗く歯は異様に黄ばんでいて、肌は土色でミイラのように乾燥していた。

まったく生気が感じられず、どう見ても生きた人間ではない。
太腿に纏わりつく、枯れ木のようなカサカサした腕の感触が気味悪かった。

戦慄が身体を駆け抜け、声が出なかった。

綾奈は椅子からヨロヨロと立ち上がる。
足に乗っていた女がドサリと床へ崩れた。

女は顔を上げると、瞳を糸のように細めて歪んだ笑みを浮かべる。
女がこちらに向かって勢いよく這ってきた。

「フシャャァ」

 ケイが唸り声を上げて窓枠から飛び、自分と化け物の間に割って入った。
それに弾かれるように短く悲鳴を上げると、綾奈は化け物を睨むケイを抱き上げて自分の部屋を飛び出した。

隣りの兄の部屋をノックもせずに乱暴に開け、中へ走り込んだ。

「ど、どうしたんだ?綾奈」

 机に向かっていた玲が珍しく狼狽えた様子で、綾奈を振り返った。
綾奈は彼に走り寄ると、脱力したように抱いていたケイを下へ降ろした。
それから何も言わずに玲の胸の中に飛び込んで、ぎゅっとシャツを握り締めた。

綾奈の手が震えていることに気付くと、宥めるように玲は綾奈の背中を擦った。

「怖いことでもあったのか?」

 玲にふわりとした声で尋ねられたが、綾奈は答えなかった。
語調を荒げることなく、再度、玲は促すように尋ねた。

「ほら、何があったのか俺に話してごらん」

 黙ったまま綾奈は頷いた。綾奈と玲はゆっくりとベッドに腰を降ろす。
静寂に包まれた部屋に、綾奈のか細い声が弱々しく響いた。

「ミコトサマが、部屋に出たの―…」
「ミコトサマ、幽霊がでたってことか?」
「嘘じゃないよ」
「そうか、やっぱりそうか」

 まるで自分が幽霊を見ることを予見していたかのような台詞だ。
恐怖に支配されていた心が懐疑に塗り替えられた。

綾奈は動揺した顔で玲を見る。

「や、やっぱりってどういうこと?お兄ちゃん、何か知ってるの?」
「ああ、実は屋敷と外界を隔てる道祖神が壊れていたらしいんだ」

「あの道祖神、やっぱり大事なものだったんだ。ごめんね、お兄ちゃん。この前は黙ってたけど、それを壊したのは私達なの。海が躓いて蹴っちゃって」

 罪悪感を滲ませて顔を歪ませた綾奈の頭を、そっと玲は撫でた。

「道祖神のことはあまり気にするな。綾奈が道祖神について尋ねてきた時点で、なんとなく予想はついていたさ。
それよりもっと重大なことがある。
この前、綾奈を迎えに行った時に泥棒のことを話しただろ?あの泥棒が大変なものを盗んでいたことがわかったんだ」

「大変なもの?」

「ああ。幽霊屋敷からミコトサマが出てしまわないように、石で作った宝玉を置いて結界を張ったという話は覚えているか?」

「うん、覚えてる」

「実は、泥棒はその宝玉を盗んで壊してしまったらしいんだ」

ひときわ高く心臓が音を立てた。嫌な動悸が身体をかけ巡る。
割れた宝玉、壊れた道祖神。

『とけた、自由だ』森を抜けた時に聞こえたか声が、まざまざと脳裏に蘇った。

 とてつもなく大変なことになっているのではないだろうか。綾奈は身震いした。

「それって、やっぱり危ない事態になってるってこと、だよね?」

 綾奈が不安げに揺れる瞳で玲を見詰めた。
玲は返事をしなかったが、苦虫を噛み潰したような顔が肯定を示していた。

「綾奈、これは俺の予測だから信じるかどうかは自由だ。こ
の町で過去に幽霊騒動が起こったって言ったよな。
町の人が幽霊を見るようになって、最終的に派町の人が変になって暴力事件を起こしたり、怪死が多発したって。
もしかするとなんだが、また同じことが起こるかもしれない」

「そ、そんな。どうすればいいの?」

「それはわからない。ともかく、過去の事件と屋敷の調査を進めてみる。
そうすることで、きっと解決策も見つかるさ。ともかく、お前は何も心配するな」

「うん……」


綾奈は歯切れ悪く返事をした。不安が胸を塞いでいる。
まだ幽霊がいるかもしれないと思うと、部屋に戻るのが怖い。

それにいつ幽霊騒動が起きるかもしれない状況で、一人で夜を明かすのは怖かった。

 綾奈の心中を察した玲が、綾奈の頭を撫でながら優しく微笑む。

「今日は部屋に戻らずに、俺の部屋のベッドを使え。自分の部屋に戻るのはちょっと怖いだろう?」
「え、ううん。平気だよ、電気点けて寝るから」

「そんなこと言って、本当は怖いんだろう。いいからこの部屋で寝たらいい。
俺もお前が一緒に居た方が、安心できる」

「でも、お兄ちゃんの寝る場所がなくなっちゃうよ?」
「俺はカウチで寝るよ。寝心地は抜群なんだ」

 玲が親指でピジョンブルーのカウチソファを示した。

ケイのお気に入りの寝場所の一つでもあるそのソファは、玲が大学に入ってから始めた家庭教師のバイト代で買ったお気に入りだ。

ふかふかでこの家で一番座り心地が良いといっても過言ではない。
下手すると、ベッドよりも柔らかいクッションだ。とはいえソファはソファだ。

居眠りするなら最高だが、一晩寝たら腰が痛くなってしまいそうだ。
そう思ったけれど、自分の部屋に帰る勇気がなかったので兄の言葉に甘えることにした。

「ありがとう、お兄ちゃん。お言葉に甘えてベッド、借りるね」

 優しい視線に見守られながら、綾奈は静かに瞳を閉じた。
ケイもベッドに潜り込んできて寝息を立てはじめる。

いつもは鬱陶しい電気の人工的な明かりが、今日はとても心強い味方に感じられた。





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