ミコトサマ

都貴

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第三章

浸食⑤

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 駅を出た綾奈はふと立ち止まり、ぼんやりと空を見上げる。

つい数日前は残暑に苦しんでいたというのに、空はすっかり秋色だ。
まだ六時を過ぎたばかりなのに、外は夜の帳に包まれている。
首筋を撫でる風はすっかり冷たい。

「今日も沙希、休みだったね。海、何か連絡ないの?」

 幽霊屋敷に行ってから三日目。
あの日から、沙希はずっと学校を休んでいる。

沙希の身に何かが起きている。
綾奈はそんな気がして不安だった。しかし海は知らん顔だ。

「知らないわよ。沙希のことをワタシに聞かないでちょうだい」

 素っ気ない海の言葉に、美也が眉根を軽く寄せる。

「冷たいわね、海。沙希は友達なんでしょ?心配じゃないの?」

「貴方と綾奈みたいに、私と沙希はベタベタの関係じゃないのよ。つかず離れずの大人の関係なのよ」

 嘯く海に綾奈も美也も心底呆れた。
大人の関係なんかじゃない。単に海は沙希に無関心なだけだ。

「ねえ、幽霊屋敷に行った日から何か変わったことはない?」

 あまりに素っ気ない海に業を煮やし、綾奈が尋ねた。

 今日は海に辰真をどう落とすかというくだらない会議に付き合わされてすっかり遅くなってしまった。少しはこちらの話にも耳を傾けてもらわなければ割にあわない。

幽霊屋敷に行ってから、綾奈は時折、冷たい気配を感じるようになっていた。
もしかしたら、自分は本当にミコトサマに呪われていて、沙希もそれが原因で欠席しているのかもしれない。
綾奈はそう考えている。

 綾奈の質問に海は意味不明だといいたげな顔で首を傾げた。
一方、美也の目尻が小さく痙攣したのを、綾奈は見逃さなかった。

「美也もなにか見たんだね?」

 確認するように尋ねると、美也が小さく頷いた。

「あの日から、ときどき、奇妙な気配を感じることがあるの。はじめは怖い思いをしたせいで神経が過敏になってるだけだと思ってた。だけど、違ったわ」

 美也の顔が青褪め、切れ長の瞳が小さく見開かれる。
怯えた顔の美也を見るのは初めてで、それだけで綾奈は動揺した。

「おとといの夜中、なんだかすごく寝苦しくて、なかなか寝付けなかった。やっと眠れたと思ったら、ふと目が覚めたわ。時計を見るとまだ午前二時。ふだんは一度寝たら朝まで起きることなんてないのに。不思議に思いながら起き上がって、なんとなく窓の外に目を遣ったの。そしたら、いたのよ」


「いたって、何が?」

 聞かなくても美也の答えはわかっていた。それなのにわざわざ尋ねたのは、自分の中に閃いた答えを否定して欲しかったからだ。しかし綾奈の期待も虚しく、美也の答えは綾奈が考え付いたものと同じだった。

「ミコトサマ。窓の外から、陰気な笑顔を浮かべてじっと私を見ていたの」
「なによ、それ。見間違いでしょう」

 馬鹿にしたように吐き捨てた海を、美也が鋭い目で睨む。

「見間違いなんかじゃないわよ。この目で確かに見たわ!綾奈も見たのよね、ミコトサマを。だから、変わったことがないか聞いたのよね?」

 珍しく声を荒げる美也に気圧されながらも、綾奈は頷いた。

「私も見たよ。一回だけじゃないの、何回か見たの。憑りつかれたのかもしれない」

「やっぱり綾奈もミコトサマを見たのね。綾奈の言ってることはたぶん正解。私達、ミコトサマに呪われたのよ」

 深刻な表情を浮かべる綾奈と美也を見て、海の余裕めいた表情が崩れた。
それを隠そうと、海はいつになく愛想のいい笑みを浮かべて、弾んだ声を上げる。

「二人してワタシを脅かそうったてそうはいかないわよ、綾奈、美也。もう、酷いわね二人とも。面白くない冗談だわ」

「冗談だったらいいんだけどね」

 厭味ったらしくそう吐き捨てた美也の声を聞こえないふりをして、海はいつもハイテンションな様子で言う。

「すっかり寒くなったわね。もう日が落ちてるし。見てよ、空を。雲が出てるわ。道理で暗いはずよ。雨が降り出したら大変だわ。急ぎましょう」

 足早に海が歩きだす。
綾奈と美也もミコトサマについて話すのをやめて、無言で足を動かした。

それにしても暗い。灰色の雲が空にある明かりだけでなく、街灯の明かりさえも吸収しているような気がした。

暗澹とした道。
もとより静かな町だけど、今日は一段と静かだった。
住んでいる自分の町だというのに、違和感さえ覚えて綾奈は身震いした。

 人気ない道を三人で歩いていると、前から小さく不規則な足音が接近してきた。

闇に目を凝らすと、自分達と同じ制服のスカートがボンヤリと見えた。
街灯のスポットライトが、近付いてきた少女の顔を闇に浮かび上がらせる。

死人のように生気のない青白い顔に、綾奈は一瞬、ぎくりとした。

「しね、しねっ、しねっぇ、みんな死んでしまえっ!うあぁぁっ!!」

 凶悪な言葉を喚きながら、沙希は海の首を絞め続けた。

足を痙攣させ、力なく腕を垂らす海の姿に綾奈は我に返る。
綾奈は慌てて沙希に体当たりをくらわせた。

不意打ちの攻撃に沙希は尻餅を付いて転んだ。
反動で綾奈も一緒に地面に転がった。

「ゴホッゴホッ」
「大丈夫、海?」
「ゴホッ、え、ええ……っ」

 美也が激しく咽る海を抱き起こした。
白い首にはくっきりと沙希の指の跡が残っている。

「逃がさない、みんなっ、シネシネシネシネぇッ!!」

 沙希は目を剥いて立ち上がると、地面に手をついた綾奈に飛びかかってきた。
綾奈は紙一重で沙希を躱すと、勢いよく立ち上がる。

「逃げなきゃ。海、美也っ!」
「う、うんっ」

 綾奈の声に弾かれて、美也はまだあまり足に力の入らない海の脇の下を掴んで立たせると、彼女の腕を引いて走った。
背の高い海を美也一人で連れていくのは困難で、綾奈も肩を貸す。

逃げ出した三人の後を、ばたばたと煩い足音が追いかけてきた。
足の遅い彼女からは信じられないスピードで、沙希が背後から迫ってくる。
沙希はわけのわからない言葉を叫びながら、時に耳を塞ぎたくなるような奇声をあげていた。

追われる恐怖に綾奈の顔が引き攣る。
足が縺れて上手く走れない。
おまけにまだ足に力の入らない海を連れているのだ。逃げ切れる道理がない。

このままじゃ、追い付かれてしまう。
なにより、人気のない暗闇のなかを走って逃げ続けるのはあまりに怖かった。

 何かいい打開策は無いだろうか。綾奈は辺りを見渡した。

 目映い光が少し先から零れている。この辺に点在する数少ない店の一つだ。

「美也、あの店に逃げ込もうよ」
「そうね」

 ガラスの扉を乱暴に開けて三人は店内へ転がり込んだ。
店主が白い目をしている気配があったが、気にせず思い切り扉を閉め、勝手に鍵をかけた。

閉まった扉に沙希がぶつかった。おもいきり体当たりしたらしく、大きな音が店内に響いた。沙希はガラスに身体や頬をくっつけて、睨み殺さんばかりの眼差しで綾奈達を見ていた。
ぎょろりと見開かれた沙希の瞳が忙しなく店内を見回す。

硝子を割って、店内に入ってくるかもしれない。
綾奈達は息を飲んだ。



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