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第三章
浸食③
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授業が終わり、教室からわらわらと生徒が雪崩でていく。
綾奈も美也と一緒に教室を出ようとした。
「待ちなさい、綾奈」
海に呼びとめられて、綾奈は立ち止まった。
早く帰りたかったのに。文句を飲み下し、当たり障りのない表情を浮かべて振り返る。
「海、どうしたの?」
綾奈の問いに答えず、海は無言で綾奈の手を掴んで大股で廊下を歩きだす。
引き摺られるよう歩きながら、綾奈は海の横顔を見る。
あきらかに不機嫌そうだ。
いったいどこに何の用で連れて行かれるのだろうか。
綾奈は苦々しい表情を浮かべる。
美也が心配そうな顔で自分を見ていることに気付き、綾奈は先に帰ってもいいと目配せをする。綾奈の意図に気付いた美也が小さく首を横に振った。
どうやら着いてきてくれるようだ。
海と二人きりにならずにすむと、綾奈は美也に心の中で感謝した。
海に連れられて、綾奈は三階の音楽室にやってきた。
「そこ、座んなさいよ」
海に促されて綾奈が大人しく座ったとたん、彼女は机に勢いよく片手をつく。
びっくりする綾奈を鋭い瞳が見下ろした。
「どういうつもりよ、綾奈」
低い威嚇するような声に気圧されつつ、綾奈は平静を装った。
こっちが怯えたら、海の攻撃がきつくなる。こういう時は、なるべく静かに話す方がいい。
「どういうつもりって、なにが?」
「辰真のことよ。今日、楽しそうに話していたじゃない。モーションをかけないでちょうだい、辰真はワタシが狙ってるのよ!」
「べつに、そんなつもりはないよ」
海のとんだ言いがかりに呆れて、綾奈は密かに溜め息を吐いた。
心配して着いてきてくれた美也が、ご立腹な様子の海を面倒そうな顔で見ている。
綾奈も美也と同じ気持ちだった。
別に辰真と仲良くしていたからといって、海に目くじらを立てられる覚えはない。
「そんなことを言うために、わざわざ私を音楽室に連れ込んだの。もしかして、話はそれだけだったりするの?」
「そうよ。何か問題でもあるかしら?」
問題あるに決まっている。
心の中でそう突っ込みを入れたけど、口答えしたら余計に海が鬱陶しいことを言い出しそうなので綾奈は黙っていた。
何故か海も一緒に帰ることになった。
美也と二人で帰る方が気楽だし楽しいのに。
綾奈と美也は顔を見合わせて、肩を竦める。
二人の様子に海はまったく気付かず、一人でペラペラと喋っている。
「ねえ、アンタたちはどうしたら辰真と接近できると思う?」
「辰真はどんな子が好みのタイプなのかしら。可愛い系?それとも美人系?」
海が次から次へと恋愛の相談をしまくってくる。
辰真のことばかり話されてうんざりだ。
学校から駅まで歩き、電車に乗って家の最寄り駅で降りるまでの間、
海は絶え間なく辰真について喋っていた。
かなり彼にお熱らしい。
綾奈は話を転換しようと、沙希のことを口にした。
なかなか口にできなかったが、沙希がずっと気になっていた。
沙希と一番仲良くしている海なら(といっても沙希から海への一方通行の友愛の気もするが)
沙希のことを何か知っているかもしれない。
「ねえ海。沙希、学校休んでるけどどうしたのかな?海、何か聞いてない?」
「沙希?知らないわよ。臆病風にでも吹かれたんじゃないの」
ツンと澄まして答えた海が少し考えるように顎に手を当てる。
理知的な美人だからそのポーズがサマになっている。
海は数秒ほど考えたあと、目を細めてこちらを見た。
唇の端を吊り上げ、意地悪な笑みを浮かべている。
「それか案外、ミコトサマに呪われていたりするかもね」
笑えない冗談だ。
綾奈と美也は眉間に皺を寄せる。
「海、いくらなんでもそれは酷いんじゃないの?沙希は友達でしょ」
「そうよ、呪われてるなんて縁起でもないじゃない」
綾奈と美也から責められて、海は珍しくたじろぐ。
「うっ、た、ただの冗談に決まってるじゃないの。二人して責めないでよ。それじゃあ、ワタシはこっちだから行くわ。じゃあね」
足早に駅舎を出ると、海はばつが悪そうな顔で綾奈と美也とは別の道に走り去った。
ようやく台風が去ったと、二人は胸を撫で下ろして、いつも通り並んで家へと帰った。
綾奈が家に帰ると、珍しく玄関に鍵がかかっていた。
夏休みの玲も専業主婦の美紀子も家にいないようだ。
リビングの床に鞄を粗雑に置くと、綾奈は洗面所に向かった。
海の恋のキューピットだなんて、厄介な役目を引き受けてしまった。
溜息を吐きながら手を洗う。
「綾奈はいいの?吉良君のこと、少しは気になってるんじゃないの」
別れ際に美也が言った言葉が脳内で響く。
胸の中に靄がかかったみたいな不快感を覚えて、綾奈はまた大きく溜息を吐いた。
すっきりしたくて、手だけじゃなくて顔にも冷たい水を浴びせる。
水気をタオルで拭いていると、ふと耳元で誰かが囁いた。
「憎いのでしょう。だったら、憎めばいいのよ」
ぞっとするような冷たい声だった。今家には自分しかいないはずだ。
綾奈は勢いよく顔を上げると、目の前の鏡を見た。
薄暗い鏡の世界に、憂鬱な顔をした自分が映っている。
映っていたのはそれだけじゃない。
すぐ背後に白い着物の髪の長い女が立っていた。
女は三日月の目と口で不気味に笑っていた。
彼女の青い唇からは黄ばんでぼろぼろの歯が覗いている。
あまりの恐怖に悲鳴すら上げられず、殴りつけるように電気のスイッチを押した。
洗面所を白い光が明るく照らす。
いつのまにか、鏡の中に映っていた女の姿は消え、顔面蒼白な自分が映っているだけだった。
「み、見間違いだよね……」
誰かに確認するように呟くと、綾奈は逃げるように洗面所から出て、その足でリビングに駆け込んだ。
電気とテレビを点けて、ソファの真ん中に座る。テレビから聞こえる明るい笑い声に幾分か恐怖は和らいだが、耳の奥でまだ煩く心臓が鳴り響いていた。
屋敷に入るとミコトサマに呪い殺される。
小学校の頃からまことしやかに囁かれている幽霊屋敷の噂がテレパシーのように頭に響く。
まさか、すでにミコトサマにとり憑かれてしまっているのだろうか。
不意に脳裏を掠めた嫌な想像を、綾奈は必死に打ち消した。
綾奈も美也と一緒に教室を出ようとした。
「待ちなさい、綾奈」
海に呼びとめられて、綾奈は立ち止まった。
早く帰りたかったのに。文句を飲み下し、当たり障りのない表情を浮かべて振り返る。
「海、どうしたの?」
綾奈の問いに答えず、海は無言で綾奈の手を掴んで大股で廊下を歩きだす。
引き摺られるよう歩きながら、綾奈は海の横顔を見る。
あきらかに不機嫌そうだ。
いったいどこに何の用で連れて行かれるのだろうか。
綾奈は苦々しい表情を浮かべる。
美也が心配そうな顔で自分を見ていることに気付き、綾奈は先に帰ってもいいと目配せをする。綾奈の意図に気付いた美也が小さく首を横に振った。
どうやら着いてきてくれるようだ。
海と二人きりにならずにすむと、綾奈は美也に心の中で感謝した。
海に連れられて、綾奈は三階の音楽室にやってきた。
「そこ、座んなさいよ」
海に促されて綾奈が大人しく座ったとたん、彼女は机に勢いよく片手をつく。
びっくりする綾奈を鋭い瞳が見下ろした。
「どういうつもりよ、綾奈」
低い威嚇するような声に気圧されつつ、綾奈は平静を装った。
こっちが怯えたら、海の攻撃がきつくなる。こういう時は、なるべく静かに話す方がいい。
「どういうつもりって、なにが?」
「辰真のことよ。今日、楽しそうに話していたじゃない。モーションをかけないでちょうだい、辰真はワタシが狙ってるのよ!」
「べつに、そんなつもりはないよ」
海のとんだ言いがかりに呆れて、綾奈は密かに溜め息を吐いた。
心配して着いてきてくれた美也が、ご立腹な様子の海を面倒そうな顔で見ている。
綾奈も美也と同じ気持ちだった。
別に辰真と仲良くしていたからといって、海に目くじらを立てられる覚えはない。
「そんなことを言うために、わざわざ私を音楽室に連れ込んだの。もしかして、話はそれだけだったりするの?」
「そうよ。何か問題でもあるかしら?」
問題あるに決まっている。
心の中でそう突っ込みを入れたけど、口答えしたら余計に海が鬱陶しいことを言い出しそうなので綾奈は黙っていた。
何故か海も一緒に帰ることになった。
美也と二人で帰る方が気楽だし楽しいのに。
綾奈と美也は顔を見合わせて、肩を竦める。
二人の様子に海はまったく気付かず、一人でペラペラと喋っている。
「ねえ、アンタたちはどうしたら辰真と接近できると思う?」
「辰真はどんな子が好みのタイプなのかしら。可愛い系?それとも美人系?」
海が次から次へと恋愛の相談をしまくってくる。
辰真のことばかり話されてうんざりだ。
学校から駅まで歩き、電車に乗って家の最寄り駅で降りるまでの間、
海は絶え間なく辰真について喋っていた。
かなり彼にお熱らしい。
綾奈は話を転換しようと、沙希のことを口にした。
なかなか口にできなかったが、沙希がずっと気になっていた。
沙希と一番仲良くしている海なら(といっても沙希から海への一方通行の友愛の気もするが)
沙希のことを何か知っているかもしれない。
「ねえ海。沙希、学校休んでるけどどうしたのかな?海、何か聞いてない?」
「沙希?知らないわよ。臆病風にでも吹かれたんじゃないの」
ツンと澄まして答えた海が少し考えるように顎に手を当てる。
理知的な美人だからそのポーズがサマになっている。
海は数秒ほど考えたあと、目を細めてこちらを見た。
唇の端を吊り上げ、意地悪な笑みを浮かべている。
「それか案外、ミコトサマに呪われていたりするかもね」
笑えない冗談だ。
綾奈と美也は眉間に皺を寄せる。
「海、いくらなんでもそれは酷いんじゃないの?沙希は友達でしょ」
「そうよ、呪われてるなんて縁起でもないじゃない」
綾奈と美也から責められて、海は珍しくたじろぐ。
「うっ、た、ただの冗談に決まってるじゃないの。二人して責めないでよ。それじゃあ、ワタシはこっちだから行くわ。じゃあね」
足早に駅舎を出ると、海はばつが悪そうな顔で綾奈と美也とは別の道に走り去った。
ようやく台風が去ったと、二人は胸を撫で下ろして、いつも通り並んで家へと帰った。
綾奈が家に帰ると、珍しく玄関に鍵がかかっていた。
夏休みの玲も専業主婦の美紀子も家にいないようだ。
リビングの床に鞄を粗雑に置くと、綾奈は洗面所に向かった。
海の恋のキューピットだなんて、厄介な役目を引き受けてしまった。
溜息を吐きながら手を洗う。
「綾奈はいいの?吉良君のこと、少しは気になってるんじゃないの」
別れ際に美也が言った言葉が脳内で響く。
胸の中に靄がかかったみたいな不快感を覚えて、綾奈はまた大きく溜息を吐いた。
すっきりしたくて、手だけじゃなくて顔にも冷たい水を浴びせる。
水気をタオルで拭いていると、ふと耳元で誰かが囁いた。
「憎いのでしょう。だったら、憎めばいいのよ」
ぞっとするような冷たい声だった。今家には自分しかいないはずだ。
綾奈は勢いよく顔を上げると、目の前の鏡を見た。
薄暗い鏡の世界に、憂鬱な顔をした自分が映っている。
映っていたのはそれだけじゃない。
すぐ背後に白い着物の髪の長い女が立っていた。
女は三日月の目と口で不気味に笑っていた。
彼女の青い唇からは黄ばんでぼろぼろの歯が覗いている。
あまりの恐怖に悲鳴すら上げられず、殴りつけるように電気のスイッチを押した。
洗面所を白い光が明るく照らす。
いつのまにか、鏡の中に映っていた女の姿は消え、顔面蒼白な自分が映っているだけだった。
「み、見間違いだよね……」
誰かに確認するように呟くと、綾奈は逃げるように洗面所から出て、その足でリビングに駆け込んだ。
電気とテレビを点けて、ソファの真ん中に座る。テレビから聞こえる明るい笑い声に幾分か恐怖は和らいだが、耳の奥でまだ煩く心臓が鳴り響いていた。
屋敷に入るとミコトサマに呪い殺される。
小学校の頃からまことしやかに囁かれている幽霊屋敷の噂がテレパシーのように頭に響く。
まさか、すでにミコトサマにとり憑かれてしまっているのだろうか。
不意に脳裏を掠めた嫌な想像を、綾奈は必死に打ち消した。
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