ミコトサマ

都貴

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第二章

リアル肝試し③

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 綾奈と海と辰真は二階に上がると、F字の廊下を壁に沿ってずっと最奥まで進んだ。一番奥の襖の前で三人は立ち止まる。

廊下にたった一つだけ採光のために作られた窓は小さく、やはり鉄格子が嵌められていた。
小さな窓から零れる光が頼りなく、襖に描かれた富士山の模様を闇に浮かばせる。

もとはアイボリーっぽい色だったようだが、汚れや染みで変色して薄汚れた土色になっている。
それがまた、いかにも不気味だと綾奈は小さく肩を震わせた。

「綾奈、開けて中に入りなさいよ」
「え、私が開けるの?」
「手が汚れそうで嫌だわ。だから貴方が開けて」
「私の手は汚れてもいいっていうの?まあ、いいけどね。開けるよ」

 本当は開けるのが怖かった。

だけど、ここで逃げたらまた海にしつこく臆病だとからかわれてしまう。
その方が嫌だと、綾奈は逆らわらずに襖に手を掛ける。

脳裏に巡る恐ろしい妄想を振り払って、いっきに扉を開けた。

部屋の中は純和風の畳の部屋で、六組の布団が敷いてあった。

ミコトサマの一家は少なくとも、六人家族以上の大家族だったようだ。
そんな呑気なことを考えられたのは一瞬のことで、妙な染みがあるのが見えて綾奈は眉根を寄せた。

染みは布団にも畳にも襖にもある。
しかも点々とした染みだけではない。大量にコーヒーを零したような大きな染みもいくつかある。

「この染み、血の痕じゃないか?」

 辰真の言葉に、綾奈の顔からさっと血の気が引いた。
酸化した血がどす黒くそこら中に染みを作っている。
この部屋でいったい何が起きたのだろうか。
考えると急に怖くなってきて、綾奈は思考を停止した。

「酷いな。なんだよ、この部屋の血痕。なんか事件が起きたみたいだよな」
「そうね。何があったのかしら?やっぱり集団自殺をこの部屋でしたのかしら。血の量を見ると、首を切って失血死したのかもしれないわね」

 さらりと恐ろしい考察を述べる海に、綾奈はつい声を荒げる。

「やだ、怖い。海ったら、変なこと言わないでよ」

「あら、いまさら怖いだなんて、何を言ってるのよ綾奈。貴方、沙希からミコトサマの話は聞いていたでしょ。ここがそういう曰くつきの場所で、一家心中した部屋があるのはわかっていたでしょう。やっぱり臆病なままなのね」

「そんなことないってば。でも、やっぱりここはなんだか変だよ」

「どこが変だっていうの?血の痕以外は何も変わったことはないじゃない。ミコトサマがいるわけでも、変な音を聞くわけでもない。ミコトサマが一家心中したのは本当でも、入ったら呪われる幽霊屋敷だなんて嘘だったのね」

 海が大袈裟に肩を竦める。彼女はつまらなさそうな顔をして、部屋に背を向けようとした。
その時、外から少女の悲鳴が聞こえてきた。

「な、なんなの、今の悲鳴は」

 珍しく海が動揺した声を出す。綾奈も焦った表情を浮かべた。

「さっきの声、外から聞こえたよね?」
「ああ、窓の外を見てみようぜ」

 綾奈達は部屋に窓に駆け寄り、外を見た。

格子の隙間という限られた視界の中に、森の方へものすごい勢いで駆けていく美也と沙希の背中が見えた。
二人とも髪を振り乱して、まるで何かから逃げているようだ。

二人はすぐに綾奈達の視界から消えた。

一体何があったのだろう。綾奈は首を傾げる。
美也と沙希を追いかける者の姿はなかった。それなのに、二人は何から逃げていたのだろうか。

「どうしたっていうの、沙希も美也も。異常だったわ」

 海も同じように感じたらしく、不可解だという顔で呟いた。

「何かあったんだろうな。でも、一体何があったっていうんだよ?」
「分らないけど、とても怯えていたみたいだったね」

「ふん、なによ、私達を置き去りで逃げて行ったなんて許せないわよ。もともと臆病な沙希はともかく、美也って弱虫の最低な友人ね、綾奈」

「そんなふうに言わないでよ、海。きっと、何か事情があったのよ」

「どんな事情か是非ともあとで聞かないとね。よっぽど大した事情があるんでしょうね。もういいわ、私達も行きましょう」

 嫌みたっぷりにそう吐き捨てると、海は身を翻した。

窓に背を向けた海の視界に、さっきまで見ていた六組の布団が飛び込んだ。
そのうちの一つの掛け布団が海の目の前で急に人型に膨らむ。
そこから鮮血が流れ出して畳を深紅に染め上げていく。

「ちょっ、何よこれ!」

 海が珍しく慌てふためいた声を上げた。

海の声を聞いて窓から視線を外した綾奈と辰真の目にも、異常な光景が映し出される。

誰も寝ていないはずの布団が、まるで誰かがそこで眠っているかのように膨れ上がり、血を流していた。

「何だよ、これ……」
「やだっ、気持ち悪いっ」
「は、はやく出ましょう!辰真、綾奈っ」

 海の号令で、綾奈達は一目散に廊下に転がり出た。

最後に部屋を出た辰真は、後ろ手で乱暴に襖を締めた。
綾奈は廊下に座り込み、締まった襖を見ながら肩で荒い息を繰り返した。
海も壁に凭れて座り込み、額に手を当てて溜め息を漏らす。

 一階まで、いや、屋敷の外まで逃げるべきだった。だけど綾奈は驚愕のあまり足に力がはいらず、襖の前から立ち上がれなかった。
海も辰真も同じようで、綾奈の隣りに座りこんでいる。

「もう、なんなのよ、いまの。ワタシ、怖いわ。辰真」

 辰真の肩に寄りかかり、海が上目遣いで辰真を見上げた。
急に体を密着させられて、辰真は照れたような気不味いような表情で、視線を天井に泳がせる。

「お、おい、よせよ。大槻」
「いいじゃないの。ワタシのこと、守ってくれるでしょう?」
「ああ。おれは男だから、できる限りは守ってやるよ」
「素敵ね。さすが辰真だわ」

 辰真にベタベタしはじめた海を、綾奈は呆れた瞳で見た。
海ともあろう人が吊り橋効果を期待しているのだろうか。

確かに、爽やかなスポーツ少年で男前の辰真は、知的な美人の学級委員長であっても、落とすのは容易ではないだろう。
しかし、なにもこんな危ない状況で辰真に迫らなくてもいいのではないだろうか。

べつに海と辰真を恋仲にする為に、こんな恐ろしい場所に足を運んだわけじゃない。
馬鹿馬鹿しくなってきて、恐怖の波が一気に引いた。

座り込んでないで、さっさと帰ろう。

緊張から解き放たれた体を起こし、綾奈は立ち上がってスカートについた埃を払った。
踵を返して襖に背を向けた瞬間、背後から奇妙な音が聞こえた。

ズルッ、ズルッ、ズルッ。

何かを大きなものを引き摺るような音がする。
音に気付いた海と辰真も、立ち上がって襖に視線を向けた。
三人が見守るなか、襖が静かに開いた。

闇の中から現れたものに、三人は息を引き攣らせる。

「うう~う~っ、ううううううっ」

 床を這って、長い黒髪を振り乱した白い着物の女が近付いてきた。
口から呻き声を漏らし、虚ろな瞳でこちらを睨みながら、女がじりじりと距離を詰めてくる。

「きゃぁぁっっ!」
「うわあぁぁっっ!」

海と辰真が女に背を向けて走りだした。

恐怖で反応が遅れた綾奈も、慌てて二人を追って走りだす。
逃げる三人の背後から、女がもの凄い速さで床を這って追ってくる。

 身体を引き摺るズルズルという音と、床激しく掌を叩きつけるペタペタという音。
加えて「痛い、痛い」と呻く声が背後からついてくる。

あまりの恐ろしさに、三人は顔を真っ青にして走った。

走りながら綾奈は肩越しに振り返った。
女が這った後に、ナメクジが這った跡に似た血の痕がついている。

よく見ると、女は両足とも膝から下を切断されていた。

「いやっ、こないでっ」

 綾奈は振り返ったことを後悔した。

二度と振り返らないと誓い、一階への階段を目指して走る。

あともう少しで階段だ。
そう思ったのが気の緩みを生んだのか、派手に転んでしまった。

痛みを堪えて急いで立ち上がろうとしたが、上手く立ち上がれない。
足首に強い指の感触を感じた。

 綾奈は驚愕にして見開いた瞳で足元を見遣る。
骨ばった手が足首を掴んでいた。怨念と憎しみに満ちた瞳が、怯える綾奈を映し出す。

「イ…タイ、イタイ……。許さ、ない……、み、んな、シ…ネ……」
「いやっ、いやっ!助けてっ、お兄ちゃん」
「如月っ!」

 辰真が腕を掴む海の手を振り解き、転んだ綾奈の脇の下に手を入れて綾奈を強引に立たち上がらせた。それから、綾奈の細い足首を掴む手を何度も踏みつけた。

「ギャアアァァァッッッ」

 断末魔に似た悲鳴を上げ、手が離れていった。

「行くぞ、如月!」

 辰真に肩を抱き寄せられ、綾奈は彼と寄りそうように階段を駈け下りた。

 一階の廊下に出ると、最初に通ったロビーを通って綾奈達は屋敷の玄関から外に飛び出した。

 一刻も早くここから離れなければ。
誰もがそう思って違わなかった。もはや、誰も幽霊がミコトサマなのかどうか見極めるつもりなどなかった。

 綾奈達は石畳の道を全力で走り抜けた。辰真に手を引かれて走りながら、綾奈は背後から無数の足音が付いてきているのを感じていた。

振り向けば再び向こう側に引き摺り込まれ気がして恐ろしく、振り返る勇気などなかった。



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