鬼月島

都貴

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最終章

その三

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和樹は恐怖に満ちた顔で時夜を見上げる。

「あの船のおっちゃんはな、オレの叔父さんだよ。オマエらをこの島に連れてくるのに協力してくれたんだよ。助けになんて来てくれねーよ。礼子はオレのお袋で、牛の面の男は俺の弟の響(きょう)。ここはオレの別荘さ」

「な、何を馬鹿なっ!時夜くん、君がなにを言っているのか理解できない!」

「オマエは飲み込みが悪いなあ、一条。晋は気付いているぜ。オマエらはオレに嵌められて、怪物の棲む島に連れてこられたんだ。響のエサとしてな」

「な、なんだって?」

「響は日の光が苦手だからさ。お袋がテラスや庭園に逃げたヤツを狩る役目なんだよ」

 ヒタヒタと足音が聞こえてきた。音の方に顔を向けると、牛面の男が血のこびり付いた斧を手に歩いてきていた。

時夜は躊躇なく牛の面の男に近付くと仮面を優しくとった。

仮面の下には金色の瞳をした、時夜に少しだけ似た少年の顔があった。牛の面についているのだと思っていた角は、少年の額からじかに生えていた。白髪に金色の目に角。まるで鬼のようだ。

「オレの父方の血筋は変わっていてさ、時々奇形児が生まれるんだとよ。角が生えてるんだ。曾祖父もそうだったらしい。角の生えた鬼子は気性が荒く、人肉を好んで食べるんだよ。弟には産まれた時から角があった。お袋は弟を普通の子供のように育てようとしたんだけど、近所の飼い犬に襲いかかって殺したり、腹が減ると人に齧りついたりして、とても普通には育てられなかった。家族に対しては、大人しいんだけどな。なあ、響」

 響は、うっすら笑みを浮かべて「オニイサン」と拙い口調で言った。

 おにいさん。お兄さんか。鬼さんじゃなかった。森ではじめて会った時、牛の面の男、もとい時夜の弟の響は、時夜を見て「お兄さん」と呼んでいたのだ。

「親父は響をこの鬼月島で育てることにしたんだ。椿木家に時折生まれる異端児は、昔からこの島で人知れず育てられてたんだ。響もこの島の中だけで暮すことになった。親父は響が退屈しないように、この屋敷を変わった造りに改装したんだ。親父は時々、人の肉を欲して暴れる弟のために、ここへ生贄を何人か連れてきていた。数年前、親父が死んじまってからはオレが今度はその役目を担ってる。それで、オマエらを生贄として選んで連れてきたってわけだ」

 響が獲物を見るような鋭い眼差しで晋達を見回した。時夜はふっと冷めた笑みを浮かべた。

「さ、おしゃべりは終わりだ。そろそろ、エサになってもらうぜ。朱里ちゃんと美沙ちゃんと圭吾は既にもう食料として、巨大な冷蔵庫で眠ってる。オマエらもその仲間になるんだ。みんな一緒なら寂しくねーだろ」

 響がずいっと八重子に近付いた。腰を抜かして座り込んでいた八重子は、恐怖の余り失禁した。ツンとしたアンモニア臭が辺りに漂う。

和樹も顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしていた。

「助けて下さいっ!お願いします、僕だけでも助けて下さいっ。この島のことも鬼の子のことも誰にも喋りませんからっ」

和樹が泣き叫ぶが、時夜は眉ひとつ動かさずに彼を見下ろしている。
冷たい灰色の瞳は助ける気はないと語っているようだった。

晋は無表情で時夜を見据えた。

「佐藤朱里が、最初の犠牲者だったわけか?」
「ああ。弟はどうも朱里ちゃんが気に入ったらしくってさ」

 喋りながら、時夜は檻の向かいにある銀色のドアを開けた。中か白い冷気の塊が這い出してくる。

白い靄が外に吐き出され、庫内が見えてくる。中には朱里が全裸で冷凍肉のように吊るされていた。外傷はない、恐らく凍死したのだろう。

朱里の隣には血に塗れ、凄惨な表情をした美沙と圭吾も吊るされている。

「俺は美沙ちゃんが好みのタイプだったんだけどさ、弟はクールビューティな朱里ちゃん派らしくって。ははっ、兄弟だけど嗜好が正反対なんだよな」

 愉しそうに笑う時夜に、晋は静かな声で尋ねた。

「俺達が帰らなければ親か友人が、俺達が鬼月島に行ったきり帰らない島で遭難しているかもしれないと警察に連絡をして、この場所が知れるぞ。時夜、それでいいのか?」

「心配ご無用だぜ。旅行に誘う時、鬼月島には秘宝があるらしいから、他の奴らに嗅ぎつけられないように帰るまで島のことは誰にも秘密だって言ったんだ。外ヅラはよくても強欲で自己中なヤツばっかり選んだから、たぶん誰にも話してねーだろ。まあ、圭吾はオマエにうっかり喋っちまったけどな」

「たとえみんなが誰にも旅行のことを言っていなくても、いずれ親や友人が行方不明であることに気付いて探し始めるさ」

「晋、知らねーのか。日本には行方不明者なんてごまんといるけど、子供や老人でないかぎり警察の手で探してもらえることは滅多にないんだぜ。それに大学生の友情なんて薄い。同級生が突然学校にこなくなっても、誰も気にしねえ。それにオレが生贄に選んだのは両親と不仲の下宿生ばかりで、みんな実家とは音信不通だったからな。行方不明だとさえ気付かれない可能性が高いぜ。まあ、もしもこの鬼月島に旅行に行って帰ってこないと気付かれても問題ねーよ。この島はそう簡単に見つからない。四国に住んでる地元民すら、この島の存在を知ってる奴は少ないんだぜ。それにこの辺りの海は霧が大量発生するし、地形もややこしい。正確な位置を知っていないとこの島は見つけられっこねーんだ」

「時夜、お前はこの大学で生贄にするつもりの奴とだけ仲良くしていたのか?この旅行に連れていき、餌にするつもりでみんなと友達になったのか?」

「そうだぜ。圭吾も、美沙ちゃんも、朱里ちゃんも、八重子ちゃんも、一条も、最初っから生贄にするつもりで近付いた。オレはな、大学に入った時からいろんな奴と喋って身辺調査してたんだ。そんで、いなくなっても誰にも気付かれなさそうな奴を選んで仲良くなった。美沙ちゃんと朱里ちゃんは人文学部の同学年のなかでは中心人物って感じで目立ってたけどよ、二人でつるんでたことが多いから、セットでいなくなっちまえば誰も気にしねえよ。注目されてたけど、だからこそ邪魔だと思っていた奴は多いと思うぜ。目の上のたんこぶって感じでよ。二人の権力が強すぎて他の女子は二人にあわせなきゃいけねー雰囲気になっちまってたからよ」

「まあ、確かにそうかもしれないな」

「そうだろ。それに、八重子ちゃんは見るからに地味で隅っこにいるタイプだったしな。圭吾はいい奴だったし顔は広かったけど、そのぶんあんまり誰とも深い付き合いをしないタイプだった。深い仲だったのはオレとオマエくらいだ。一条なんてそれこそ友達いなかっただろ。いない方が良い奴ナンバーワンだったな。正直言って、一条とは仲良くしたくなかったし、実際あんま仲良くなかったけど、みんなアイツに構わねーからオレはよく構ってやってた方だと思うぜ」

「時夜は他人に興味ないって顔をしながら、みんなのことをよく観察していたんだな。脱帽だ。それも、弟に俺達を食わせるためか?」

「その通りだぜ。家族関係についてもいろんな奴からさりげなく聞きだした。大学生ってあんまり家族のこと話さねーから、すげー苦労したわ。友達関係より家族関係の方が重要だったな。まず第一に自宅から大学に通っている奴は弾いた。いなくなったすぐに気付かれちまうからな。そんで下宿生を狙って日常会話の中からさり気なく家族関係を調べ上げていった。その結果、家族関係が希薄な奴を選んだ。知ってたか?一条は金持ちの一人息子で裕福だったけど、親の愛情には恵まれてなかったみてーだぜ。アイツの両親は子供になんて興味なくて、金を渡して欲しい物を買い与えてやればそれでいいと思ってたんだってよ。本人が愚痴ってたぜ。それに圭吾は三人兄弟の真ん中で親の愛情が薄かったって嘆いていたしな。美沙ちゃんや朱里ちゃんや八重子ちゃんももだいたい似たような親の愚痴を言ってたよ」

「時夜、俺もそうなのか?」

 淀みなく喋っていた時夜が口を引き結び、神妙な表情になった。

「俺も生贄にするつもりで近付いたのかって聞いてるんだ。どうなんだ?」
「……さあな。どうだと思う?」

 時夜が質問で返してきたので、晋はさらに畳み掛けるように尋ねる。

「俺はお前から旅行に誘われなかった。それは何故だ?」

「晋。オマエ、人文学の授業で民族と食文化について学んだのを覚えてるか?人食い族の話だよ」

「ああ、覚えている」

「あん時さ、先生が人を食う種族についてどう思うかって意見を聞いた時に、みんな気持ち悪いとか、怖いとか、人として最低だって答えていた。そんな中、オマエは人間が牛や豚を食べるのと変わらない。そういう食生活なんだからしょうがないだろうって答えただろ。あれ聞いて、オレ、嬉しかったんだ。響のことを許してもらえた気がしたんだよ。こんな化け物みてーな弟でも、大事な弟だからさ」

 そう言って笑った時夜の顔は、優しい兄の顔をしていた。言葉の意味を理解しているのか、斧を持った響が時夜を見て嬉しそうに笑う。

「さて、晋。まだ質問はあるか?」
「いや、もうねぇよ」
「そっか―…」

 時夜が頷くと、響が素早い所作で斧を振り上げた。

壁に凭れて腰を抜かしていた八重子は悲鳴を上げる間もなく、首を切り落とされる。
恐怖に歪んだ顔が足元に転がってきて、見開いた目で晋を見上げた。
晋は思わず八重子から顔を逸らす。

「いやだ、いやだっ、助けてくれ、時夜くんっ!なんでもするからっ!」

 檻に這いつくばった和樹がバタバタともがく。

少し前まで時夜に責任をとって一人で化け物を倒してこいと言っていた癖に、今度は命乞い。時夜の言う通り、本当に自己中心的な奴だ。腹立たしいけど、こんなに助けを求めているのに無残な死が待ち受けているかと思うと、少し哀れでもあった。

時夜の灰色の双眸が虫ケラを見る目で、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにする和樹を見下ろしている。

 時夜が和樹の居る檻を開けた。時夜が行けと指示するように檻の中を指差すと、響は金色の目を爛々と輝かせて嬉々として中に飛び込んでいった。

響の斧が和樹の頭にめり込んだ。頭蓋骨が砕ける嫌な音がして血が噴水のように噴きあがる。

和樹は絶叫を響かせて地面に崩れた。ビクビクと体が痙攣し、すぐに動かなくなる。残ったのはもう自分一人だけだ。

 晋はその場に突っ立ったまま、ぼんやりと時夜を見ていた。

時夜の大きな手が伸びてきて、首を掴まれる。節くれ立った指が喉に絡みつき、物凄い怪力で首を絞め上げられた。

意識が遠のいてく。もう、二度と目覚める事はないかもしれない。だが、不思議と怖くはなかった。

ただ、身内に化け物を抱えて、それでも見捨てることなくずっと世話し続けた時夜を思い胸が痛んだ。時夜は死ぬまで弟に食料として人間を運び続けなくてはならない。きっとそれは死ぬよりも辛いことだろう。

「ごめんな、晋」

 苦しそうな声で時夜が謝るのを聞いたのと同時に、晋の意識は深い闇に沈んでいった。





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