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第六章

篝火の心

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「いつも喧嘩ばかりしていたんです。食事を作る時も朝刊を読む時も。お風呂に入る時だって順番で揉めてた」

「そうか」

 テントに二人きり。ランタンの揺れる灯りに目を細め、語るアレクの隣にはマーリナス。隣のテントでは泣き疲れたケルトが眠りについていた。

「でも僕はそんな二人が少し羨ましかったんです。僕にはそういう相手がいませんでしたから」
 
「そうだろうな。あの二人は一見反りが合わないように見えるが、実は気が合うような気がしていた。遊ばれているのはケルトの方だっただろうがな」

「そうですね。楽しそうに……見えました」

 語れば語るほど、かみつくケルトに笑いを向けるロナルドが思い浮かぶ。

「死んだなんて……嘘、ですよね」

 アレクはロナルドの最期を見なかった。

 あの時、ギルの大技によって崩れ落ちた瓦礫に埋もれてしまったアレクとマーリナスは、しばらくの間身動きが取れなかった。

 その間にケルトの身に何が起きたのか。

「ロナルドが死んだ」と叫ぶケルトの言葉を未だに信じられずにいる。それはマーリナスも同じだろう。
 
「わたしは見たものしか信じない。ロナルドの亡骸をこの目で見るまでは泣いたりしない。おまえも心を強く持つんだ、アレク」
 
「でも……怖いんです。本当だったらどうしようって。ケルトが泣く度、嘘だって疑う心が薄れていってしまうんです」

 じわりと滲んだ瞳を指先で拭い、抱えた膝に頭を埋めたアレクの頭にぽんと手が乗る。

「そうしたらまたわたしのもとに来ればいい。おまえの荷物はわたしが半分引き受けるといったはずだ。もう忘れたのか?」
 
「マーリナス……」
 
「罪も罰も痛みも。抱えきれないものはわたしに寄越せ。そのためにわたしはおまえの傍にいるのだからな」

 マーリナスは苦々しく告げる。

 二度とこのような言葉を贈ることはないと思っていた。

 あの時の誓いは決して軽々しく口にしたわけではない。
 
 別れる運命だったと覚悟して、アレクの心を引き裂くことしかできない自分に腹が立ち、それでも正しい選択肢だと信じ続けた。

 だが結局はまだアレクの隣にいる。

 この数奇な運命に意味を持たせるとするなら、そういうことなんだろう。

 国への失望感が募るなか、一度でもアレクを手放そうと決断したことが腹立たしくも情けなく思えた。

 己への自嘲と止められないアレクへの想いが交錯し、マーリナスは視線を落とす。

「国のために残ると決めたのに結局はこのザマだ。だがわたしには、ああすることしかできなかった。おまえを……利用されるなど、あってはならないことだ」

 アレクはふと顔をあげる。

 葛藤だろうか。

 国に仕える警備隊長であるマーリナスが反旗を翻した。

 義務感と正義感の狭間でマーリナスは苦しんでいるようにみえた。


「僕はきっとマーリナスが思っているほどいい人間ではありません」

「アレク?」

「憎むほど嫌悪しているこの呪いをマーリナスを助けるために利用したことも……あります。でも後悔はしていません。身勝手だけど大事なひとが救われたなら、それでいいんです」

 力なくこぼす笑みは哀しみを含む。
 ひとは生きているうちに何度も選択肢を迫られるから。
 過ちだったと後悔することも数え切れないほどあるけれど。
 アレクが願うのはマーリナスのしあわせだけだ。
 じっと見つめる紫色の瞳にマーリナスはふっと笑みをこぼす。

「わたしも後悔はしていない」

 ただ、とつけ足した。

「おまえを傷つけて悪かった」

 アレクは首を振る。
 共に歩もうと誓ったあの夜。
 罪も痛みも半分背負って。
 マーリナスはそういったけど、もうひとつ分けられるものがある。

「僕たちは互いの幸福を願っただけです。あの時はしあわせを半分にしようとした。そうでしょう? マーリナスは約束を破ってなんかいません」

 互いを思えばこそ。
 一生の別れになるかもと哀しみにとらわれていたけれど、あの決断には相手のしあわせを願う思いが込められていた。
 それがわからないほど愚かではない。

「マーリナスのおかげで僕は助かりました。いつか、今度は僕がマーリナスの力になります」

 マーリナスは目を細める。
 聖母のような微笑みを浮かべるアレクは、時に驚くほど強かな姿をみせることがある。
 いつだって心が折れそうな時、凜とした想いで支えてくれるのだ。
 ロナルドの死について口ではああ言ったが、内心不安が渦巻く。
 あのロナルドが死んだ?
 反芻するのも恐ろしくなるほどに心が全力で拒否していた。

「ロナルドも。マーリナスがいったように、きっと無事ですよ。僕もそう信じます」
 
「アレク」

 夜の砂漠は底冷えするような寒さがある。
 耐えず灯される火種。体は十分な温かさを保っているのに、負の感情にとらわれた瞬間、心が凍りつく。
 けれど儚げに咲く笑顔とどんな炎よりも温かい言葉が、冷えた血脈をゆっくりと解いてくれる。 
 爆ぜる篝火が静寂に炎の揺らめきを落とすなか、マーリナスはコツンと額を押し当てた。

「ありがとう」

「お礼を言うのは僕のほうです」

 ランタンの明かりを消して夜の帳に身を隠し。二人はゆっくりと横たわった。重ね合うのは互いの心と唇。微かに触れあう程度のキスを落とすと、アレクはマーリナスを力強く抱きしめた。マーリナスは応じる。隙間もないほど深いキスを。恐れなど打ち払うだけの情熱を。

 信じる勇気を、ここに生みだして。
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