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第五章

調教

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 ニックは偽の通行証を総督に手渡したのち、騎士団敷地内にある地下牢で身柄を拘束されていた。

 手には重い枷が嵌められて天井から吊るされ、水一滴、飲ませてもらえない。

 腹は鳴って唇は乾き、己の生唾を何度も飲みこんでは喉を潤そうと努力した。うとうとと睡魔が襲ってくると、見回りの騎士が目聡く見つけて冷水をぶっかける。

 それだけに終わらず、定期的に現れる騎士からは頬を殴られ、腹を殴られ、鞭を打たれ。背肉は縦横無尽にえぐられて真っ赤に染まり、呼吸するだけで身をよじるほどの激痛を与えた。

 なぜこんなことをするのか。

 何度も何度も叫んだ。

 何度尋ねても、返ってくる答えはひとつ。

「総督閣下に忠誠を」

 馬鹿な、と。驚きと同時に嘲笑った。

 ニックもまた、この国の闇を嫌というほど見てきたひとりだ。

 敬愛するロナルドが、命がけで手にした功績を何度も奪ってきた騎士団。恨みこそしても、忠誠などと。

 確かに憧憬どうけいの対象ではあるが、総督は尊敬に値しない。

 まさか総督ともあろう人物が、これほどの大罪を隠蔽しようとは考えもしなかったのだから。

 この国の闇は地下街のそれとなんら変わらないではないか。

 呆れを通り越して情けない笑いが零れた。

 総督の助力なくして、ロナルド副隊長は助けられないのに。

 もしかしたら、いまこの瞬間にも命の危機が迫っているかもしれないのに。

 怒鳴り散らしたいほどの憤りはあっても、相手は総督傘下の騎士。そんなことは口が裂けてもいえない。

 だから初めのうちは嘲りながらも気持ちを押し殺し、「忠誠を誓っています!」と真剣に答えた。

 それで拘束が解かれるなら安いものだ。そう思った。

 それなのに騎士は拳をふるい続ける。背後では鞭のしなる音、ひゅんと空気を切り裂く音がした。そして重い鞭が容赦なく襲いかかる。

 呻き声をあげるニックはそのたびに仰け反って、手枷を繋ぐチェーンはギシギシと揺れる体を支え続けた。

 何度も耐えてみたが、鞭のしなる音に恐怖を抱くようになったのは、そう遠い話ではなかった。

 騎士はいう。

「総督閣下に忠誠を」

 耳が付いていないのかと疑いたくなるほど、何度も繰り返される流れ。 

 休養する時間すら与えられず、殴られては鞭打たれ、殴られては鞭打たれ。

 いつの日かぶっかけられる水には塩が混じり、小さな傷さえも強烈な痛みを生じるようになった。

 眠ると塩水がかけられる。水が与えられないニックにとって、目覚まし代わりの水は唯一の水分補給源だったが、頭から滴る水は塩っ辛く、喉は枯れ果てた。

 無数に走る傷口からは火が吹くほどの痛みが襲い、激痛に身を焼かれて切り裂き声をあげては何度も意識を失った。

 そこに追撃の鞭が襲う。ぼんやりと目を覚まし、再び地獄に戻される。

 永遠とも思える地獄の中にニックはいた。

 かろうじて残る思考回路で、これなら飲まない方がまだマシだと思い至る。

 塩水を恐れて、ニックはみずから不眠体制を取った。眠くなれば、わざと体をよじって傷口を開き。痛みに目を覚ましては、身をよじる。

 だけどそんなことは長く続かなかった。体力はとうの昔に底尽きた。抗おうとする気力も何もかもが底尽きて、なされるがままに拳を受け、鞭が食い込むたびに体をしならせる。

 もう、痛みなどなかった。

 そんな状態が何日も続いて、よもや虫の息となったニックに正常な判断力など残されていなかった。

 薄暗い地下牢の一角で、ぶつぶつとかすれた声が漏れる。

「総督閣下に忠誠を……総督閣下に忠誠を……」

 問われるまでもなく、零す。

 そうなって初めて、騎士は鞭をふるうことをやめた。

 それでもニックは言語という能力が、ただひとつに絞られたように同じ言葉を繰り返す。

「総督…閣下に忠誠……を……」

 実のところ、マーリナスがオクルール大臣と意識不明のエレノアを捕らえ、事後処理に回って報告書を提出するまでに二日かかっており、それから三日間、騎士団は動かなかった。

 つまりニックは実に五日という時をこうして過ごしていたのである。

 いまや彼にとって、そんなことはどうでもよいことだったが。

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