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第五章
予兆
しおりを挟む「ニックが戻っていない?」
場所は第一警備隊駐屯地医療棟。
その一室でベッドから身を起こしたロナルドはマーリナスの報告に顔をしかめた。
「そうだ。アレクによれば、偽の通行許可証を総督に届けにいったということだが」
「そうだよ。俺がそう頼んだ」
「だが結局、騎士団は現れなかった」
ニックが行方不明となったことを知ったのは、アレクがマーリナスの自宅に戻って間もなくした頃だった。
あの後ロナルドは医療棟に救急搬送されたため、ニックの動向を知る者は警備隊の中には誰一人としていない。
そんな折、アレクが話を出してきたのだ。「偽装通行許可証はどうなったのか」と。
「みな後始末の業務に追われて、他に気を回す余裕はなかったからな。気づくのが遅くなってしまった」
「騎士団長や総督から連絡は?」
「ない。だが、それがおかしい。すでに王宮にはゴドリュースを確保したと通達したが、すでに三日経った。それなのに未だに反応がない」
『ゴドリュースを確保せよ』という、王命を見事に完遂した第一警備隊。これで目下の危機は去り、末端の警備隊も一躍喝采の的となる。
けれど、マーリナスを始めとした隊員の誰しもが手放しで喜ぶことはできなった。
隊員たちは総督の許可を得ず、大臣邸宅に突入するという前代未聞の強行作戦が、今後どのように判断されるのか不安を抱く。
英断と称されるのか、それとも蛮行だったと罵られるのか。
それでも王命に応えられたという満足感と、国家の安全保障機関として職務を全う出来たという矜持が、わずかに隊員たちの表情を明るいものとした。
だが二人の表情は固い。
第一警備隊を統べる者として、その補佐たる者として、当然ながら先の動向を見据えるからだ。
王命はもちろん何よりも優先されるべき事柄だ。けれど、隊員たちを捨て置くわけにいかない。隊員たちに責を問われることがあれば、二人は身を挺して彼らを守るだろう。
マーリナスが隊長となったとき、そしてロナルドが副隊長となったとき。それだけの覚悟を決めたのだから。
かといって、不必要に罰を受けることもない。
今回、ロナルドとアレクは確固たる証拠を手に入れた。
そのひとつがエレノアの馬車にあった偽の通行証である。
それがあれば、少なくともモンテジュナルの王室を騙った不法入国者であるエレノアを自宅に滞在させたオクルール大臣の尻尾を掴むことが出来る。
エレノアが持ち込んだゴドリュースは警備隊が確保しているし、恩赦をちらつかせれば自白させるのはそう難しいことではないだろう。
その繋がりをもって、オクルール大臣を断罪する。そうすれば警備隊も咎に問われることはないはず。
もちろん最も有効な証拠は、ロナルドが命がけで記録した魔道具である。
あれには当時の会話が余すところなく記録されており、権力で守られるオクルール大臣としても言い逃れは難しい。
だが後日、内容を再確認したマーリナスは証拠として提出することは避けるべきだと判断した。
なぜならあれには、「アレクの出自」まで記録されていたから。
死んだとされたモンテジュナルの第二王子が生存しているだけでも大ごとだというのに、あろうことか彼は「バレリアの呪い」を身に宿している。
それが国王の耳に入ったらどうなることか。
モンテジュナルは他国を陥れようと息子を放った、そんなことを誰かひとりでも囁けば、国同士の諍いが起こる。それはかつての歴史と同じ。決して繰り返してはならないことだ。
だからこそ、マーリナスは偽の通行証に賭けるしかなかった。
その証拠がニックと共に消えたとなれば、二人の表情も固くなるというもの。
嫌な予感。それはふたりの胸中を波立たせる。
いままで何度も手にかけた事件を上の人間にもみ消されてきた。
貴族が後ろ盾となる小さな犯罪は、所詮地下街の犯罪の一遍にしか過ぎず、それを白日の下に晒したところでまた同じ犯罪が繰り返されるだけ。そう思うことでなんとか心に折り合いをつけてきたが。
今回ばかりは見逃すことはできない。
ゴドリュースの確保は王命によるものだからだ。関わった犯罪者は相応の罰に問われるべきである。
現在第一警備隊で拘束しているオクルール大臣は、ロナルドが入手した録音によって、ゴドリュースを手に入れようとしたことが明らかとなっている。
しかし警備隊による取り調べには頑なに拒否を示しており、貝のごとく閉口したままだった。
警備隊の管轄内といえども貴族である。ましてや一国の大臣ともあろう者に対し、強行的な態度を取るわけにもいかない。
事態は手に入れた数々の証拠と黙秘を貫くオクルール大臣の身柄拘束という段階で足踏みをよぎなくされていたのである。
裁決は王命によって総督に一任されており、警備隊はその権利を有さない。
であるからして、大臣という国家中枢を担う人物が警備隊に拘束された時点で総督麾下にある騎士団が動き、身柄を引き渡すというのがセオリーなのだが。
報告を上げてからはや三日。一向に動きがない。これは一体どういうことなのか。
「このままずっとオクルール大臣を拘束しておくこともできない。事態に進展がなければ、下手をすると……」
「マーリナス隊長!」
綺麗な眉を寄せて唸るように声を発したマーリナスの元に、血相を変えた隊員が飛び込んできた。険しい表情を和らげることなく、マーリナスは顔を上げる。
「どうした」
「騎士団が来られました。総督閣下も一緒です。急いでお戻りください」
マーリナスとロナルドは顔を見合わせる。待ち望んだ騎士団が現れたのだ、これでやっとオクルール大臣の身柄を引き渡せると安堵する一方で。
「なぜ総督まで?」
その疑念があたまをよぎる。
いままで何度も身柄引き渡しを行ってきたが、総督自ら警備隊駐屯地に赴いたことなどない。そんなことは騎士団に任せればいいのだ。
「わかりません。隊長に話があるとのことです」
「そうか」
短く答えたものの、マーリナスの表情は優れない。ニックの消失に加えて、総督のお出ましとは。
嫌な予感が重く、さらに重くマーリナスの胸にのしかかった。
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