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第三章

地下階段への祈り

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「あんた、寝てなくていいのかよ」

 メリザの手を借りて制服に着替えたマーリナスは執務机に腰掛け、ホーキンスの調書に目を通していた。その端正な横顔を軽くにらみつけ、そわそわと体を揺らし苛立ったように口を開いたのはケルトだ。

 なにも本気でマーリナスのことを心配しているわけじゃない。いますぐにでも地下街に行ってアレク様に真実を伝え、あばよくば、そのまま連れ帰ってきたいのにマーリナスがまてをかけたのだ。

 勝手に動き回れば今度こそ警備兵につまみだされる。

 だから待っているのだが、その時間がなんとももどかしい。耳を打つ秒針の音が時を刻むたびに苛立ちが募る。それを紛らわせるためにでた言葉だったが、マーリナスはひとことも返さず真剣な表情でひたすら調書に目を通すばかり。

(ああ、もう!)

 もう耐えられないと、ケルトが業を煮やしたそのとき。

「よし。行こう」

「お、おう」

 調書を机に置いてすっと立ち上がったマーリナスに、ケルトは間の抜けた返事を返した。本作戦における要員はすべて出払っているため、ケルトは歩みだしたマーリナスの背中を慌てて追いかける。

 調書によればゲイリー・ヴァレットの居所は地下街西地区のどこかにある、蛇と薔薇の看板を掲げた酒場。

 事前調査にでたニックとそれをもとにアレクが作った地図は地下街の作戦班にしか手渡されておらず、マーリナスたちはたったそれだけの情報を元に酒場を探し出すことから始めなければならない。

 市街地を抜けて地下街西口の階段へと辿り着いたふたりは周囲に目を配る。薄暗い月明かりに照らされ、そよ風がふたりの髪の毛を揺らす。

 ぽつりぽつりと点在する民家の合間にぽかりと口を開けた階段は、夜空の闇を吸い込み暗闇に覆われて先が見えない。

 周辺にひとけはないようだが、きっと警備隊が潜んでいるだろう。マーリナスたちの姿もしっかり捉えているはずだが、黙っているのは彼が隊長だからだ。

「ケルト、本当についてくるつもりなのか」

「当たり前だろ。アレク様がいるんだ。あいつの顔も一発ぶん殴ってやらないと気が済まないし、だいたい病み上がりのあんたがひとりで地下街に行く方が不安じゃないか」

 固くこぶしを握りしめ階段の先に広がる闇をにらみつけるケルトにマーリナスは片方の口角を小さく引き上げる。

「心配してくれるのか」

「バカいうな。アレク様にこれ以上心配かけるなっていってるんだよ」

「そうだな」

 自嘲じみた笑みがこぼれた。

 きっと心配しているだろう。目の前であのような倒れ方をして無様だったと反省してやまないが、それ以上にアレクが自分を責めていないか心配だ。

 元気にしているだろうか。早く会って無事だと伝えたい。そしてその細い体を力いっぱい抱きしめ、おまえはよくやったと、肩の荷を下ろしてやりたい。

 そうしたら、またあの笑顔に会うことができるだろうか。

 そのためには再び危険な地下街へ身を投じてしまったアレクを連れ戻さなければ。

 マーリナスは悲しげに眉を寄せる。

 なぜそういつも危険を買ってでるのか。繭に包むように危険から遠ざけ護ってやりたいと思うのに、気がつけばいつも自分の手からこぼれ落ちる。その危うさに心臓が押しつぶされそうになるのを、かろうじて冷静さを保つことで耐え忍ぶ。

 それに……なぜロナルドは魔道具を外してしまったのか。

 理由はわからないが、残念ながらロナルドが呪力の影響を受けているとみて間違いない。

 聞くところによればバロンのような暴走はしていないようだが、監視対象であるアレクを家から連れ出したこと、加えてこともあろうに駐屯地で働かせているなど正気の沙汰ではない。

 その判断がどれほど異常で危険なことなのか、マーリナスにはよくわかる。

 アレクの呪いについてはマーリナスとロナルド。ふたりだけの極秘となっているのに、万が一にもアレクの呪いが駐屯地内で発動してしまったらどうするつもりなのか。誰かがそれを知り、洩らしてしまったら。

 その先は考えるほど恐ろしい。手遅れになる前に止めなくては。

 ふたりはローブをばさりと羽織り、階段へと踏み込んだ。この下に巣食う悪党共の魔の手に呼ばれるように、硬質な靴音を鳴らし一歩一歩下へ向かう。

 夜といえど初夏を迎えた上層では心地よい暖かさを感じることができたが、階段を降りるたびに気温が下がっていくようだ。

 闇が深まる階段の奥底に冷たい視線を向け、マーリナスの眉は険しく歪む。

 (アレク、無理はするな)

 この先に待つ闇が再びあの子を包まぬよう。再び傷つけぬよう。どうか無事で――

 この階段をおりるときはいつも、そう願わざるを得ないのだ。

 
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