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第三章
覗く瞳
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「何日も留守にしてしまってすまなかったね。不便はないかい?」
「ええ、まあ……その」
ロナルドの脱いだ上着を受け取りながらアレクは困ったように眉をさげて口ごもると、奥からバタバタと走ってくる足音に小さく肩をすくめてみせた。
「アレク様!」
「ケルトがいますから……」
マーリナスが負傷し昏睡状態となってから、アレクはロナルドの計らいでしばらくの間ロナルドの自宅でお世話になることが決まった。
バレリアの呪いのこともあるし、なによりアレクはまだ未成年だ。保護者代わりだったマーリナスが不在では監視の名目も崩れるし、保護の意味がなくなる。
そういって聞かせれば、アレクは大人しく首を縦に振った。
そこに嚙みつくように割って入ってきたケルトの存在はロナルドにとって予想外のものであった。ベローズ王国警備隊が止めるのも聞かず、自分もアレクと一緒に行くといって隊を飛び出してきたのだ。
そして隊長のギルといえば、もともとケルトは自国の人間ではないし警備隊でもない。自由にしろと、あっけないほど簡単に了承してしまったのである。
ケルト・リッシュ。アレクの従者だった男。そしてバレリアの呪いにかけられた第一被害者。
それ以上のことをアレクもケルトも話そうとしなかったが、貴族ならば従者のひとりやふたりいても不思議はない。
もっともロナルドが懸念したのは呪力の影響下にあることだったが、アレク本人がケルトは大丈夫だと強くロナルドに説得を試みた。
愛おしさが溢れてやまないアレクから頼むから一緒に置かせてくれと懇願されれば、ロナルドは折れるしかなかったのである。
それに元従者であったケルトならアレクの素性についてなにか教えてくれるのではないか。そんな期待もあったりしたのだが――
「なぜ帰ってきたんだ。仕事は。もう終わったのか?」
そんな期待はケルトがロナルドに向ける敵意むき出しの視線によって儚く消え失せた。
手負いの獣のように牙をむいてうなるケルトは、アレクと共に同行してきたときからロナルドに対し辛辣な態度をとり続けている。
アレクが何度言葉遣いを改めろといっても耳をかさず、傍若無人な振る舞いばかり。そんなケルトにアレクはそっとため息をもらした。
だがロナルドはすました顔でそんなケルトに答える。
「俺は有能なんでね。やるべきことは片付けてきたよ。明日また行かなければならないが、半日は休暇だ」
こんな状態ではケルトがアレクの秘密を打ち明けることはないだろう。逆に素性を嗅ぎ回っているといま以上に警戒されかねない。
そうなってしまえばバレリアの呪いにかかっているケルトが、アレクの身を案じてどのような行動にでるのかわからないのだ。下手を打てばここを出て行くといいだすかもしれない。
そのためロナルドはできる限りケルトに敵意を向けないように心がけていた。アレクを手元から離すつもりなど彼にはなかったのだから。
それにロナルドにはケルトの気持ちがよくわかる。自分はアレクよりもずっと大人だし自制を効かせなければならないが、ケルトにそんなことは関係ないのだろう。
そうやって自分の気持ちを素直に態度に表せるケルトはロナルドにとって羨望の対象であったが、そんなことは決して顔にださない。
なぜならアレクは自分が瞳をみてしまったことを覚えていない。
それは幸運なことだったが、自分がバレリアの呪いの影響下にあるとアレクが知ったら離れていってしまうのではないか。そんな不安が胸をよぎる。
だからロナルドは耐える。誰よりも愛おしく誰よりも尊い天使を誰よりも近い場所でずっと見守れるように。
◇
その夜――とうに時刻は深夜を回っているというのに、ロナルドはふと目を覚ました。うつろうつろとするあたまでぼんやりすれば、誰かの話し声がくぐもって聞こえてくる。
ロナルドはゆっくりとベッドから体を起こすとガウンを羽織り廊下へ歩みでた。首をかしげて視線を流してみればロナルドの自室から数部屋先。そのドアの隙間から明かりがもれている。
(アレクの部屋か?)
内容の読み取れないくぐもった話し声はまだ聞こえている。ここには自分とアレク、そしてケルトしかいない。
話し相手はケルトだろうが、まったくこんな夜中までアレクのところにいかなくても。ひとこと注意しなければ。
小さくため息をついてロナルドはアレクの部屋の前まで歩みを進めた。その時だ。怒ったようなケルトの声が耳に飛び込み、半分寝ぼけていたロナルドのあたまを覚醒させる。
「もうあれから三日です! 死んでしまいますよ!」
「だけど……」
「じゃあ、誰に頼むつもりなのですか! まさかロナルドに頼むつもりなのですか!?」
「違う!」
「わたししかいないでしょう。お願いですから拒まないでください! わたしは……あなたがいなくなったらいきて生きていけません」
「ケルト……」
いったいなんの話をしているのか。
ロナルドはドア越しに交わされた会話に、思わず息をのんでその場に立ち尽くす。死ぬとはなんだ。誰が死ぬって?
混乱するロナルドを置いてさらにふたりは会話を続ける。
「それ以上のことはしないとお約束します。ですから!」
「……わかった」
その言葉を最後に会話が途絶えた。不意に訪れた沈黙を不審に思い、ロナルドはドアの隙間からそっと中をのぞき見る。
そして見たのだ。壁に背を預けたアレクを両腕で挟みこみ、ケルトがアレクの唇に自身の唇を重ね合わせているところを。
「ええ、まあ……その」
ロナルドの脱いだ上着を受け取りながらアレクは困ったように眉をさげて口ごもると、奥からバタバタと走ってくる足音に小さく肩をすくめてみせた。
「アレク様!」
「ケルトがいますから……」
マーリナスが負傷し昏睡状態となってから、アレクはロナルドの計らいでしばらくの間ロナルドの自宅でお世話になることが決まった。
バレリアの呪いのこともあるし、なによりアレクはまだ未成年だ。保護者代わりだったマーリナスが不在では監視の名目も崩れるし、保護の意味がなくなる。
そういって聞かせれば、アレクは大人しく首を縦に振った。
そこに嚙みつくように割って入ってきたケルトの存在はロナルドにとって予想外のものであった。ベローズ王国警備隊が止めるのも聞かず、自分もアレクと一緒に行くといって隊を飛び出してきたのだ。
そして隊長のギルといえば、もともとケルトは自国の人間ではないし警備隊でもない。自由にしろと、あっけないほど簡単に了承してしまったのである。
ケルト・リッシュ。アレクの従者だった男。そしてバレリアの呪いにかけられた第一被害者。
それ以上のことをアレクもケルトも話そうとしなかったが、貴族ならば従者のひとりやふたりいても不思議はない。
もっともロナルドが懸念したのは呪力の影響下にあることだったが、アレク本人がケルトは大丈夫だと強くロナルドに説得を試みた。
愛おしさが溢れてやまないアレクから頼むから一緒に置かせてくれと懇願されれば、ロナルドは折れるしかなかったのである。
それに元従者であったケルトならアレクの素性についてなにか教えてくれるのではないか。そんな期待もあったりしたのだが――
「なぜ帰ってきたんだ。仕事は。もう終わったのか?」
そんな期待はケルトがロナルドに向ける敵意むき出しの視線によって儚く消え失せた。
手負いの獣のように牙をむいてうなるケルトは、アレクと共に同行してきたときからロナルドに対し辛辣な態度をとり続けている。
アレクが何度言葉遣いを改めろといっても耳をかさず、傍若無人な振る舞いばかり。そんなケルトにアレクはそっとため息をもらした。
だがロナルドはすました顔でそんなケルトに答える。
「俺は有能なんでね。やるべきことは片付けてきたよ。明日また行かなければならないが、半日は休暇だ」
こんな状態ではケルトがアレクの秘密を打ち明けることはないだろう。逆に素性を嗅ぎ回っているといま以上に警戒されかねない。
そうなってしまえばバレリアの呪いにかかっているケルトが、アレクの身を案じてどのような行動にでるのかわからないのだ。下手を打てばここを出て行くといいだすかもしれない。
そのためロナルドはできる限りケルトに敵意を向けないように心がけていた。アレクを手元から離すつもりなど彼にはなかったのだから。
それにロナルドにはケルトの気持ちがよくわかる。自分はアレクよりもずっと大人だし自制を効かせなければならないが、ケルトにそんなことは関係ないのだろう。
そうやって自分の気持ちを素直に態度に表せるケルトはロナルドにとって羨望の対象であったが、そんなことは決して顔にださない。
なぜならアレクは自分が瞳をみてしまったことを覚えていない。
それは幸運なことだったが、自分がバレリアの呪いの影響下にあるとアレクが知ったら離れていってしまうのではないか。そんな不安が胸をよぎる。
だからロナルドは耐える。誰よりも愛おしく誰よりも尊い天使を誰よりも近い場所でずっと見守れるように。
◇
その夜――とうに時刻は深夜を回っているというのに、ロナルドはふと目を覚ました。うつろうつろとするあたまでぼんやりすれば、誰かの話し声がくぐもって聞こえてくる。
ロナルドはゆっくりとベッドから体を起こすとガウンを羽織り廊下へ歩みでた。首をかしげて視線を流してみればロナルドの自室から数部屋先。そのドアの隙間から明かりがもれている。
(アレクの部屋か?)
内容の読み取れないくぐもった話し声はまだ聞こえている。ここには自分とアレク、そしてケルトしかいない。
話し相手はケルトだろうが、まったくこんな夜中までアレクのところにいかなくても。ひとこと注意しなければ。
小さくため息をついてロナルドはアレクの部屋の前まで歩みを進めた。その時だ。怒ったようなケルトの声が耳に飛び込み、半分寝ぼけていたロナルドのあたまを覚醒させる。
「もうあれから三日です! 死んでしまいますよ!」
「だけど……」
「じゃあ、誰に頼むつもりなのですか! まさかロナルドに頼むつもりなのですか!?」
「違う!」
「わたししかいないでしょう。お願いですから拒まないでください! わたしは……あなたがいなくなったらいきて生きていけません」
「ケルト……」
いったいなんの話をしているのか。
ロナルドはドア越しに交わされた会話に、思わず息をのんでその場に立ち尽くす。死ぬとはなんだ。誰が死ぬって?
混乱するロナルドを置いてさらにふたりは会話を続ける。
「それ以上のことはしないとお約束します。ですから!」
「……わかった」
その言葉を最後に会話が途絶えた。不意に訪れた沈黙を不審に思い、ロナルドはドアの隙間からそっと中をのぞき見る。
そして見たのだ。壁に背を預けたアレクを両腕で挟みこみ、ケルトがアレクの唇に自身の唇を重ね合わせているところを。
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