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第一章
葛藤
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「モーリッシュ・ドットバーグの件についてですが、他にも上層地区でモーリッシュの目撃証言がいくつか取れました。モーリッシュが戻ってきているのは間違いなさそうです」
「では急がねばならないな」
「はい。モーリッシュは全国の手配書に載っている大悪党です。他国も常にやつを追いかけている。協力を要請すれば容易に受けてくれるでしょう。しかしバロンとのつながりがあるので、貴族がその動きを知れば黙っていません」
「貴族が闊歩する上層地区で捕らえるには問題がありすぎる。とすると地下街にいるタイミングで捕らえなければならないが……それには餌が必要だな」
モーリッシュは人身売買の闇商人だ。もちろん買い手によってそのターゲットは変わるが、今回はバロンの釈放とほぼ同時期にスタローン王国に現れたこと考えれば、商売相手はバロンとみてほぼ間違いないだろう。
彼の手元にはいまや誰ひとりとして青少年はいないのだから、バロン自身がモーリッシュを呼び寄せた可能性だってある。
マーリナスのいわんとしていることを瞬時に理解したロナルドは、あごに手を当てて難しい表情を浮かべた。
「おとり……ということでしょうか。残念ながら、わが第一警備隊にはバロンが好むような歳の美少年はいませんよ」
「わかっている」
「他の警備隊に要請して話を広げてしまっては、モーリッシュに動きをさとられる可能性があります」
「ああ」
「どうしますか。保護区の子供たちに協力を要請するという手もありますが」
「それはだめだ」
「そういうと思いました」
ロナルドは小さく肩をすくめる。
だが警備隊が悪党のフリをして地下街にもぐりこんでも、警戒心の強い悪党どもは新参者にそうやすやすと情報を売らない。モーリッシュの居所を探るのは難しいだろう。
つまりバロンが取引相手ならば、彼が好むような人間を餌にしてモーリッシュがみずから現れるように仕向けるのが最善策なのである。
そのためには協力者が必要だが、保護区に身を寄せている子供たちは地下街で酷い扱いを受けてきたものたちばかりだ。バロンに限らず地下街の悪党にいいように使われ、体にも心にも大きな傷跡を残している。
おとりだとしても、そんな残酷な思い出の残る地下街にまた行けと命じることは酷だし、おそらく誰も引き受けないだろう。
「望み薄ではありますが、保護区で徴募してみたらいかがですが。強要するよりはましでしょう」
「そうだな。ではそのように手配してくれ」
「はい」
神出鬼没のモーリッシュ・ドットバーグを捕らえる絶好のチャンスを逃したくはない。
その気持ちからマーリナスのあたまに真っ先に浮かんだ案は恐ろしく非道なものだったが、マーリナスはその言葉をぐっと飲みこんだ。
自分はなんと酷い人間だったのだろう。いくら悪人を捕まえたいからといって、こんなことを思いつくとは。嫌悪感にさいなまれながらも、一方ではそれが間違いなく最も有効な手段であることもわかっている。
しかしそんなことをあいつにさせるわけには……
マーリナスの中で頭と心が相反する方向に真っ二つに分かれ、せめぎあっていた。
◇
重い表情のまま自宅の玄関をくぐったマーリナスの目の前に、天使のような笑顔が咲く。
「おかえりなさい!」
「ただいま」
この笑顔を曇らせることなど、できるはずがない。
マーリナスは胸の奥でうごめく黒いものを無理やり押し出して笑顔を浮かべた。
「夕飯ができてます。今日は少しいつもより豪華みたい。一緒に食べましょう」
「メリザになにかいいことでもあったかな」
アレクがバロンの屋敷から保護されてから、ひと月が経とうとしている。こんなに笑顔をだすようになったのだし、もしかしたら傷は癒えたのではないか。
アレクの笑顔を見つめながら、押し出したはずの黒いささやきが再びマーリナスの胸のうちを襲いはじめる。
「モーリッシュについては、どうでしたか? 裏は取れましたか?」
ダイニングテーブルに腰かけたアレクは、笑顔でまだ玄関先に佇むマーリナスを振り返った。だがその直後その目が驚いたように大きく見開かれる。
「……マーリナス? どうかしたの?」
「アレク……」
アレクはガタンッと音を立てて椅子から立ち上がり、マーリナスに駆け寄ると不安そうな顔でのぞきこんだ。
「なにかあったの? 酷い顔をしているよ」
眉を寄せて自分を見上げる紫の瞳から視線をそらし、マーリナスはぎゅっと目を閉じるとおもむろにアレクの体を引き寄せ抱きしめた。
「ま……マーリナス?」
驚いたように瞬きをして顔を赤らめ、遠慮がちに背中に手をまわしたアレクの肩に顔を埋めて、マーリナスは抱きしめる腕に力をこめる。
自分はアレクを守るためにこの家に置いているのだ。決して利用などしてはならない。今回もしモーリッシュを逃したとしても、きっとまた機会はくる。焦ることなどない。
そうだ。きっとそうだとも――
「では急がねばならないな」
「はい。モーリッシュは全国の手配書に載っている大悪党です。他国も常にやつを追いかけている。協力を要請すれば容易に受けてくれるでしょう。しかしバロンとのつながりがあるので、貴族がその動きを知れば黙っていません」
「貴族が闊歩する上層地区で捕らえるには問題がありすぎる。とすると地下街にいるタイミングで捕らえなければならないが……それには餌が必要だな」
モーリッシュは人身売買の闇商人だ。もちろん買い手によってそのターゲットは変わるが、今回はバロンの釈放とほぼ同時期にスタローン王国に現れたこと考えれば、商売相手はバロンとみてほぼ間違いないだろう。
彼の手元にはいまや誰ひとりとして青少年はいないのだから、バロン自身がモーリッシュを呼び寄せた可能性だってある。
マーリナスのいわんとしていることを瞬時に理解したロナルドは、あごに手を当てて難しい表情を浮かべた。
「おとり……ということでしょうか。残念ながら、わが第一警備隊にはバロンが好むような歳の美少年はいませんよ」
「わかっている」
「他の警備隊に要請して話を広げてしまっては、モーリッシュに動きをさとられる可能性があります」
「ああ」
「どうしますか。保護区の子供たちに協力を要請するという手もありますが」
「それはだめだ」
「そういうと思いました」
ロナルドは小さく肩をすくめる。
だが警備隊が悪党のフリをして地下街にもぐりこんでも、警戒心の強い悪党どもは新参者にそうやすやすと情報を売らない。モーリッシュの居所を探るのは難しいだろう。
つまりバロンが取引相手ならば、彼が好むような人間を餌にしてモーリッシュがみずから現れるように仕向けるのが最善策なのである。
そのためには協力者が必要だが、保護区に身を寄せている子供たちは地下街で酷い扱いを受けてきたものたちばかりだ。バロンに限らず地下街の悪党にいいように使われ、体にも心にも大きな傷跡を残している。
おとりだとしても、そんな残酷な思い出の残る地下街にまた行けと命じることは酷だし、おそらく誰も引き受けないだろう。
「望み薄ではありますが、保護区で徴募してみたらいかがですが。強要するよりはましでしょう」
「そうだな。ではそのように手配してくれ」
「はい」
神出鬼没のモーリッシュ・ドットバーグを捕らえる絶好のチャンスを逃したくはない。
その気持ちからマーリナスのあたまに真っ先に浮かんだ案は恐ろしく非道なものだったが、マーリナスはその言葉をぐっと飲みこんだ。
自分はなんと酷い人間だったのだろう。いくら悪人を捕まえたいからといって、こんなことを思いつくとは。嫌悪感にさいなまれながらも、一方ではそれが間違いなく最も有効な手段であることもわかっている。
しかしそんなことをあいつにさせるわけには……
マーリナスの中で頭と心が相反する方向に真っ二つに分かれ、せめぎあっていた。
◇
重い表情のまま自宅の玄関をくぐったマーリナスの目の前に、天使のような笑顔が咲く。
「おかえりなさい!」
「ただいま」
この笑顔を曇らせることなど、できるはずがない。
マーリナスは胸の奥でうごめく黒いものを無理やり押し出して笑顔を浮かべた。
「夕飯ができてます。今日は少しいつもより豪華みたい。一緒に食べましょう」
「メリザになにかいいことでもあったかな」
アレクがバロンの屋敷から保護されてから、ひと月が経とうとしている。こんなに笑顔をだすようになったのだし、もしかしたら傷は癒えたのではないか。
アレクの笑顔を見つめながら、押し出したはずの黒いささやきが再びマーリナスの胸のうちを襲いはじめる。
「モーリッシュについては、どうでしたか? 裏は取れましたか?」
ダイニングテーブルに腰かけたアレクは、笑顔でまだ玄関先に佇むマーリナスを振り返った。だがその直後その目が驚いたように大きく見開かれる。
「……マーリナス? どうかしたの?」
「アレク……」
アレクはガタンッと音を立てて椅子から立ち上がり、マーリナスに駆け寄ると不安そうな顔でのぞきこんだ。
「なにかあったの? 酷い顔をしているよ」
眉を寄せて自分を見上げる紫の瞳から視線をそらし、マーリナスはぎゅっと目を閉じるとおもむろにアレクの体を引き寄せ抱きしめた。
「ま……マーリナス?」
驚いたように瞬きをして顔を赤らめ、遠慮がちに背中に手をまわしたアレクの肩に顔を埋めて、マーリナスは抱きしめる腕に力をこめる。
自分はアレクを守るためにこの家に置いているのだ。決して利用などしてはならない。今回もしモーリッシュを逃したとしても、きっとまた機会はくる。焦ることなどない。
そうだ。きっとそうだとも――
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