19 / 146
第一章
葛藤
しおりを挟む
「モーリッシュ・ドットバーグの件についてですが、他にも上層地区でモーリッシュの目撃証言がいくつか取れました。モーリッシュが戻ってきているのは間違いなさそうです」
「では急がねばならないな」
「はい。モーリッシュは全国の手配書に載っている大悪党です。他国も常にやつを追いかけている。協力を要請すれば容易に受けてくれるでしょう。しかしバロンとのつながりがあるので、貴族がその動きを知れば黙っていません」
「貴族が闊歩する上層地区で捕らえるには問題がありすぎる。とすると地下街にいるタイミングで捕らえなければならないが……それには餌が必要だな」
モーリッシュは人身売買の闇商人だ。もちろん買い手によってそのターゲットは変わるが、今回はバロンの釈放とほぼ同時期にスタローン王国に現れたこと考えれば、商売相手はバロンとみてほぼ間違いないだろう。
彼の手元にはいまや誰ひとりとして青少年はいないのだから、バロン自身がモーリッシュを呼び寄せた可能性だってある。
マーリナスのいわんとしていることを瞬時に理解したロナルドは、あごに手を当てて難しい表情を浮かべた。
「おとり……ということでしょうか。残念ながら、わが第一警備隊にはバロンが好むような歳の美少年はいませんよ」
「わかっている」
「他の警備隊に要請して話を広げてしまっては、モーリッシュに動きをさとられる可能性があります」
「ああ」
「どうしますか。保護区の子供たちに協力を要請するという手もありますが」
「それはだめだ」
「そういうと思いました」
ロナルドは小さく肩をすくめる。
だが警備隊が悪党のフリをして地下街にもぐりこんでも、警戒心の強い悪党どもは新参者にそうやすやすと情報を売らない。モーリッシュの居所を探るのは難しいだろう。
つまりバロンが取引相手ならば、彼が好むような人間を餌にしてモーリッシュがみずから現れるように仕向けるのが最善策なのである。
そのためには協力者が必要だが、保護区に身を寄せている子供たちは地下街で酷い扱いを受けてきたものたちばかりだ。バロンに限らず地下街の悪党にいいように使われ、体にも心にも大きな傷跡を残している。
おとりだとしても、そんな残酷な思い出の残る地下街にまた行けと命じることは酷だし、おそらく誰も引き受けないだろう。
「望み薄ではありますが、保護区で徴募してみたらいかがですが。強要するよりはましでしょう」
「そうだな。ではそのように手配してくれ」
「はい」
神出鬼没のモーリッシュ・ドットバーグを捕らえる絶好のチャンスを逃したくはない。
その気持ちからマーリナスのあたまに真っ先に浮かんだ案は恐ろしく非道なものだったが、マーリナスはその言葉をぐっと飲みこんだ。
自分はなんと酷い人間だったのだろう。いくら悪人を捕まえたいからといって、こんなことを思いつくとは。嫌悪感にさいなまれながらも、一方ではそれが間違いなく最も有効な手段であることもわかっている。
しかしそんなことをあいつにさせるわけには……
マーリナスの中で頭と心が相反する方向に真っ二つに分かれ、せめぎあっていた。
◇
重い表情のまま自宅の玄関をくぐったマーリナスの目の前に、天使のような笑顔が咲く。
「おかえりなさい!」
「ただいま」
この笑顔を曇らせることなど、できるはずがない。
マーリナスは胸の奥でうごめく黒いものを無理やり押し出して笑顔を浮かべた。
「夕飯ができてます。今日は少しいつもより豪華みたい。一緒に食べましょう」
「メリザになにかいいことでもあったかな」
アレクがバロンの屋敷から保護されてから、ひと月が経とうとしている。こんなに笑顔をだすようになったのだし、もしかしたら傷は癒えたのではないか。
アレクの笑顔を見つめながら、押し出したはずの黒いささやきが再びマーリナスの胸のうちを襲いはじめる。
「モーリッシュについては、どうでしたか? 裏は取れましたか?」
ダイニングテーブルに腰かけたアレクは、笑顔でまだ玄関先に佇むマーリナスを振り返った。だがその直後その目が驚いたように大きく見開かれる。
「……マーリナス? どうかしたの?」
「アレク……」
アレクはガタンッと音を立てて椅子から立ち上がり、マーリナスに駆け寄ると不安そうな顔でのぞきこんだ。
「なにかあったの? 酷い顔をしているよ」
眉を寄せて自分を見上げる紫の瞳から視線をそらし、マーリナスはぎゅっと目を閉じるとおもむろにアレクの体を引き寄せ抱きしめた。
「ま……マーリナス?」
驚いたように瞬きをして顔を赤らめ、遠慮がちに背中に手をまわしたアレクの肩に顔を埋めて、マーリナスは抱きしめる腕に力をこめる。
自分はアレクを守るためにこの家に置いているのだ。決して利用などしてはならない。今回もしモーリッシュを逃したとしても、きっとまた機会はくる。焦ることなどない。
そうだ。きっとそうだとも――
「では急がねばならないな」
「はい。モーリッシュは全国の手配書に載っている大悪党です。他国も常にやつを追いかけている。協力を要請すれば容易に受けてくれるでしょう。しかしバロンとのつながりがあるので、貴族がその動きを知れば黙っていません」
「貴族が闊歩する上層地区で捕らえるには問題がありすぎる。とすると地下街にいるタイミングで捕らえなければならないが……それには餌が必要だな」
モーリッシュは人身売買の闇商人だ。もちろん買い手によってそのターゲットは変わるが、今回はバロンの釈放とほぼ同時期にスタローン王国に現れたこと考えれば、商売相手はバロンとみてほぼ間違いないだろう。
彼の手元にはいまや誰ひとりとして青少年はいないのだから、バロン自身がモーリッシュを呼び寄せた可能性だってある。
マーリナスのいわんとしていることを瞬時に理解したロナルドは、あごに手を当てて難しい表情を浮かべた。
「おとり……ということでしょうか。残念ながら、わが第一警備隊にはバロンが好むような歳の美少年はいませんよ」
「わかっている」
「他の警備隊に要請して話を広げてしまっては、モーリッシュに動きをさとられる可能性があります」
「ああ」
「どうしますか。保護区の子供たちに協力を要請するという手もありますが」
「それはだめだ」
「そういうと思いました」
ロナルドは小さく肩をすくめる。
だが警備隊が悪党のフリをして地下街にもぐりこんでも、警戒心の強い悪党どもは新参者にそうやすやすと情報を売らない。モーリッシュの居所を探るのは難しいだろう。
つまりバロンが取引相手ならば、彼が好むような人間を餌にしてモーリッシュがみずから現れるように仕向けるのが最善策なのである。
そのためには協力者が必要だが、保護区に身を寄せている子供たちは地下街で酷い扱いを受けてきたものたちばかりだ。バロンに限らず地下街の悪党にいいように使われ、体にも心にも大きな傷跡を残している。
おとりだとしても、そんな残酷な思い出の残る地下街にまた行けと命じることは酷だし、おそらく誰も引き受けないだろう。
「望み薄ではありますが、保護区で徴募してみたらいかがですが。強要するよりはましでしょう」
「そうだな。ではそのように手配してくれ」
「はい」
神出鬼没のモーリッシュ・ドットバーグを捕らえる絶好のチャンスを逃したくはない。
その気持ちからマーリナスのあたまに真っ先に浮かんだ案は恐ろしく非道なものだったが、マーリナスはその言葉をぐっと飲みこんだ。
自分はなんと酷い人間だったのだろう。いくら悪人を捕まえたいからといって、こんなことを思いつくとは。嫌悪感にさいなまれながらも、一方ではそれが間違いなく最も有効な手段であることもわかっている。
しかしそんなことをあいつにさせるわけには……
マーリナスの中で頭と心が相反する方向に真っ二つに分かれ、せめぎあっていた。
◇
重い表情のまま自宅の玄関をくぐったマーリナスの目の前に、天使のような笑顔が咲く。
「おかえりなさい!」
「ただいま」
この笑顔を曇らせることなど、できるはずがない。
マーリナスは胸の奥でうごめく黒いものを無理やり押し出して笑顔を浮かべた。
「夕飯ができてます。今日は少しいつもより豪華みたい。一緒に食べましょう」
「メリザになにかいいことでもあったかな」
アレクがバロンの屋敷から保護されてから、ひと月が経とうとしている。こんなに笑顔をだすようになったのだし、もしかしたら傷は癒えたのではないか。
アレクの笑顔を見つめながら、押し出したはずの黒いささやきが再びマーリナスの胸のうちを襲いはじめる。
「モーリッシュについては、どうでしたか? 裏は取れましたか?」
ダイニングテーブルに腰かけたアレクは、笑顔でまだ玄関先に佇むマーリナスを振り返った。だがその直後その目が驚いたように大きく見開かれる。
「……マーリナス? どうかしたの?」
「アレク……」
アレクはガタンッと音を立てて椅子から立ち上がり、マーリナスに駆け寄ると不安そうな顔でのぞきこんだ。
「なにかあったの? 酷い顔をしているよ」
眉を寄せて自分を見上げる紫の瞳から視線をそらし、マーリナスはぎゅっと目を閉じるとおもむろにアレクの体を引き寄せ抱きしめた。
「ま……マーリナス?」
驚いたように瞬きをして顔を赤らめ、遠慮がちに背中に手をまわしたアレクの肩に顔を埋めて、マーリナスは抱きしめる腕に力をこめる。
自分はアレクを守るためにこの家に置いているのだ。決して利用などしてはならない。今回もしモーリッシュを逃したとしても、きっとまた機会はくる。焦ることなどない。
そうだ。きっとそうだとも――
0
お気に入りに追加
313
あなたにおすすめの小説
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
【完結】運命さんこんにちは、さようなら
ハリネズミ
BL
Ωである神楽 咲(かぐら さき)は『運命』と出会ったが、知らない間に番になっていたのは別の人物、影山 燐(かげやま りん)だった。
とある誤解から思うように優しくできない燐と、番=家族だと考え、家族が欲しかったことから簡単に受け入れてしまったマイペースな咲とのちぐはぐでピュアなラブストーリー。
==========
完結しました。ありがとうございました。
消えない思い
樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。
高校3年生 矢野浩二 α
高校3年生 佐々木裕也 α
高校1年生 赤城要 Ω
赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。
自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。
そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。
でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。
彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。
そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。
Switch!〜僕とイケメンな地獄の裁判官様の溺愛異世界冒険記〜
天咲 琴葉
BL
幼い頃から精霊や神々の姿が見えていた悠理。
彼は美しい神社で、家族や仲間達に愛され、幸せに暮らしていた。
しかし、ある日、『燃える様な真紅の瞳』をした男と出逢ったことで、彼の運命は大きく変化していく。
幾重にも襲い掛かる運命の荒波の果て、悠理は一度解けてしまった絆を結び直せるのか――。
運命に翻弄されても尚、出逢い続ける――宿命と絆の和風ファンタジー。
狂わせたのは君なのに
白兪
BL
ガベラは10歳の時に前世の記憶を思い出した。ここはゲームの世界で自分は悪役令息だということを。ゲームではガベラは主人公ランを悪漢を雇って襲わせ、そして断罪される。しかし、ガベラはそんなこと望んでいないし、罰せられるのも嫌である。なんとかしてこの運命を変えたい。その行動が彼を狂わすことになるとは知らずに。
完結保証
番外編あり
僕のために、忘れていて
ことわ子
BL
男子高校生のリュージは事故に遭い、最近の記憶を無くしてしまった。しかし、無くしたのは最近の記憶で家族や友人のことは覚えており、別段困ることは無いと思っていた。ある一点、全く記憶にない人物、黒咲アキが自分の恋人だと訪ねてくるまでは────
初恋はおしまい
佐治尚実
BL
高校生の朝好にとって卒業までの二年間は奇跡に満ちていた。クラスで目立たず、一人の時間を大事にする日々。そんな朝好に、クラスの頂点に君臨する修司の視線が絡んでくるのが不思議でならなかった。人気者の彼の一方的で執拗な気配に朝好の気持ちは高ぶり、ついには卒業式の日に修司を呼び止める所までいく。それも修司に無神経な言葉をぶつけられてショックを受ける。彼への思いを知った朝好は成人式で修司との再会を望んだ。
高校時代の初恋をこじらせた二人が、成人式で再会する話です。珍しく攻めがツンツンしています。
※以前投稿した『初恋はおしまい』を大幅に加筆修正して再投稿しました。現在非公開の『初恋はおしまい』にお気に入りや♡をくださりありがとうございました!こちらを読んでいただけると幸いです。
今作は個人サイト、各投稿サイトにて掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる