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15.南宋襲来
第105話(1189年8月) 敗軍の将
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博多沖・南宋軍総大将船
「付き従っている船は?」
趙汝愚は沈んだ声で朱熹に聞いた。
「……200足らずかと」
「臨安を出たときは5000艘はいたというのに……。何ということだ……」
「今は生き延びたことを喜びましょう」
趙汝愚は振り返って後ろの海を見る。
――確かに、生き延びることができただけでも奇跡だった。血に染まる海。燃えさかる船。朱で染められた、関門海峡を抜けるとき、この先にあるのは生ではなく、地獄なのではないかと思った。
「だが――、帰ったとて陛下に死を賜るしかない」
「いいえ、大敗北の理由は左丞相の指揮ではなく、出雲の裏切りにあります。責を負うべきは右丞相・時忠です」
「――そうか、やつの作戦が原因だ。宮廷で此度の大敗の責を時忠に問い、右丞相を取り除けば、この負けは無駄ではない。まだ南宋には未来がある!」
2人が宮廷での戦いについて話していると、対馬が見えてきた。
対馬は前哨戦で占領した島である。ここで水を補給する予定だ。
「左丞相、陸で一息いれましょう」
朱熹がそう言ったとき、対馬に停留している船団が見えた。
「あの船団は――援軍です! 『須』の旗。スサノオ将軍かと!」
「おお! 時忠と敵対している男が助けにくるとは! これぞ天命。彼と共に南宋を正道に戻せと天が申しておる!」
上陸した趙汝愚たちには温かい食事がふるまわれた。
感激した趙汝愚は貴一と熱い抱擁を交わす。
「スサノオ将軍、右丞相が出雲に騙され、我が軍は大敗した。同じ時忠を憎むものとして、宮廷でやつの責任を糾弾しよう。此度の戦で清流派の将官も多く死んだが、まだ臨安には仲間もいる。この機に濁流派を追放してくれる!」
貴一は目をそらす。
「しかし、俺は清流派といっても新参者。左丞相も俺を避けていましたよね」
趙汝愚は貴一の肩を抱いて親しみを見せる。
「いや、すまない。将軍は右丞相と仲違いしたが、それは口だけの話で、偽計ではないかと疑っていた。だが、窮地にあるときに助けてくれるのが真の友だ。もう疑わぬ」
「真の友ですか……。それこそ口だけのような気がしますがね」
「わかった。起請文を書こう。スサノオ将軍こそ、我が盟友であり、清流派にとっての大きな柱であると。朱熹、紙と筆をここに」
朱熹が趙汝愚にささやく。
「左丞相、そこまでする必要はないかと。スサノオ将軍に無用な力を与えることになります」
「いいから渡すのだ。負けたのは右丞相のせいだが、敗軍の将である私の威信も落ちた。今の清流派には新しい英雄が必要なのだ。それに武勇抜群のスサノオ将軍が私の右腕になったと聞けば、濁流派も私に手を出しづらくなる」
趙汝愚は起請文を貴一に渡した。
「ハハハ! これで南宋の未来は明るい」
その夜、屋敷内で幹部だけを集めた酒宴が開かれた。
上座には趙汝愚と貴一が座っている。
「ときに将軍、なぜ陛下は援軍を下されたのか? 韓侂冑が苦戦していると使いを送ったのか」
「いいえ。俺の独断です」
「なんと! それこそ真の友だ。しかし、船の数を見るに1万は兵がいる。将軍が私兵をそれほど持っているとは思えんが、名族が支援してくれたのか?」
「いいや、私兵じゃない。出雲水軍だ。高俊!」
武器の持った兵が宴席になだれ込んできた。
出雲水軍の頭・安倍高俊が指揮を採る、
「出雲だと! どういうことだ将軍!」
趙汝愚は立ち上がって叫ぶが、貴一は答えない。
関門海峡の死線を潜り抜けた部下たちが、次々と殺されていく。
趙汝愚の目に最後に移ったのは、弓を引き絞る安倍高俊の姿だった。
「対馬の民の恨みを受けよ」
安倍高俊が放った矢は、趙汝愚の胸を一撃で貫いた。
すべてが終わった後、高俊が配下に命令する。
「趙汝愚の死体は清めて棺に入れろ。丁重にな。それ以外の死体は夜中に土に埋めろ!」
惨劇を黙って見ていた貴一だったが、趙汝愚の死体が清められると座って静かに手を合わせた。
「賊が聖人のつもりか?」
貴一が見上げると朱熹が立っていた。
「なぜ、私だけ殺さない」
「朱先生は学者として名声がおありだ。証人になってもらう」
貴一は懐から、朱熹が書いた本を取り出して見せた。
「証人? 貴様が左丞相を殺したことを言いふらして欲しいのか?」
「左丞相は敗戦の責任を取って自害した。その証人だ」
「たわ言を! わしの目の前で謀殺したではないか!」
「先生、証人にならないのであれば――」
貴一は本を地面に落とすと太刀を抜いた。
「殺せばいい。わしが脅しに屈すると思うてか!」
「先生は命を惜しむような人じゃないことは知っている。だけど、人生をかけて作り上げた、朱子学を徹底的に弾圧すると言ったらどうする。後世に先生の思想がチリ一つ残らないとしたら」
「卑劣な! そんなことが――」
「できるさ。先生が証言してくれなければ、俺は清流派の裏切り者だ。だとしたら、俺は保身のために趙汝愚の首をもって時忠の元へ戻るしかない。時忠は政敵を倒したことを褒めてくれるだろう。俺はその褒美に朱子学の弾圧を願い出る」
貴一はそこまで言うと本に太刀を突き刺した。
「この太刀をあげよう。どう使うかは自由だ」
翌日、兵の前で太刀を掲げて演説する朱熹の姿があった。隣には貴一がいる。
「左丞相はスサノオ将軍に後を託されて、立派に自害された! 我が軍は臨安に向けて出港する! よく聞け! まだ戦は終わっていない! 左丞相と我が兵の仇! 君側の奸・時忠を討つ!」
対馬に流れてくる敗残兵をまとめた貴一は、臨安に向けて出港した。
「付き従っている船は?」
趙汝愚は沈んだ声で朱熹に聞いた。
「……200足らずかと」
「臨安を出たときは5000艘はいたというのに……。何ということだ……」
「今は生き延びたことを喜びましょう」
趙汝愚は振り返って後ろの海を見る。
――確かに、生き延びることができただけでも奇跡だった。血に染まる海。燃えさかる船。朱で染められた、関門海峡を抜けるとき、この先にあるのは生ではなく、地獄なのではないかと思った。
「だが――、帰ったとて陛下に死を賜るしかない」
「いいえ、大敗北の理由は左丞相の指揮ではなく、出雲の裏切りにあります。責を負うべきは右丞相・時忠です」
「――そうか、やつの作戦が原因だ。宮廷で此度の大敗の責を時忠に問い、右丞相を取り除けば、この負けは無駄ではない。まだ南宋には未来がある!」
2人が宮廷での戦いについて話していると、対馬が見えてきた。
対馬は前哨戦で占領した島である。ここで水を補給する予定だ。
「左丞相、陸で一息いれましょう」
朱熹がそう言ったとき、対馬に停留している船団が見えた。
「あの船団は――援軍です! 『須』の旗。スサノオ将軍かと!」
「おお! 時忠と敵対している男が助けにくるとは! これぞ天命。彼と共に南宋を正道に戻せと天が申しておる!」
上陸した趙汝愚たちには温かい食事がふるまわれた。
感激した趙汝愚は貴一と熱い抱擁を交わす。
「スサノオ将軍、右丞相が出雲に騙され、我が軍は大敗した。同じ時忠を憎むものとして、宮廷でやつの責任を糾弾しよう。此度の戦で清流派の将官も多く死んだが、まだ臨安には仲間もいる。この機に濁流派を追放してくれる!」
貴一は目をそらす。
「しかし、俺は清流派といっても新参者。左丞相も俺を避けていましたよね」
趙汝愚は貴一の肩を抱いて親しみを見せる。
「いや、すまない。将軍は右丞相と仲違いしたが、それは口だけの話で、偽計ではないかと疑っていた。だが、窮地にあるときに助けてくれるのが真の友だ。もう疑わぬ」
「真の友ですか……。それこそ口だけのような気がしますがね」
「わかった。起請文を書こう。スサノオ将軍こそ、我が盟友であり、清流派にとっての大きな柱であると。朱熹、紙と筆をここに」
朱熹が趙汝愚にささやく。
「左丞相、そこまでする必要はないかと。スサノオ将軍に無用な力を与えることになります」
「いいから渡すのだ。負けたのは右丞相のせいだが、敗軍の将である私の威信も落ちた。今の清流派には新しい英雄が必要なのだ。それに武勇抜群のスサノオ将軍が私の右腕になったと聞けば、濁流派も私に手を出しづらくなる」
趙汝愚は起請文を貴一に渡した。
「ハハハ! これで南宋の未来は明るい」
その夜、屋敷内で幹部だけを集めた酒宴が開かれた。
上座には趙汝愚と貴一が座っている。
「ときに将軍、なぜ陛下は援軍を下されたのか? 韓侂冑が苦戦していると使いを送ったのか」
「いいえ。俺の独断です」
「なんと! それこそ真の友だ。しかし、船の数を見るに1万は兵がいる。将軍が私兵をそれほど持っているとは思えんが、名族が支援してくれたのか?」
「いいや、私兵じゃない。出雲水軍だ。高俊!」
武器の持った兵が宴席になだれ込んできた。
出雲水軍の頭・安倍高俊が指揮を採る、
「出雲だと! どういうことだ将軍!」
趙汝愚は立ち上がって叫ぶが、貴一は答えない。
関門海峡の死線を潜り抜けた部下たちが、次々と殺されていく。
趙汝愚の目に最後に移ったのは、弓を引き絞る安倍高俊の姿だった。
「対馬の民の恨みを受けよ」
安倍高俊が放った矢は、趙汝愚の胸を一撃で貫いた。
すべてが終わった後、高俊が配下に命令する。
「趙汝愚の死体は清めて棺に入れろ。丁重にな。それ以外の死体は夜中に土に埋めろ!」
惨劇を黙って見ていた貴一だったが、趙汝愚の死体が清められると座って静かに手を合わせた。
「賊が聖人のつもりか?」
貴一が見上げると朱熹が立っていた。
「なぜ、私だけ殺さない」
「朱先生は学者として名声がおありだ。証人になってもらう」
貴一は懐から、朱熹が書いた本を取り出して見せた。
「証人? 貴様が左丞相を殺したことを言いふらして欲しいのか?」
「左丞相は敗戦の責任を取って自害した。その証人だ」
「たわ言を! わしの目の前で謀殺したではないか!」
「先生、証人にならないのであれば――」
貴一は本を地面に落とすと太刀を抜いた。
「殺せばいい。わしが脅しに屈すると思うてか!」
「先生は命を惜しむような人じゃないことは知っている。だけど、人生をかけて作り上げた、朱子学を徹底的に弾圧すると言ったらどうする。後世に先生の思想がチリ一つ残らないとしたら」
「卑劣な! そんなことが――」
「できるさ。先生が証言してくれなければ、俺は清流派の裏切り者だ。だとしたら、俺は保身のために趙汝愚の首をもって時忠の元へ戻るしかない。時忠は政敵を倒したことを褒めてくれるだろう。俺はその褒美に朱子学の弾圧を願い出る」
貴一はそこまで言うと本に太刀を突き刺した。
「この太刀をあげよう。どう使うかは自由だ」
翌日、兵の前で太刀を掲げて演説する朱熹の姿があった。隣には貴一がいる。
「左丞相はスサノオ将軍に後を託されて、立派に自害された! 我が軍は臨安に向けて出港する! よく聞け! まだ戦は終わっていない! 左丞相と我が兵の仇! 君側の奸・時忠を討つ!」
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