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14.奥州の落日編

第97話(1187年12月) 揺らぐ奥州

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 奥州平泉・源義経屋敷

 藤原氏の居館から装束を来た義経が上機嫌で戻ってきた。
 蝦夷の少年に稽古をつけている貴一に言う。

「泰衡殿から大将軍を任された。秀衡殿が亡くなっても何事も起こらぬ。まったく、師匠の心配性にも困ったものだ。安心して出雲へ戻られよ。蝦夷を出雲に連れて行く約束もあるのだろう?」

 義経の護衛は静御前が戻ってくるまでの約束だったが、藤原秀衡死後に異変が起こると考えた貴一は出発を延ばしていた。

 貴一は静御前と目を見合わせる。

「奥州を離れる気はございませんか。泰衡は信用できません。殺気はありませんでしたが、義経様への怯えを感じました」

 義経といっしょに泰衡に会ってきた静御前が言った。

「出雲で大将軍を任すというなら考えるが、師匠は平時忠のように大陸へ行けという。それなら、ここにいたほうが良い」

 貴一はため息をついた。

「そこまで言うのなら、俺は引き揚げるよ。早く南宋に戻らないと義仲もうるさいからね。静御前、十三湊に蒸気船を一隻繋いでおく。もしものときは使ってくれ」

「ありがとうございます。スサノオ様には不要かと存じますが、これを」

 静御前は赤い小壺を3つ貴一に渡した。

 翌日、荷物をまとめた貴一は蝦夷の少年たちを連れて十三湊へ向かった。

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 藤原家居館・黄金の間

「やっと重しが一つ消えたか」

 貴一の平泉退去を知り、黄金の間の新しい主人・藤原泰衡はほっとした表情で言った。 秀衡の跡を継いだ泰衡はげっそりと痩せていた。

 鎌倉からの恫喝。出雲からの無言の圧力。義経の傲慢さ。兄弟からの不平。いずれに対しても対応を間違えると奥州が滅ぶ危険があった。誰に対しても気を配らなければいけない、忍耐の日々が、泰衡の肉体と精神を削っていた。

「わしは、奥州の王と言えるのか」

 最近の泰衡の口癖だ。
 
 泰衡は側近を呼ぶと密かに兵を集めるよう命じた。

「まず義経。そして逆らう弟。この重しを取り除けば、本当の王になれる。わしは父上とは違う。覚悟ができる男なのだ」

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(静御前視点)

 貴一が去った1日後の早暁、義経の屋敷は2000の兵に囲まれていた。

「これは何かの間違いであろう。昨日まではあれほど私を頼っていたのだぞ!」

「義経様、今は考えているときではございません。早く逃げるお支度を。わたしと義盛殿が血路を開きます」

「何を言う。我らは一心同体、逃げる時もともに行く」

「離れても心はともにあります」

 静御前は義経の目の前で赤い小壺を開けた。赤い煙をふいに吸った義経は眠ってしまった。伊勢義盛は浅黄色の布で顔を覆う。

「すまぬ、静御前」

「義経様をお頼みします」

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(藤原泰衡視点)

 義経屋敷の北側が赤い煙に覆われて行く。

「あれはなんだ……」

 赤い煙に近づこうとする泰衡を兵が止める。

「あの煙、毒かと思われます。煙を吸った兵はあのように虚ろになります」

 たしかに兵はだらりと腕を垂らしていた。奇妙なのはみな幸せそうな顔をしながら倒されていることだった。
 泰衡は煙の中心で跳ねている影を指さした。

「義経の妾が天狗だという噂は真だったのか……」

 泰衡は周りを見渡す。

「義経、義経はどこへ行った。あの天狗に構うな。みな義経を追え! 褒美は思いのままぞ!」

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(静御前視点)

 赤い煙の中で催眠の舞をしながら、静御前は鉄扇で敵を倒していた。
 はじめは静御前を仕留めようと、敵が集中していたが、手柄首で無いとわかると、囲んでいる兵は百人にまで減っていた。

――このままでは義経様に大勢が向かってしまう。義経様が死んでしまう!

 焦った静御前は鉄扇を仕舞うと、懐から赤い小壺を両手に3つずつ取り出した。

――蓮華さんといっしょに踊りたかったな……。

 静御前は自分の身体に語りかける。

「我が血よ、肉よ。後のことを考えるな――ただ狂い咲け!」

 両手を握りしめると、6つの小壺が砕け散る。
 赤い煙が爆風のように屋敷の外まで広がっていった――。
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